表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 宵世界編
49/133

1-37 魔剣士 1




 太陽光を帯びる生暖かな風が、かつては幻想を湛えていたステンドグラスの残骸から吹き込んでくる。

 後ろから髪を撫でるそよ風はまるで彼の背中を押しているようだった。


「意外と早いお出ましか。この場所を誰から聞き出した?」

「ンなのリオンからに決まってんだろ。初っぱなの襲撃でテメエの部下が全部吐いたってよ」


 ヴェールで受けた襲撃の折、リオンが敵から聞き出した情報はアクスヴェインが欲した蘇生の術、魂を呼び戻す研究についてだったが、それを知った場所も同時に入手している。

 ところが襲撃時の彼が城にいると聞き、この施設──アクスヴェインの所有する屋敷が完全に捕虜や無意味な融合体と関係がなく、オリオンが城で捕らえられていたことが理由でキャロルもいるならばこちらだろうと睨んでいたため、基本的に最初はノーマークだった。先んじてリオンが言っていた通り、死者の蘇生などやはりにわかには信じられなかったのもある。

 先日の戦いの後の段階でいつの間にかアクスヴェインが城からいなくなったのをシキの使い魔から報告を受け、やっとここの存在が明かされた。

 余談だが、一連の内容を一颯が知らなかったのは単純にリオンの敵に対する仕打ちが悪魔かと見紛う恐ろしいもので、途中からはもう直視どころか耳を傾けてさえいられなかったからである。なんにせよ誰にも一切この辺りの情報を伝えていなかった彼はシキによってこっぴどく怒られていたそうだ。


「ほう……若造の分際であの魔術師は侮れんな。肝に命じるとしよう」

「なんだ、次があると思ってんのか」

「貴様ごときに私が止められると? 随分とナメられたものだな」


 なんとも愚かなことにオリオンは一人で現れた。いくらアーテル王国の剣士と言えど、敵の本拠地にたった一人で登場だなんて味方陣営の仲間を信用していないのかと疑われても仕方ない。

 わざわざ語るまでもなく、彼の同胞は戦闘においては最高クラス実力者が揃っている。遠距離広範囲攻撃、リーチの長い近距離攻撃などバリエーションやら持ち味も一人一人異なり、なんなら集団が相手ならオリオンよりも魔術師の二人の方が突撃には向いていると言っても良い。

 それでも結局は同伴者なしで彼はここに来た。

 一颯を自分の力で救出し、シャムシエラとの決着を、そしてアクスヴェインの大いなる計画の終わりを屈辱と共に見せるためには一人でなくてはならなかったからだ。

 事実、ただの雑兵など異形の魔力を持った剣士の前には敵にすらならないし、目の前の男はただの政治家故かはじめから戦力に数えてもいない。よってシャムシエラを倒せれば反逆者を墜とすことは容易い──と思われる。キャロルがいない今、ジョーカーになりうる人材などどこにもいないはずだ。


「ナメられたと思うなら来世はもっと上手くやるんだな! ま、次があればだけどな」

「次、か。それは私ではなく、貴様の方だと思うのだがな」


 瞬間、肌がピリつく空気の底から感じたことのない殺気が浮上した。

 その時とは異なる魔力の増幅が一体どこからもたさらされているのか、異形として生まれ持った第六感が殺意を捉えて長い耳をぴくぴく揺らし危機を知らせる。

 敵の所在。正面、左右、背後、いいやこれは──。


「──上か!!」

「う、ぇあオリオンちょっと!?」

「とりあえず回避、だッ!」


 不安がる一颯の肩を引っ張り引き寄せ右の脇に抱えると左手に剣を力強く握り、その場から後方に少しだけ跳ぶ。

 そしてその判断はあまりにも正しかった。

 ズガンと岩に叩きつけるように振り下ろされた魔剣の一撃は白い床の更に底を砕き、つい先ほどまで彼が立っていた場所が見るも無惨に陥没している事態に、抱えられた少女の口から思わず悲鳴が上がりかける。

 発生した強風に伴い巻き上げられた粉塵の中から飛んできた建材の欠片が頬を掠めて皮膚を切り裂く。

 兜の隙間から放たれる視線が己と重なったことを確認した後、着地した位置で軽くステップを踏み、地を破壊した女の頭上に飛翔し光が射す外界へ飛び出した。

 ガラス片がまだ残るステンドグラスの奥で太陽に晒されている広い中庭へ抜け出ると、一颯を自身の背後に降ろしてすぐに来るだろう彼女に備える。

 初撃が必殺級とは予想していたが予想以上だ。最早単純に"強い"という感嘆より"化け物"という認識が脳に蓄積されていく。


「オリオン、平気?」

「イブキは離れてろよ。今回はマジにタイマンだからな」

「いやそうじゃなくて、貴方、あの人と戦うつもりなのかって……」


 一颯の不安は出発前にリオンやシキが抱えていたものよりも大きい。かつて世界で敵はいないとさえ言われたシャムシエラ・フィオレ・エレリシャスに敵うかではなく、彼女が腹の底に孕む未だ見たことのない憎悪の一端に触れたが故の不安だった。

 彼女は絶対にオリオンを殺す。それは彼が彼女に勝利しようと、命ある限り必ず果たすと誓った約定である。


「なぁイブキ、敵とは"戦わない"って選択肢がないんだぜ。分かり合えないなら尚更。アイツがあのクソッタレに協力するってんなら戦うしかない」


 元よりオリオンには一颯を傷付けた彼女を許し、剣を納める気など毛頭ない。もしそうなる時が来たとしたら、どちらかが死にかけて命乞いを始めた場合に限るだろう。

 実力差、能力による相性の悪さも十分頭に入っている。正直負ける可能性の方が圧倒的に高い戦いだ。

 とはいえ敵が強い程度で諦めるかどうかはまた個人の問題。向こうは下らない野望の片棒を背負ったに過ぎないがオリオンにとっては大事な人を、自らが仕えるべき国を守るための大きな戦いになのだ。

 中庭に逃げた時点で退路は絶った。あとは指定した時間までにシャムシエラを討つ。迷う必要などない。


「心配すんなよ。絶対勝つからそこで見守ってて──」

「勝たなくてもいいから」

「……イブキ?」


 遮るように声を上げた彼女に近づき、目線を合わせる。

 不安げに両手を胸の前で重ねた一颯は花色の瞳を潤ませて彼の未来を祈った。


「負けてもいいから、死なないで」


 剣士として敗走は許されない。それでも、彼女は黒の国の剣士ではなく毎日隣で笑っていた彼自身の無事を強く願う。

 オリオンには本来なら聞き入れることはできない願いだとしても、普通の少女たる彼女にしか言えなかったそれを否定することはできそうもない。


「俺は死なない。まだこんなところじゃ終われないから」


 言い終わるのと同時に、空から草木を揺らす音が降ってきた。

 重厚感のある鎧と柔らかな絹を纏う女からはやはりと言うべきか、オリオンにだけ向けられた殺気が見えないオーラのように存在を引き立たせる。


「三日ぶりだな、シャムシエラさんよ」

「私の名を聞いたのか」

「あぁ、ファレルのドラ息子からちょっとばかし」

「ファレル……なるほど、レオンの弟から……ならば私の剣についてはよく知っているだろう。何故自ら死にに来た?」


 シャムシエラはそれはそれは大層な自信を持っていた。

 "貴様ごときに私は倒せない"。

 "間違いなど、万にひとつであっても起きるわけがない"。

 そう、彼女には最強だからこそ誰かに負けるというヴィジョンが見えていない。見る気もない。

 だからこそ戦士というものは、完全な敗北を以て這いつくばらせてみたいのだ。


「死にに来たんじゃない。俺はお前に勝ちに来た────ッ!!」


 宣言と同時にガッと地面を抉り蹴飛ばす。

 姿を消したオリオンは次に一颯が目視した時にはシャムシエラと互いの剣を合わせ、火花を散らしながら力を競い合っていた。

 シキからもたらされた全身の筋力強化と自身が得意とする強化を重ねれば速度を倍に底上げすることも容易い。しかし彼女にはその瞬間的な速さも見えている。そうでなければ不意打ちとも言える一撃を魔剣で受け止めるなんて芸当はできるわけがない。

 身の丈には全く釣り合わないサイズで重くのし掛かる魔剣は、それまた小柄な女性には不釣り合いな怪力でオリオンを押し込んでいき、あっという間に地面に挟んで押し潰さんと小さく細い星の剣を弾き殴るように迫り来る。

 くるりと身を翻してその攻撃から回避した彼は草を導火線に炎熱を放ち、一旦距離を取った先の壁で踏み込みを入れて再び空を舞いながら突進した。


「私も甘く見られたものだな」


 対異血脈は当然オリオンの魔法を受け付けない。炎は彼女に触れた途端に水をかけられ蒸発したのか白い煙を上げてこの世から消え去り、その後秒にも満たない間に現れた彼をシャムシエラは片手で地面に叩き落とした。

 だが計画通りだ。彼女はオリオンが己に触れる前に攻撃を繰り出すだろうと読めている。

 痛くはあっても我慢できないわけじゃない。額を赤く滲ませながら、滑り込んで長いスカートの奥にある足首に鋭い蹴りを見舞う。

 うっとおしそうな声を上げ崩れ落ちた瞬間を狙い、全力を込めて渾身の一撃──右の拳を彼女を覆う兜に叩き込んだ。

 吹き飛んだシャムシエラは何度か地面にバウンドしつつ最後は膝をついて項垂れた。


「やった……!!」


 たった一発ではあるが、攻撃が当たったという事実は先日の絶望的な展開からしたら希望に向けて一歩を踏み出せたと言える。

 浮き足立つ一颯の歓喜は決して悪いものじゃないし、本当ならオリオンも跳ねとんで喜びを表したかったが今回の戦いばかりはそうも言っていられない。

 逆に言えば攻撃を当てたことでシャムシエラは本気になるだろう。

 拳が当たった位置からパラパラとひび割れていく兜を揺らし、女は立ち上がる。

 

「多少は……やるようだな。さすがと言っておこう」

「へえ、俺の実力を買ってんのか」


 ぱきり、ぱきり。

 女が動く度に兜は音を立てて崩れゆく。


「実力──いいえ、これは貴様の実力などではない。だって当然でしょう。私と、同じ血が流れているのなら」


 がこん、と音がした。

 どさり、と音がした。

 真っ二つに割れた兜はもうその役割を果たすことはない。

 露になったのは彼によく似た青い夜更けの長い髪。磨かれたエメラルドのように透けて輝く虚ろな瞳。


「──お前が、()()()()()()()()()悪魔の子であるのなら……!!」


 シャムシエラは約20年前、悪魔の子を産み、追放された。

 オリオンの年齢は19歳で、冬には20歳を迎える。

 このふたつから結び付く答えこそ、二人の関係をなにも言わずとも明確かつ絶対的な事実として表すに最も相応しい材料だ。


「やっぱり、お前が俺の……母親ってことか」


 二人は血の繋がった親子である。ただし一回もそう呼び合ったことはない。

 シャムシエラは悪魔を宿した原因となったインキュバスを憎み、名も知らず付けなかったこの自分によく似た──似てしまった少年を19年間探し、殺すことだけを目的に生き長らえてきた。

 同じく夢魔を嫌い疎んじるアクスヴェインと手を組み、いつか現れると確信していた剣士の到来を待ち望みその牙を研ぎ続けてきた復讐者。

 それこそがシャムシエラという愚かな女の正体だ。


「意外に反応が薄いな」

「別に、なんとなくそんな気がしてたんだよ」

「そうか。では都合が良い。下手に情を持たれては相手にすらならん」

「同感だ。そんなんが知れたところで殺すことにはかわらねえ」


 シキが言っていた通りだったおかげか、オリオンに精神的なショックや揺れは見受けられない。先にそれを理解できていた一颯にも、二人が殺し合うのをやめないなら部外者である以上は受け止めるしかないことが嫌でも解っていた。

 本当は戦いなんてやめて手を取り合ってほしい。親子として当たり前のようにこれからを歩んでほしい。

 こんな最悪が、不運があるなんて神はどこまで運命に残酷なのだろう。


「私の魔剣についてはファレルの彼から聞いているだろう」

「アロンダイト、って名前だけ。でも遺装(アーティファクト)だろうが関係あるか! さっきみたいにブッ飛ばしてやるよ!」


 魔剣・アロンダイト。伝説の王に仕えし騎士が振るったといわれる絶世の聖剣が血塗られ変容したそれは遺装となって流れ着いた今でも無双の力が語られ続けている。

 実際にどんな能力や限定開花(レミニセンス)が発動するのかは知らないが、油断さえしなければオリオンにだって一回限り許された同ランクの必殺技で跳ね返すことができるはず。

 そう、彼らは思っていた。


「ではその身に刻んで果てるがいい。魔剣の絶技──矛盾消失(パラドクスロスト)の術を」


 女が両手で持ち上げた黒い剣が紫色の炎を纏わせてキラキラと輝き、瞬間、ぶわっと波動が広がり消えていく。


開始(Anfang)────」


 無音の中で、次に姿が消えたのはシャムシエラだった。

 目を見開いてすぐさま振り返り剣を盾に初撃を受け止める。軋む大地に埋もれてはいたがとりあえず、無傷。

 魔力を放出させて風を起こし距離を置いて彼女を観察するが限定開花を名乗りながら魔力は全くと言っていいほど発生していなかった。最初と同じ、ただ力を乗せただけの斬撃に過ぎない。これのどこが遺装が持ちうる最強の必殺技だと言うのか。

 その後もがむしゃらかと疑うほどに殴り付けてくる彼女の攻撃を受け止め、回避し、時にはカウンターで剣を見舞うことすらできてしまった。

 おかしい。おかしいのにその理由を見破れない。

 一体なにが起きているのか、シャムシエラを除いて誰にも分からなかった。


「なんだよ……見かけだけか……?」

「あぁそうとも。見かけだけは普通だろう?」


 なんと変化が起きないのはシャムシエラも認めてしまった。

 であっても彼女の口元は緩み、笑みを浮かべて──まるで母親のように暖かにオリオンを見つめている。


「だが、見かけだけなのはアロンダイトだけではない。()()()()、剣士」


 女はまるで処刑人にでもなったのか、なにもない空間に剣を振り下ろしてたった一言を口にする。


 ──────"完了(radieren)"。


 言葉が完全に言い綴られた時、彼の世界は鋭く引き裂かれて飛沫をあげる真っ赤ななにかに彩られた。


「うそ……でしょ……」


 一颯からはそれしか言えない。

 だっておかしい。ありえない。なぜ。出てくる言葉は困惑を内包している。

 シャムシエラが放った四回の攻撃をすべて受けなかったオリオンが何故────()()()()()()()()()()()()()()()()


「──は、あぁ……ッ!?」


 痛い。痛い。痛い。

 呼吸できない。

 内側から肉体が裂けていく。びりびりと紙を破るみたいに簡単にちぎれてしまう。

 なにが起きた。

 魔剣の攻撃は受けていない。全く、一ミリも、かすり傷が致命傷になったわけでもない。

 肩から、腹から、手足から噴き出す流血の原因が彼には全く分からない。理解すら及ばないその力は、一体どこから来た。


「矛盾を裂き、未来を変えて敵を引きちぎる必中の呪い。それが我が剣──覇光魔剣(アロンダイト)の限定開花だ」


 苦しみもがく我が子を冷ややかに見つめ、女は嗤う。嗤いながら口にする。


「さぁ立ち上がれ、まだ終わるなよ。私が満たされるその時まで、心と体を完膚なきまでに叩き潰してくれる」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ