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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 流星編
70/133

1-57 邪竜



 静寂が帰ってきた。

 あの空間に入ってから出てくるまでに一時間ほど経っていたらしい。

 道路に薄く降り積もった雪に青い液体を滴らせ、呼吸を荒らげながら足跡を残す男の顔には汗が滲んでいた。

 ────なんてヤツだ。

 明星は生唾を飲み込み、すぐそこに倒れている彼が本当に死んでいるのかを静かに確認し始めた。

 ……とは言っても、彼はありとあらゆる箇所から血を流し、皮膚は抉られ肉が覗き腕は千切れて黒い髪が地面に散らばり、なにより首の傷は動脈に達しているようにも見える。全身が酷い有り様で、どう見ても即死に決まっていた。


「…………ここまで、僕にさせるなんて、恐ろしいヤツ……」


 警戒態勢を解き、黒々と変色した皮膚を元の人間と同じ状態に戻しながら死体の胸元を踏みつける。

 黒弓璃音……ではなく"銀弓の魔術師"と謳われたリオン・ファレルを最初に仕留めることができたのは僥倖も僥倖だが、肉体的にも精神的にもダメージは洒落になっていない。よもや生徒にここまでプライドを傷つけられるとは思っていなかったからだ。

 冠位を得るほどの最上位魔法の存在を知らなかったわけではない、ただ魔力を使わない魔法だと想定していなかっただけ。

 しかしたった一点の情報不足が明星をかつてないほど追い詰めた。

 魔力の対策は怠らなかったが故に魔力以外に一切気を回さず十分だと驕っていたバチが当たったと思えば当然だが、近代的な銃だの血液を転換した限定開花だの想定できるものならとっくにしている。

 後者に至っては真の姿を現して守りを固めてもなんとか致命傷を免れたくらいで、全身から吹き出す血液と剥がれ落ちた鱗がただならぬ壮絶さを物語っていた。

 確かにこれなら宵世界の秩序を護ることもできよう。これから彼は大人になり、より戦いがなんたるかを学んでいけば誰も勝てないような最強の魔術師になる未来がきっとあったはず。

 ──それも明星が横からすべて奪い去ったのだが。


「……まぁいい、結果オーライだ。君から魔力をもらって回復させてもらうから、勝ったし文句はないだろう?」


 聞いたところで死体に口なし、文句の言いようがない璃音に手を伸ばし────。


「さ、せ、る、かーーッ!!」


 白雪と一緒に空からすっ飛んできた流星に阻止された。


「……ほーぅ? あの無限湧きゴブリン連中を倒してきたのかぁ、さすがかな」


 突き立てられた剣から逃れ距離を開けた明星は、まるでナイト様のような登場の仕方をしたオリオンに対し口元が緩んで仕方ない。

 無論あの程度でへばるような男ではないと思っていたからこの再会は嬉しいし、それ以外にもちゃんと倒してここに来たこと、友人を守ろうと我が身を顧みず突撃してきたこと……と、彼の異様な変化が口元を緩ませる理由になっていた。


「でもどうしたんだその身体。()()()()()じゃないか、なにかあったかい?」

「ちょーっとムリしただけで全ッ然大したことねえよ。テメエを殺れるくらいの力は残してるかんな」

「へぇ、そうかい」


 オリオンには今、魔装束(スペリオルメイル)の布部分から露出している手や肩から顎にかけて()()()()()()()()()()()()()()()。少しでも触ったら固めた土のように崩れてしまいそうなほどガタガタに。

 ワケは言うまでもない。限定開花(レミニセンス)だ。

 璃音が最後に見た流星は彼の所持する聖剣・エクスカリバーの輝きで、本来ならもう体内がボロボロで使用を許されていないはずなのに発現してしまったのだ。梓塚に住む大勢の命を守るために。

 今までは外見的には見えない変化しか及ぼさなかった聖剣もここに来て内側が限界を迎えたのを理解したのか、彼の身体を外側から崩そうとしているらしい。

 なんにせよオリオンにはもう時間がない。今も地味にぴしりと身体が鳴るのを感じる。


「オリオン!! 先輩は────!」


 住民の治療を終えたのか、合流した一颯はこの光景に絶句した。

 青い血を流す明星に、半身がひび割れたオリオンに、なによりも……無惨な姿で横たえた親友の恋人に。

 見つけてから行動するまで早かった。

 必死の形相で駆け寄り、もう手遅れだと本当は解っていながらも全力で治癒の魔法を紡ぎ続ける。傷口を塞ごうと、息を吹き返すことを願い右手を握り締めて奇跡を信じ祈りを込める。

 それでも彼はぴくりとも動かない。


「……なんで、華恋を安心させたいって言ってたじゃないですか! ダメですこんなの……死んだらダメ……私の親友を、悲しませないでください……!」


 治癒魔法を以てしても千切れた皮膚は再生せず、血は止まったがそれが出しきったからか止血に成功したからかの区別なんてつくはずもない。

 もうダメだ。死んでいる。無駄なことはやめた方がいい、と哀しげなオリオンの視線が刺さるが彼だってこんな結末を迎えたことを割り切れていないはずだろう。

 だから諦めきれなかった。

 何度でも治癒魔法の詠唱を唱え、奇跡の到来を待ち望む。


「お願い……お願い神様……」


 ころん。

 一颯の懐から手のひらサイズの結晶体が転がった。

 不思議がる周囲を余所に、その青い結晶体を拾い上げた彼女は驚きに目を見開きそして小さな声で呟く。


「────生きてる」

「……それ、まさか」

()()()()()()()!」

「なんだって!?」


 彼女が落とし見つけたのは出発の前に彼自身から預かった追想結晶だった。

 追想結晶には分け与えている宵世界側と分け与えられた明世界側の二人の魔力が込められ、かつてオリオンが死んだ──と思い込んでいた──時には結晶の紅い輝きの一切が消え失せ、追想武装自体が発現できなくなったが、逆に言えばその機能は生存確認を可能にする目安のような働きをする。

 璃音の追想結晶は主がこうして倒れていても夜空を貫くほど真っ青な光を放ち、月色の魔力と解け合っているのだ。

 つまり彼は今、瀕死の状態ではあるが間違いなく生存している。


「い、一体なぜ……! そうか、アガートラームか!!」


 初撃で斬り飛ばしてやったはずの左腕もとい銀腕・アガートラームと彼の接続が恐らくだがまだ生きていて、その治癒能力でなんとか命を繋いでいるなら──存命の可能性は極めて高い。

 人間に成せない奇跡は、神に成せる奇跡である。

 これこそ、ヌアザの聖腕を手にした彼だけに許されるたった一度きりの神のいたずらだ。


「ッ──トドメを刺して」

「させない!!」


 人間に戻った明星が呼び出した"穴"は璃音と一颯を取り囲むが、魔術師の追想武装を纏った今の彼女にはその存在が視認できた瞬間、要は攻撃される前に防御することは容易い。

 来る異形の凶牙から身を守り、オリオンに視線を送った彼女の目は確かな希望に満ちていた。璃音を助けられる一手を持っていると信じているのだ。

 だったら応えないわけがない。


「開け────ッ!!」


 聖剣は世界を切り裂いた。

 ぶわりと広がる花の香り。更に舞い散る無数の花弁。

 彼は信用はならないが信頼はできる魔術師が住まう楽園の扉を開き、現れるのはもちろんその信用できない懐かしい男。

 やがて視界は光の中に溶けていく。

 その内姿をちゃんと現した胡散臭い夢魔の男は優しげで、父親のような微笑みを湛えながら立っていて──複雑そうな目をするオリオンの頭を小さく撫でた。


『いいんだね?』

「いいもなにもどうしようもねえしな。リオンのことは任せたぜ」

『……オリオンも、生きて帰ってくるように』

「────当然」


 死んでたまるか。

 なにがなんでも生き残って、この先も一颯や璃音と未来に進む。

 身体が崩れてしまおうが関係ない。


「俺はやることをやるだけだから」


 そう言って世界は三度、暗闇の月下に落とされた。

 もう楽園の主はいないし一颯の追想武装の"縁"とオリオンが開いた"扉"を介して璃音も無事に回収されたので、ここにいるのは彼ら二人と黒幕たる明星東のみ。

 そして静かに顔を上げた剣士は雪の奥に佇み憎らしげな表情を浮かべる男を見据えて大地を蹴りあげる。


「明星、東ァァーッ!!」


 魂から木霊した叫びは確かに届いたろう。

 呼ばれた男は不敵に笑い、彼の行く道を遮るように魔を喚ぶ虚空を開いた。

 ────座標を固定し回避すらさせない異形の力はオリオンに食らいつこうと穴から不気味な姿を覗かせ、一斉に襲いかかる。

 しかし明星からすれば璃音の時と違うのは敵の数。

 剣士は突撃を止めず、一心不乱に駆け抜けようと真っ直ぐと元凶の姿を見ていられる。

 その理由は彼の後ろにいる少女。白く伸びた髪と花の装束は花の楽園で永久を無駄に過ごす最高峰の魔術師のもので、彼女がそれを纏うということはその魔術師の力を思いのままに操れるということだ。

 だから彼は臆さない。

 一颯が寸分違わぬ位置に施す花色の防御壁は見た目の弱々しさに反して明星が喚んだ異形の全てを受け止めてオリオンを守り、道を切り開く。


「若いなぁ、でも勢いだけじゃあ僕を殺せはしない!」


 星の輝きを写した紅の聖剣に迸る魔力に斬りかかられてもなおこの状況に冷静さを失わない男は下から突き上げるような一撃に対し再び"穴"を利用した。

 ちょうど剣が当たる位置に召喚されたのは先程まで町の住民を苦しめたゴブリン。

 ただしソイツはまるで肉壁になるように立ち塞がっただけに過ぎず、あっという間に胴を割かれて死に絶える。

 だが同族になんの感情も抱かない明星にはどうでもいいことだ。

 剣は振り切られ、隙の多いオリオンに向かって直接拳を突き立てて────腹部を貫いた。ゼピュロスとの戦いと同じように。


「……なっ!?」


 少しでも勝ちを確信していたか、余裕そうににやりとした明星の顔はすぐに焦りの色を見せた。

 ──そう、貫いたと思っていたオリオンの身体は楽園の魔術師が最も得意とする幻想魔法による幻だったのだ。

 彼の限定開花を発現できないのと同じように、高位かつ空間ごと騙してしまうほど発動範囲が広いこの魔法は、力を借り受けている一颯にもできる芸当ではない。

 なので扉を開いた時、璃音を回収するついでにあの男が残していったということになる。

 あの顔が今頃他人の不幸でメシウマだと涙流しながら爆笑していると思うとどこまでも憎らしく腹の立つ男だと青筋を立てるが今はそうも言っていられない。

 ここにいないなら、じゃあ本物のオリオン・ヴィンセントは一体どこだ?


「いっけぇーー!」


 声が枯れるほど響き渡る一颯の声が空の彼方に届き、見上げた闇には一点に輝く流れ星。

 いつまでも光を見失わない夜闇を切り裂く一等星は今こそ、梓塚に巣食う"夜"そのものを穿つべく聖剣に満ちた煌めきを叩き込む。


「っ、これは……!!」


 かの伝説に記される王の剣が邪竜を貫く。

 誰にも文句は言わせない、完璧なまでに完全な一撃に明星の身体は歪み歪み肉を溶かされ全身から光を発して爆裂した。

 一度剣を押し込んでから勢いをつけて安全圏たる一颯の下に即時帰ってきたオリオンの目には安心と警戒の文字が見て取れる。


「やったか……!?」

「ええ、これならきっと!」


 思わず笑顔を溢した一颯に釣られてちょっとだけ口角を上げたものの、すぐに明星の方を見つめ、描かれるシルエットの違和感に気付いた。

 人の形はしている。代わりに人とは違うものが背中や頭から生えてとても奇妙な……と言ってもまず最初の段階で青い血を出すようなヤツが人間の姿だけに収まるとは思っていなかったが。

 両翼には一枚一枚鋭い刃にも似た羽根が、イビツな形の角はなんだか山羊のものにも見え、日本人らしい皮膚は真っ黒く変色した上に硬化し夥しい量の鱗を生やしている。

 最初からだろうがどう見ても人間じゃない。

 仰天するほどの変化を怪訝そうな表情でじっと観察するオリオンに対し、一颯はかなり怖がっている様子だ。

 見知った人物があり得ない様に変容していくのを見るのは辛いしここまでとなればショックも受けるはず、目を離さないだけ彼女は戦場に立つ者として立派に成長している。

 そうした変化を終え薄気味悪さが漂う中、明星だったものは大きく翼を広げると……。


「ヤバい、っ!!」


 二人に向かって一気に羽根を飛ばして来たのだ。

 さすがにあそこまでおかしな挙動を取られては事前に察知することも容易で、一颯を抱えて上空に回避することができたが問題はそこじゃない。

 オリオンはここでようやっと理解した。

 異形の攻撃で魔装束ごと肉を削ごうとしても仮にも遺装(アーティファクト)である左腕となれば限度というものがあるし、スピードさえなければリオン・ファレルに敵う道理はない。

 しかし今の羽根攻撃の予備動作を一切見ずにいたのなら、迫る羽根の速さが彼の未来視を上回ったなら、邪竜クラスの一撃が神造の義手さえ容易に切り落とせるなら、してやられたのは納得がいく。

 今もそうだ。まんまと逃げ仰せたオリオンを正確に捉える眼は人間のそれよりもよく見えていそうで実際正確に刃の雨が襲ってきている。


「あれが明星先生なの!?」

「アイツしかいないってことはそうだろうな」

「そんな……!」

「ンなことより早く隠れ────!」


 肉を食い千切らんと飛んできた羽根の一枚が運悪く右足に突き刺さり、骨までざっくりと裂ける痛みに唇を噛み締める。

 一度食らえばその後は続いてしまうもの。

 なんとか地上の塀の裏に乱暴ではあるものの一颯を下ろすまでは上手くいったが、コンクリートや石をも軽々砕く羽根の刃は二人に容赦なく降り注ぐ。


「いっ……!!」

「イブキっ!?」


 ついには塀を完全に破壊し、防壁を築く直前に一颯の手首を羽根が捉えた。

 痛みに驚いた拍子に杖が手元を離れて間もなく完成であったはずの防護魔法が薄くぼやけて消えてしまう。

 その一瞬のミスが引き起こすのは最悪の未来。

 目の前に現れた無数の羽根はもう避けようもなく、遠慮なく二人の全身に鋭利な刃を突き立て、夜の雪景色に色鮮やかで生々しい赤くて美しい花を二輪咲かせた。


 ────明星東、いいや邪竜ヴォーテガーンは一つの目的を成し遂げた。

 宵世界の使者を討ち滅ぼすこと。最も危険であり最も恐れていたイレギュラー要素、オリオン・ヴィンセントと月見一颯を自らの手で始末するという簡単な作業。

 彼はとある一点を恐れている。

 それは──愛、と呼ばれる一種の感情、脳の信号のことだ。

 愛は時に神の所業にも等しい奇跡を起こす。アクスヴェイン・フォーリスと似たように、彼らもまた"愛"によって信じられない現象を喚び続けてきた。

 だからこそ、なにもさせずに終わらせる必要があり、今こうしてそのミッションを見事に完遂した。

 …………今日の梓塚の夜は綺麗だ。

 小躍りしたくなるほど上機嫌で町に繰り出す明星は、こんな姿だが今更一般人に見られたってもう気負うことなく皆殺しにしてやれると音符マークを浮かべながらステップ踏んで街を往く。

 煙が上がり、瓦礫が崩れ、誰かが泣いている。

 知ったことじゃない。どうせ最後はみんな、彼に恭順する他なくなるのだから今の内に感情のある生を楽しんでおけばいい。

 翼があるから飛んでもいい。でも今は地上を歩く気分なので、飽きてからにしよう。


 子供のような気分で、サイコパスみたいな心理で、練り歩く。

 勝ち誇り、威風堂々と胸を張って練り歩く。


「随分、楽しそうね」


 その声に。


「お前、は…………」


 暗闇の道路の奥に佇む、深い緑の長い髪に気付くまでは────。



「……明星くん、()()()()()()()()()



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