1-35 奇跡の代行者 1
この世界における魂の在り方は複雑でありながら単純な″循環″によって完成されている。
明世界では冥界と呼ばれし狭間の世界──白命界に死後運ばれた魂は、地獄の深淵に堕ちぬ限りは生前の記憶を還すことで淀みを浄化され、半永久的に転生を繰り返す。
死んだ者を甦らせることができない理由はこれだ。
魂は肉体が死に生を終えた時点で白命界に辿り着き、浄化が完了した段階で″白き神″によって新たな命へと送られる準備がされる。故に生まれ変わった時点で肉体に魂が戻ることはなく、もしもなんらかの方法で生き返ったとしてもそれは本人ではない。人の機能を持ったただの人形だ。
では何故、キャロル・アクエリアスは蘇生に成功したのだろう。彼がアクスヴェインが長年求めた死者の復活に必要な最後のピースになり得たのにはどんな理由があったのか。答えは転生の中にある唯一の抜け穴にある。
それは転生する前に魂を戻すという強引な一手だ。浄化されている間の無防備な魂ならまだ生まれ変わっていないため記憶を有し生前の状態を保てる。証明したのは実際に生き返り、意識をはっきりとさせていた″彼″だった。
そして今、アクスヴェインの探求は終わろうとしている。
長き18年の歩みの果てに得た結果を手にした彼は棺で眠る愛しき日の女を抱き締め最良の結末を迎えるだろう────きっと、この瞬間までは確信していた。
「貴方は……貴方はそんなことのために多くの人を苦しめて、犠牲にしたって言うの!?」
一颯の怒りは尤もだ。
私欲のために大勢の命を消費したことは許されるべきではない。その目的に秘められた感情が愛と正義に満ちていようと、行動に正当性が罷り通ったとしても、彼がそれらの犠牲に対し抱くものが″無関心″のみであるならば彼は虐殺に身をやつしたただの殺人鬼だ。
「そんなこと、とは小さく言ってくれたな。セレーニア様は私の全て、彼女がいたからこそ私はここに存在している。夢魔風情にたぶらかされる小娘には崇高な彼女の在り方すら解るまい」
「そこじゃない! セレーニアさんが本当に優しい人なら、もしも生き返ったとしても貴方のしてきたことを許すわけが──」
「私がその力を手にした時、誰もが私を認めることになる。許す許さぬ程度の問題など通用しなくなり、セレーニア様もより私の功績を理解してくださるだろう」
アクスヴェインがなにを言っているのか、一颯には理解できるはずもなかった。
死者の復活。言葉だけなら一颯にだって馴染みはある。しかし馴染み深い言葉や行為は創作上の都合から産まれた便利なアイテムや魔法を介して作中の生物にのみ適用されるお助け的な要素だ。
とある宗教ではいつか復活を遂げる日が来るだろう、なんて記載もあるが実際に死者が蘇り今まで通りの生活を再開するなど聞いたこともない。
もしも本当にそんなことがあり得てしまうとしたら、それは神のみに許された奇跡だ。人間には到底辿り着くことすら許されない絶対的な禁忌だ。
だからアクスヴェインは自らの功績を誰もが認めざるを得ないものだと言った。
伴った命の数を切り捨て、彼こそが人の在り方を大きく変えた奇跡の代行者であることを納得してしまう。
────だが、月見一颯は認められない。命の重みを軽んじ、百を殺して得た一の奇跡に称えられるべき功績があるとは断じて思いたくなかった。
そう、自らが生きている現在がそれこそ誰かを犠牲にした上で繋がれているからこそ、アクスヴェインのもたらす価値のない奇跡を正当化してもいいなんて言えるはずもない。
「貴方は間違ってる」
「そうか。……私とて最初からこうしようなどとは思っていなかった」
「なっ……」
彼女の処刑は辺境から戻ったアクスヴェインの耳にすぐさま入ってきた。
罪のない女も数多いことを知る王はせめて美しい姿のまま眠りに就いてほしいと考え、死体の腐乱を防ぐ固定の時操作魔法をかけて彼女らを棺に納めたと聞いた瞬間、彼の体は動いていた。
セレーニアの遺体を秘密裏に回収して保管し、彼女を救えなかったことを泣いて悔いる毎日を過ごした後、彼女を殺してまで得た平和をその目で確かめようとアクスヴェインは王に仕えるという道を選んだ。
確かにアーテル王国は平和を築き、かつて暴虐の限りを尽くした巨悪は消え去った。民が幸せを謳歌する日々は生まれて初めて見る光景だった。
しかしアクスヴェインに渦巻いた感情は、この平和をセレーニアと共有したかったという叶えられないもの。いつしか彼女さえいればこの世はもっと暖かな温度で満たされていたはずだ、と心に薄暗い影を作りあげてしまった。
──その時、彼に手を差し伸べる者が現れた。
少年は彼に薄気味悪い笑みを浮かべながらこう言う。
″君の愛する女性を生き返らせる方法を教えてあげよう″と。
最初は信じられなかった。どうしたらそんな奇跡に辿り着けるか分からず、当時の彼には嫌悪感しか感じられなかった以上、馬鹿げた子供の妄想だと思って言葉を聞かなかったことにした。
ところが彼には思わぬ転機が訪れ、予想もしなかった裏切りが待っていた。
アクスヴェインは異形を忌み嫌っている。何故か、そんなのは単純な理由で語るまでもない。奪うことしかできない異形が嫌いで嫌いで仕方がない、オリオンに対するあからさまな態度もその一端だったと言ってよい。
それはともかく王は半夢魔の女槍兵ことクロエを迎え入れたのだ。彼女が夢魔だと知った経緯は偶然も偶然だったが、そこから王はアクスヴェインの関与しないところでヴェールの精霊と同盟を結ぶなどし、身勝手な不信感を募らせた結果──ついに恐るべき計画の一端に触れてしまう。
ここで彼は意味なく彼女を殺されたことへの復讐の扉を開いた。
手始めにシャムシエラと組み、追放者や思想に惹かれた者共を次々と仲間として迎え入れ、表向きは王の右腕として政治を司る彼に与えられた領地たるこの屋敷に研究施設を造り上げた。
人間は異形と結び付くことで生命力を活性化させていき最終的には死んだ人間の魂を──白命界から力ずくで奪い返して蘇生させる。
研究を続け判明したのは、肉体が若くなければ蘇生どころか生きていても異形という異物に肉体が耐えられず灰になり、若くても融合体という名の理性なき怪物に変容してしまうこと。しかし一手間加えるだけでそれも解消できるとキャロルの蘇生実験で判り、彼の研究はようやく実を結んだのだ。
「私はこれより儀式を行い、まずはあの男の思想に触れた残党を狩る。そして彼女は蘇り、私の夢は遂に叶う……ッ!!」
──ここまで聞いて一颯はある事実に気付いていた。
目前に迫った達成感に歓喜し狂気に溺れるアクスヴェインはどこかに信じられない矛盾を宿している。
「おかしい……貴方は、やっぱり間違ってる!」
異形を嫌う、だからオリオンにあれほどの仕打ちができた。それだけならまだ解る。
では、異形を嫌っているのに何故────。
「愛する人を異形・融合体にしようだなんて、矛盾しているわ!」
「黙れ小娘ッ!!」
突然の激昂に思わず一颯は身を退いた。
アクスヴェインはどこに怒りを感じ取ったのか、彼女の言っていることは間違いではない。
そもそも彼は行動そのものが矛盾の塊だ。異形を嫌い迫害しているのに、愛する人が怪異と混じり合って異形になる事実をずっと前から受け止めている。しかも失敗作の異形・融合体たちを使役して侵略を行っているなんて最早自分の都合良く好き嫌いの主張をコロコロ変えるワガママな子供みたいだ。
「異形としてでも、セレーニア様が生きる明日が見られるならば私はどんな形であろうと構わないッ! 私の隣で生きる彼女を求めて何が悪いと言うのだ。私は──セレーニア様を奪った者を全て殺し尽くし、彼女と在る平穏を築く。正しさなど私が変えてみせようッ!!」
どうかしている。
最初からセレーニアの意思は全く関係なかった。
アクスヴェインの身勝手で残忍な独り善がりの″愛″が彼女を振り回し、大勢を悲しませているこの現在は最早憐れみしか感じられない。
「……それにしても全く、貴様は実にくだらん小娘だ。所詮明世界の異物には私の苦しみは理解できん、我が盟友シャムシエラのそれも同じく。……そうさな、一度死んでしまえば解るやもしれんぞ」
「な、なにを言ってるの……!?」
「案ずることはない。私には貴様を完璧に蘇生する力がある、故に死ぬほどの苦しみを味わうだけだ」
コツ、コツ、と靴底が鳴り、アクスヴェインが一歩を踏み出した。
後ろに下がろうとする一颯の背後にあるセレーニアが納められたガラスケースが、彼女を自身と同じ死へ誘っていると錯覚してしまいそうになる。
先程まで冷静だった男の表情にはもう穏やかな感情は見受けられない。代わりに虚ろな瞳からはセレーニアへの歪んだ愛と、一颯を殺してしまおうというそれ以外にない殺意を感じた。
この男と同じ空間にいるだけで狂気に染まりそうで恐ろしく、本能的な恐怖に囚われて震えが肩を揺らす。
「こ、来ないで!!」
「そう恐れることはない。終わりというものは、常に呆気なく訪れるものだ」
追想結晶はない。戦う手段はない。両親もいない。ここにいる一颯は夜の梓塚を怯えて誰かに助けを呼べずひとりぼっちで眠っていたあの頃と同じ、ただの小さな少女。
──だとしても、今の一颯には一人だけ信じられる人がいる。
どんな時でも諦めなければ必ず助けてくれた。その命を顧みず、いつも力強く堂々と胸を張って戦場を駆け抜けながら彼女に手を差し伸べる。
だから生きることを諦めない。たとえ彼がやってこないとしても、こんなピンチも生き残れば必ず二人でまた言葉を交わすことができると信じて拳を握った。
────そう、黒き夜の流れ星のような彼を思い浮かべて。
「ならば死に伏せ反逆者ッ!! お前の変える世界とその行為、見過ごすわけにはいかないッ!!」
声高らかな宣言が二人だけの大聖堂に木霊する。
一体どこから?
ここにいない誰の声?
一颯には悩む間もなかった。その声の主が誰で、どこからやって来たのかも彼女はよく知っているから。
硝子の向こう、暗雲に包まれた大空を切り裂くように流れる星は疾風に身を任せて紅い輝きを纏って降り落ちる。
「な、に────ッ!?」
次の瞬間、巨大なステンドグラスがとんでもない轟音を響かせ粉々に散乱し、その影から一人の小さな身体が花畑のごとき棺桶の向こう側から現れた。
たなびく紅布、揺れる青髪、黒き装束に身を包む青年は急降下から見事に着地すると一颯の前に彼女を守るかのような様子で剣を構え、閉じられた深海色の瞳を見開いてアクスヴェインを睨み付ける。
「待たせたな、イブキ」
いつものように彼女を呼んで、いつものように笑った彼はなにも変わらない。
白金色の流星が如く、彼は王の勅命を以て彼の悪鬼を討ち滅ぼすべく彼女の願いの通り、迷いなく此処にやって来た。
「オリオン……!!」
────聖剣の輝きに命を賭して、最後の戦いの狼煙は上がる。