1-50 彼のいる日々 2
「はい、文化祭頑張ってね」
「ありがとうございます」
色とりどりな物品が詰め込まれた三つの大袋と領収書を受け取り、朗らかな初老の女店主に頭を下げた一颯は待ち人のためと急ぎめに駆け足で雑貨店から出てきた。
商店街の入り口に位置するこの雑貨店の店先で、街中を往来するいたって普通の他人の"内側"を観察する彼の姿は学校指定の制服というそれこそどこにでもいそうな学生のものであったが、海色が鋭く輝くその目付きは完全に剣士のものだ。
一応仕事はしているらしい。
怪しげな動向を見せれば追いかけるつもりだし、正直魔力を感知すれば一目瞭然だ。
今のところ一颯より優れた陽魔力を持つ人間は見たことがない。というより、大衆が通常で彼女が異常なのだ。逆に言えば一颯と同等かそれ以上の魔力を持つ人間が見つかれば、なにか裏があるんじゃないかと疑いをかけられる。
まぁその理屈が通用するなら一颯だって容疑者候補ではあるのだが、彼女は違うと断言していい。オリオンと同じく別存在が大きく関わっているからだ。
「もう……その仏頂面なんとかしてよ」
「べっつにブッチョーヅラじゃねーだろこんくらい。チョー真面目な仕事モードって言ってくれよ」
「はいはいお仕事ね、お疲れさま」
困り顔の彼女は適当にあしらいつつ一袋を預け、特に用もなくなった商店街の奥へと歩み進もうとする。
……いやいや待て待て。
もう買い物は終わった。あとやることと言えば準備活動時間内──即ち下校時間までに学校に戻るくらいか。
現在時刻は午前11時前で、学校を出てから到着までに20分程度を要する。今日の下校開始時刻は午後13時のため、クラスメートの反感を買いたくなければあと一時間以内には戻らなくてはならない。
オリオンとしては別にまだ信頼も親愛もない他人を気にかける気はないものの、一颯の立場は心配に決まっている。
「あのね、私が知らないって言ったってインターネットはよく知ってるの。行きは近いから入り口側のバス停で降りたけど、帰りは出口側の方が学校に近いらしいから」
俗に言うググった、というやつだ。
夏休み明けに買い換えた新しいスマホに写された"梓塚市営バス○番系統時刻表"と書かれている検索結果をオリオンにしっかりと見せつけ、商店街ゲートの奥にスタスタ消えていく。
やや困惑したが仕方ない。女子きっとこういうのが好きなのだと思って付き合おう。
なんかデートみたいだ──なんて言ったら彼女はどんな反応をするだろうか。
あれやこれや試してみたいものだが相手が一颯の時点で最後に強烈なしっぺ返しを食らいかねないので却下だ。
────商店街内部は思っていたより広い。
所謂シャッター商店街と揶揄されているあの様相の入り口にポツリと佇む雑貨店を予想していた二人にとって、この活気溢れる現代的なアーケード街は予想外も予想外だった。
閉まっている店は"定休日"といった理由で、完全な閉店でシャッターを下ろしている店は一ヶ所もないのだ。
言っちゃ悪いかもしれないが、どこの誰が着たか分からない古着屋や油臭い老舗料理店などはどこにもない。一番建物が古そうだったのはさっき行った小綺麗な雑貨店だろうと思うくらい若者が好きそうな美味しそうでかわいいモノばかりが並んでいる。
特に一颯の目に止まったのは最近移動販売でよく見かけていたクレープ屋の本店だ。
それこそ駅前やら学校近くによく来ていたのだが、買おうか否かをかなり悩んでようやく決断した時にはすでにいなくなっている──のがいつものオチである。尤も、彼女は大体において遠巻きに見つめているだけなので店員も客の気配に気付かないのも当然ではあるが。
「俺、いちごチョコクリームな」
「ちょっなんでもう決めてあるのよ」
「こういう店は一番最初に目に入ったやつが一番ウマイって相場が決まってんだ」
「つまり私は…………」
十数秒前、立て看板に貼り出されたメニュー一覧を見つめる自分自身を思い出す。
今見ていたのはオリオンが言っていたいちごチョコクリーム、その前はバニラアイス&チョコソース、生ハムとサニーレタスのサラダクレープ、チョコバナナ、生クリーム…………。
「……コーヒーゼリー×納豆」
「ブッッ!」
「なんでこんなの見ちゃったの!?」
当店おすすめ!!なんていった風にババンと油性ペンででっかく書かれている写真には美味しそうなクレープ生地、生クリーム、コーヒーゼリー──そしてねばねばの納豆。
「ほら、買えよ」とニヤニヤしながら見守るオリオンの視線に射たれ、耐えきれなくなった一颯は己の財布とにらみ合い、税込み570円の値札を交互に眺めてしばらく悩み────。
「うぅぅ……あーっ! オリオンのこと信じるからね!? 絶対美味しいのよね!?」
「おう、保証できねえけどな」
「い、行ってくる!!」
無謀にもお札を片手に第一歩を踏み出した彼女の背中は、なんとも勇敢で華々しいものだった。
……と、物々しいモノローグはともかく、二人の漫才じみたやり取りを微笑ましそうに見守っていた若い店員が用意してくれたできたてのクレープは生クリームの甘い香りと優しい手触りのふわふわ生地が食欲をそそり、喉が鳴る。
オリオンが希望したいちごチョコクリームは、まず大きないちごが生地のてっぺんから顔を出すところに出し惜しみのなさを感じる。混ぜ合わさったチョコと生クリームは甘すぎず、かといってビターの苦味もない絶妙なコンビネーションで味覚を擽り、噛み潰したいちごから溢れた酸味が融合すればもう言葉にならないほどとにかくウマイ。
宵世界にはケーキはあってもクレープはない。半年後帰還した暁にはこの文化を復興中のアーテル王国で広めたいものだ。
──それで、一颯が選んだコーヒーゼリー×納豆についてだが……。
「……見えるわ、豆が」
「……見えるな、豆が」
白い生クリームと茶透明なコーヒーゼリーに押し潰された豆が独特の自己主張で存在をアピールしている。
ぎゅっと力強く握ろうものなら溢れて垂れてきそうなほどやけにボリューミーなそれを恐る恐る近づけてみるが、思っていたより納豆臭さはない。コーヒーの香りのおかげだろうか。
「ほーらイッキイッキ!」
「どこで覚えたのよそんなワード……」
居酒屋のおっさんかと突っ込まざるを得ない応援に落胆しつつ、買ってしまったからには食べないという選択はできない無情さにうちひしがれる。
いやまぁ強烈な見た目をしているから面食らってしまっているだけで食べてみたら実は甘納豆かもしれない。
意を決し唾を飲み込んで────がぶりと噛みついた。
「…………どう?」
「………………………………案外、イケるかも」
「マジか!?」
最初に生クリームの津波が口の中を占拠し、一緒に来たコーヒーゼリーを噛み舌に触れた瞬間苦味が拡散していく。この段階では仄かな甘さがコーヒー特有の苦さと交わりカフェオレをクリーム状にしたような味がしていた。
そして問題の納豆だが、これらのフレーバーが落ち着かない内にやって来る。甘納豆ではなく純然たる納豆味がだ。
ゲテモノ味のように思えるだろうがこれが意外としっくり来る。
もぐもぐ無言で平らげていく姿はなんだか病的にも見えるが、謎の中毒性と言えばいいか。このねばねばと苦味がまさに絡み合い、後追いでクリームの洪水とも──。
「オリオンの言う通り……で、いいのかしら」
「ま、そういうことにしとこうぜ」
美味しかったので結果オーライだ。
新たな味覚の発掘に困惑する二人はすべて食べきりゴミを捨て、更に奥へと向かう。
色んな店の店員が顔を出し、あれはこれはとおすすめを紹介してくるので一々足を止めて試食試飲としてしまうのも商店街を歩く醍醐味だろうか。
もうすっかりデート中のカップル気分になっている一颯の表情は柔らかな笑顔で見てて飽きない。
今度はカスタード味の大判焼きを頬張り、焼きたての熱さにはふはふと息を漏らしている。
常日頃は不器用なだけで、素に戻れば実に愛らしい姿を時折見せる彼女は少し背が高めなのを除けば本当にオリオンと相性が良い。
運命の出逢いは本当にあるものなんだと実感できる。
たった一時間にも満たない寄り道がこんなにもゆるやかで心地よいと思えるようになったのは彼女が隣にいるから、そう思いたい。
「どうどう? 似合うでしょ!」
黄色い縁の眼鏡をかけて感想を求めてきた。
元々真面目そうな顔つきをしているからか、いっそう知的に見える上に眼鏡が少し大きいのか小顔効果で美人度が上がっている。
女子に対して感想を言うなら「可愛い」もしくは「似合っている」が正解だが、そこまで気を使えるほどオリオンは器用ではない。
「いいんじゃねーの? 悪くはねえ」
「もっと素直に」
「あ、えー、と……俺は嫌いじゃない」
「照れてる照れてる、可愛いなぁ」
「うっせ」
今回のやり取りは一颯が一枚上手だった。
事実、素直になりきれないオリオンから言葉を引き出そうと思ったらガンガン攻めなくてはならない。周りが黙っていると案外無口な男だからだ。
──楽しい時間がゆっくりと過ぎていく。
随分広々としていた商店街の出口が見えて、なんとなく「あぁもう終わりか」とちょっとだけ名残惜しさが押し寄せた。
せっかく盛り上がってきたところだというのに帰らなくてはそろそろ待っているクラスメートも痺れを切らすのではないか。分かってはいるが、まだこんな感じに彼女と食べ歩いたり他愛ない会話で盛り上がっていたい。
「楽しかった?」
「まぁな。色々ウマかったし、あのオオバンヤキ? だっけ。あれまた食いたい」
「じゃあ帰りに買って帰りましょ、家で食べられるやつ」
「さっすがイブキ、分かってる!」
スーパーによくある冷凍の大判焼きなので出店で食べる完全な手作りに比べたら味は多少落ちるが昨今の冷食はかなり美味しいらしいから問題なかろう。
……いいや違う。そうじゃない。
一颯が伝えたかった"意図"はなんだ。何故彼女は学校に戻る時間を遅めてまでオリオンと商店街を歩き回っていた?
「覚えてる? 先輩たちとちょっと遠出して、パンケーキ食べに行った時のコト」
「いやそんなん忘れるわけねえだろ。あン時は酷い目に遭ったかんな」
四人で海が近い別の市街地に遊びに出掛けた日は彼女が宵世界に行くきっかけとなり、アクスヴェインの野望が動き出した日でもある。
本来なら美味しいパンケーキを食べて一颯と華恋が楽しくショッピングをするはずだったのに、到着から僅かでとんでもなく悪質な邪魔が入って計画は結局破綻してしまった。曰く、あれから話が持ち上がることはあっても行こうという気にはならなかったそうだ。
「ホントだったらこんな風にオリオンと色んなものを見て回りたかったの。それで、今日は代わりと言ったらおかしいかもしれないけど二人とも知らない場所でおんなじことしてみたってワケ」
一颯はデートみたい、じゃなくてデートがしたかったのだ。
あの暑かった夏の日にあまりよく知らない土地で彼が食べたことないようなスイーツを、一颯が身に付けたことないようなアクセサリーを、見つけたりしたかった──。
結果的には全てが解決し、まだ元凶を残しているとはいえ平和が戻ってきた現状において、あらゆる出来事に後悔しているわけではない。
ただ、彼と居られる最後の日々に思い出を残しておくことくらいは悪いことじゃないと信じているだけだ。
「また行こう。さっさと全部終わらせて、またリオンとアイツのカノジョ連れて」
「そうね。今度はなんにも気負わないように悪者全員やっつけてからで」
一颯に言われたら余計に力が湧いてくる。
必ず元凶を見つけ出して討ち果たす、そういった気持ちを強く持ち直した。
尾野川駅前行きのバスが信号の向こう側に見えている。あと一分もしない内に到着だろう。
「さーて、帰ったら準備の手伝いかぁ」
「頑張れ頑張れ」
「アナタも頑張るのよ」
文化祭まであと数日。当日のために躍起になっているクラスメートに同調する気はさらさらないが、とりあえず手伝わない選択肢は用意されていない。
帰りはまた楽しみが待っているし、面倒な作業も少しだけやる気になれそうだ。
「──?」
オリオンは突然視線を感じて振り返った。
街は己の目的の下歩みを進める人だらけだが、彼だけを見ている人間など当然いない。バス停で待つ人々も見ているのはバスだけだ。
しかし見られている。
誰に、と明確な答えを求められると困るがとにかく凝視されているのは間違いない。
「なにしてるの、早く乗るわよ」
バスに乗り掛かった一颯に声をかけられ注意が逸れたせいか──視線は収まった。
きっと珍しい見た目をした男がいたからつい見つめていたんだろう、と自分を納得させて彼女を追う。
間もなく始まる文化祭を前にこんな調子の一颯は、まさかあんな珍事件が起きるなんて思いもしていなかったのだった────。