1-53 終焉を望む者 2
────では次のニュースです。
先日、K県梓塚市私立星宮高等学校で行われていた文化祭における参加者の″不審死″に関する続報が、警察により発表されました。
不審死の原因は出店で使用していたプロパンガスがなんらかの理由で引火し大規模な爆発が起きたためであるとし、目撃情報が多数寄せられた"20m強の巨人"に関してはまだ詳細が明らかになっていないためコメントは控えるとのことです。
この事件による死亡者はすでに12人、怪我人は150人、行方が判っていないのは37人にも及び、SNSに投稿された写真や動画には巨人の姿が映っていることから注目が集まっています。
星宮高等学校校長の佐々木国光氏は、「これは生徒ならびに保護者の信頼を損ねる由々しき問題である。早急に原因の究明と再発の防止に努めたい」とコメントし、10月の末まで授業や部活動を完全に停止することが決まっています。
県警は今後、爆発の原因となったプロパンガスになんらかの不備があった可能性を視野に捜査を進める方針ですが……どうなんでしょうかねぇ巨人というのは。
────今ほとんど削除されて見れなくなってるんですが、僕もSNSにリアルタイムで投稿された動画を見ました。
ただCGとか作り物って感じが全然しなかったんですよね。
しかも、動画に収まってるのに幻覚っていうのはなさそうというか……、あまりに現実的な出来事じゃないから説明に困っているんじゃないかって思いますね、ハイ。
────そうですね……。
本日はこうした祭でのガス爆発に関するトラブルに詳しい元○○県警────。
「一颯、チャンネル変える?」
「いやいいよ。どうせどこも同じでしょ」
最新の液晶テレビの画面に無駄な高画質で映し出されたどこも似たようなニュース番組では、連日飽きもせずに星宮高校で起きた怪事件の特集が組まれている。
やれ巨人は幻覚だの爆発の煙が一瞬巨人の形になっただけだの勝手な推論ばかり並べてご苦労なことだ。
当事者たる一颯たちから見れば警察だってこの一件が常識では片付けられない事象に関連していることくらい解っていると思う。だからといって原因は都市伝説です、なんて発表は世間様が許すはずもない。「またか」で済ませるのは梓塚の住民だけだ。
それでもなんらかの事実を事実として公表しなくてはならないから巧いこと理由を付けているだけで、知っているからこそニュース番組のコメンテーターやアナウンサーが愉快な憶測だけで語り倒している無意味な言葉に対しこちらが抱く感情は虚無のそれなのである。
「それにしても凄いじゃない」
「なんのこと?」
「オリオンくん、泊まりに行くほど仲の良い友達がいたなんて驚いた」
「あ、あー……昔からの知り合いがたまたま同じ学校だったみたいで……」
一颯の言い分は半分嘘で半分本当だ。
そして今日というか昨晩からか、オリオンは本当にお泊まりに行って月見家にはいない。
では一体誰の家に行ったのか──なんて問いかけるまでもなく、璃音の家である。そして彼の自宅に押し掛けてまで話し合う必要がある案件が現在進行形で発生中なわけだが、事の発端はもちろん文化祭における謎の巨人の出現だ。
オリオンがかつて言っていた昼間に行動する異形の存在。当然あの時はなにがなんでも協力者を求めていた彼自身が璃音を乗せるために言っただけで、現実のものになるとはあまり本気で考えてはいなかったかもしれない。
────ここからの話は巨人を倒したその後、彼の自宅があるマンションの屋上での出来事だ。
一颯は思い出す。
あの日、彼らが出した結論と──元凶の正体を。
「マーリンに確認してきた。あのデカブツはアトラスってヤツらしいぜ」
「神話級か……随分と危険視されているな、お前」
「再生能力がなかっただけまだアクスヴェインのクソ野郎よりはマシな敵だけど」
神話級の異形変異体"アトラス"。
ギリシャ神話においてはゼウスとの戦いに敗れた後、世界の果てで永遠に天空を背負い続ける役目を与えられたとされる巨人だ。
宵世界においては"耐える者"という意の通り、生半可な一撃では傷つけられぬ強靭な肉体を持ち、不可視世界で逸話と同じく普段は空を支えているらしい──が、少し様子がおかしかったことを忘れてはならない。
レヴィアタンは幼体だった上に融合体で、不完全な状態だったがために本能的な行動を取り続けていたが、今回は本来あるべき姿として現れた変異体のはず。それがなにを理由にただ人間を捕食するだけの暴れ馬に変成したのかは未だ明らかになっていない。
「変異体って、理性があるんでしょ? オリオンとか、マーリンさんと同じような」
「俺らは人間が混じってるから例えとしちゃちょっと違うけど、確かに純血でも相当イカれたヤツじゃない限りまず人間と同じかそれ以上に頭は良い。だよな、リオン」
「あぁ。詳しくは判っていないが、変異体は異形と一括りにされているだけで個々の生物としては全く別の存在だ。精霊のように人語を理解し、争いを好まない種もいれば……そのなんだ、言い方は悪いが、インキュバスのような欲に忠実な種族もいる。共通していることがあるとすれば、自分達で考え、実際に行動できるだけの知恵を兼ね備えているということだな」
問いかけの問いかけに頷いた璃音の説明はそれこそが全てだ。
宵世界においては造形のなきただの異形も梓塚に現れる時は理性なき獣、だが変異体はどちらの世界にいても己自身で選択することのできる能力がある。
だからおかしい。
何故成長しない?何故不完全のままにしている?
「じゃあやっぱりあの巨人も……」
「神々と争い、英雄を騙した巨人の本来の知識で対抗されるとなれば、たかが20年も生きていない程度の人間ではどうしようもない。それこそ問答無用、一撃で核を落とせる聖剣の限定開花が必要になる」
神話の英雄を騙そうとするだけの思考能力が実際にある以上、知恵を絞れば先程の薔薇舞の回避法も簡単に思い付いていただろう。そうなれば防御自体が無駄なほど強力な一撃を叩き込み、即死を狙うしか倒す方法はなくなる。
無論、どんな状況になっても今のオリオンに限定開花を使わせるなんて真似は一颯がさせないが。
「ともかく、完全に成熟していなかったことを黒幕が予想していなかったとは考えづらい。むしろ暴れ回ってもらいたかったのか……」
「もしくは、試し撃ちのつもりだったとか」
「試し?」
「実験──って言った方がいいかな」
物騒な単語だが、彼らの言いたいことは一颯にもはっきり分かる。
そして成長していたのは異形たちではないという事実が同時に脳内に過り、思わず声に出していた。
「成長してたのは、黒幕……?」
「ま、だろうだな」
ここにいる三人は三人とも揃って梓塚では異形が成長していると思っていた。
だが異形は死ぬのだ。
斬られれば人と同じように苦しみもがいて朽ちるし、朝を迎えれば日差しを恐れ、灰と化す。その性質だけは25年間変わらなかった。────いいや、奴等が変わることなんてはじめからなかったと言える。
ならば変わるのは誰の役目か──そう、異形を支配し、扇動する黒幕の役目ではないか。
異形は25年経っても同じままだが、黒幕が人間に化けて普通の生活を送っているとしたらその歳月は確実に"成長"をもたらしているはずだ。
異形が成長したから黒幕がほくそ笑んでるのではない。黒幕が成長したことで、異形の行動範囲が広がりつつあり──昼間に出現したのは大きな進展である証。
変異体すらも理性をなくし、獣のように暴れ回る理由も異形そのものはなんの変化も起こっていないと解釈すれば感覚としては説明がつく。
じゃあ次に浮上するのは黒幕の正体について──二人にしてみれば、もう答えは出ているが。
「黒幕のヤローはなんでこの日のあの場所を選んだんだと思う?」
「それは……人が多いからじゃないかしら」
「それも狙いだろうけど、それだけなら来場規制されてない文化祭とか駅前の方が被害が出たはずだって思わねーか?」
「確かに、そうね」
オリオンが疑問視したのは、そもそもどうして10月18日の星宮高校文化祭でアトラスを呼ぶ必要があったのか、だ。
来場者規制を以てしても500人ほど来場数を記録しているとはいっても、他の私立や有名公立高校なら余裕で1000人くらいは観測されているだろう。
毎日合計すれば千も余裕で越える利用者数を叩き出す駅前なら、家路につく人が歩く夕方の住宅街なら、週末のショッピングセンターなら──大量虐殺が目的ならばオリオンたちが即座に止めに来る星宮高校に狙い定める必要は全くない。それどころか正体を知られる危険が余計に増すだけ。
だとしても"男"は星宮祭────ではなく、10月18日という日を特別視した。
言うなれば祭なんて"彼"には関係ないのだ。
待ち焦がれていた25回目のその日、最終実験の会場を選んでいたところに偶然降って湧いてきたのが星宮高校星宮祭だったに過ぎない。
「ヤツにとっては、記念日だったのかもな。10月18日がさ」
「記念日……って」
ここで一颯は引っ掛かった。
なぜオリオンはわざわざ記念日なんて言い方をした?もっと他に表現のしようがあったはずだ、Xデーとか。
そうして彼女は思い出した。
"あの人"はなにを言った?
そうだ。はっきりと、答えたではないか。
『あぁ、特別な日になりそうだ』
喉を引き裂かれるような感覚に胸が熱く焼ける。
信じられない。信じたくない。だってあの先生は優しくて、ちょっと間が抜けてて、悪いことなんて微塵もできなさそうなくらい人間なのに────。
「明星東、アイツが梓塚に異形を呼び込む元凶だ」
──現実はどこまでも非情だ。
「ちょっ、ちょっと待ってよ……。明星先生って……確かに25歳だって言ってたけど、でも梓塚には他にも10月18日生まれの人がいる。25年生きた人だってそうでしょ、なにも結論を急ぐ必要なんて……」
「そうなると星宮祭会場に変異体を呼ぶには些か疑問が残る、違うか?」
「…………っでも、でも待ってください! あんなに良い人が、できるわけない……!!」
一般生徒として半年過ごしてきた中で見ていた人畜無害が人の形をしているといって過言ではない明星を思い浮かべると、二人の結論を否定したい気持ちが勝るのも理解できる。
あんなにも簡単に、蟻を踏み潰すような要領で平気な顔して人を殺せる人だとは思いたくはない。
当然だが否定するワケも彼がおっとりしているからとかただの感情論とかではなく、学校生活を通して人柄を知っているからであり、少なくとも璃音には一颯が明星を擁護したがる気持ちが分からなくもなかった。
ただ、彼からすればこの学校の教員を生徒の目線で"見る"ことはかなり前からやめているので関係ないが。
「なぁイブキ、ひとつ付け加えるぜ」
「……なによ」
「無害な善人であろうとするヤツほど、腹ン中は見るに堪えねえほどドス黒いんだよ」
怪物が人間のフリをしようとすればどうしてもいつかはボロが出る。それは無意識かもしれないし、暴走という形を取るかもしれない。
だから絶対的に己の内側に巣食う悪の存在を隠匿する。
結果、なにも知らない他者から見て根っからの善人にしか見えないほど、非の打ち所がない"善"の側面を強調するのだ。
「それでも……私は信じられないわ」
「だよなぁ」
「だよなって、もしかして確証がない?」
「ないわけじゃない。情報が足りていないんだ」
「そういうこった」
オリオンたちはほぼ明星の仕業であると踏んでいるが、残念なことに夜の動向は明らかになっていない上にどうやって異形を呼び出すに至ったか自体がいまだに判っていない。
証拠がイマイチ足りていないと言えばいいだろう。
指摘──ではなく奇襲をかければ今すぐにでもボロを出すだろうが、そうするためには明星の動きを探らねばならない。
「じゃあ、今すぐ動くわけじゃなくてしばらく様子見ってことよね? 犯人じゃないって判ったらなにもしないのよね?」
「変なマネしなけりゃ手は出さねえよ。善良な一般市民、だからな」
なんだかとっても皮肉っているようにしか聞こえないがスルーしよう。
ともかく、オリオンはひとつ条件を提示した。
それは1月の冬休み明けまでに明星の足取りを調べ一颯も納得せざるを得ない証拠を得てから、襲撃を決行する。
なに、半年間も任期がある故に時間ならいくらでも用意できる。
「……分かったわ」
解っている。
彼は二つの世界を守らなくてはならないし、本当ならば一颯も元凶候補として疑わねばいけないはずの剣士だ。
すべてを終わらせるために来た以上、25年越しに現れついに掴んだ痕跡をみすみす消させたりはしない。必ず足跡を追い、その足首に食らいついて追い詰める。
だから今は理解して、彼をこれ以上困らせないように反論の言葉を飲み込んだ。
──彼らはその時点で行動を開始した。
最初は嫌々だった璃音もこの事態を前に本格的に協力姿勢を見せ、一夜にして包囲網を敷いている。
オリオンが泊まりに出たのも深夜の異形退治を二人で行うのと、この件に関する今後の方針の話し合いが主だ。
よって昨日の夜、一颯は町に出ていない。
「一颯、ちょっと」
「なに?」
「スマホ鳴ってるわよ」
「あ、ごめん。……誰?」
テーブルの上でバイブレーションしながら小さく鳴くスマートフォンに表示された番号は見覚えがなく、電話帳や通話アプリに登録されたものでもない。
迷惑電話かと一瞬考えたが、クラスメートと電話番号を交換したことがなく、現在の休校理由から連絡網の可能性があると思った一颯は通話ボタンをスライドさせて耳にそっと当てた。
「はい、月見です」
《俺だ。よし、合っているな》
「あぅッ!? せせせせ、先輩!? なんで!?」
電話越しとはいえ無防備な耳に直接来る優しくも厳しい低音が乙女心を刺激する。
さすがは星宮高校の生徒だけでなく保護者会のマダムをも虜にする絶世の美男子。本性さえ知らなければ一颯にもクリティカルヒットする辺り凄まじい。
……冗談はさておき、一颯は璃音に連絡先を教えた覚えはないが、オリオンには緊急用ということで伝えてある。聞くまでもなく彼から聞き出したのだろう。
しかもわざわざ電話してくるくらいなのでなにか進展があったのかと思えば用件は意外にも日常的なものであった。
「食事、ですか?」
《すまない……ヤツに振る舞うようなものを用意できそうになく……》
「一体なにを所望したんですかオリオンは……」
《とにかく、月見を交えてすべき話もいくつかある。頼めるだろうか》
「まぁ、そういうことならいくらでも」
璃音は料理があまり得意ではないんだろうか。……まぁ実際家庭的なイメージはないが、料理センスが壊滅的に悪い華恋から食事を提供されているとすれば相当の強者だ。恐らくレヴィアタンの酸を食らっても生きていられる。
そういうことで、昼飯も摂らずに一颯は自宅を出た。
進捗とやらも気にならなくはない。
──肌寒さが増す10月の半ばの真昼。
少しの不安と困惑を抱きつつ彼女は町を歩き始めた。
──────そこから事が急激に進んだのは、2015年が終わった直後……即ち2016年の1月のことである。