1-41 悪魔の狂騒
この世に異形・融合体の痕跡を残すことはできない。
何故、説明するまでもないはずだ。
それらにまつわる文献や証拠が残り、手にしてしまった者が第二のアクスヴェイン・フォーリスになってしまう可能性は高い。しかも人への愛ではなくもっと単純な悪意によって動く更に悪辣な大逆の徒になりかねない。
たとえ成功すれば死者の蘇生という奇跡にまで繋がる禁術と言えど、失敗して増えていくのは人の身にすら見えない歪な怪物だけ。
負の連鎖はいつか完全に絶たねばならない。そして、いつかを今果たす。
新たな何者かに融合体に関する様々なデータが渡るその前に、男の居る屋敷ごと全てを粉々に吹き飛ばして消し去るのだ。
そのために必要な方法は、──限定開花。
広範囲の破壊型魔法による一撃なら巨大建造物のひとつやふたつ簡単に木っ端微塵にできると踏んだオリオンは自分の剣から放つ"黒夜流星"ともう一人が発動できる限定開花を候補に入れていた。
しかし彼の場合、発動すれば命の危険がある。アクスヴェインだけでなく自分まで死ぬリスクを考えると周りが控えてほしいと言ってくるのが確実なのでとりあえず却下。
となると消去法でもう一人に頼まざるを得ない。
──彼も端から見れば相当ハイリスクではあるのだが。
「さすがにプレッシャーだな、リオン」
「……シキ」
冷やかしのつもりではないのだろうが、口調はまるで馬鹿にしているように聞こえる。
青空の太陽に曝された二人が見つめる先には広い街とその先の道やなにもない草原と木々。方角としては──アーテル王国、アクスヴェインの研究屋敷。
贋作遺装の銀弓・フェイルノートを片手に声の聞こえない戦場に耳を傾け続けていたリオンに課せられた作戦は、彼も聞いた時にはついに友の頭がおかしくなったかと天を仰いだほどだった。
頼まれてから数秒間よよくよく冷静になって考えてみて、やろうとしていることは確実性があり、いずれはあの男が残すもの全て消される顛末が待っているなら確かに有効手かもしれないと腹を括った。
ただ問題は多い。
オリオンは時間、時計の針が両方とも頂点を指す直前に放てと言っていたが、それまでに彼が一颯を救出し彼女の追想結晶を発見、アクスヴェインに悟られないギリギリのタイミングで防護魔法を発動させて自分達の身を守る……ちょっと無謀すぎやしないか。
剣士という役職を持つオリオンはともかく、一颯に練習なしのぶっつけ本番無茶ぶりをさせるのは鬼畜かなにかの所業だと思う。
一般人を巻き込んで後悔しているとかなんとか言っていたが本当に申し訳ないと思っているのか自爆覚悟巻き込み上等などと暗にほざかれてはもうにわかには信じがたい。
「それに君、それやるの何年ぶり? ガス欠とかしないよね?」
「白命霊との立ち合い以降で覚えはない」
「うっわ戴冠で七の意思に呼ばれて以来じゃないか、本当にガス欠しないか心配だぞ」
別にほしくてもらった冠位でないというのにリオンはどこまでも不幸な男で、冥界を支配する神に等しき概念体──白命霊が不満を述べたため、一騎打ちしたことがある
結果は冠位を得たことから明らかだが、ほぼ10割が白命霊の優勢で進み、例の限定開花でなんとか掠り傷を付けさせるのに成功したから認められただけ。その場を見ていたのは七の意思とマーリンのみではあるものの誰が見ても絶対に「なんで生きてるのか」「どうして傷ひとつ残ってないんだ」と首を傾げたくなるほど散々なやられっぷりだったらしい。そもそも本人も思い出したくないレベルだとか。
それがもうかなり前になる。
広域を破壊する魔法なんて使おうにも縁がなかった彼にとって、オリオンに任された重役は久々の本領発揮と言って良い。
刻限は間もなくだ。
シキが施した強化のパスは途切れたらしいが死んでたら死体ごと焼いてくれくらいの気持ちでいるオリオンに情けをかけるつもりはない。存分に爆破してやろう。
「時間だ」
「よし……じゃあ頼んだよ、リオン。君の血流放出ならやれるって彼は信じているからさ」
「そうなんでもあてにされては困るんだがな」
指が引くものは弦だけ、そこに実体として矢と呼ばれるものは存在しない。
ただあればいいのはリオン本人とこの銀弓──と、ヌアザの神造遺装こと銀腕・アガートラーム。なんなら魔力だって必要ない。
雫が落ちた湖面のように震える空気は赤色の暴雨が降ることを未だ知らず。神々に見初められた絶世の一撃は彼の命の輝きを以て巨悪の根源を押し潰そう。
転換を得手とした彼に許されたこの世に二度と生まれ落ちることのない異端の限定開花、その一端──今こそ見せる時。
「転換、開始────銀弓操作・血流放出」
◇
ぱらり、ぱらり。
細かな瓦礫が風に乗り、花弁を撫でて地に落ちる。足場と呼べるものは先の爆発ですでに焼失した。
蕾が開くように咲いて消滅した防護魔法から出てきた二人は目を何度もぱちぱちさせて汗を流し、特に一颯の方が予想を大幅に上回るトンデモの到来に腰を抜かして地面へとへたり込んだ。
「っあー……あんにゃろ、マジで死ぬかと思った」
リオンに屋敷の襲撃を頼んだ張本人ですらこのザマである。
彼が得意とする一連の限定開花は"銀弓操作"と呼ばれ、揃いも揃って最終的には爆裂するのがお約束と言っていい大規模破壊型転換魔法だ。
以前アーテル王城突入の際に発動した"流星雨"もその一種。やはりというべきか大量の矢の雨を被弾した規模は不安定な足場での掃射だったのに、リオンが意図していた箇所だけでも城全域にわたっている。
今回はそんな銀弓操作の中でも原型にして、一番の高火力を誇る"血流放出"が放たれた。
屋敷は無惨にも全焼全壊。中庭があったと思わしき位置は草木と聖堂に飾られていた大量の花束を伝って炎が広がり、シャムシエラの遺体の姿を確認することはできない。
そしてアクスヴェインは────いるはずない。ここは爆心地と言って過言ではなく、死体が原型を留めているくらいならともかく生きていたら化け物確定だ。
「イブキ、サンキューな。おかげで助かったぜ」
「…………う、うん」
「ごめんって。俺だってこんなに威力があるとは思わなかったから」
アルブス王国の都市部から撃ってこれなのだから、零距離射撃されていた場合防護魔法もなにもなく粉々になっていたと思うとゾッとする。
とりあえずはオリオンが狙っていた通りに悪の権化と付き従う憐れな配下は爆散したわけだが、実はこれからやらねばやらないことがまだまだいっぱいあるのだ。
まず、恐らく崩れてしまったであろう地下を探って融合体に関する一連の書類や関係物品の焼却と破壊。残っていればアクスヴェインとシャムシエラの遺体回収。あとは第三者の侵入を防ぐ巨大結界を展開することくらいか。
「立てるか?」
「なんとか……」
「よし!んじゃあ出ぱ、つ────」
「……オリオン?」
「──おい、マジかよ」
一颯の手を取ったオリオンには言葉を失い硬直するほどの強烈な出来事が舞い込んできた。
がさがさと立つ物音は靴底が瓦礫を踏み締める音だ。ふらふらと動く両手足は繋がっていてちゃんと血が通った人間に与えられた生命の力。彼らを見捉える目は、確実に恨み妬み蔑みの感情を宿している。
「まぁ、そういうこともあるか。むしろないはずないんだ。自分を融合体……一番強い存在として完成させていなければ、死者の蘇生なんて功績がほしい部下に殺されてる。てめえは無能だからな。そうだろ、アクスヴェイン」
焼け焦げた布切れ纏う傷だらけの男──アクスヴェイン・フォーリスは生きていた。
異形・融合体の完成系、とオリオンは言ったがどちらかと言えば成功例だろう。化け物に変容せずその力を手に入れた者、キャロルと同じように多少思考能力を狂わされても人間のまま生活できる状態でキープできている存在。彼はその一人だった。
言われてみれば当事者、首謀者たるアクスヴェインがキャロルで成功しているのに自分の身で試さないわけがない。──何故ってどちらも"不適合者"だからだ。
共通項がある以上もしかしては現実になる可能性がある。もしその過程で失敗し、己が死んだとしてもその時に起きることが彼の狙い目にも繋がるのならやる。死んだままだったら自分の研究が愛する女の復活に届くことは決してないと覚悟を決めて。
しかしてアクスヴェインは成功した。
自分と異形の幼体を身体の中──核となる部分に移植し、活性化させることで今まで得られなかった超人的な魔法適応力と魔力を手にし、一度の蘇生まで可能にしたのだ。
忌み嫌う異形を体内に押し込んだのは吐き気を催したろう。だが、それでもアクスヴェインは生きて愛しいセレーニアと巡り会おうとした。彼女を二度と離さないように力を得て、誰にも届かない領域で異形・融合体となり君臨していた。
「よもやファレルのガキに二度も邪魔されるとは……その上、貴様のような低俗な淫魔の策に嵌められるなど……」
「最ッ高に褒め言葉だなそりゃあ」
「──私は終わった。見ろ、セレーニア様のお姿を」
指差す先にはバラバラになったガラスの破片と、焼けて千切れて燃え尽きた女の死体。
かつてセレーニアだったものは銀弓操作の一撃に巻き込まれてもう元通りにはできない姿になっていた。これでは蘇生しても顔には醜いやけどの痕が、指や手足には欠損が生じ、脳や他の臓器類も傷ついて機能しないだろう。
二人に言及する権利はないが、さすがに悲惨すぎる末路を迎えた彼女に対し申し訳なさと同情が芽生えた。どうして罪のないこの女性を守らなかったのだ、という罪悪感も。
ただ────アクスヴェインは笑っていた。
「終わりだ」と言いながらも愉快そうに笑っていた。
口角を異様につり上げ、一種の破滅願望でも持っていたのかと聞きたくなるくらいセレーニアを見つめて狂気的に笑みを溢している。
「私は、セレーニア様に人生を捧げたぞ。貴様らが産まれて来る前から、誰よりも深く深く愛し、いとおしみ、慈しみ、あぁ……貴様らには理解すらできんだろう。どこまでも小さき者共には、この手の暖かさも、彼女の夢も解らないから簡単に壊すことができるのだ。……それでもセレーニア様は許すだろうな。あの御方は優しい、自分を処刑すると決めた彼の悪鬼にまで女神のように微笑んで最期の時すら悪魔じみた下劣な娼婦共とは比べられないほどに安らかだった。あぁ……なんて美しく、なんて清らかなのだろう──────だが、私は違う」
まるで演説のようにセレーニアを語り倒すアクスヴェインは瞬間、その表情を一気に変える。
ぎょろりと飛び出てくるほど目を見開き、拾い上げた大きなガラス片を右手に握り締めて二人をゆっくり指差しながらこう言った。
「人間はあらゆる生物の不幸を餌に、浪費して生きる怪物だ。その血を分けて産まれた元より化け物の貴様も、平和しか知らずのうのうと生きてきた貴様も、知らぬ内に人を不幸にせねば幸福を得られない」
「なによそれ! そんなの絶対に──!」
「ないと言い切る気か。貴様は生きる過程で誰にも苦痛を与したことはないと、そう言うのか」
「ッ──そんな、こと……」
なくはないだろう。どんな聖人君子であれ、その人の生がいつか未来で誰かを貶めることもある。誰もが加害者に、誰もが被害者にならない世界など存在しない。
一颯なら、そう──立花雪子は、彼女が生きるために死んだ。遺された彼女の家族は果たして哀しまずに乗り越えることはできたか? 今もまだ娘が生きていると信じて奔走しているかもしれないのに、一颯のエゴでアクスヴェインの言葉を違うと否定できるか?
「もし貴様が今まで何事にも清廉潔白だったとしよう。しかし、今この瞬間に私は貴様らの行いによって苦痛を伴い、貴様らの身勝手な正義感で糾弾されようとしている。これをどう説明すると言うのだ。──あぁ、言わなくてもよい。偽善者の反論など聞くに耐えんわ」
先の言葉が出なくなった一颯を憐れに思うような顔で乱暴に蔑んだ男はすぅっと息を吸って居直る。
なにをする気かとオリオンが警戒して聖剣を呼び出せば、手に持つガラス片を更に強く、血が滲むほど強く握り締め自らの胸に突き立てた。
「代わりと言ってはなんだが、私も人間だ。なにもかもを堕とさねばこの頭のざわめきもセレーニア様への想いも収まらない。まずは貴様らを殺す。そして全てを壊したファレルの連中を、ディートリヒの娘を、──目についたものはなにもかも消してしまおうか。それも終わり、最後に残るものがなくなった時には……私もセレーニア様と同じく、死に還ろう」
オリオンが次の行動を察知した時にはもう遅かった。
男は突き立てたガラス片を胸、心臓の位置に突き刺して緩く血を流しながら痛みに悶えて崩れて倒れ行く。
なにも起きないその数秒。一颯にはなにも感じ取れなかった僅かな時間で彼はまたも驚愕しその驚くべき現象に目を奪われ、次の瞬間隣で震える少女の手を強引に引いて背中を向けた。
なんだあれは、なにが起きている。
観察してすぐに明らかになったのは禍々しく、おぞましい男の体内に住まう異形の正体。
──────触手だ。
絶命したかのように見えたアクスヴェインの胸から黒い触手が生えてきている。
それだけではない。正体不明のそれは男を呑み込み、瓦礫の山を喰らい、まだ燃え盛る炎すら取り込んで巨大化を開始すると、瞬く間に先程まで建っていた屋敷とほぼ同等の超巨大生命体となって唸りを上げ始めた。
「オリオン、あれってなに!?」
「わからねえ……つか、こっちが聞きたいくらいだっつの」
巨大触手の異形の成長はまだ続く。
このままでは世界すら呑み込んでしまうのではないかと思うほどに。
────宵世界には神話に名を連ねた神域の異形も存在する。
彼らはいずれ不可視化するためこの世に現れることは滅多にないが、その幼体が不可視の存在になる前に発見されることは少なくない。
タチの悪いことに幼体と言えど持ち合わせた力はいずれ成熟した際に発揮される"神の力"に匹敵し、自身の命に危機を感じればあっという間に活発化、または暴走してしまうだろう。
そして、アクスヴェインが融合体となるにあたって宿した幼体の名は────"レヴィアタン"、七つの大罪を孕みし大海の支配者。
今ここに人間という供物を飲み込んで顕現した。