2-4 愛と過去と優しさと 1
"ロザリア南市街地"から乗り継いで"ストレリチア"、更に"アルブス城都市部"を越えて王国の南側に位置するアルブスカミーリアの名産地"エレガスガーデン"でもう一度乗り換える────この暗号じみた移動ルートを往くことすでに3日。
エレガスガーデンからはもう乗り継ぎはなく、国内で列車が運行する地域としては最南端に当たる観光地"プリマエアリゾート"からは徒歩移動で約一日を費やすことになる。
ちなみに、プリマエアリゾートは白の国のみならずヴァルプキス西地方諸国が誇る温泉都市だ。
アルブス王国は確かに海沿いの国だが、この観光地は国内でも比較的内地に存在しているにも拘わらず水の都と呼ばれている。
それは当然多種多様な温泉の効果もあるが、実はもうひとつ理由があった。
「ということで、やって来たわぁ! プリマエアリゾート!」
「"ということで"ってなんだ」
「よくあるアレよ、さぁ! 曾おばあ様に会いに行きましょう!」
カエルレウム連合国の御三家"ルミエール"の一族は100年近く前にこの地に溢れた熱い源泉をこうして温泉として活用する水の術を授け、今でも管理者として当時の当主ことタレイアの曾祖母"ネレイス"が住んでいる。
水の都と呼ばれる所以はアトランティカ大海の島国より授かった魔法、この都市を支える術にあるのだ。
では先を急ぐ彼らが何故ここを訪れたのかという話になるが────答えはルミエールの一族という部分に隠れている。
「本当に占いなんてするのか」
「曾おばあ様の未来予知は確実よん、旅の無事を祈るならまずはこれからに幸が多いか知りたくなぁい?」
そう、占い。まぁ占いという体の未来視だが。
ルミエールであるならばネレイスにも当然未来予知の能力がある。
しかも彼女は鏡などのガラス類に写して他人に見せることができるとタレイアは言い、曰く「未来は視れても見せられない」とのことで特異性が高い。
なにせタレイアはこの数日で思った。
"二人はどうして仲が悪くなったのだろう"。
"このまま旅を続けても問題はないか"。
リオンとレオンには悪いが、全くもってその通りだ。
彼女からすれば二人は昔から一緒にいたし弟は兄の傍を離れようとしなかった。なのに知らない間に関係は悪化し、一緒にはいるが距離を取ろうとしている。
そしてリオンはヴェルメリオ帝国に狙われ、かつて精霊から賜った銀の腕の権能を失ったとまで言うじゃないか。
このままでは必ず二人──というかリオンはどこかで不満を爆発させ、下手すれば帝国の愚行をも果たされるのを許してしまう。
だから大陸側に暮らすネレイスに二人の行く道を示してほしかった。
もちろん決して温泉に入りたいわけではない。
「……なにも知らないよりは策を立てられる方がいい」
「リオンは素直になった方がいいぞ。知りたいならはっきりそう言えばいいじゃないか」
「黙れ」
と、このようにレオンの言うことにはこんな感じで一言付け足してくるのは相変わらず。
しかしタレイアには理由が分からないし、聞いて嫌な顔をされるのも本職の職業柄かあまり好まない。
「じゃあ行きましょ! 案内するわぁ!」
プリマエアリゾートは四つの地区で分かれ、まず駅や土産屋などがある商業地区。次に観光客が泊まる施設や休憩スペースが豊富な宿泊地区、この地に住まう住民たちの住居地区。そして最後に主役の温泉。
ネレイスが住まう住居地区には歩きで30分ほどの時間を要するが、商業地区以外にも食べ物の店は多いのであまり足が疲れることはない。
暖かな空気と独特の湯の香りが全身を癒す安らかな街の中を往く三人は本当によく目立ち、ルミエールの者だと広く知れているタレイアはよく住民たちに声をかけられる。
彼女も旅が落ち着いたら曾祖母と共にこの地の管理者となるのだろうか。
規則正しく並べられたアートのような路を進むこと一時間が経ち、人通りもだいぶ減ってきた。
「さ、ここが曾おばあ様の住むお屋敷よ」
「さすがに管理者の邸宅となるとでかいな」
「我が本家にとっては別荘の扱いだもの」
ルミエールの一族はここの管理をアルブス王国とネレイスに任せているが、定期的に彼女に会いに行く──という建前で──訪れているため、ネレイスの家でありながら一族の別宅扱いにもなっている。
そんな屋敷は門に魔法で錠がされ、奥には衛兵が見張りで立っているいたって普通の貴族邸宅に見えるものの……カーテンが閉じきり不気味な様相を呈していた。
身内のタレイアもこの状況にはなんとなく困った表情を浮かべており、今の屋敷の不気味な雰囲気はあまり想定していたような様子ではないらしい。
ちょっとちょっと、と敷地内を巡回する衛兵を手招きし門の奥ではあるがだいぶ距離を近付けてようやく話ができるところまで持ち込んだが……。
「申し訳ありません。只今ネレイス様は儀式の最中でして、タレイア様であろうと中に通すわけには……」
「儀式? 一体なにがあったの?」
「実は……我々の不手際で、賊の侵入を許してしまったのです」
賊の侵入──と一纏めに言ってくれるが、わざわざ都市の管理者が動いている以上、相手はただの盗人や不届き者ではないはず。
衛兵によれば話はこうだ。
昨日、都市全域に施している対異形用の侵入防止結界が揺らぎ、一部が破壊されたらしい。
ところが異形が入り込んだ形跡や人を襲った等の報告は一切なく、不可思議な現象を前に一介の兵士たちには解決できない問題となってしまった。
そこでカエルレウム連合公国という魔術師が跋扈する国から来たネレイスは、アルブス王国に賊に関する事態の解決に協力することを承諾。
彼女は昨晩からずっと邸宅の地下に籠り、都市全域に己の"眼"を張り巡らせて直接監視しているそうだ。
そんな荒行に半日以上取りかかっているということは、犯人はまだ見つかっていないのだろう。
儀式の最中は集中力を要し、特にこのような都市レベルの広い街を一望しようと言うのだから魔力の消耗ぶりも計り知れない。
「参ったわねぇ……」
「大変申し訳ありません……」
「いいのよ、それより曾おばあ様はいつまで持ちそう?」
「中の警備の者が昼の時点では明日の朝までは問題ないと」
「相変わらず元気な方だわぁ」
御歳百歳を優に越えた女性ではあるが大魔術師となればここからが本番と言うことか。
なんにせよ明日までは会うことさえできない。これは完全に足止めを食らう形になってしまうし、賊がいると分かっている街には留まるのもなんだか気が引ける。
気が引ける──が、しかし……。
「わざわざ温泉の名所に来てどこも行かずに日帰りだなんて……」
「た、確かにもったいないのは事実だけども」
「少しは疲れを癒しましょうよぉ! リオンくんも、まだ本調子じゃないって自分で言ってたじゃなぁい!」
「まぁ……そうだな」
「じゃあ、今日はここで休みましょう!」
……と、半ば強引に兄弟を言いくるめたタレイアは衛兵に「明日また来るわぁ」と言って二人の手を離さないようがっちりと握り締めてその場から全速力で消えていった。
あまりの素早さと突然の突風に衛兵が唖然としている内に、彼女は華麗なる衣装を揺らして水の都を駆け抜ける。
連れられている二人も目的地が分からないままとりあえずされるがままになること約10分後、タレイアと不仲な兄弟がやって来たのは見た目から高級感が溢れ、安宿とは言わないがその辺の一般的なものとは一線を画す気品を感じさせるホテルのような宿だった
ウキウキとした表情からご機嫌ぶりが窺い知れるタレイアを見るにここに来たかったようだ。
まぁ徒歩になれば列車と違い、肉体的な体力を消耗することになる。今のうちに温泉で日々の疲労を癒し、明日への鋭気を養うことは決して悪いことではない。
実際にリオンがどう思っているかは知らないが、少なくともレオンは彼に休んでほしいと思っている。
銀腕がなく焦る気持ちは大いに分かる、レオンだって銀剣・クラレントがなければただの肉壁にすらならないから。しかし言葉でそれを伝えても返ってくるのは「黙れ」か「余計なお世話だ」の二択に違いない。
だからタレイアがこうして連れ出してくれることによって彼が納得するのならそれが一番最善だ。
「この旅館は専用の温泉を部屋に用意しているのよ! さ、ゆっくり疲れを取りましょうね」
彼女曰く、プリマエアリゾートで最も高く最も好評なのがこの宿だとか。
受付ではルミエールということもあってほぼ顔パスなのか世間話に花を咲かせ、快く貸し出された二本のキーを受け取って片方をレオンに預けた。
…………預けたが、二本。
「……よし」
「ちょっと待て、いくら嫌だからって女と二人きりは許さないからな!?」
「だったら兄上が譲れ。俺だって好き好んであんな贅肉女に近付くものか」
「さりげなく酷いこと言ってるぞお前……」
リオンの言い分は結局いつもの兄上アレルギーである。当然ながらタレイアと同室でいようとも思わないが、レオンと一緒よりはマシという判断らしい。
しかしこんなむちゃくちゃに引き下がるほど兄の立場は甘くない。
「いいかリオン、あっちは痴女だぞ。お前にその気がなくとも襲ってくるかもしれない!」
一体レオンから見たタレイアはどんなケダモノだと言うのか。最早人間ではなくハイエナとして見ているんじゃないかとさすがのリオンも若干引いている。
「ならやはり兄上が行った方がいい。流れでそのまま婚姻できるかもしれないぞ」
「……いやいや、ないない。ないだろそれ」
「じゃあ健闘を祈る」
「ちょっ待てーッ!?」
隙を見て兄の手に収まっていた鍵を奪い取り追う間も与えず姿を消したリオンのどこが絶賛弱体化中なのかイマイチ疑問だが、実際にこうして奪われてしまったし鍵がなくては部屋には入れない。
致し方ない。こうなればタレイアの向かった部屋に世話になる他ないだろう。
リオンが部屋を出るタイミングでこっそり侵入するのを狙って、彼は一人でエントランスをとぼとぼ歩くのだった。
*
リオンはあることに悩んでいた。
魔術師に事の終わりと始まりを聞いて花の楽園を出た時、自分の選択は間違いではないと信じていて今でもそこだけは変わっていない。
いや、変わった──と表現すべきではない、戻ったと言うべきだろう。
銀腕・アガートラームの加護を失ったのは自分の責任だ。己の無力ゆえに不覚を取り、その後をなにも知らぬままのうのうと月日を浪費した結果なにがあったか。
本当ならもう会いたくもなかったレオンと再会した。
それだけならまだしも、あの無能魔術師に庇護され頼るしかない。距離を取ろうとしても気付けば昔のように会話を楽しんでいる気がしてやけに苛立つのだ。
──よかったじゃないか。応援してるよ。
その一言を聞いた日から信用しないと決めていた。……なのに、今更なにを考えているのか自分でもよく分からない。
突き放そうとするのが今は精いっぱい。
だから早く確信に繋がる"応え"がほしかった。
「……何故、兄上のことでこんな……」
ようやく一人になった途端にこれだ。
くだらないことで悩んでいる自覚を持つと今度は自己嫌悪が襲ってくる。
やはりなるべく早く兄上とは手を切るべきか、と一旦の結論を出して外を眺めればなんとなく目に入るのは当然──湯船だ。
タレイアがちゃんと事前情報として言っていたし、正直明世界にいた頃は華恋に「ここに行きたいんですよー」と雑誌の温泉を指差されても大した興味が湧かなかったものだが、別に身を清める行為自体は人間的な行動なので風呂に入らない選択肢はない。
温かい湯船に浸かっていれば変な悩みも少しは忘れられる──はず。
そうと決まれば話は早い。
邪魔者は隣に追いやった。久しぶりに一人でゆっくりできるチャンスなのだから、存分に味わうとしよう。
製作者が違うとはいえ魔装束として機能しているので体内の魔力に転換するのはそう難しくはない。転換魔法の中でも基礎中の基礎、魔力を消費するどころか逆に体内へ戻す行為のため銀腕の固定に魔力を費やしている状態でも全く問題ない。
まずは全部脱いで、特になにも考えずに無心で湯に浸れば────。
「リオン! 一緒に風呂でも入るかっ!」
「…………は?」
閉じたカーテンの合間を縫って現れたのは、語るまでもない。
準備万端なレオンだ。
「あ、兄上ーーッ!!」
「なんだなんだ大きな声を出して」
「ばっ……何故ここに!?」
「いやぁ偶然鍵が開いていたのを知ってついつい」
「今すぐ出ていけ変質者ッ」
「ひどい!! 昔は髪を洗ってやっただろ?」
「本当に黙れッ! さもなくば死ねッ!」
男性同士なので特に全裸でも大丈夫なはずだが、身を守る素振りでふかふかの大きなタオルを両手で体の前に出したリオンに対し、前述の男同士という点から妙に堂々としているレオンはといえばじりじりと距離を詰めている。
おかしい。二人は兄弟なのに変態に襲われそうになっている美青年の光景にだんだん見えてきた。
あくまでもただ温泉に入ろうとしているだけなのに。
「う、ひどい……疚しいことなんてしていないだろう……?」
「全裸というだけで十分疚しさを感じた」
「お前は生娘かッ!」
──とはいえレオンも生娘だろうとコロッと落とせる程度には容姿に自信がある。女に興味がないからしないだけで。
間違いなくリオンだから疚しさを感じているのだ。
裸の付き合いくらい普通ならどうってことない。だって兄弟ですし。
なお、ごちゃごちゃと揉める二人は気付いていない。部屋の扉が静かにきいっと開いたこと、入ってきた何者かもまた服を脱いだこと。
そしてカーテンを開き、入ってきたことも。
「ハァーイ! 二人とも、一緒に温泉はどう?」
青少年なら確実に涎が垂れるようなぼんきゅぼんの素晴らしいプロポーションの持ち主。素っ裸なタレイアがそこには立っていた。
「………………」
「………………」
「あらら? どうかしたの?」
求められずとも何度でも言うが、ファレルの兄弟はすでに成人男性である。
女性関係のアレコレに疎いことを自称するレオンでさえこの状況がどんなに犯罪臭溢れるシチュエーションか分かっているのだから、とりあえずするべきことはひとつだ。
「服を……着てくれ……」
「え? あ、あー……」
タレイアが服を着るまで一旦休戦だ。
どう考えてもこのままでは目のやり場に困る。
そうして彼女に服を着てもらって落ち着くまで10分。
それぞれが無言でベッドや椅子に座り、タレイアだけ若干反省モードで肩を落としているが不法侵入したレオンはなんにも気負うことなくリオンと向き合っている。
鍵をかけ忘れていたリオンがそもそもの戦犯ではあるが、まさかこんな事態になるとは誰も思うまい。
「あの、リオンくん? 少し気になったんだけれどいいかしら」
「なにが」
「……リオンくん、それは顔だけじゃないのね?」
タレイアが発する"それ"の意味が瞬時に理解できた。
言われてみれば邪竜戦の後は他人に裸──というか全身を見せる機会はなかった。自分でも皮膚の感覚で理解しているつもりだったのにちゃんと見た時には驚いた覚えがある。
────傷跡。生々しい戦いの痕跡は前のように生まれ持った白い肌以外、魔術師が繋ぎ合わせ変色した皮膚として残されている。
その箇所は言うまでもないがあの日、邪竜に貫かれた箇所であるため全身に及び裸を見れば確かに悲惨さを知ることができよう。実際タレイアとレオンは見たのだから。
「私はまだなにがあったのか詳しく聞いていないわ、だから教えてくれる?」
「……死に損なった、それだけだ」
「死に……? 銀の腕もそれが原因で使えないのね」
「そうだな」
いっそあの時死んでいれば──と言ったら本当に死んでしまった友に失礼だ。
何故なら花の楽園なんて場所にいたのは彼のおかげに違いない。彼が瀕死になったリオンをあの花畑に避難させ、今こうして生きている……本来なら本人に感謝すべきだ。
「あの剣士のせいか」
「……」
「どうせ姿を現さないってことは責任も感じてないってことだ、明世界にいたあの女と一緒に今頃幸せな生活を送ってるとかそういうオチか? なにが友だ笑わせるな」
「……アイツは死んだ、もうこの世にはいない」
レオンがどうしてオリオン・ヴィンセントなる人物を嫌っているのかはなんとなく分かる。
誰よりも一番に愛していた弟を横から奪い取った赤の他人、それが彼にとっての印象だ。正確には全く違う事情があることを知らないレオンや他人様から見れば至極真っ当な印象だと言えよう。
だが事情の当事者たるリオンからすれば180度近く事実は変化してくる。
「死んだ、ね。ふんっざまぁみろ」
「こらレオンくん」
「アイツはファレルの家から……いいや、俺からリオンを奪ったんだぞ。俺の手で始末できなかったのは心残りだけど、知ったおかげでスッキリできた」
タレイアの制止も無駄にして言いたいことを言い切ったレオンはどこか満足そうだ。
一方、リオンの方は────。
「リオンくん、どこに行くつもり?」
「……一人にしてくれ」
どこか目の色を変えた彼はその一言を残して部屋を出る。
自分の発した言葉に一切の落ち度を感じていないレオンには理由が分からず、いつもの調子で追いかけようとしたが、鋭い金色で睨み付けてきた弟を見て体は動かなかった。
──いっそもう一度、裏切ってくれたら。
振り返らずに扉から離れた彼の脳内にはそんな考えが廻っていたことに、まだ誰も気付いていない。