1-33 まだ終わりなく 2
オリオンは16歳の誕生日に剣を抜き、その時点で夢魔の側面が持つ途方もない寿命の大半を失った。
とはいえ1000年が100年くらいに縮んだ程度。人間よりも遥かに長い有限を一々気にするまでもなかった……と、彼は何故寿命が減ったのかを知るまでは現状をかなり楽観視していたのは否定できない。
そして健康状態を度外視して戦い続け、いつまでも付いて離れない倦怠感と己が持つ剣に宿る"力"を楽観視しすぎた結果、彼が肉体に抱えた負債は、最早取り返しがつかないほど膨れ上がっていたのだ。
「全く君という奴は! 限定開花が君にどんな影響を及ぼしているか解っているのかね?」
「あークソ、わかってますよーだ」
「オリオン!」
生意気にもそっぽを向く青年剣士を頭から叱りつけたジャックは立て掛けられた紅い剣を横目に見つめ、机に乗せられ小刻みに痙攣する彼の手を押さえながら深いため息を吐いた。
「こうなるからあれだけ言ったのに、君はどこまで無謀になるつもりなんだ」
「……」
「最初に限定開花を発現した時約束したろう。忘れたとは言わせんぞ」
オリオンは一度疲労や負傷以外の理由で生死をさ迷った経験がある。魔力が著しく減少し、数日間は起き上がる単純動作もままならないほど肉体が衰えたのは本人が記憶から消したい過去ナンバーワンに今でも君臨していた。
その原因にもなったのが、彼の所持する剣と限定開花"黒夜流星"だ。
と言っても、判明したのはなにが悪かったのかまで。どうして害になったのかが全く判らないままだったため、一時は戦線から離脱させようかと周囲は検討したが、彼は一切を拒否した。
結局妥協案として、限定開花を禁ずると条件を提示しこれを快諾。
魔力不足が長期に渡って続き、補給するにも休暇のないオリオンは以降、限定開花を発動する素振りすら見せなかった。──あの新月の夜が訪れるまでは。
しかし少しおかしな点がある。
一度目は力尽きて倒れ、二度目は後遺症なくその後もピンピンしていて、三度目となった今回は一応満足に動いているように見えてなにかがまたあったらしい。
違いがあったとすればどこまで万全であったか、くらいだ。
「忘れてないし……そんで、どんなチョーシなのか早く教えろよ」
「……脳以外の臓器類の衰えがまた進んでいる。腕の痙攣は筋肉が魔力を分散しきれていないから脳が振り払おうと命令しているだけだが、前回診た時よりも中身は酷い。今の君は外見だけが若いまま歳を重ねた老人、という表現が最も適切だ」
彼は間もなく20歳。まだまだ若々しく、一颯の故郷の日本なら酒と煙草が法的に認められ、むしろこれからが本番という年齢だ。
宵世界の成人は18なのですでに大人の仲間入りは果たしているが、やはり10代の内は扱いが子供なのも否めない。どっちにせよまだ見ぬ人生が数十年も残されている。
なのにオリオンの身体は未来の充実感を受け付けない。
生がいつまでも続くものなら食事を、睡眠を、戦いを楽しみたい。そんな人としての当たり前も剣を握る限りいずれは失われていく、それが今のオリオンだ。
「もう魔法で体を劣化から守ったり、治癒で一時的に機能を戻すだけでは限界だ。だから私もクロエも言ってるんだ、剣を置かないかと」
臓器が衰えればまず運動能力に支障が出る。脚力強化で戦場を駆け抜ける彼には、ただの息切れすら致命的だった。
いつか脳に進めば思考力低下、胃腸が悪化すれば食欲不振によるエネルギー不足。
悪い方向に傾いた結果招かれるのは己の意思とは関係のない死。剣を手放して打開できるかと聞かれたら戦いたくても体が動かないという歯がゆい絶望感が襲い来ることに怯えて震えるしかないのが腹立たしい。
「それは呪われている。唯一無二の聖剣だとマーリン様は言うがね、君が扱うには余りある品なんだよ」
透き通った紅が解け合う白金、月を模した意匠が形取る輝きはこの世の何物にも勝るくらい美しいが、彼の身体を蝕む原因は紛れもなくこの遺装だ。聖剣なんて体を成しているが実態は呪われた魔剣より悪質な魔道具の烙印を捺されたいと見える。
行方を眩ます直前までは、定期的な治癒とオリオンの魔力とリンクしている遺装以外の外的要因にこれ以上侵されぬよう体内を防護魔法でコーティングしていた。しかしジャックの言葉にもあるように劣化が進行しすぎて気休めにもならないのだ。
骨や筋肉などの実際動くために必要となる部分が無事なのは不幸中の幸いと言ってもいい。本当に不幸中すぎてどうしようもないのが難儀な話だが。
「なぁオリオン、今のうちだ。考え直してくれないか。旦那様と奥様は君のことを本当の息子だと思って愛しているんだ。剣を置けば少なくとも進行は止まる。だから戦場を退いて彼らの愛情に応えてやってくれ。私も68になるがね、孫と同い年くらいの君がこのままむごく死ぬのは私だって辛いんだ。あとはクロエが全て上手くやってくれる、頼むからもう休んでほしい」
ジャックの言うことは正しい。
剣に魔力を通す行為が害を及ぼす要因なら、剣を握らなければこれ以上の老化現象は発生しない。月色輝く剣以外にも彼には魔法がある。だから戦いから完全に身を退かなくてもいい、ただこの騒動にはもう関わらず全てが終わるまでは休んでほしい。
それはジャックが自分の娘のように可愛がったクロエが最も愛する弟、オリオンに言える一番の優しさだった。
解っている。立ち続けて伴う末路がより悲惨なものになることくらい当事者じゃなかったとしても彼はよく理解している。
どうあっても剣はオリオンを認めない。善意を振りかざそうと悪意にまみれようと、いつかの果てにいたであろう彼を選定し栄光と破滅に導いたそれはあくまでも自らの主を″彼″であると定め続ける。故にオリオンはその柄を握ろうが秘められた星光を瞬かせようが認められない。
そして選ばれず、認められなかった彼が行き着く先は剣が″彼″に見せた滅亡よりも救いようがない結末。
解っている。誰より理解している。
だからこそ、──彼は穏やかに首を横に振った。
「オリオン……ダメなのか、私たちには君を止められないのか」
「少なくとも、ここで投げ出すのは責任ってのがさ……なんの関係もないイブキを巻き込んだ張本人が寝てていいわけがないだろ」
彼は剣士であり、顔も知らない誰かを守る義務がある。義務がなくても未来のために疾走すればその道で必ず誰かが助けを求め、彼はその手を離さない。
今、運命的な廻り合わせでよく知ってしまった彼女が、自分を救うためこの世界来て入れ替わるようにまた離れ離れになってしまった。
救い出し、アクスヴェインの野望を砕くだけならクロエやリオンがなんとかしてくれるだろう。しかしそれではダメなのだ。彼が行かなければ、最初の夜に犯した過ちを残したまま彼女と別れを迎えてしまう。
なにより、未だ謎多きアロンダイトの剣士──シャムシエラと決着が着いていない。必ず勝つと決めたからには逃げ出そうとは毛頭考えていない。
しかも月見一颯という明世界の人間を様々な形で振り回したことはすでに周知。戦いが終わって国全体が落ち着けばオリオンはいずれ罰せられ、戦う力を失う。
なら今戦ってなんの問題がある。
先に死ぬか、後に終わるか、彼に残った道はそれだけだ。
「なぁじいさん、あと何回だ。何回限定開花を使っていいのか教えてくれ」
「────規模と関係なく、君の今ある魔力量が限定開花に必要な分を賄うにはとても少ない。全力を賭したとすれば身体の衰えと関係なく命の保証はできないぞ」
「よーし分かった。じゃあ一回だな、そんだけありゃ十分。連中まとめてブッ飛ばせるってモンだ」
自分が決めた事柄には呆れるほど愚直。
真っ直ぐにしか進めないあまりの脳筋発言にジャックは速攻で匙を投げた。
「君は本当に……もうなにも言えんよ。どうか無事に、その女の子と帰ってくることを女神に願っているよ」
「ハハハッ! 願われなくてもフツーに帰ってくるっての!」
無事戻ればその足でマーリンの元へ戻り、魔力を補給して帰る。それで命がどうとでもなるなら限定開花だって案外安いものだ。
魔剣・アロンダイトのシャムシエラか異形・融合体を使役するアクスヴェイン、どちらに撃ち放つかは実際に立ち合った時に決めるとして、ここからは再突入についてリオンと──ひいては王とも話し合う必要がある。
心配そうな視線を背中に感じ、一瞥くれてから廊下に出た。
……と、とりあえず面倒事をひとつ解決させて安心したのも束の間、堂々と扉のすぐ隣で待ち構えていたのは予想通りに苛ついている彼の姿が視界に入る。
半端者が戦場に立つのをあまり好かないリオンが事の真相に触れて腹立たしくならないはずがない。
「まーそう怒んなよ、皺増えるぞ?」
「黙れ。……と言いたいが弁明くらいは聞いてやる」
「あれっめずらし。じゃあ遠慮なく」
罵詈雑言を受けるのもやむ無しと思っていたのにリオンは案外物分かりが良さそうな態度を取った。普段なら開口一番に「お前は馬鹿か」と言うような男が、言い訳を聞こうだなんてあらゆる宝石より貴重で珍しい出来事だ。
よって今のうちに丸め込むのが最適解。本当に遠慮なく自分の言い分を並べていく。
深刻化し始めたのが約一年前の異形・変異体戦後、黒夜流星の発動がきっかけで限定開花さえ使用しなければこの異様な老化現象は微々たる程度にしか発生しない。
中身が腐っても今のところは対策をしているためか大した変化もなく、まともに戦えているから気にしなくても結構。ここからの反撃にも当然参加してアクスヴェインをボコボコに叩きのめす。
なんて若干強気に言ってみるも、シャムシエラと戦いたいと言った昨晩のことをリオンが忘れていないとしたらどんな反応をするか、きっと前言撤回するに違いない。
意図が読めない表情で対象を貶したり馬鹿にしたりはするが、彼も友を気遣うだけの心はまだ持ち合わせている。
「最後まで立つというなら付き合ってやるが、一体どこまでやれる?」
「……ふぇっ?」
「なにを間抜けた声を上げている。いい加減に振り回されるのも疲れた。どうせ止めても檻に入れても聞かんだろ、お前は」
「あーよくご存じで……」
────いや、そうじゃない。
リオン・ファレルはもっとこう、頑なな人物だ。結局最後は折れて納得することはあれ、大概は否定形から入ってくるタイプの男がこんな簡単に話をまとめてくるなんてまさか裏があるのか。なかったらなかったでちょっと急激な心変わりすぎて謎の寒気がする。
「話をしたクロエ部隊長が最後に約束しろと言ってきた、お前が満足に動ける間は好きなようにさせてやってくれとな」
「姉さんが……」
クロエは庇護すべき弟をできれば最後の最後まで守りたい。
だが、彼の行動を縛ることは愛するが故にできなかった。いとおしく想う限り、彼が自由に羽ばたいて流星が思うままに空を駆けることを許せないはずがない。
オリオンという少年が幼い頃信じてやまなかった誰より輝く星になる夢を自らの判断だけで握り潰そうなんて、同じ種族として永い人生を生きる者だからこそできない。
「ちなみにお前の意見は?」
「今すぐ殴り倒してやりたいが、まぁお前には大きな借りがあるからな……死なないことが条件だ、張り切ってこい」
「ンだよそれ楽勝じゃねえか!」
笑っていこう。そうしていればどんな苦難が待っていてもきっと全てが楽勝になる。
リオンが協力的だと分かった今、考えていた策がある。やはり国王の承認が必要にはなるが確実かつ一撃必殺の切り札になりうると彼には強い確信もあった。
「さぁて一休みするぜ」
「オリオン、少し待て。休息の前に頭に入れておいてほしいことがある」
「……なんだよ」
「一連の事件についてだ。敵から少しだけ聞き出したことがある」
実は──最初に襲撃を受けた際、彼が敵側から得た有力な情報は未だほとんど共有されていない。
男の口からそれらが発せられた時は正直言って眉唾物の情報だと思ったが、アーテル王城で目にしたものや融合体にされたキャロルの他とは異なる能力や魔力転換等を見て聞いて、ようやくそれが嘘や噂ではなく間近に迫った事実であると確信した。
禁忌と呼ばれ、誰もが実行に移さなかった禁術。人の魂は白命界を通じて新たな命に生まれ変わるという理を覆し、世界の均衡を崩しかねない万能にして最悪の一手。
「アクスヴェインの真の目的は────」
────完全なる、死者の蘇生。