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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 宵世界編
50/133

1-38 魔剣士 2




「く、っそ……なんだ、っ……!」


 全身から溢れ出た血液がぽたぽたと緑色を汚す。最初は突然切り裂かれた複数箇所の傷口が悲鳴を上げたせいで凄まじい激痛に苦しんだが、数秒後には身体が慣れて痛みは麻痺してしまった。

 ────正体不明の限定開花(レミニセンス)にしてやられた。

 彼女が言った"矛盾を裂く"とはなんだ。"未来を変える"とは、どの現象を示しているのか。

 まずシャムシエラの挙動に不信な点はなく、なんらかの魔法の詠唱は口にしていたが、魔力が剣に収束し一気に拡散した後は受け止めている側からすれば今までの重いだけの一撃と大差はなかったと思う。むしろオリオンの目から見た一連の攻撃は回避行動を取りやすく、隙が多かったように感じられた。

 それくらい。本当にそれくらいで、シャムシエラはおかしな行動は微塵も取っていない。

 拡散した魔力を不可視の刃に変えて回避のため移動していた彼が気付かない間に接触していた……にしてはなにも感じなかったのは不自然だ。感知能力だけは優秀なオリオンに見えないだけの斬撃が察知できないわけがない。


「何度も言わせるな。これが覇光魔剣の限定開花だ。貴様が今まで振るってきた()()()()とは比べ物にならんだろう?」


 魔剣・アロンダイトの限定開花──覇光魔剣(アロンダイト)矛盾消失(パラドクスロスト)はその名の通り、矛盾を消し去る逆転の性質を持っている。

 逆転魔法と呼ばれる因果を狂わせる秘術、そして時間を操る時操作魔法が組み合わさった複合型魔法は、己に不都合な"矛盾"を斬り、結末を()()()改竄するのだ。

 今であればそう──オリオンが攻撃をかわし、防御したという事実を"矛盾"と定義した。

 限定開花が発動した瞬間、つまり"開始"してから"完了"するまでの間に振り下ろされた一撃一撃が時間を遡って彼を斬り、結末が"逆転"したことで"斬れなかったから無傷"という矛盾を消し去ったということになる。

 拡散した魔力はその範囲にいる彼を矛盾の中に引きずり込むためのもの。アロンダイトの魔力が残る空間にいる限り、限定開花を真の意味で回避または防御する術はない。

 難しく考えずとも、この絶技をただ一言で表すなら当てなくてもいい必殺技、が的確で分かりやすいだろう。どうせ回避されようが防御されようが無効化されようが、()()()()()()()()()()()()()()()()()


「条件として、アロンダイトが一度斬った相手に限るが……覚えているか」

「──最初の、一発か」


 思い返せば初戦の初撃。当時は巨大な剣としか認知していなかったアロンダイトのカウンター攻撃を食らったのはしっかり覚えていた。

 しかもその理屈に沿うなら一颯も範囲内に収まっているはず。今のところ彼女に目もくれていないが、逃げようとすればオリオン共々限定開花で一網打尽にされる。実質上の人質だ。


「では立つがいい。いくら異形とはいえ、闘志ある者を一方的に嬲り殺すのは性に合わん」


 剣を持ち直し、うずくまる彼に切っ先を向けたシャムシエラは表情に記された余裕の文字を嫌というほど見せつけてくる。

 動けばまたギシリと軋む全身をたかが一回やられた程度と奮い立たせ、口角をつり上げ目尻を下げる女を睨み付けた。

 確かに深く皮膚に刻まれた傷からは血がダラダラと出続けているが、いいやまだやれる。なにせ四ヶ所も斬られているのに奇跡的に致命傷は受けていないから。

 これはもうアロンダイトの欠点と言ってよい気がする──矛盾消失は対象を選べても攻撃する箇所は選べない、という。それが分かったくらいで状況をなんとかなるわけではないが、回る運命のルーレットに決められているなら仕方がないと自分を納得させられる。

 少なくとも目の前の女の計算ずくでないと判った分、苛立ち焦る心を押さえ付けることができた。


「うるせえ、なぁッ……誰が、殺されてやるかっつの……!!」

「威勢は良い。だが、それだけではただの蛮勇だ。無謀では勝ちも命も奪えないと知るがいいッ」

「ぐッ!?」


 震える身体が立ち上がりきる前にシャムシエラの長い足が炸裂した。

 胃袋がひっくり返りそうなほど強い衝撃がのし掛かり、吹っ飛ばされた先で横たわった草原のザラザラとした肌触りにこのまま眠っていたくなる心地よさを感じる。

 ぼやける意識を掴み取るように剣を握り締め、しっかりと目を見開いて目標を補足しもう一度立ち上がれば、シャムシエラはすでに剣を掲げ追撃の詠唱を開始していた。

 これ以上させるわけにはいかない。


矛盾消失(パラドクスロスト)開始(Anfang)────!!」


 漆黒を染める夜羽の輝きが彼女が忌む邪悪を抉り落とすため、渦巻いた紫色は彼の視界から太陽の光を覆う。

 先程とは桁違いなほど濃密な魔力量に思わず身を退きそうになるが、中庭全体を限定開花の支配圏にされては最早逃げ道など存在しない。

 ならいっそ発動前に彼女を叩く。

 術者を殺せば最後の言葉を紡ぐ者もいなくなるし、ギリギリ叫ばれてしまっても次に同じことはもう起きない。

 焼けるように痛む腹に力を込めた。

 まだシキの強化は活きている。走り出せばそう、いつもとは比べ物にならない加速が全身を風に変え、瞬きのごとく世界を疾走できる。

 一方、待ち構える女の笑みは止まない。彼女は即死級の致命的な一撃を回避し、なにもない空間をを斬るモーションだけしていればオリオンに甚大なダメージを与えられるからだ。故に心の余裕の差は大きい。

 ガチリと噛み合う歯車みたいにぶつかった剣から弾けた火花が散り、消える。


「軽いな」

「黙れよ、クソッタレ!!」


 オリオンの身長にも勝る巨大な剣と重さで勝とうとは思わない。身に纏った魔力を可視化させて弾き返し、女が怯んで目が閉じた一瞬の隙を見逃さずに追撃を繰り出す。

 しかし対異血脈をその全身に通わせる彼女にどこまで効くかと聞かれれば微々たる程度。

 白金色の剣先に紅い閃光を纏わせ文字通り光の速さで鋼を射ち抜く。

 剣を弾かれ無防備に両手を広げていたシャムシエラも瞼の奥に魔力に満ちた白刃の光が届いた途端に目を見開き、淡紫に浸された黒曜石の剣で迎え撃つ。

 間もなく目映く輝いた金属がぶつかった。

 肉じゃないものに当たったせいで対象を見失った両者の魔力が混ざり合って暴発し、草と土を巻き上げながら彼らの視界を遮って姿を掻き消す。

 力比べならなんとか五分五分に持ち込めているが、魔剣士の攻撃回数が増せば増すほどオリオンに反るダメージも増えていく。現在(いま)最も望まれるのは早期決着だ。

 手の甲に溢れた粒のような汗がうっとおしい。拭おうと額に擦り付ければなんだか蒸れて悪循環に陥ってしまう。

 煙の晴れた先では今か今かと振りかぶられたアロンダイトの刃が頭から遥かに高い位置に視認できた。


「──終わりだ」


 "いいや、こんなんじゃ終わらない"。

 ニヤリと笑ったオリオンの反面、女の笑みは瞬間消え失せた。


「速い!」


 嬉々とした一颯の声がオリオンの耳にもよく聞こえる。思わず振り返ってドヤ顔したいほどに。

 そう、彼は剣が振り下ろされる直前、()()()()()()()()()()()()


「な、んッ────ぐぁ!!」


 今までよりテンポ早く懐に潜り込んだことでシャムシエラの振りより先にオリオンの肘が腹部を貫いた。

 逆流した胃液を吐き出して後方に飛んでいった女を追撃するなら簡単な話だ。

これでようやくまともに戦えたと言えるかもしれない。安心感からか肩が軽くなった気がした。

 一旦口に溜まった血を吐き出して、再び下段に構えた剣を固く握り、風よりも速く重力に掴まれた女の身体を追い掛け疾駆する────!!


「食らえ、シャムシエラッ!!」

「ッ────」


 その時、確かに肉を裂く血生臭く柔らかな感触が刃を通じて柄を握った手に伝わった。

 胸当てで隠された母性を感じさせる胸部から斜めにざっくりと斬り裂かれた彼女は悲鳴を噛み殺して倒れ、アロンダイトが手元から離れていく。

 音を立てて突き刺さった魔剣がすぐには持ち直せない位置に落ちたのを確認し、息を整える。シャムシエラだって人間なのだからすぐには起き上がれないはずだ。

 安心はできないが今はいつでも首を落とせるオリオンが優位に立っている。

 一颯の声がまだ聞こえているが、とりあえず彼女の相手は後。気を取られている間に復活されてはせっかくのチャンスも無駄になってしまう。

 濡れた黒夜の剣から真っ赤な血液を振るい落とし、着地地点から走ってシャムシエラに近づいて、


「────完、了(radie ren)──」


 最後に、小さく漏れるその声を聞いた。





 千切れ飛ぶように血肉が噴き出す。

 何度剣を打ち合ったかなんて覚えていない。だからこそか、その反動は致命傷だなんて生ぬるい死へのジェットコースターにすら乗せてもらえないのにも拘わらず全身に及ぶ凄惨なものだった。

 捨てられたぼろ切れの人形みたく、投げ出された四肢に力が入らない。震えた喉からはひゅーひゅーと呼吸音が出てくるだけ、声は出てこない。


「……なん、で、……?」


 一颯の疑問は尤もだ。

 限定開花発動中だったアロンダイトからは手が離れ、恐らく一時的とはいえシャムシエラも詠唱に魔力を乗せるだけの気力はなかったはず。


「魔剣、は……矛盾が在れば、対象を捉えることができる。……私はただ、言葉というトリガーを……引くだけでいい」


 左肩を押さえてゆらゆらと髪を靡かせ立った女は冷静にその事実を述べ、遠くにある魔剣を引き抜いてふらふら歩みを進める。

 そしてオリオンの傍までやって来て静かに息を吸い、血走った眼を見開いて伏した彼に剣を突き立てた。


「──よくも、この私を辱しめたなッ!! 薄汚い夢魔の分際で二度も私の身体を穢したなッ!! あの男と同じ手でッ!! よくもォッ!!」


 シャムシエラは甲高い悲鳴を上げながら叫び散らす。

 ぐっちゃぐっちゃ音を立てて肉を刻み斬り払われてブチブチと切られて散乱したあの長い髪が雑ざる混沌とした状況に、一颯も声を出す余地がない。

 憎しみに支配された女の憎悪が空の青さを染めて露になる。さっきまでの高潔な剣士としての顔は仮面だったのか、錯乱した素顔は容赦なく身動ぎもしない無抵抗な小さい彼を殺そうと暴れ狂う。


「お前のせいだッ! 全てはお前が産まれてきたからこんなことになったんだぞッ!! 私は、私は────!!」

「もう、やめてくださ……!?」


 見ていられなくなった一颯の駆け出しそうとした足はシャムシエラの手から発せられたなんらかの拘束魔法によって、まるで縫い付けられたかのように動かなくなり、手を伸ばして前進しようにも叶わない。


「黙って見ていなさい……! これが死ぬことで私は……いえ貴方はもう苦しまなくて済むのですから」


 命令口調で威圧的に自分勝手な意見を伝えつつ、胸ぐらを掴み上げて座らせる。もう意識があるのか曖昧な彼の頬を軽く張り距離を置いた後、切っ先の切れ味を土で確認し始めた。

 これからなにをしようとしているか。

 どこを、どう斬るのか二人には分からない。分かるのは、起きることがどうしようもなくろくでもないことだけ────。


「腕は最後にしよう。まずは未だに私を見つめようとするその目からだ。──精々もがけ、死ぬなよ」


 ぐ、と大振りな刃が押し込まれる。

 切れ始めた白目が赤く滲み、なにもないところからじわりじわりと拡がっていく内側の痛みに脳が醒めていく。

 口が開いたと同時に切り上げられた顔面から血が飛び散り、煌めく剣の先にうっすらと赤い染みが付いているのが、見えて。


「──あ、ぁ、ああああ────!??」


 無理矢理覚醒させられた瞬間から地獄のような苦しみに言葉にできない声を上げ、背中を丸めて左目を押さえるしかない。

 過去、異形の片目を潰すことはあった。だが自分がやられたことなんて当然のようにない。見たこともない真っ白な世界が眼前に広がって、シャムシエラの顔なんてすでに見れたものではなくなった。

 いたい、いたいいたいいたいいたいいたい。

 本能的な叫びを上げる。

 くるしい、いたい、たすけて、いたい、だれか。

 一々介在する痛みの主張と早く楽になりたいというあってはならない願い。

 誰も助けてはくれない。むしろ自分は守り助ける側なのに、声を上げ続けている内にもうそれすら考えるのが辛くなる。

 "どうしてシャムシエラはこんなことをする?"

 だって、関係ないじゃないか。むしろ被害者だ。父親だという男に振り回され、自由意思があって産まれてきたわけじゃないのに理由を問われ、あまつさえ"自分のせい"にされて。

 どこまでも、意味が分からなかった。


「いつまでそう泣き叫ぶつもりだ!」

「がッ……は」

「大人しく顔を上げろ、そうすれば早く楽になれると学習するのだな」


 悪魔より悪魔らしく嗤う女がうずくまる腹を蹴り上げ、ブーツの先で顎を上げさせる。

 出血したオリオンの左目からは光が失われていた。もうなにも見えていない。割られた顔半分が赤く赤く彩られて薄い肌を汚している。

 それを見ているしかない一颯もまた何度も何度も動こうと土をかき分け、泥だらけになりながらもがくが足はピクリとも動かなかった。


「──いや……こんなの、違う……やめてよ……」


 魔剣の煌めきがもう一度、次はまだ青く揺れる深海色の右目を捉える。


「見失え、身勝手に愛したあの子の姿を」


 黒が視界を埋め尽くす。

 目を失えば敵の姿は見えない、よって剣士としては終わる。

 そして人間としても、二度と彼女の姿を見ることはない。


 ″────────。″


 下された審判の一撃が遠くに聞こえ、もう一人の声が高らかに響き渡ったのが聞こえた気がした。


「……えっ?」


 なにか予想外の事象に驚き混乱を隠せないシャムシエラの声色は元の清らかで穏やかなものに戻っている。

 オリオンにも新たに襲い来る痛みはない。代わりに、彼が見た。

 瞼を開いたその先には、剣を振り下ろしたシャムシエラとスローモーションで崩れ落ちるしなやかな黒い影、そして──鮮やかな紅血。

 第三者の介入、それしかない。

 しかし誰が? オリオンは仲間を連れてきていないし間違っても追ってくるなと言っておいた。じゃあ、誰が。

 ────分かっている。何故どうしてはさておいて、彼を庇った何者かの正体は誰も味方がいないこの状況では初めから一人しかいなかった。


「イブ、キ……?」


 捻り出した声は彼女の名を呼び、その後に上手く繋がらない。

 倒れた彼女を見て、時間が経過するにつれ脳内の処理が追い付いていく。見えない数秒の内になにが起き、誰がどうなったのか。

 そうして体が震え始めた。

 恐ろしい真実を知りたくないと心の底から恐怖に怯える。


「イブキ……イブキ、イブキ」


 一心不乱に名前を呼ぶが、動かない。返事もない。自分を引きずって近付き、彼女の肩を揺らしても反応しない。

 いつも通り、年頃にしてはちょっとだけ低い声で「なに?」と返すこともない。

 薄く、本当に僅かに開いた瞼の奥にあるのは虚ろに焦げた花の色。かつてはラベンダーのように華やかで、今はただ枯れ落ちるだけの瞳に生気は感じ取れなかった。


「なんで……」


 激痛と共に溢れて止まらなくなった涙が頬を、彼女を濡らして零れる。

 守りたかった。なんとしてでも彼女だけは生きてほしかった。自分の命なんて擲っていい、ただ日の当たる場所で笑う彼女をいつまでも見ていたかった。

 動かなくなった彼女を前にしてようやく自分の中の決定的な弱さを痛感する。

 仄かに輝いていた世界が真っ暗闇に覆われたのを感じざるを得なかった。


「どうして……」


 茫然自失とした様子のシャムシエラがゆらり、ゆらり、と迫り来る。しかし彼はそんな些細な事柄に気を留めるわけもない。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──────」


 不明な音が消えていく。

 声が出る前に頭が潰れたのだと思う。

 女の慟哭が、喚き散らす悲痛な叫びが、入ってきてはノイズのようなものにぶつ切りにされる。

 だんだん意識が縺れていき、最後になにを考えたのか。


″あぁ、終わったんだ″


 その程度のことだった。


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