1-44 花の楽園 1
彼らは無事アルブス城へと帰還を果たした。
王からの勅命であった反逆者アクスヴェイン・フォーリス一派の打倒、オリオン自身の目的だった一颯の救出。両方を奇跡的に解決させ花畑ですべてを終えた後、丸一日かけてゆっくりと帰ってきたのだ。
そして吉報は昨日の時点でアルブスとカエルレウムのファレル領に避難していたアーテル王国の重役たちの耳に入っていたらしく、城中が大層なお祭り騒ぎの直中にあった。
更に、真っ先に彼を迎え入れたのはなめらかな黒髪の少女で────。
「オリオン様、オリオン様ご無事でしたかオリオン様」
「ぎゃあああ!?」
思わず間抜けな悲鳴を上げたのだった。
「わぁ……美人さんだ」
「彼女はアーテルの一般兵でブリュンヒルデっていう子さ、まぁ君のライバルってやつかな?」
「一体なんのライバルっていうのよ」
「さぁね~」
ようやくまともに落ち着いた一颯を茶化しながら遠くを見つめたシキが言うには、ブリュンヒルデは元々孤児で悪質な奴隷売買を目論んでいた闇ルートの商売組織に捕まっていたところをオリオンに助けられてから自分の運命の殿方と言って追いかけ回しているとのこと。
アーテル王国の一部兵士が王の護衛に先駆け、安全確認のために今朝一番の船と列車でアルブスに入国した際にこっそりついてきていたそうだ。
普通は美少女に追われるならこちらから追いかけたいと思うはずなのだが、彼曰く「ブリュンヒルデの近くにいると魔力が抜ける」とかなんとかで種族的に相性が悪い。常に燃料ギリギリで走っている車が隣で並走するゆとりある高級車にガソリンを奪われている、と考えたら確かに嫌かもしれないけれど──もったいないの極みだと思わずにはいられない。
一颯のライバル云々に関しては彼女が意識するか否かの問題なので一旦置いておくことにしよう。気にしたら負けである。
とりあえずまずは目をぐるぐる回すオリオンをシキとクロエが引き剥がすところからスタートだ。
「先輩もお元気そうでよかったです」
「月見こそ、よく無事で」
「ちゃんと生きて会えましたね」
五日前、オリオンを助けに行く前に彼が生きて合流することを約束した。
たった一時間程度の別れかと高を括っていたせいで物凄く長かったが、七の意思が目的を果たせないと結論付ける前に戻ってこられたので結果オーライということになるか。
リオンからすれば融合体出現で二人の生還は半ば絶望的だろうと考えていたのに逃げてではなくしっかり倒して帰ってきたことは驚きだった。
半端じゃない邪悪な魔力の流れがこの地に伝わってきた頃にはレヴィアタンは覚醒していた様子で、本気で対抗手段を検討するかとシキに提案された時、星の魔力が世界を駆け巡り融合体は死に絶え、どういうわけか二人が生きていると知ったのだ。
「しかも聞いてください! 私先輩のそっくりさんに会ったんです! あれってまさか噂のお兄さんですか!?」
「…………なん、て?」
自分のそっくりさんに会った。まさかお兄さんですか。
リオンは絶句し凍り付いた。
よもや他人のことを平気で裏切れる程度にはまるでなにも考えていないクセに反吐が出そうなくらい善性を振り撒き、あまつさえ殺そうとしていたにも拘わらずなにを勝手に悟ったのか剣を納めて我が身を差し出したあの兄上が、力を貸したなど────信じるしかなくて、動機が理解できてしまって、悔しい。
ふざけた男だ。二度と目の前に現れるなとは言ったが記憶になら残ってもいいと判断したのか、腹立たしくなるがなにも知らない一颯に当たっても仕方がないのは彼も分かっている。だからひとつだけ質問をした。
「……兄上はなにか言っていたか」
「えっと──向こうで楽しそうにしてたか、って聞かれました」
事が終わり、その場から去ろうとしたレオンはそんなことを彼女に問うた。
少し考えた一颯はこう答える。
表情が変わらないから伝わらず分からないが、先輩は楽しそうだったと思う。学校に通い、恋をして、普通が普通じゃない彼からしたらすごく奇妙な日々だろうけど私の目からは楽しそうに感じた──と。
もちろんリオン本人は別にそうじゃないかもしれないので、自分は楽しげに見えていると以外は伝えていない。
ついでに一颯から全てを聞き終えたレオンは満足して去ってしまった。
彼女の隣にいたちいさなかいぶつの小言には一切耳を貸さなかったのも覚えている。ピンチに現れる謎のイケメンというのはああいう人を言うのだろうと自分の納得させ、最後は消えていく彼の背中を眺めていた。
「なるほどなるほど……やはり殺しておくべきだったな」
「へ、今なんて!?」
「気のせいだ」
実際リオンはどうだろう。華恋という性格が根底から真逆な彼女と常に一緒にいて、悪く言えば強引な振り回されていると最初は一颯も思っていた。
しかし彼女に危険が及べば容赦はないことくらい分かる。
十中八九自分が俗に言う"イケメン"の括りだと分かっていないリオンは他人から受ける好意には尋常ならないレベルで疎く、学校で女子からコクられたらそこでようやく気付くような人物だ。
華恋とどんな流れでお付き合いすることになったのかは未だ不明な点が数多く存在するものの、関心がないまたは興味がない彼から恋愛感情を向けられている一般女子生徒が目をつけられないはずもなかった。
何が言いたいかといえば、要は華恋に近づいてくるあらゆる虫を払っているのは彼なのだ。それほどまでにあのお隣さんが大好きで、あり得ないくらいベタ惚れしてるに違いない。
それくらいの対人関係を築けているなら明世界での生活は充実していると判断できるんじゃなかろうか。
少なくとも平気な顔で暴力を振るうような父親がいるこちらよりは遥かにマシだと思う。
ともかくこれにて彼の使命はひとまず完了。七の意思もこの完璧な働きにはぐうの音も出ないはずだ。
「おい大丈夫かい!?」
全く意識の向いていない方向からシキの大声が響き、驚き肩を揺らして振り返った。
ブリュンヒルデがなにか小声でブツブツ呟き、それを聞きながら「大丈夫」と繰り返すクロエの足元で膝をついた青い髪の彼が項垂れている。
「オリオン、どうしたの」
戦っていない。半日かけてしっかり休んだし傷も癒している。ついさっきまで元気そうにしていた。
オリオンが倒れている──いくらなんでも理由が判らない。
「ジャック先生のお部屋に連れていきます。手を貸してくれますか」
「あぁ分かった」
思考停止して唖然としている一颯の脇を二人がさっさと通り抜けていき、そわそわしているブリュンヒルデをシキが抑えている状況で取り残された一颯はやることがない。いいや、頭が真っ白でどうすればいいのかが分からないだけだ。
せっかく色んな戦いが終わり、無事生き残れて安心できたはずがわけもわからずいきなり倒れるとは誰だって想像できない。
口を開けたままの彼女に誰かがとんっと指を置いた。
「ほら、君が行かなきゃ」
「えっ……?」
「君がいないと彼心配するからさ」
いったいった、と手振りを交えてブリュンヒルデを連行していくシキの表情からは不思議とこの先に起きる不穏な影が感じ取れる。しかし何故か不安にはならず、むしろ真実を知っておかなければならないという覚悟が胸に湧いてきた。
────早く追い付こう。
足早に行儀悪く廊下を駆け出す。
なるべく急いで、隣についていこうと決めてその姿を追った。
◇
「ただの風邪だね、疲労というより免疫力の低下が原因で発症したと見える」
「風邪? 他に異常はないの?」
「今の彼は正常な箇所を探す方が難しいと思うがね」
端から見れば大人しく眠っているオリオンは頬を赤く染め髪を乱し汗で濡れ、不快感が付きまとっているのか数秒ごとに唸りながら寝返りを打ち続けていた。
普通に風邪と聞けば「なんだたかが風邪か」と軽く感じるが、いつ亡くなるかといわれるほど長生きな老人にとって深刻なのと同じように今の彼にはかなりの大事である。
ジャックの言う通り、帰還の際の道中でとはいえ疲労は回復しているため大した要因にはならない。
更に続けて話した免疫力の低下についてだが、こちらの原因は聖剣の呪いが発生させた人体の老化現象が時間をかけたがためにどんどん進行し、ついにはここに到着した段階で限界を迎えたのだ。
意識が飛んだのは生存本能が無意識に魔力──もとい生命力をそちらに費やしているせいであってまだ問題はないが、二度の限定開花が尾を引いているので早めの補給が必要には違いない。
「足りない栄養を体内に送り込む回復術式を施して今晩で解熱させるが、しばらくは魔力を自然に取り込めるような場所で安静にさせないといかんな」
「そんなにひどいんですか……?」
口を挟んだ一颯の一言が予想外だったのかジャックは言葉をつまらせた。
思えば彼女はなにも知らない、彼だって話そうとしない。
そもそも親愛なる人に「生きてほしい」と願われる限り、自分の中になにが潜み近い未来さえ見えないことを一語一句たりとも伝えるとは考えづらいのだ。
目覚めた時に彼がどう思うかはさておき、ここまで来てしまったら一颯にはオリオンの身に起きている現実ではあり得ない呪いの全容を知る権利がある。むしろ彼から証言を得られない以上、話してもらう必要すらあった。
ジャックが知りたいのは聖剣の真の名。それだけあれば自ずと見えてくる。
「先に彼の遺装について話してもらいたい。もちろん君が分かる範囲で構わんよ」
「えっと……エクスカリバー、って本人が言ってました。名前以外はよく分からないんですけど」
「いいやそれだけで十分納得できた──これは当然の末路だったんだよ」
聖剣・エクスカリバーは元々誰の持ち物だったのか。
決まっている、アーサー王のだ。
ブリテンを救う絶対の後継者として選定された彼の王は湖の乙女から授けられた奇跡にも等しき目映い光を放つ剣──即ちエクスカリバーを所持し、一時代における王政を成した。
実際のところ選定の剣はポッキリと折れてしまい、彼が得た二本目こそが誰もがご存じの聖剣として後世に語り継がれている。
しかしアーサー王が手にした剣という性質上、遺装そのものがこの両方をイコール王の選定に使われたものと定義し、選ばれし王のみが所持と使用を許されるべき存在だと勝手に認識してしまったが故に現状──所持者となり剣を振るうオリオンにこれまた有名な魔法の鞘とは真逆の性質を持った呪いを植え付けたのだ。
魔法の鞘はアーサー王に不老不死と何者にも傷つけられずいかなる病魔にも侵されぬ守護を授けたとされるが、彼が今蝕まれている一連の事象はあり得ない速度で進む体内の老化現象と寿命の減少。完全に正反対の一致が発生している。
恐らく呪いの症状そのものは剣を引き抜いた時──16歳の誕生日から始まり、まずは成長が止まると同時に寿命が大幅に削られた。
しばらくは進行自体が収まっていたようだが、限定開花の発現がきっかけとなり活性化。その後は魔力を通すごとに加速していき、トドメを刺したのが対シャムシエラでのエクスカリバーの外装状態の解除だ。
彼は一線を越えた、といえば分かりやすいか。
主をたった一人の王としか認めない聖剣は真の姿を露にさせた者を許さない。もう剣を手放し老いて死ぬその日まで魔法の全てを失う他に呪いから解放することはないだろう。
「……助からないんですか」
「私の口からは断言できんよ。今後を分ける判断ができるのは本人だけだ」
「そんなの……」
一颯だけでなくクロエたち皆が皆、彼に少しでも長い生存の道を選んでほしいと思っている。しかし当のオリオンが剣士の銘を捨ててまで生きようとするとは誰も思えない。
彼を取り巻くあってはならない影の存在は第三者にはどうしようもないところまで進んでしまったのだ。
唐突に知らされた真実の衝撃とあまりのショックに頭を抱えて泣き崩れた一颯のすぐ傍で、もっと深刻そうな顔をする彼の義姉はジャックから一通り話を聞き終えて一息つくと覚悟を決めた様子で立ち上がり、何らかの魔法の詠唱を開始した。
一応魔術師でもあるリオンも聞いたこともない言葉の羅列の最後に付いてきたのはいつしか王が安らぎを求め最期に訪れたと云われる伝説の島の名と「Avalon」の一言。
そして鳴り響く鈴の音に加え──薄い像と成りぼやけた姿で次第に現れたのは、白い羽衣に身を包んだ若い男。
『おいおい、いきなり呼び鈴を鳴らすなんてなにを考えているんだクロエお嬢様』
妖艶な笑みを湛え、陽炎のように揺れる男は花の香りがする。
不思議と心を預けてしまいそうになる危険な色香を匂わせる妖しい夢の象徴に、いつの間にか見上げた視線が釘付けになっていた。
「長話は無用です。要件は分かっていますよね?」
『そりゃあもちろんだとも、君は一体僕を何者だと思っているんだい?』
「趣味が悪くて最低なのは全くいただけませんが助かります」
彼女が冗談を言っている様子は全くないが、とにかくずっとなにを考えてるか伝わらない微笑みを浮かべた不気味な男の正体はもうなんとなく分かっている。
今のオリオンをなんとか安定させるに最適な地を管理する主にして至上最低に人の心を理解できない楽園の怪物。
「マーリン様、どうかご尽力を」
皮肉にも邪悪な魂を清めし花畑を作った幻想の魔術師は夜空の翳りを裂き、宵の世界の狭間から願い乞われて現れた。