1-39 星瞬きて
「それは、一体なんだ……?」
「聖剣・エクスカリバー、それくらい魔剣を使うなら分かるだろ」
「そうではなく貴様の方だ。魔力量が桁違いに跳ね上がっている。……しかもこれはあの男の、ユーサスの──」
シャムシエラにとって、19年の時を経て再会した忌むべき我が子は強く、それでいながら弱い剣士だった。実力こそあれど普通に戦えば彼女の敵にはならない。
実際、初戦は完勝。二戦目現在も命を奪う寸前まで、いいやこうして起き上がってくるまでは殺せたものだと確信を持っていただろう。
しかし目の前でいまだ健在のオリオンは、戦士として20年以上戦いに明け暮れた彼女の想像を遥かに上回る力を秘めていた。
よもやあの憎らしい夢魔ユーサスの魔力を体内に残し、かつ瀕死の状態から自動回復する術を持っていたなんて想定外以上に腹立たしいことこの上ない。後者は隠して当然とはいえ、前者は千を越える年月を生きた異形の生命力だ。どうやって隠していたのかが彼女には分からなかった。
「ふざけるな……ッ」
「全くだ。俺もアンタとおんなじ、なんだってアイツのせいでこんなに人生めちゃくちゃにされなきゃならないんだってな」
「黙れ!!」
黒鉄の巨剣が太陽光を吸って燃え滾り、眼前の様変わりを遂げた紅い剣とぶつかり合う。重なった火花が魔法に変わり拡散する灼熱がオリオンを襲いかかるも真の名を取り戻した聖剣の護りが直撃を許さない。
大衆の願いによって魔を退き安寧と平和をもたらすことを約束された聖剣・エクスカリバーには生き血を啜る悪しき魔剣など無力に等しい。
シャムシエラが対異血脈でオリオンの魔法を無効化するのと同じように、彼は聖剣の守護を得てアロンダイトを触媒として発せられるあらゆる魔法から身を守っているのだ。これにより彼女だけが持っていた優位性は実質なくなったも同然、お互いに守り合いながら本気で戦う条件が揃った。
としても、それが分かった程度で実力差は埋まらない。
いくら聖剣クラスの守りと言えど限定開花の連撃には多少堪えるだろう──そう踏んだシャムシエラの次なる行動は速かった。
無意味なつばぜり合いなどすぐにやめ、すぐさま適切な距離を作り上げて魔力を練り上げる。真昼に差し掛かる太陽の日差しを悉く闇に沈め、妖艶な紫の霧が魔剣の周囲を取り囲む。
「今度こそ────!!」
"開始"。
詠唱が始まった。
あとは時間と何度オリオンを斬るかの問題。
これで三度目だ、痛覚を和らげたところで傷が癒えたわけじゃない。もうすぐ体が限界を迎えるはずだ。
分かっている。
矛盾消失の詠唱が聞こえた時点で彼はそう小さく声を上げ、剣を振り上げたシャムシエラになんの躊躇いもなく真っ直ぐ突っ込んでいく。剣を下段に構え、防御の姿勢も取らずにだ。
「矛盾消失、斬られなかったヤツを斬る逆転の魔法。……はじめからこうすりゃよかったんだ」
「な、ッ!?」
振り下ろされた魔剣の斬撃は剣を握っていないオリオンの左手に吸い込まれていき、ピタリとそこで止められた。もちろん受け止めた部分は血が噴き出し、食い込むごとに痛みが伴う。
だがこれが覇光魔剣・矛盾消失の決定的な弱点。時すら越える必中の一撃と称されるがそれは結局事が全て終わった後に起きることで、発動自体も現在攻撃を受けなかった場合に限られる。
なら、攻撃を受ければいい。
どんな形でもいい。斬られて、斬られて、斬られて、生き残りさえすれば矛盾は発生しない。
更にはこうしてシャムシエラはアロンダイトに力があるからこそ驕っている。己の魔法が最強の限定開花と信じているから、攻略の糸口を見つけられればまず動揺を隠せない──今のように。
「おのれ貴様ッ!」
「やっぱ後から来るよりは痛くねえなッ……んじゃあ、反撃だッオラァッ!!」
握った剣を引き寄せ、「あっ」と声を出した女の姿勢を崩す。
前に倒したシャムシエラに一発拳を見舞い、同時に剣を放せば体は軽く彼方に飛んでいく。オリオンはそれをしっかりと目で捉え、空中ですぐ立て直して睨み付ける無敗の剣士に斬りかかった。
両者五分の五分。力量の差は歴然だったはずなのに彼は彼女に追い付いている。
何故。今の彼は強さに紐付く戦う理由が読み取れない。
「馬鹿な……私が、押されている……!?」
月見一颯を守れなかった彼がもう一度守るために剣を振るった。そこまでは分かる。
ところが彼女は皮肉にも彼を庇って死んでしまった。ならもう戦う理由なんてないではないか、弔い合戦なんて生産性のない行いはオリオンだって意味がないと知っている。
剣士ならば終わったことを気にかける暇はないだろうに、それでも彼は止まらない。シャムシエラに挑み戦い続けている。
あえて言おう、何故だ。彼女には一切が不明なまま、真なる聖剣に圧倒されその気迫にすら圧されつつある。不利なのは剣を振るい突き叩きつける度に傷を負っているオリオンの方なのに、どうして────。
「あの少女はもう──!!」
ついに言葉として表したそれに彼は顔色を変えたりはしない。
むしろ彼女の焦燥をすぐに感じ取ったらしく、緩く口角を上げて一颯の方を向きながらこう言った。
「死んでねえよ、ちゃんと生きてる」
「なに…………?」
ぴたりと動きを止めたシャムシエラは恐る恐る一颯を見る。
────元はといえば、シャムシエラは一颯を守ろうとした側だった。それは夢魔という過去に己を傷つけた者達から少女を保護する目的で、オリオンとの今の戦いが終われば彼女を必ず元の世界に送り届けようと誓いを立てていた。
だと言うのに、彼女はオリオンを庇ったのだ。拘束魔法から自力で抜け出して彼を襲う凶刃に身を差し出した。
守るべき少女を自分の手で殺してしまった、その事実に錯乱したシャムシエラは本当に彼女が死んだかなど確認してはいない。ただアロンダイトの一撃に体を切り裂かれては生きていないだろうという経験から来る推測が勝手に納得させていただけだ。
「……シャムシエラさん……」
その証拠に────月見一颯はすでに目を覚まし、この戦いを見守っていた。
「あ、……あぁ…………そういう、ことか……」
誰が治癒したかは関係ない。ただ月見一颯は生きている。傷もなく、五体無事で彼の無事を祈っている。
霧が晴れるように全てが解った。
ユーサスの魔力を覆っていたのはオリオンが身体に宿す対異血脈。
彼は死の直前にその全てを愛しい我が子に分け与えたのだろう。しかし時間が経つにつれ"人間"の側面が強く顕れた彼の中には対異血脈の魔を消し去る力が働き、夢魔の本能と純血の夢魔であるユーサスの魔力を密閉してしまった。それがシャムシエラの一撃で霊体が干渉できる位置にまで死に近づいた結果、ユーサスによって箱が開かれ魔力が解放された。
そして聖剣の加護が彼を復活させ、もう一度立ち上がれるだけの気力を与え、最後は──月見一颯の生存が彼の背中を押したのだ。
どうやって生死を知ったかは、それこそ彼らが言うところの"互いを信じている"から、だろうか。
「俺はイブキがいる限り何度だって立ち上がる。アイツが生きてほしいって言うなら、死んだりするもんかよ」
────"全く憎らしい"。
「そうか。……だが、分かっているな? 貴様はすでに死んでいるも同然。決定打を受ければどうなるか」
「死ぬかもな」
「よく理解している。ならば、構えろ剣士。私とてこの刃で多くを刈り取り、その道を歩んだ貴様と同じ守る者。貴様が彼女を守るというなら私も少女を悪鬼の手から救うため、決着の血を華々しく咲かせてみせよう」
シャムシエラから向けられた切っ先に迷いはない。
黒い刀身は日光で煌々と照り、眩しさに目が眩みそうになった。
女は決着をつけるつもりだ。完璧に、完全な終わりを、もう二度と立ち上がる気力がなくなるほど絶対的な一撃を食らわせんと視線がオリオンを射抜いている。
確かにオリオンは不利だ。シャムシエラも負傷はちらほら見えるが彼は一度致命的な一発をもらっているし、左目も見えていない。
だとしても、戦士の決闘に決着がないなんて事態はありえない。
次で決めると言ったなら必ず全力を以て殺しにかかり、相手もそれを迎え撃つ。
「行くぞ────」
「────来い!!」
瞬間、音速が駆けた。
光が走り、迸る。
吹き荒ぶ風は空から舞い込んだものじゃない、すべて剣撃の余波である。
魔法はすでに意味がない。限定開花の詠唱も時間切れで不可視魔力は消え去った。ここからは互いの剣の技が、想いの強さが勝敗を分ける。
風を切る魔剣が頭上をすり抜けていく。再びバランスを崩さんと足をかければ今度はその足を踏まれ、回避の範囲が狭まったところに刃が降った。
なんとか頭を横に向けて回避を図るもギリギリ巻き込まれた髪の毛が音もなく彼から離れた。
土に埋もれた魔剣を引きずり出す一瞬の間に拘束を抜け、バク転で距離を取りながら聖剣を投げ飛ばせば虚を衝かれたシャムシエラは目を剥いて防御の構えで到来を迎えたが、そこが大きな隙だ。
持ちうる全てを強化して戦場を駆け抜けるオリオンは聖剣が弾き返された時にはもう彼女の懐に入り込み、先ほどのように腹に拳を見舞う。
呼吸を止められる衝撃に噎せる女はそれでも止まらずに剣を打ち込んだ。なるべく速く、頭に最速で届かせるが、これもかわされる。
────止まれば死ぬ。
溜まった唾を飲み込む暇も与えられず、ただひたすらに剣光を束ねてぶつける戦い。
シャムシエラはその激しさの前に、いつしか私情など忘れていた。夢魔を嫌って殺そうとする自分ではなく、研鑽した剣の腕を競い合いなにかのために戦ってきた過去の自分を懐かしむように闘争に浸る。
20年前敵う者はいなかった。シャムシエラが戦場に出れば勇気ある兵士は誰もが降伏し、蛮勇を掲げて斬りかかってきた連中は一人残らず相手にならない雑魚ばかり。
だから今は、楽しかった。
斬り、斬られ、せめぎ合う白と黒の極光が大地を削いで闘志を燃やす。
″お前にだけは負けない″という瞳に宿した意志が襲い来る高揚感に魂が震え、惜しんだ最後の時が訪れた。
「私は、必ず勝つ──!」
「負けるか────ッ!!」
その時、白金色の剣が美しく瞬いた。
シャムシエラの目にゆっくりと入ってきた柔らかで強い輝きは──まるで夜空を貫く一等星のようだ。
「………………」
風が吹く。
黒き剣が魔力に消えて、サッと血の気が引くのを彼女は感じただろう。
足元から崩れかけた身体を支えるのはオリオンが突き刺した聖剣。王の剣は見事に女剣士の急所を貫き、血に染まっていた。
「…………ねぇ……」
シャムシエラは青空を見て過去の自分に笑いかける。
まさか最初で最後の好敵手が──あの日殺さなかった自分の息子で、その成長を喜ぶ日が来るなんて想像さえしないだろう? と。
「俺の勝ちだ、シャムシエラ」
「あぁ────お前、の……勝ちだ」
彼はなんの慈悲もなく剣を引き抜いた。
肉の絡み付く嫌な音が静寂の中に取り残され、血を吐き出して力なく倒れた女はゆらりと視界を揺らし、見下ろすオリオンを見る。
格上に勝ったくせに勝ち誇らないなんて憎たらしくて薄汚い、やっぱりお前は浅ましく心ない異形だ──心はそんな風に彼を嘲りながらも違う感情が渦巻いていた。
「つよい、剣士……だった。……わたし、の……子供な、わけだな……」
「……」
「ふふ……だんまり、か」
一応実の母親たる彼女を殺めたことが複雑なのか、オリオンは黙り込む。それとも、死に際にかける言葉なんぞ初めから考えていなかったのかもしれない。
彼に代わって声をかけたのは後からゆっくりと依ってきた一颯だった。
本当に人の死になれていない表情でシャムシエラの傍に座った彼女は、一度ならず二度も殺されかけたのに恨みや妬みを見せることはなくただ彼女の返答を待っている。
「あなたは……優しい…………やさし、すぎる」
「そんなことありません。できれば貴方は、オリオンのお母さんとして生きててほしかった」
「は……そんな、そんなこと……できる、わけがない」
オリオンを見守り、手を繋ぎ、言葉を教えなかったシャムシエラが母親になる権利などとうの昔に失われた。
元々愛情などなかったのだから仕方がない。
「ですが……あなたは、どう、ですか……?」
「私は…………」
「もし、も、彼を愛する、なら……貫きなさい。わたし、には……それしか、言えません……」
かつて愛した人がいて、愛することができなかった。我が子を抱き締めて一度は踏み留まり、その小さな手で涙を拭いたこともあった。
人並みに人を愛して人生を歩んできたが、最期の時までシャムシエラは独り。
呪わずにはいられない。無論、それはオリオンではなくユーサスを、だ。
だから問おう。
「……剣士、おまえは────どうする?」
薄い白が世界を覆う。
「────俺は、イブキを守る」
最期に声が響いた。
「……そうか──なら、きっと──────」
女は安らかに眠りに解ける。
紡がれた言葉は最後まで語られることなく、呟くような小さな音になって自然にかき消されていく。
シャムシエラ・フィオレ・エレリシャス、人生を狂わされた哀しき女の旅はようやく終わりを告げた。
*シャムシエラ・フィオレ・エレリシャス
カエルレウム連合公国の御三家"エレリシャス家"の長女にして20年前に敵無しと言われた常勝剣士。
男性的でプライドが高く、同士や庇護の対象以外にはかなり高圧的。一方で"女性"特有の在り方を強く意識しているため、すでに女として死んでいる自分がコンプレックスになっている。
かつて夢魔に人生を壊され、怒り狂ったままその夢魔を追ったが殺すことは叶わず、いつかの再来を待っていたところに現れたアクスヴェインと手を組み決して表には出ない裏の部分で暗躍した。妹の息子であるレオンを気に入っていたらしい。
*魔剣・アロンダイト
またの名を「純剣・オートクレール」。
円卓の騎士・ランスロットが振るったとされる妖精が生み出しし絶世の剣だが、ガウェインの弟を始めとする数々の騎士たちを屠ったことで魔剣へと変容してしまった。
宵世界においてはシャムシエラが振るい、黒い片刃の大剣に改造されている。
*覇光魔剣・矛盾消失
外装を解き放ったアロンダイトが放つ真の限定開花。
一度斬った相手に対し発動し、「開始」と唱えてから「完了」と唱えるまでに斬れなかった対象を切り裂く時操作系逆転魔法。
対象が斬れなかったという"矛盾"を時間の中に作り出し、時間を遡って斬れないという結果を逆転させて必ず攻撃を当てる。ただし攻撃箇所は完全にランダム、斬ってしまった場合矛盾は発生しないなど弱点も存在する。
本来のアロンダイトは精霊が遣わせた聖剣で限定開花も全く異なるものだったが、魔剣へと反転したためにこのような魔法が発現した。