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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 宵世界編
53/133

1-40 刻限




 剣士の亡骸の前には魔剣が添えられた。

 この魔剣はすでに剣士のものではなく、いずれは精霊によって自然に還るだろう。二度と悪しき人間の手に渡らないよう厳重に管理されるに違いない。

 としても、今はまだ青空の下に在ろう。

 魂の浄化を迎える彼女が朽ちて消えるまで、守護の盟約に基づき己を信じて振るった強者の墓標となるのが定め。

 ────彼らは剣士の墓を去る。

 一人の男の"愛"が起こした未曾有の悪夢はまだ終わっていない。否、この場で止めなければここから始まることになる。

 花が埋め尽くす眠りの巣に死した小鳥はもういない。

 時が満ちるその前に、まずは追想の欠片を探すべく二人は嵐の前の静けさが包む屋敷の内部へ踏み入った。



「ほら、見っけたぞ」

「ありがとう、じゃあ手当てしよう」

「さんきゅ」


 アクスヴェインに奪われていたという追想結晶は存外早い段階で見つかった。

 というのも、オリオンの魔力と一颯の陽魔力で錬成された追想の力は言ってしまえば彼自身の力でもあり、そのため彼が世界から存在を失えばゼピュロスとの戦いの時のように輝きは消え去る。つまり直接生死と魔力がリンクしているからこそ追跡自体は容易いのだ。

 ただしこれは宵世界で魔法の概念に触れているからこそ為せる常識。明世界で生まれつい最近まで魔法の存在そのものを知らなかった一颯には仕組みから理解できない非常識だ。

 ついでと言ってはなんだが、追想結晶を優先して探した理由は簡単。実際、着手すべき事柄は山ほどあったものの、まずは彼女に魔術師の追想武装で戦闘体勢を整えてもらうところからでないと、この後起きる様々な事態に対応できないからである。

 痛覚は消えても残された傷の手当てをしない限りオリオンは手負いのままで先に進まねばならない。いくらシャムシエラを倒しても、元凶が控えている状況で放置はリスクが大きすぎた。


「あー! 肩軽い! こりゃありがてえ」

「ねえ、それちゃんと見えてる? 大丈夫?」

「うん、見えねえな!」

「貴方ねぇ……」


 何気にしれっと言ってくれたが治癒を施しているのに左目の視力が戻っていないのは深刻──でも実はなかったりする。

 なにせ五感は治癒が難しいのだ。一度失えば傷を修復しても元には戻らない。正確には方法はともかく明世界と同じく角膜を移植する必要がある。

 しかも現在一颯が必死で回復を図っているにも拘わらず、眼球から額にかけて縦に切り傷を入れられた左目周辺だけは修復される兆しもない。オリオン自身が拒んでいるみたいに。


「ちょっと」

「ごめん、でもな……コレは残しておいていいんだ」


 自分がユーサスの代わり、と言い切ってしまうのは少し違うかもしれないがこれがオリオンなりに結論を出したひとつの償いの形だ。

 決着前後ではほとんど恨み言は口に出さなかったが、叫び散らすように彼女が放った「お前が産まれてこなければ」というワードはまさにその通りと言う他ない。

 彼がこの世に生まれ落ちたことは一人の人間の人生を大きく変えてしまった。それはどうあがいてもおおいに事実として認めざるを得ず、誕生さえしなければ彼女は今も日の当たる場所で戦場を駆ける剣士であっただろうと憶測は容易く可能だ。

 オリオンの存在が本来なかったはずの呪いを生み、必要のない悪を成した。

 直接的な原因は無論ユーサスにある。しかし彼はすでにこの世から消え、今この世界に残されたのはその血を色濃く継いだオリオンだ。

 剣士ではなく、シャムシエラという女が幸福を奪われて死んでいったことを忘れてはいけない。記憶から消えても命が潰えようとも忘れないように、彼女がそう在った証明がわりの傷跡を残すことくらいはできるならやらないなんて手は考えすらしなかった。


「まぁ死ぬほど痛かったけど、片目が見えなくなったくらいじゃ俺は止まらねえから大丈夫。でも心配してくれんのは嬉しいぜ」

「べ、別に心配したわけじゃないから」

「照れんなって~ほんっとカワイイヤツだな」

「誰が可愛い、よ! そんな恥ずかしいこと言わないで、次言ったらもう治してあげないから!」

「ごめんごめん……」


 なにか──違和感がしたのは気のせいか。

 積極的、ではなく距離感が異様に近いようなそんな雰囲気。

 茶化すだけならまだしも恋愛に関しては小学生以下と言われる今までのオリオンにはなかった単語がちらほらと浮かんできたのどんな心情変化によるものなのだろう。

 もしや、と意識せず淡い期待が膨らんだ一颯が開きかけた口から声を発する前に回答は降ってきた。


「……多分魔力のせいだからヘンなこと口走ったらちゃんと言ってくれよ」

「魔力のせい?」

「一応俺って喋ってるコトは人間に見えてると思う。……けど、今はユーサスの魔力で色々してるから影響されてる気がすんだよな……」


 謎はすぐに解けた。一颯にはある意味納得──できるわけがしない。

 だが本当に純血の夢魔は独特のフェロモンや異性を虜にし手玉に取るような術がある。オリオンは対異血脈で能力の大部分が抑制されていたから人間と遜色ないように見えていただけで、現在はシャムシエラ戦で父親の魔力を解放したため少し様子がおかしくなっている……が本人の弁だ。

 疑ってかかるのは理解できるが、一颯もマーリンの追想武装でシャムシエラに魔法攻撃した際には人間なのに少し天秤が夢魔側に傾いたからと弾かれたことがある。

 この世界ではそんな些細な現象であらゆる影響が及ぶのかもしれない。

 ──良い方向にも悪い方向にも。

 どうやら幾千の時を生きた純血の、ユーサスの影響を受けているおかげで多少は頭が良くなったとかなんとか。

 彼が見てきたもの、聞き入れた音、学んだ知識を断片的ながら脳の容量ギリギリまで手に入れたようで、過去一颯に起きた例の事象についても「これだろう」と思う"なにか"を見つけたらしい。


「"知ってる"だけだから解るわけじゃないからそこだけ注意な」

「もったいぶらずに言ったらどうなの?」

「あーはいはい、まぁ月の──月花礼装、ってのがあるんだ」

「月花?」


 月花礼装、それは天上に住まう月の女神"アナスタシア"が纏う戦装束だという。

 以前双子型変異体戦で見せた柔らかな光を帯びて黄金に輝く謎の追想武装について、協力を拒むリオンが「月の女神の加護だ」と言っていたが、なんと最早加護どころではなく()()()()()()()()だったのだ。

 神々は七の意思を除き、基本的には直接的な干渉はしない。ところが一颯は突発的で短時間ではあっても女神の追想武装──ではなく、月花礼装を引き出して発現させた。

 きっかけらしいきっかけはなく、原因と呼べる不吉な事象があったわけでもない。

 なにが起きたかが分かっただけでそこに至るまでの理由は分からずじまい。彼女に与した女神の意図は不明だが、これだけ情報があればモヤモヤも解決したと言えよう。

 強いて理由があるのなら、それはオリオン──いいや、彼の中で目覚めぬまま潜んだ前世界の"彼"だけが明確に知るところではないだろうか。


「いつだって女神ってのは移り気で気まぐれだかんな」

「それって私が浮気性って言いたいわけ?」

「ちっげーよ! なに勘違いしてんだバカ!」

「あれ? そうよね……なに言ってるんだろ、私ったら」


 頬を赤く染めながら照れた一颯があはは~などと、声をあげて誤魔化し笑う姿を見つめてまさかなんて考えたりはしない。これ以上厄介な面倒ごとを発見したら命がいくつあっても足りる気がしないからだ。

 なにはともあれ月花礼装に関してはそれそのものの謎も未だ多く、戦場に立たない清き女神が何故戦装束など所有しているのか根本的な部分はユーサスの知識を以てしても不明である。


「さて、アクスヴェインと殺り合うわけだけど、イブキにはやってもらいたいことあんだ」

「なに?」

「それはな……」


 こそこそ、とひそひそ話を始めたオリオンから聞いた"やってもらいたいこと"は────。


「……なっ、なな、なにを──────ッ!?」





 扉の奥には甘い香りが漂っていた。

 もたらす香炉ではなく、部屋を埋め尽くすほど咲き乱れた花から溢れたもの。空気を満たす吐き気がするほどの妖気は扉の隙間を潜り抜けて、嫌な意味で鼻腔をくすぐる。

 二人で体重を押し付けるように重い扉を開き、むわりと広がった臭いに鼻をつまみながら床を踏み締め内部に侵入を果たす。

 ガラスケースの奥には腐臭のしない死体。

 その前で待ち構える黒い眼光が二人の姿を見捉える。


「……シャムシエラは仕損じたようだな」

「あぁ、殺したぜ。これで残るはてめえ一人だ」


 アクスヴェイン・フォーリス──すべての元凶はすぐ目の前で余裕を崩さない。

 異形・融合体という宵世界の種族間の均衡を崩し、三つの国に影響力を及ぼした咎人が得たかったのは神々すら度しがたいと鉄槌を下しかねない死者の蘇生。

 世界への奉仕のためでなく、むしろ世界など壊れても構わないとたった一人に向けた愛情を示す身勝手な野望。

 利用された者が大勢いて、失われた命も取り返しのつかない出来事も多かった。

 今この瞬間を以て、アクスヴェインにはその命で罪を償ってもらう──刻限まで、もうあまり残されてはいない。


「話をする余裕は俺にはねえ。さぁ、最終決戦だ」


 "外装解除"。

 聖剣・エクスカリバーは光輝く白金の衣を脱ぎ捨てる。

 薄紅を揺らす星の瞬きの出現を見て、険しい顔に笑みを浮かべた男は指を鳴らし鎖に繋がれた己が描きし理想の失敗作たちを解き放った。


「よかろう。では死ぬがいい」


 一斉に飛びかかった無貌の怪物は人間の悲鳴に似た獣の叫びを上げ、オリオンと一颯に襲いかかる。

 ────が、ただの融合体が彼らの敵になるはずもない。

 魔術師の杖の先端できらきらと光を発する宝珠から音もなく出現した防壁は勢いよく突っ込んできた四匹の獣を押し潰すように一気に広がり、出鼻を挫かれ貼り付いた怪物に向かって暗がりを跳ぶ閃光が駆け巡る。

 一瞬にして二体が胴で真っ二つになった、この事実を当然の結果としてなんなく受け止めたアクスヴェインはまだ余裕が見え見えで腹立たしい。

 ばうばう、と犬の鳴き声らしき叫びには容赦なく炎熱と氷塊を叩き込む。

 最初はなんだなんだと苦戦したが、魔力を全解放したエクスカリバーの前には何者も敵じゃないかもしれない。

 自信ありげに残る二体を消し炭に変え、強化した視力が見た予備と思わしき待機状態で待ち構えている闇の中の数体に突撃し、殲滅する。

 剣と魔法に呼び起こされる風と香りは粉塵を巻き上げ、厳かな花の空間を血塗られた戦場へと変えていく。

 人としてでなく怪異として終わらせることには未だに抵抗があるが、死なない苦しみよりかは幾分かマシだろうと自分勝手ではあるけれど決着をつけられた。

 それでも彼らのような被害者を出させないのが一番だ。今すぐにでもアクスヴェインの首を刈り取って勝鬨を上げてみせよう。


「フン……やるではないか。聖剣は伊達ではない、と」

「まぁな。なんならてめえの首もコイツで斬り落としてやろうか」

「騎士ならば誉れとするところだが、生憎私は政治家だ。そして、貴様程度の夢魔が触れるなどと御託を並べてくれるな」

「そうかよ。じゃあ首は落とさねえ、()()()()()()()()()()()()()()()


 オリオンの思いがけない一言で男は僅かに顔をしかめた。

 ブッ飛ばす、なるほど。黒夜流星(シュヴァルツステラ)で今ここからこの部屋を一掃するなら確かに可能だろう。それだけの火力も限定開花(レミニセンス)の力には備わっているし、オリオンだってやると決めたら絶対に実行するような問題児だ。

 しかし、問題がひとつある。


「貴様の身体はその限定開花の発動に耐えられるのか?」


 オリオンは限定開花を実行する毎に命を削られる。次はもう限界を越えてしまうことになると言われていた。

 本人だって「一回はやれる」なんて豪快なことを宣いながらも自分の体について一番理解があり、近くにあった死を感じている。外装状態の黒夜流星があの高威力で彼を押し潰してしまうのに、エクスカリバーという真の姿で放たれる輝きは術者の生命すら光に呑み込んでしまうのではないか。

 唯一の恐れはそれだけだ。死ぬ可能性は高い上、アクスヴェインを確実に殺せなければ一颯も死ぬ。そんなのはハイリスクにもほどがある。

 だから彼は最初に選んだ。

 自分が限定開花をしない方法を、この屋敷にある融合体の痕跡を誰の手にも触れさせぬよう元凶と共に焼き払う術を。

 そして────答えはすぐそこにあった。


「おう、そうだ。でもな、俺が屋敷(ココ)をブッ飛ばすなんて言っちゃいねえ──ッ!!」


 こ、こ、と屋敷の巨大な時計が新たな時間を告げる。

 鳴り響く鐘の音はまるで終末の訪れを告げるように高らかに歌い、真昼の青空を紅くて蒼い血流が流れゆく────。


「我が纏いし、楽園の主が命ずッ!!」


 一颯の詠唱はアクスヴェインに届いたか、男以外を包み込んだ何重にも重なり合った淡い赤の花弁らしき防護魔法はなにから身を守るために使用されたのか。

 彼はその直後、思い知ることとなった。

 空から落ちる────()()()をまだ知らないまま。


「……ッ、一体なん──────」


 世界を覆ったのは赤い光。

 全てが見えなくなるほど目映く、石を、花を、肉を融かして爆風が吹き荒れる。

 なにもかもが霧散するかのように彼の野望は消え、崩れ落ちる前に、


 ──時計はまた動き出した。



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