1-51 フェスティバル・デュエット
《間もなく、星宮祭二日目を開始します。生徒はそれぞれの持ち場で待機し、来場者の皆様は開場時間を今しばらくお待ちください》
────星宮祭は無事に二日目を迎えた。
夏には生徒が被害者となった未だ犯人が見つからない猟奇殺人事件が発生し、殺到するマスコミとどこかから呼んでもないのに湧いてきた活動家のせいで一時は開催自体が危ぶまれたものの、毎年楽しみにしている生徒達の意向を汲む形で在校生の保護者に加え卒業生とこの学校に勤めていた経験のある教員だけを来場させるという措置をとり、こうして一日目が終わり二日目が始まろうとしている。
来場制限をかけたとしても、家族親戚だけでなく実質部外者と言ったよい過去の卒業生や教師も許可されているとなれば1000人以上が訪れるのは間違いない。
まぁ見知らぬ怪しい誰かが来て問題を起こされるよりは顔がはっきりしている分対応はマシかもしれないが。
──ともかく、一颯が属する2年A組が総力を結集してお届けする喫茶店はそのクオリティの高さから高評価を得た。少なくとも今年の優秀賞は見えている範囲だろうとクラス委員は確信している。
なにも心配事はない。
…………そう、クラスにはなにもなかった。
「どうかお願いっ!!」
「い、いきなり!?」
部活動組は、こうして頭を下げに来たが。
「ちょっ頭上げてよ、どうしたの」
「お願いがあるの!」
準備が整ったA組に現れたのは軽音楽部の女子生徒三人。その中には同じ教室でさっきまでホームルームを受けていたクラスメートの姿もあった。
彼女らは一颯に、そして隣にいるオリオンに対してなんらかの頼みがあるらしい。
態度から見ても緊急を要するであろうその内容は──。
「ボーカルの片方が体調崩しちゃって、今日のステージに出られないって……」
「片割れもその子と一緒じゃないと出ないっていうちょっと変わった人でさ……お願い! 公開カラオケと思ってステージに上がってほしいんだ!」
「いやいや公開って」
「この前上手だったし、思い出作りみたいな」
「う、うぐぐ……」
この前──とは、例のデートの日に企画した側の好みによりオリオンの歓迎会が駅前のカラオケボックスで行われ、彼もマイクを持つ経験がなかったためかぶっちゃけめちゃくちゃに盛り上がった時のことだ。
歌い方も分かってきたところで、最近話題になっている新人アイドル″MIRAI″が夏に発売したばかりの楽曲が配信されていることを知った二人はとりあえず曲を知っているから程度の気持ちで歌い上げ、その場は多少盛り上がった。
そして軽音楽部が今宵披露する予定であった楽曲こそが、奇しくも同じ歌だったのである。
発売前インタビューでMIRAI本人が元々はデュエット用に書かれた曲である旨を語っていたことからパート分けを独自で行った部員達は夏からたった二ヶ月の短い期間に仕上げ、無事にこの日を迎えたはずだった──今朝になってボーカルを担当する予定の一人が体調不良で欠席することが判るまでは。
今の星宮高校軽音楽部女子でボーカルを担当できる生徒は二人。両者は幼稚園の頃からの幼馴染で、快活でコミュ力が高い方と少し高飛車でワガママな方と言われている。
今回欠席したのは前者だが、曲者なのが後者だ。
最初はソロで歌ってもらおうと相談に行った三人は、彼女が放った「私はあの子と一緒じゃなかったら軽音入ってなかったから」という三年間続けてきた部活動に対するあまりに酷い言葉の前に玉砕した。
しかし彼女らの中には今はいないが一人だけ三年生がいて、今年を最後に楽器の演奏をやめるらしい。
自分達を支えてくれた大事な先輩の最後の年に土壇場でステージが中止──なんてあんまりすぎると諦めきれず、その時に思い付いたのが以前のカラオケでの一颯とオリオンであったそうだ。
合わせたこともない素人をステージに上げる行為がいかに馬鹿馬鹿しいかは分かっている。とにかく今は手段が選べない三人は大急ぎで二人の下へ向かい、こうしてギリギリ交渉を始めたのだった。
「オリオンはともかく私はあんまり上手じゃないし……この曲ならもっと上手い子いるんじゃない?」
「私は二人がいい! 一緒に歌ってる月見さん楽しそうだったし、ハモり最高だったよ!」
「そうそう、上手い下手は関係ないから!」
そもそも素人を上げる時点で歌唱力は二の次だ。
まずは楽しく歌えることが重要で、クラスメートの少女は同じ教室で過ごしてきた半年間を鑑みて判ったことがあると言う。
それは、──一颯が大きく変わったこと。
関わり合いを避け友達も作らず、昼は教室の隅でお弁当を食べていた子が夏休みが開けてから急によく声を上げるようになり、オリオンがやってきてからは彼といると笑顔を見せるようになった。
カラオケに行くと言った時も最初は嫌そうにしていたのが、彼が乗り気になると少しずつ彼女の口元が緩んでいたそうだ。
つまるところ、自然体で楽しげにしている月見一颯の姿を見ていたからこの少女は歌唱力も大したことない一颯を、更にはそのために必要不可欠なオリオンを誘った。ただ歌えるだけで面識がないメンバーを揃えるよりもこうしたコンビネーションを重要視したのだ。
「俺は別にいいけど、面白そーだしな」
「色んな人が見に来るのよ?」
「おう! むしろ来やがれってんだ!」
「あのね……」
一颯にはマイクの持ち方もつい最近知ったような男をステージに立たせるのも不安がある。というか自信過剰な彼のことだ、暴走して余計なことをしでかさない気がしない。
余談だが、オリオンは歌が上手い。一体どこで習ったのかかなりリズム感がいいらしく、どこまで真実かは分からないが単純な楽器の演奏やダンスの類いにも自信があると本人は得意気に語る。
しかも剣士という仕事柄、半端じゃない運動量から来る肺活量のおかげかやたら声量もある。……恐らく実際に並んで歌えば一颯の声は余裕で隠れるだろう。
「ねえダメかな……?」
「う……」
全く無関係の先輩のためとはいえ、ここまで頼み込まれた上に相棒までもがやる気満々という中々不運な状況で、断る所業ができるほど一颯は鬼にはなれない。
「……開始時刻は?」
「えっと、13時から講堂の星宮祭メインステージだよ」
現在9時10分。残りの約3時間でリハーサルを重ねれば幾分かマシになるだろうか。
「分かったわ、でもホントに下手だからそこは期待しないでね」
「全然ヘーキ! ありがとう月見さん!」
「オリオンくんも、すごく嬉しいよ!」
「あたし、顧問に伝えてくる!」
パッと明るくなった女子の表情にどこか安心を覚える。
ただ協力するだけで人助けにも満たない行為だけど、夜とは違う形で誰かを助けるこの行いに少しだけ心が暖かくなるような気がした。
「さ、頑張ろうぜ!」
「貴方が女声で助かったわね」
「確かにちょっと女の子っぽいかも」
「誰が女だ!!」
「はいはい。時間ないから行きましょ」
一人男子メンバーが混じることになったが女子勢から見れば制服だけ男の女子扱いだ。
一颯の方が背は高いし髪も短いから仕方ない、これ以上は彼がもっと男らしくなるしかないだろうと軽音メンバーと笑い合う。
ここから三時間は鬼の猛特訓。少なくともちゃんと演奏に合わせて歌えるようにならなくては話にならないし、現在諦めムードで部室にいるらしい三年生の女子にも話をする必要がある。
全く想定していなかったトラブルにまだ若干の危機感を覚えつつ、彼らはこの前代未聞の珍事件を解決すべく、機材がセッティングされた昨日のままの部室へと歩みを進めるのであった。
《文化祭実行委員より、本日の13時よりメインステージで開始予定の軽音楽部演奏についてお知らせします。本日予定されていたメンバーに一部変更が──────》
◇
お昼過ぎの現在、広々とした講堂内に飾られたメインステージはざわついていた。
軽音楽部女子が連れてきた全く無名のメンバーに関する変更のお知らせは12時の段階で何度か報じられ、実際に部を受け持つ担当教師や今日歌うはずだった三年生の許可を得て立っているのだが────。
「イブキ、さすがにもう緊張しないだろ」
「いいいやま、ま、まだ本番はじまって、な、ないから……」
今にも緊張でお昼に食べたものを戻しかねないほど青ざめた一颯の顔は、体調不良で欠席したメンバーよりも酷く、こちらの方が具合が悪いのではないかと誰もに窺わせるようなものだった。
周りの軽音楽部メンバーは設置中、二人もマイクの位置や電源コードの接続などの誰でも分かるような作業は手伝っている。
要はステージ自体には立っているのだ。
こんな衆目を集めるなんて小学一年生の時に図工の授業で描いた献血についての絵の表彰以来の一颯は完全にノックダウン。逆に常日頃から自分より遥かに身分の高い王族と接しているオリオンはたかが平民が何人集まろうと特に気にする素振りはなく、予想以上の人数に最初は面食らっていた様子だったが今は元通りである。
「月見さん大丈夫? 無理させてゴメン、イケそう?」
「うん、頑張る……」
部員の気遣いが身に沁みる。
いっそこのまま軽音楽部に入ったらちょっとでも友達がいない生活を脱することができるような気がするところにまで気持ちが寄っている。
「こっちはOKです」
「よし、みんな練習するよ。二人は楽器に合わせて声お願いしていいかな、こっちで音量確認するから」
「あっはい!」
真剣そうな面持ちの先輩生徒──部長の安西は長年愛用してきたギターを構え、同じく周りで準備を済ませた後輩たちに目配せし、各々の楽器から激しく鳴らされる音のほんの少しの違和感を探り合う。
特に合図したわけでもないのに一斉に響き出した音の集合体は"音楽"とは言い切れないはずなのに、ひとつの曲として成立しているかのように繊細で、ここに第三者の"声"を合わせる真似が許されるのかと抵抗を持ってしまうほどだ。
しかし安西はマイクのチェックを待っている。しかも隣のオリオンはマイクテストのように「あ、あー」と繰り返しているのが余裕そうで悔しい。
意を決し、なるべく音を壊さないように優しく声を発した。
「八代は相変わらずアンプの調整苦手だね、私やるから次もっかい弾いて」
「すみません……」
「気にしない気にしない。それと月見ちゃんのマイクは音量上げよう、声全然聴こえてないよ」
「はい!?」
まさかここまでハッキリダメ出しされると思わず中々ショックを受ける彼女を尻目に安西は隅から隅まで指示を送り、全体を統括しながらきびきびと動いている。
「オリオンくんは逆かな、大きすぎて乱暴だからもう少し優しく」
「わかっ……りましたー」
部室でみんなが慌てながら取り組んでいた急ごしらえな練習より、本番を控えた実際のステージでの方が粗は目立つ。
やはり本番ギリギリでこんな助っ人参戦なんて無理だったか……と、落ち込む一颯はちらりと客席側を見た──。
「なっ!?」
そこにいたのはどこで入手したのか不明だが、サイリウムを両手に持って最前席で手を振る両親の姿。
一体何年ぶりになるか、娘の学校行事にやって来て、がんばれー! とマイクの音量に負けず劣らずの声量でステージに応援を浴びせる父はもう見ていられないくらい恥ずかしかった。
母親は母親でオリオンに手を振り、彼もノリノリで返している。洒落にならない。
確かに覗きに来るとは聞いていたが──まさか、まさかだった。
……こうなればもうやるしかない。
失敗しても恥ずかしい、成功してもすでに恥ずかしい。ならばせめて大成功させて心の平穏を保つしか一颯に生き残る道はない。
「やる気になったな、イブキ」
「謀ったわね……?」
「なんのコトかなぁ」
やはりコイツに携帯を与えるべきではなかったのだと再認識したところで安西が今日一番の「よし!」の声を上げた。
「じゃあみんな、よろしく!」
今日が人生で最後のステージとなる彼女の声に、部員達は勇ましく返事を、二人もその熱気に本気を感じて同じように言葉を返す。
本来演奏する曲数を3から1に減らしてまで決行した今日のステージを必ず成功させると全員が団結した。
「皆さん! 今日はトラブルにも見舞われましたが、無事に揃いました!! 二人はウチのカワイイ新人メンバーです!」
「ちょっ!?」
「この一曲に魂込めて、星宮祭に来た全員に届くように頑張ります!──聴いてください!!」
マイクをオリオンに返した安西は所定の位置に戻り、ドラムに指示を送る。
一度頷いたドラム担当でクラスメートの浜坂は曲の出だしの合図を任されているため、バンドを率いるのは彼女の役目だ。
すっ……と息を吸い、四拍のカウントが入ったその瞬間────!!
「わ──!」
マイクに拾われないほど小さな声が一颯の口から漏れる。
それほどまでに演奏は完璧で、なおかつ響き合い講堂をも越えて木霊する音全体が整い、あらゆる面において美しかった。
彼女らの血の滲む努力の程がたった数秒の音楽から窺い知れる。
だが酔いしれる暇はもうどこにもない。
ぐっと息を呑んだ一颯は自分が受け持った重要な歌い出しを緊張で逆に引き締まった顔つきのまま、震えた声で、落ち着いて、叫ぶようにマイクに叩きつける。
観客がどう思っているかなど考えていたら歌詞を忘れてしまいそうで、オリオンの表情すら見るのがままならない状態で歌う。
自分のパートがまず終われば少しは落ち着ける──そう思い、歌い切った彼女の次に控えていた彼の"歌"は想定を遥かに越えて胸に響いた。
──上手い、すごく綺麗。
たった一回乱暴だと指摘されただけの彼の歌声は透き通るようにまっすぐだった。
もしこれからまたソロパートがなかったのなら永遠と彼の声だけを聴いていたかったくらい優しく、なのに聞き慣れなくて違和感がする声に緊張を解されていく。
そうして湧いてきたのは二つの感情。
──オリオンには負けない!
──でも、二人で歌いたい!!
楽しくて、心地好くて、ずっと一緒に歌っていたいと魂が揺さぶられる。
この昂りに呼応されたか、激しく会場を包み込む演奏がステージに集まったたくさんの心を鷲掴み、サビに到達した時点で最高潮に達するのがすぐに分かった。
必死に喉から声を繋ぎ、スポットライトに照らされた身体から汗が迸る。
歌い始めれば彼の表情を見るだけの余裕が生まれ、スタンドからマイクを抜いて互いの距離を詰め合う。
記憶に刻まれたアイドルの曲にして彼女らが作り上げた特別な曲を歌い上げていく度に見える終わりがもったいなく感じて名残惜しい。
──もっとこの時間の中に居たい!!
心の底から溢れる感情を叫ぶ。
たった一曲なんて短くて、たった四分くらいなんてすぐに経つ。
でもこの日は少しだけ長く、少しだけ時が止まっていたような────。
かき鳴らされる音が終わりと同時に全て止んだ。
反響する名残が消えていく。
最初に在った静けさが戻ってくる。
荒げた呼吸が落ち着く頃、世界には聞き覚えのある破裂音に満たされていた。
「最高よ!」
「すごいぞ一颯!」
両親の声がする。
あらゆる場所から拍手と絶賛の声がして、講堂を支配する。
「イブキ、大丈夫か?」
「──うん、大丈夫」
「そりゃなによりだ」
楽しかった。すごかった。なにもかもが。
停止してから時間が経つにつれ、この空気と同じ感情を込めた思いが溢れる。
安西と頼みに来た女子三人が二人に駆け寄り、満天の笑顔で迎え入れてくれたのが余計に嬉しくて、口元が緩く微笑んだ。
「ありがとうございました!!」
会場中の一人一人に届くように、叫んだ声は空へと響く。
心を繋ぐ歌に胸打たれ、彼女はまたひとつ一歩を見えない未来へ踏み出したのかもしれない。
彼女らの素晴らしい演奏に喝采が止まない星宮祭の会場には、現在500を越える人々が来場している。
もしそれを、悲鳴に変えることができる人間がいたとすれば一体どうなるだろうか。
────何者かは愉快に嗤う。
まるで子供のように、時限爆弾のスイッチを握り締めたテロリストのように、誰にも知られぬその場所で静かに事を成した。
「オリオン、どうしたの? もしかしてミスった?」
「……オイ冗談だろ」
彼は気付いてしまった。
嗅ぎ取れた匂いの正体が──同族のそれであることを。
信じられない出来事がこれから起きようとしているのが、手に取るように分かる。
剣士の青い瞳が動揺に困惑したのと同じ頃、祭りに賑わう校庭で大地を揺らす音がした。