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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 宵世界編
51/133

間章.4 君を想う/貴方を愛する



 ────暗い闇に落とされた。

 この身を浸すものは死の海で、沈みきればもう元の場所に帰ることはできないと解っているのに、浮上する可能性を考えようにも思考はままならず意識が解けていく。

 漆黒が空を覆う。すでに太陽の陽射しは見えない。夜をささやかに照らす月の輝きなんて以ての外だ。

 もがくための両手は力尽きて動かない。両足も重りが付けられているみたいに沈んでしまう。

 ──あぁ、消える。

 すべて終わった。

 守るべき人を失い、怒りに触れた女を殺すことさえできなかった。

 強さを研鑽してきたのはなんのためだったっけ。結局意味なんてなかったんじゃないかと思い始めたら抗う気力もなくなりそうになる。

 握り締めた星の剣はもうここにはない。煌めく白金色はいつの間にか手元を離れていた。

 ……そうだ。もう戦う術がないなら、立つ必要もないはず。

 終わりを見る──剣を手放した今しかない。

 もう楽になってしまおう。

 瞼を閉じるだけでいい。沈めばあとはそれで、緩やかに事が終わる。


「──────、────」


 ──────声がした。

 知らない誰かの声。耳に残って、どうしても取り除けない違和感のような。

 静かに射した光明がその僅かな輝きで照らし出す。鮮やかで、暖かで、どこか──忘れてしまった気がする何者かの像がぼやけながらだんだんと瞼の裏にくっきりと刻まれていき────。


「────、────────」


 手を取られ引き上げられたかのように、目が醒めた。





 男は森を駆け抜ける。

 なにかを両手いっぱいに抱え、息を切らしているが、追われているのか随分と汗をかいているのに止まる気配はない。

 この光景を見ていることしかできない"俺"は何故か体という概念が存在しないらしく、あらゆる角度から世界を映すカメラの映像を見るような感覚で走る男の姿を鮮明に捉えていた。

 それと何故かは分からないが、顔はよく見えていないのに、靡く新雪の髪を揺らす彼を生理的に受け付けられない気がするのは──多分、気のせいじゃない。

 走り続ける男を眺めるだけのつまらない時間。早く終わらないかと頬を突いて見つめる子供みたいにそう思う。

 "いっそ止まってしまえ"。

 本能が嫌うからと理由を付けて、向こう側の事情なんて知らずに勝手なことを言う。

 だって当然だ。知らない誰かの夢を見せられて、死を遠ざけられ、もう眠りたかった。なにもかも忘れたかったのにここに来て何故また新たな"なにか"を見せようとする何者かが憎たらしくて仕方がないのは決まっている。

 産みの親から産まれなければ、と言われたこの命。早々に白命の主に還してしまいたい。

 言葉が次々に浮かんで消えて、──気がつくと男はどこかで見たことのある大きな湖の畔に立っていた。

 大事そうに抱き抱えていた白い布にくるまれている"なにか"が動き出し、音が森の木々に反響する。

 うるさくて甲高い、でも妙に耳馴染みがあるその感情を主張する泣き声がその"なにか"の声だと気付いた時、月影に隠されていた男の素顔が露になった。


「よかった────生きていて、くれたのだな」


 泣きわめく赤子を頭上に掲げた白髪の男は耳元を飾る羽根の意匠を揺らし、紫苑の花を彷彿とさせる瞳を輝かせながら涙を流していた。

 美しかった──と思う。

 月光という名のスポットライトに照らされながら、いとおしそうに小さな小さな赤子を抱き締めた彼は今この瞬間、現世に生きるすべての万物の何者にも勝るほど幻想的で綺麗だったと言っていい。

 自分は純然たる男であると自覚しているが一瞬魅了の呪いに触れたように彼の微笑みに顔が熱くなった。──きっと不明な高揚感にそれ以外の理由はないはずだ。


「もう逃げないのか?」


 次いで女の声がする。

 先程までよく聞いていた──シャムシエラ・フィオレ・エレリシャスのものだ。……少し声質は若いが。

 憎らしそうに男を見つめる彼女はあの恐るべき魔剣・アロンダイトを携えて対峙している。いつ斬りかかってもおかしくない緊迫した状況に見ているだけの部外者にさえ緊張が走った。


「シャムシエラ……」

「追い詰めたぞ、夢魔め。観念してもらおう」


 夢魔。

 その二文字ですべてを理解した。

 シャムシエラが追う者が夢魔で、ソイツが抱いている赤子がどこの誰なのか────。


 昔、″俺″の髪は白かった。

 厳密には色素を限界にまで薄めた青、に近い。それを何故かと問えば、楽園の魔術師は「夢魔の特徴さ」と父親の遺伝であると言った覚えがある。

 夢魔の髪は男女に関係なく、白くて長くてありえないほどすぐ伸びる。人間たちは根拠のない説をいくつも並べているが、実際はそこに清純で濃密な魔力を溜め込んでいるかららしい。

 年を重ねていくにつれて″俺″の髪はより色濃く変色していった。今は……自分で見ても母親に近いと断言できる。

 同じ混血で見知った二人にはなかった現象らしいが、そんなこと当時はよく分からなかった。


 ──と、自分が夢魔であるという特徴を並べて、白い産毛みたいな髪が生えた青目の赤子との共通項を見つけようとする。

 というか、あの子供は"俺"だ。間違いない。

 ではこの夢は一体どこのなんなのか。もう分かりきっている。

 ────過去。"俺"は19年前の過去に精霊の森で二人に起きたなんらかの出来事の夢を見ている。


「赤子を渡せ。そして跪き、首を差し出すがいい」

「断る。……いいや、百歩譲って私の首なら好きに持っていってくれて構わんが、この子は殺させはしない」

「私の腹から産まれたヤツをどうするかは私の自由だ。それとも、貴様が愛するとほざいた女の頼みも聞けぬというわけか。随分と独り善がりだな、ユーサスとやら」


 ユーサス。男の──父親の名は、ユーサス。

 シャムシエラは言う。

 "お前の身勝手が私の人生を狂わせた。愛するなどと綺麗事を並べたところで所詮貴様は薄汚い異形の怪、人の心なんて解らない"と。

 確かにそうだ。混血にも人間の感情については解らないことが多いのに、純血がしっかり理解できているとは考えにくい。

 完全に推測だが、恐らくユーサスは人間から見て学んだ程度の独善的な愛情で動いていた。ところがそこは夢魔。"女"という生き物を前に、本能が抑えきれなかったんだろう。結果的には本能と性質に逆らえず、産み出されたのが"俺"だった──といったところか。

 不思議と驚きや戸惑いはない。代わりに湧いたのはどうしようもないやるせなさ。

 "俺"はそこら辺を歩く顔のない誰かと違って、()()()()()()()()()()()()()()()()。無意味で無価値。愛されず、当たり前のように命は消費され、誰にも哀しまれずに死んでいく。

 死ぬ直前に見せたかったのは結局それか。

 お前の生に価値はないと嘲りその様を嗤いたかっただけなのか。


「私は私の本能に抗えなかった。だがこの愛は本物だ。君を永久に愛し、我が身を捧げるだけの覚悟があると誓おう。故にこの子を引き渡すことはできない」

「何故。愛を証明するなら本能の証たるソレは必要ないだろう?」

「この子に罪はない。君こそ、何故この子を殺さなかった? 私を探し出すためだと言うのなら直接的な要因にはならなかったはずだ」

「口を慎め、人外風情が。問答すらままならないとは最早死ぬしかないようだな」


 魔剣がバチバチと音を立てて紫色の光を纏う。

 先の戦闘で嫌と言うほど味わった限定開花の開始詠唱時と同じモーションに寒気がして、干渉できる身体もないのに思わず「逃げろ」と叫びそうになった。

 静かににじり寄るシャムシエラから視線を外さず、ユーサスも一歩一歩後ろの湖に向かって下がる。現状どこにも逃げ道はない。


「愚かな獣め、湖に飛び込んで心中か。私に殺されるくらいなら自害を選ぶとでも言いたげだな」

「違う。何度でも言おう、私はこの身を捧げると。君が抱いた小さな命だけはなんとしても守り抜くと」


 ユーサスはそのまま足を踏み外し、水飛沫を派手にあげて湖の底に消える。泣いていた小さな子供と一緒に、月の差さない仄暗い水底に深く深く沈みゆく。

 追いかけてきたシャムシエラもさすがに後先を考えず水の中に飛び込む勇気はなかったようで、湖面を睨み男を探す。


「待て……そうか、この湖は……ッ!!」


 そうだ。この湖にはこの頃、まだ"あるもの"が沈んでいたはず。

 かつて選定されし王が振るい、満天の夜空よりも目映く一点に輝くたったひとつの星の聖剣。国の滅亡と同時に湖へ返還され永遠に世界から失われたその剣は────。


 沈む男は暗がりの奥に手に伸ばす。

 月下に浸された万物の頂点に輝ける白金の光、魔を寄せ付けない聖なる遺物。

 "やめろ"。

 "それを取るな"。

 "俺"は彼の行動を止めたかった。理由なんてない。ただ、その行動が起因で起きてしまう未来の出来事がどこか頭に過って離れないから声を上げた。──届くわけもないのに。

 そして当然ながら異形であるユーサスが聖剣に触れることはできない。一瞬でも触れた指先は聖なる魔力に溶かされ灰と化す。

 しかし男は剣を取った。

 消え溶ける苦しみに耐え、握り締めた光輝を離さないとばかりに瞳をギラつかせて抱き締めた記憶にない頃の小さな命に差し出すと、光を湛える剣は集束し体内へと吸い込まれていく。

 ────"俺"は、どうやら最初から行く末が決まっていたらしい。

 この剣を抜いたのも、命を削られたのも、全部全部ユーサスがきっかけを作って無為に放棄した。

 男の顛末はそれから呆気なく判明した。

 "俺"を花の楽園の主たるマーリンに預け、邪悪として障壁に弾かれて死んだ。シャムシエラは彼を見つけられず、殺せなかった。


「──これが私の最期にして、君の始まりだ」


 なにが始まりだ。始まったかもしれないが、その結果終わりも見えてしまったじゃないか。

 全部、本当に全部────。


「全部お前のせいじゃねえか!! 今更こんなを見せつけやがって、なんなんだよ!!」


 いつの間にか実体として現れたユーサスを前に、気持ちだけで俺は叫んでいた。

 あの日の露草が生い茂る霧がかった灰色の湖の前で、水面に突き刺さった剣の前に立った男はムカつくほど顔色を変えない。憐れむような、申し訳なさげな顔で俺をじっと見つめてくる。

 謝りたいのかどうかを聞く気は更々ない。身体があって、目の前に気に食わないヤツがいるならぶん殴るのがいつもの俺だから、今日も同じように無遠慮に踏み込んで湖面に佇む忌々しい元凶に一発食らわせようと歩を進める。

 ……が、ユーサスは危険でも察知したかなにかで目の前から消えて、気付いたら俺の後ろでまた同じような顔をしていた。


「なんだよ……なにが言いたいんだよ。そんな顔で、俺に同情でもしようってのか」

「同情……それもまた形として私の中にあるが、私が伝えたいことは別にある」

「はぁ?」

「君は、本当に大きくなった」


 解らない。コイツがなにを伝えたくて魂だけの霊体になってまで現れたのかも、こんな──父親みたいな言葉をかけてくるのも。


「私は知っていた。シャムシエラが君を産み落とし、私を追い、殺そうとしていること。彼女が君を殺めようと手にかけたができなかったことを」

「なに言ってるんだ……!?」


 曰く、エレリシャスは夢魔を嫌い、疎んじる一族。両親から英才教育を受けたシャムシエラも例外なく同じように憎悪の対象としていた。

 それでも自分の腹から産まれた子の命をその場で奪うような真似は不思議と叶わず、ユーサスを殺す時同時に仕留めてしまえば気負うこともないだろうと女は生かして父親もとい、夢魔を探したらしい。

 彼は彼女を愛するが故にすべてを見て、聞いて、知っていた。

 そうして見守っている内に、なんの感情も興味も持っていなかった子供に対し父親であり同族であると強い庇護の心が芽生え──いつ死ぬか分からないようなシャムシエラの下から切り離して花の楽園という穏やかで安らかな世界に連れていった。

 魔を退く壁から護ろうと聖剣まで使って、未来を確定させて価値なき人生に変容させてまで。


「なら結局俺を無駄にしたのはシャムシエラじゃなくてお前だろ。アイツに殺されてたなら、それで何事もなく終わってたのに勝手にお前が先伸ばしにしただけじゃねえか」

「あぁ、その通りだ。私は君の人生を変えてしまった。勇者でなく、選定されし王でもなかった君を救国の剣士に仕立てあげた」


 男に悪びれる様子はない。ただずっとあの表情のまま淡々と語り続ける。


「だとしても──君や君へ抱いた心は偽りなきものだ。私や聖剣にはその感情を曲げることはできない。誰かを守り、戦うと選んだのは確かに君で、そんな君に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 生きてほしい──と、あぁ言った。

 彼女は、俺に願った。


 "負けてもいいから、死なないで。"


 それはできないと思った。

 "負け"は"死ぬ"と同義で、勝ちだけが生きるための術だとずっと思っていて、でも彼女の中では違う。

 どんな苦しさに躓いても生きて抜いて、大切な人ともう一度逢いたい──それが、あの世界に踏み出した月見一颯が祈った願いの根源。……"俺"が果たさなければならない願望。

 そして、今まで見てきた多くの人がきっと同じことを願っていた。

 傷を負って帰れば"おかえり"と言ってくれた人も、安堵したように笑ってくれた人も、無理をするなと叱ってくれた人も、みんながみんな同じように望んでいたかもしれない。


「君が選んで歩んだ道は、決して望まれてなかったものじゃない」


 父親を名乗る男に背を向けた。

 今はひたすら会いたくて、迷えば取り戻す時間がないとまで思った。

 水底を写す湖面は相変わらず透明で、足を踏み入れたと同時に緩やかな抵抗がやって来る。それも今は邪魔で、どうでもいい。

 進むしかない。停滞は死だ。

 誰かに望まれたというのなら、この生命を誰にも知られず終えることは自分自身が許さない。彼女と離れてしまうのが嫌だと小さな命が叫んでいる。


「剣を抜けば君はもう、本当に戻れない。君は近い将来に終わる」


 知っている。関係ない。

 中央で満ち輝く剣を掴み取る。流れ星が砕け散るように、内側に灯る熱が焼け尽きる感覚がする。

 だからといって、怖じ気付いて手を離したりはしない。

 ────手から伝わる聖なる魔力が教えてくれる。


 この剣は黒夜の流れ星。

 その真の名は──────()()()()()()()()()()──。


 かつて聖剣を引き抜いた静寂の湖。

 その静けさを切り裂くように、紅く燃える炎のごとき灯火は夜空を内包した星光を放つ。


「勘違いすんなよ。俺は、俺の信じたもののために戦う。お前がやったことは絶対許さない」


 朝焼けが月を、星を隠す。

 日差しに照らされるがまま男の姿は消えていく。


「それでいい。君は君がままに、想う人のために────」





 ────太陽が光を射す。

 見えなかった空は薄い膜に覆われ、女が呆然と立ち尽くしている姿は少し滑稽に写っている。


「貴様、なんだ……その魔力は……!?」


 言っていることが分からない。でも今は自分に起こっていることが信じられないほど鮮明に分かる。

 傷だらけだけど痛かった体はもう痛くない。自分のものじゃない魔力がパンクしそうになるくらい湧き出てくる。握った剣から放たれる"力"はかつての比にならないことも、今はよく分かっている。


「────()()()()──」


 剣を形どっていた白金の外側が取り払われ、黄金の星が瞬いた。

 限定開花──少し違う。本来あるべき形に戻すだけ、この剣がどんな風に振るわれどんな姿をしていたのかを思い出させているだけだ。

 つまり、これが聖剣の光。

 もう輝けぬと思っていた無類の煌めき。


「貴様ッ……!!」


 黒い魔剣が禍々しく揺れた。

 聖剣と魔剣、これもまた運命なら全霊で応えるだけだ。


「────俺はまだ終わってない。だから、全力を以てアンタを倒す!」



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