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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 宵世界編
46/133

1-34 黒き国の眠り姫



「オイ見つかったか!」

「いいやどこにも……」

「早く見つけろ! シャムシエラ様に殺されちまうぞ!」

「お、おう!」


 長い廊下の一角に集った重そうな甲冑の二人組が慌てた様子で短い会話を交わし、バラバラに散らばっていく。

 彼らは今、ほんのちょっとの好奇心と欲望が災いして窮地に立たされていた。こんな事態を招いてしまうとは思っていなかったと口を揃えて叫びたいほど些細なきっかけだった、と思うが9割ほど自業自得である。

 まず彼らのみならず、アクスヴェインの下に集まった大半の兵士がここ数日の激務のせいで様々な意味で疲れていた。さすがにそろそろなにかしらの方法で発散したかったが、この世でも最高峰の美女──女性に変化したレオンは元が男だと判った途端に皆が皆手を退き、兜の奥の素顔が美女であることは違いないシャムシエラはお世辞にも若いとは言えず趣味に合わない。

 ……が、彼女が連れてきた年若い少女は彼らのようにこの異常事態のせいで溜まりに溜まったアレコレを一気に発散させるに相応しい(と彼らが勝手に解釈した)どこか幻想的な愛らしさを秘めていた。

 しかし捕虜のはずの少女は何故か相応の扱いでシャムシエラの庇護下に置かれ、手を出そうものなら微塵切りにされる覚悟が必要になったので泣く泣く諦めて近々ヴィオレーラで女を買おうと大勢が決めた。

 ──だが今日は事情が違う。

 一昨日の晩、レオン・ファレルがキャロル・アクエリアスの融合体を連れて離脱し、逃走したオリオンたちの始末に失敗した。

 シャムシエラは今朝早く今後の計画についてアクスヴェインと話し合うために彼女が捕らえられている鳥籠がある小さな塔からは少し離れた研究エリアへと向かい、監視から離れたのだ。

 チャンスは今しかない。ちょっとだけちょっかいをかけようと悪気があったかと聞かれたらない、悪意はあったかもしれないチャレンジャー二人は欲望の赴くまま鳥籠に向かった。

 ところが彼らは失敗した。たしかに鳥籠を開くまでは上手くいったが、可愛くはあっても見るからに戦士とはかけ離れた普通の少女のどこにそんな力があったのか、どこかで見たことがあるような体術で蹴散らされ、ついには脱走も許してしまったのである。


「…………行った……?」


 要するに、決意を新たにした一颯の前にはそんな男たち下らない欲求すら打開策に向けたチャンスの一つに過ぎない上、まさか″彼″が「役に立つかも」程度のつもりで教えてくれた近接格闘用の体術で脱走できてしまったことの方が驚きだったとか。

 二人組が過ぎ去った後、音もなく開いた扉の隙間からワインレッドの糸がさらりと揺れ、キョロキョロと人影を警戒しつつ廊下に躍り出た一颯はようやく緊張の糸が切れたらしく踞ってふぅ……と息を吐き出した。


「しっつこい……ほんとに、なんだったのよあの人たち」


 露骨に不快そうなオーラを発し、また左右を睨み付けてから立ち上がると少し弱気な男が消えていった方向に向かうと決めて暖かな布を突き抜ける冷たい床を素足のまま歩き始める。

 暑い夏場なのは宵世界も同じのようで、冷房などまるで設置されていない建物内は蒸し暑い。鳥籠の部屋だけは温度を操作する魔法で適温になっていたようで、相変わらずよく分からない優しさが身に染みた。

 肩がむき出しになった黒塗りのドレスは太陽の光を吸い込み素肌に汗が滲む。

 今更だが明確に良からぬ目的を持った見知らぬ男たちに襲われそうになったことを理解して、背中に悪寒が走った。なにが夢魔は恐ろしい、だ。人間だって同じ欲望を持ってしまえば同類かそれより悪質な怪物たちだと解釈して然るべきだろう。

 しかし今は時間がない。たかがその程度に震えて立ち止まっては彼を守ろうなんて口に出すのは100年早い。

 体術が有効だと分かった以上、どこかに隠されている追想結晶を意地で取り返し変身してシャムシエラと戦い、彼女を止める──決めたからには必ず果たす。そしてオリオンをビックリさせたい。

 ″私、貴方が敵わなかった人に勝ったのよ!″って笑い、二人でアクスヴェインからアーテル王国を取り戻すのだ。

 ひとまずは自由を得た。人気はあまりないし、おとなしく静かに行動すれば先程の二人だけではなく、頭は良いのに意外とポンコツ感を匂わせる首領格の狡猾なあの男にもバレないのではないか。


「あれ、どこだっけ」


 迷路のように入り組んだ廊下は間違いなく先日突入したアーテル王城のものではない。

 建物自体も城というより古めかしい屋敷のような、たしかに広くはあるのだがシキの住む豪邸に近い質感と恐らく円の字型の建物の形状は身に覚えのない場所だと記憶が言っている。

 つまるところ、むやみやたらに歩き回っていたら迷子になってしまった。

 階段を何度か降りたから地上には近づいたはずだが、窓が減り、黒い遮光カーテンもかかっているため外の様子が分からない。

 しかも出口に近づいたせいなのか話し声と人影がかなり増えた。一颯を追う二人でないのは確かでも、誰かしらに見つかれば即座にシャムシエラに報告され元の場所に戻されるだろう。

 一々木箱や空き部屋に隠れてやり過ごせるのも今の内。早いところ目的地を見つけたい。

 更に階段を降りていき、廊下の形状が少し変化した階にやってきた。どうやら少しだけ他の階より広いらしく、構造上とりあえず現在地が一階であることが分かるが、それが分かっただけじゃ「助かった」「なんとかなった」とは言い難い。


「ここって……」


 さ迷いながらなんとなく目に入った扉に触れ、妙な冷たさに怪しい気配を感じ取った。

 人気はない。

 もしかしたら追想結晶が見つかるかもと期待も添えて、重そうな両開きの扉をグッと押し開いた。


「教会?」


 ステンドグラスから射し込む蒼い光が聖堂らしき空間を優しく包み込む。

 まるで歴史的な建築物に足を踏み入れたかのような錯覚を覚えるほど幻想的な世界は、魔法と文明だけが差違と言ってもあまり差し支えない宵世界において最大級に″異世界″という言葉が似合う美しさを備えていた。

 パイプオルガンが奏でる音色に乗せ、讃美歌が唱われたなら興味がなくとも誰もが魅了され感涙を流すやもしれない。

 それほどまでに一颯はこの聖堂の輝きに魅せられた。

 奥には色とりどりの花がところ狭しと並べられ、花束に囲われた台座の上に設置されたガラスの中にも花びらが大量に敷き詰められている他、なにかが横たえているのが見える。

 未知の存在に好奇心が擽られた一颯はまっすぐ金枠のガラスケースの中身を確認しようと近付いていき、────絶句した。


「なによこれ……女の人、よね?」


 20代前半と思わしき長いウェーブがかった金髪の女性は瞳を閉じ、仰向けの状態で祈るように両手を組んで横になっている。

 寝返りや瞼が動く気配を一切見せず、最初は眠っているのかと思ったがよく見たら胸が上下していない。よって心臓は止まっていると見るのが妥当だろう。

 しかし女性はあまりにも美しいままだった。柔らかな色味を持つ肌には艶があり、死んでいるのか一目では疑わしく全体だけを見ればただ眠っているようにしか思えない。

 白雪姫が毒リンゴを食べて死んだ後、哀しむ小人たちが彼女をガラスの棺に入れたというが、同じようなおとぎ話が宵世界にもあるのか──あったとしてもだからといって真似をするなんて。

 女性が美しいがゆえに趣味が良いとも悪いとも言えない歯切れの悪さが残された。

 結果的には最初に扉を開いた時とは反対に本能的な居心地が悪さを感じ、収穫のなさにげんなりして出ていこうと踵を返す。

 ──ギィッと軋む音を上げて扉が開かれた。


「見たな、小娘」


 ハッとした。

 よく考えたら一颯は聖堂に入る前にひとつ忘れていることがある。それは周囲を見渡すこと。好奇心に負けて警戒を緩めたのは致命的なミスだった。


「貴方……アクスヴェインね」


 誰が見ているかも分からないこの敵地で、まさか一番会いたくなかった元凶と鉢合わせるなんて予想外だ。


「この人、融合体に使うつもりなの?」

「なにをほざくか。貴様はその御方が一体誰と心得ている」

「誰って、知らないわよ」


 背後で祈りを捧げ微動だにしない女性が纏う衣装は豪奢すぎないが上品な白いスレンダーラインのドレスのように見える。穏やかな表情と合間って、午後の日差しを浴びながら緩やかに時を過ごす王女様のようにも────。


「彼女はセレーニア。前王朝時代、バルファス王にその身を捧げた王妃に有らせられるぞ」


 そう。この女性はかつてこの国で最も権力を持った男の妻である。

 とは言ってもバルファスという男は多くの女を娶り、気に入った女はただの町娘だろうが他人の妻だろうが関係なく奪うように迎え入れ、なにかと理由を付け戦争を繰り返しては国民の血税を無意味に貪る贅と悦に溺れる暴君だった。

 セレーニアはそんな男に運悪く選ばれた1()9()()()の妻だ。

 王の目につく都市部に住まう女だったわけではない。辺境の小さな村から買い出しに来ただけの農家の娘が偶然にも笑顔が溢れるとびきりの美しさに一目惚れした王に半ば誘拐される形で婚姻を結んだのだ。当時は妻にならなければ村を襲うと脅されていたのではないかと町中で彼女を憐れに思う人々の噂話が囁かれていた。

 しかも側室として城にやってきたセレーニアの扱いは酷いものだったらしい。

 ナチュラルな美しさは飾られて更に磨きがかかり王には大層愛されたが、寵愛を受けられなくなった他の妻たちには「田舎者が生意気だ」と罵倒され、虐げられた。

 では前王時代──バルファス王朝に仕えていたアクスヴェインと王妃セレーニアの関係はどんなものだったのか。

 ────()()()()()()()

 婚礼の衣装を纏ったセレーニアを一目見た瞬間、彼女の美貌に惹かれていった。

 当時はある事情で低い身分に甘んじていたアクスヴェインはすぐさまセレーニアの世話役を買って出た。最初は馬鹿な男だと王に嗤われたものの最終的には向こうが折れて世話役を務めることになる。

 毎日近くで見る彼女は他の女共にはない暖かさがあった。声をかければ優しく返事をし、会釈もしてくれる。やはり王に愛されるために高圧的で傲慢な連中とは一線を画していた。

 なにをされても気丈に振るまい、時折元いた村に帰りたいと溢す姿を見続けたアクスヴェインは次第に彼女を連れて逃げ出したいと願うようになり、セレーニアにもその旨を告げた。

 ″この国から二人で逃げましょう″。″追っ手から必ず貴方を守りましょう″。"願うなら貴方の両親も連れていきましょう"。″私は貴方と一緒なら彼の王すらも恐れませぬ"。"だから共に城から逃げましょう"。

 セレーニアの返事は迷いのない拒否だった。

 暴君の怒りに触れれば、犠牲になるのは当事者ではない。きっと見知らぬ多くの人が死ぬだろう、なんの関係もなく意味もなくただ消費されるように死ぬだろう。

 自身の健在で王が少しでも鎮まるなら城を離れる選択はできない、そうセレーニアは言ってアクスヴェインを世話役から解任した。表向きは無礼を働いたということにされたが、実際は彼を王の手から逃すためだったようだ。

 それもそのはず。アクスヴェインが辺境に追いやられた直後始まったのがバルファス王朝への反乱だった。

 結果王朝は倒れ、バルファス王が処刑された2年後にアーテルハルダ王朝──今のアーテル王国が誕生したのだが、問題がこの時だ。

 前王が娶った19人の妻の処遇。一部の女も彼に同調し、気に入らないからと言って国に混乱をもたらしたこともあったため無闇に解放するわけにはいかなかった。当然なにもしていないセレーニアもこの括りに含まれる。

 アーテル王が出した結論、それは今ここに置かれたガラスケースの中にある安らかな彼女の遺体が表していた。


「彼女は毒を飲むか、牢で一生を終えるかを選べと強要されたのだ。つまりセレーニア様は前王ゴドウィンの手によって──()()()()


 彼女の犠牲に意味はない。

 死ぬことで誰かが救われたかと問われれば、嘆き悲しむ者の方が多かったに違いない。だってなにもしていない、ただ王の狂乱を押し止めるためだけに城にいた女だから。


「平和主義者とよく名乗れたものだ。国民を納得させるために全員の命を奪うとな」

「じゃあ貴方は王様に復讐したくてこんなことをしたの!?」

「結論を急ぐな。……王が憎いかと聞かれれば私はそうだと答えるだろう。しかし復讐に意味があるか? いいや、ない。もしその感情が果たされているとしても、あくまで付属品でいい」


 何故か、決まっている。復讐が目的ではないからだ。

 王を殺し、貴族を殺し、兵を殺したのも全てはその段階に至るため。あらゆる犠牲も実験もなにもかもが愛するセレーニアを今再びこの地で目覚めさせるための礎となったに過ぎない。

 彼女のためなら悪魔にもなろう。バルファスに代わる暴君として君臨でもしてやろう。

 20年前に彼女と出会い、永遠の別れを迎えた時からアクスヴェイン・フォーリスは心に決めていた。


「私の目的はただ一つ。セレーニア様の復活、それだけだ。伴う副産物や犠牲の存在などどうでもよいのだよ」



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