1-49 彼のいる日々 1
突然だが──黒弓璃音の朝は早い。
夏は日の出とほぼ同時刻に起床するという生活習慣は、以前に華恋から「おじいちゃんですか」とツッコミを食らっている。
何故そんなにもジジ臭いのかについてだが、元はと言えば宵世界にいた頃は寝坊なぞしようものならハンマーで殴り付けるように張り倒される生活を繰り返してきたせいか、"父親より早く目覚めなくてはいけない"という強迫観念によるものなので治しようがない。
オリオンたちが尋ねた時に眠っていたのも一度早朝に目覚めてわざわざ二度寝していて、こうなると彼は永遠と寝ていられるらしい。
今朝は起きてからどこぞの馬鹿が残した残骸じみた魔力反応に振り回されて、様子見したりヤバイ痕跡を回収したり所謂後始末に追われたため、いつもの二度寝を視野に入れていた。
常に話を聞いていないので真面目な部類ではないが、学校の出席日数自体は足りている。どうせ三年目の秋だし、今更一日休んだところでなんの痛手にもならない。
────と、思うのはタダだ。
実際布団にくるまる手前までいった。しかし華恋が一緒に学校に行こうとせがむならたとえ疲れていようと断る理由はない。
授業は五感の情報を誤認させる魔法で聞いたフリして寝ていれば解決する。
なので結局いつも通りの時間に登校した彼は、部室に寄る用事があった華恋と分かれて校舎に向かったわけだが────。
「よーっす! おっはよーリオン!!」
「…………は?」
青い髪をブンブンと振り乱しながら駆け寄ってくるオリオンらしき……いや、隣に一颯がいるので間違いなく本人。
そりゃあこちらの世界での任務があるのだから道端で偶然会うくらいは分かる。今そこにいる保護者も昼間はわりと自由にさせていたと前に言っていた。
だがここはどこだ。そう学校だ。
超無理矢理認識を曲げさせ日常に溶け込んでいた璃音が言えた義理じゃないが、彼は星宮高校の生徒ではない。制約によってそういった操作魔法も許されていない。
なのに──何故、制服を着込んでこんな場所にいるのかがさっぱり分からない。
「な……な、なんだそれは────!?」
完全な思考停止状態。
璃音は寝ぼけていた頭の中が急速にフル覚醒するのを感じつつ、彼らが近付いてくるのを待つ他なかった。
◇
ざわめく教室内にはいまだかつてない異質な空気が漂っていた。
今朝の時点で二年の女子生徒こと月見一颯と一緒に歩いて登校してきた謎の男子生徒の存在を確認していた人物は多く、もしや?とすでに感づいていたことであろう。
だが友人でもない女に用事や興味があるような人間は少なく、そもそも登校時間が合わない場合はこの場で初見となるわけだ。
しかも雰囲気からしてちょっと一般人のそれと違う。彼に近いのはそれこそ璃音くらいしかいない、一応同じ世界から来ているし性格はともかくよく似ている。
まぁ良くも悪くも浮世離れした知らない他人に注目し、なにがあるのかと胸をざわつかせることは決して不自然ではない。
一颯と担任を除く30名ほどは皆、今まさに転入生という慣れない空気に呑まれていた。
「まずは新しいクラスメートを紹介する」
「オリオン・ヴィンセントだ! よろしくなっ!」
「彼は高町先生の紹介で海外から来た留学生だ。今日から五ヶ月間、この学校で同じ授業を受けることになる。分からないことがある様子だったら教えてやるんだぞ」
担任に促され、一番後ろの端に用意されていた真新しい席に着いた彼の姿はまさに学生らしさに満ちている。理由があるとすれば、実年齢は19歳だが外見は16歳のままなので一応適正年齢だし、もしかしたら精神的にもそれくらいだからか。
──と、なんだか学園ラブコメでも始まりそうな気配はさておき、突っ込まなければならない点がすでにいくつかあるが、事の経緯は遡ること五日前。
オリオンがまだ宵世界で準備をしていた時、ふとクロエがババーンと差し出してきたのが星宮高校の男子制服だった。
何故そんなものを所持しているのか聞く間もなく、学校にも行けるようになっている旨の話を聞かされ、半ば強引に潜入……の体でクラスに転入してきたのだ。
目的はあくまでも隠れ潜む事態の元凶を探し出すことであって、ここで一颯と日常生活を満喫することではない。
──それでも気を使ってくれている、と思うべきだろう。
一颯と常に行動することで心の面の安定を保ちつつ、日常生活に溶け込み巨悪の根源を確実に捕捉するこの二面性を維持するにはこんな形がちょうどいい。
そして現在、担任が発したあるワードで彼は謎が解けた気がした。
クロエと黒枝──よく似た同一人物。
ただ二つの世界に同じ人間が存在する事象は聞いたことがないので、真実は知れたことではないが。
「さて、同じ授業を……とは言ったが今日から星宮祭準備期間に入る。自分が担当する仕事をきちんとこなすように、以上」
短い挨拶と同時に鳴り響いたチャイムに合わせ、ホームルームを終えたクラスメート一同は担任が出ていった扉が閉まりきるのを確認した後数秒、じっと動かないかと思いきや────。
「えっと、転入生クン。君はなにか担当したい持ち場はあるかな?」
女子が一人、声をかけてきた。
神妙な面持ちの彼女は一颯曰くクラスの星宮祭──もとい、文化祭実行委員らしい。
それはそうと……。
「……ブンカサイって?」
「そこから!?」
激しいツッコミが飛んだが、前提として宵世界には文化祭なんてものはない。子供たち向けの教育機関のシステムは大幅に異なっているし、見世物をすることはあれどあくまで演舞の類いを披露するだけで祭りとは言い難い。
とりあえず一通りの説明は一颯がした。
簡単に言ってしまうと、学校内でクラス毎に出店を出したり、部活動によってはその成果を披露する行事。
生徒からすれば楽しい上に授業もなくなるのでまさにお祭りだろう。
「もしかしてリオンも参加してんのか?」
「残念だけど、去年は影も形も見当たらなかったわよ」
「だよなぁ……ちぇっ」
璃音が祭りに乗じてハイテンションになることを期待していたんだろうが彼は反対に賑わいからは逃げ出しそうである。
「……月見さん、まさか仲良かったりするの?」
「えっ!?」
「おう! イブキは俺の大事なパ──」
「わぁぁぁ!! それ以上言うなばかぁ!!」
一颯から上がる悲鳴は月まで届く勢いで教室を木霊した。
彼に悪意はない。わかる、わかるが──恥ずかしい。彼女だって年頃で、クラスではあまり目立たない立ち位置にいたせいでいきなり注目されるなんて苦手というレベルじゃなく、それが表向きは海外からの転入生との恋愛話となったらどんな反応されるか、考えただけで暴発しそうだ。
────結局、ホームステイ先が一颯の家であると伝えて納得してもらい、知り合いということもあってオリオンの持ち場は自動的に彼女と同じになった。
元々一人で担当するのは無茶じゃないかと言われていたくらいだ。男子が増えたなら、と委員も首を縦に振ってくれた。
では女子一人が無茶だというそれは一体なんなのか。
そう──────買い出し班だ。
クラスの出し物は喫茶店とごくごく一般的なもので、クラス委員が今回の最優秀クラス賞の奪取に燃えているせいなのか前年度までの出し物よりクオリティを上げようと必死になっている。
つまり、学校から出された予算が許す限りで最大限の喫茶店を出すためには町のみならず都会への資材買い出しが重要になってくる。
オリオンと花の楽園で別れてからの一颯はクラスメートと少なからず交流を持つようになった。相変わらずかかわり合いは苦手だが、一般的な会話に支障がない程度の信頼関係は築けていよう。
しかし、実際に喫茶店で接客チームをやるのは気が引けるし不器用だから装飾もできない。料理は得意でも見知らぬ人様に出すのは抵抗がある。だから買い出しは適任だった。
代わりに楽しい楽しい文化祭で地味な役回りをしたがる変わり者はいない。一人になってしまったのも、こういった理由がちゃんとあったのだ。
「じゃあ今日はこのメモのやつを買いに行くわけか」
「そ、荷物持ち期待してるわ」
「あのなぁ……」
「文句があるならこっちもよ。その目について聞かせてもらうから」
「ん? これ?」
夜中に眠りに就く前、彼の左目には傷跡が遺した痛々しく残されていた。眼帯をしているのは傷を見せたくなかっただけで、全く見えていないと本人も述べている。
ところが今はどちらも見えている様子だ。
「いやぁ心配されそうっつーかさすがにイタイヤツと思われそうだったからさ、認識操作ってやつ頼んどいたんだ! 魔力はマーリンが絞り出してっから問題ナシ!」
「そういうことだったのね……」
昨日までは彼を見るのが一颯の両親だけだったので、ちょっとした怪我で通していたがさすがに初日からめちゃくちゃ元気なのに眼帯して現れたらイタイヤツかヤバイヤツの二択だ。
操作魔法というより幻想魔法の一種で、視覚から脳が受け取る情報を少しずらしているらしい。
実際はあの状態のままだが、この魔法が効いている間オリオン以外の生物は彼の傷跡と目を普通の目であるとしか捉えられない。手を抜いた下位の魔法だと知っていると効き目がなくなるとのことで、人間の心を持っておらずとも魔術師としては一流と云われるマーリンの腕が窺い知れる。
あと理由があるとすれば最初から珍しいものと認定され、周囲から不思議な目で見られるのが確実な以上、一応潜入でもあるので騒ぎや変な噂を立てさせるわけにはいかなかった。
「おや、月見さん」
「どうも明星先生、おはようございます」
「おはよう」
一階廊下を歩く二人の前に現れたのは以前オリオンが忘れ物を届けに来た時に世話になった新任教師の明星東だった。
穏やかで優しげなオーラを振り撒く彼はあれからもよく一颯と顔を合わせ、授業を受け持つことはなくても挨拶や軽い談笑くらいはしているので今日もいつもと変わらず偶然から始まる会話を重ねる。
「A組は喫茶店だって聞いてるけど、これから買い出しかな?」
「はい。テーブルクロスとか装飾用のリボンとか、足りてないみたいで」
「随分本格派だね、楽しみだなぁ」
「そんなに期待しないでください……」
クラス委員がいくら張り切って期待する者が増えていく度にプレッシャーを感じる者も増える。一颯は過度な期待を受けると胃が痛くなるタイプだ。
「いや、本当に楽しみにしてるよ。なんたって特別な日だからね」
「特別? 初めてだからですか?」
「違う違う。二日目、実は僕の誕生日なんだ」
「あぁなるほど!」
どうやら明星は10月18日生まれらしい。
今年で25歳、奇しくも梓塚の怪物騒ぎと同い年だと本人は自嘲気味に笑う。
彼は教師生活最初の年の誕生日を文化祭で生徒たちと楽しく過ごせることがとても嬉しく、喜ばしいと感じていた。
「きっと素敵で特別な一日になりますね」
「あぁ、特別な日になりそうだ────ん?」
にこりと微笑みながら話を楽しむ二人に反し、一颯の背に隠れた青い影がじっと明星を見つめている。
さっきまで多方面に見せつけていた百点満点の笑顔はすっかり失せ、どちらかと言えば対峙した敵対者を睨み付けているようなそんな表情で無言のまま。
「ちょっとオリオン、前に会ったことあるでしょ。なんて顔してるのよ」
「別に……」
「そんなに気にしなくていいよ、月見さん。後ろにいるのはこの前の彼だろう? もしかしたら僕のことが苦手なのかもしれない。誰に対しても良い態度を無理強いさせるのはよくない」
「そうですか……? すみません、後でちゃんと言っておきます」
それじゃあ、と言って明星はそそくさと退散してしまった。
普通に会話していたからか、なんだかまるで腰を折ったようで妙に後味が悪い。
気にするなとは言われても本当に気にしないわけにはいかないのが大人としてのマナーだ。気遣いには感謝するが、オリオンをなにも言わず放置しておこうとは思わない。
「次に会ったら謝りなさいよ」
「なんで怪しいヤツに謝んなきゃなんねえんだっつの」
「失礼極まりないって言ってるの。なんでそう露骨に態度に出すかな」
本当に潜入調査の意味を分かっているか再度問い質したいところだが、彼の意見が全て解らないわけではない。
オリオンが怪しいと感じるということがなにを意味しているのか。
魔力、同族の気配、どこかで嗅いだような"匂い"。不穏な闇がどこかに忍んでいるのが解る彼らの意見だからこそ、"怪しい"という言葉には更なる信憑性が生まれる。
しかし今回はオリオンだけが認定しているに過ぎず、璃音は四月から今日まで明星に裏を感じ取ったことはない。あったらすでに始末しているか──されているはずだ。
「それに、あんな優しい先生が黒幕だとか絶対ありえないから」
「うー……まぁ見るからに人畜無害そうだったけどさ。とりあえずいいや、保留で」
しばらく動向は観察する必要があるかもしれないが、人が良さげでなにかを害する雰囲気はないと言う一颯を信じて今は候補程度に留めておくことにした。
「じゃあ行きましょ! 出発ー!」
「お、おう」
何はともあれまずは星宮祭の買い出しだ。
今日の目的地は梓塚市内にある商店街。そこには毎年文化祭シーズンになると色んな学校の生徒たちが必要な物資を買いに来るという雑貨店があるらしい。
一颯もあまり行ったことがない方向で、オリオンも夜以外に踏み入るのは初めて。
揃って迷子にならないかなと若干フラグのような発言をかまし、ないないと笑いながら二人は校舎の外へと出ていった。