1-31 それぞれのカタチ 2
キャロル・アクエリアスはまだ肌寒い冬の終わりに産まれた。
母親は彼と同じ鮮やかで艶やかな赤い髪をした貧民層出身者とは思えないほど美しい女だった。父親はアルブス王国の政治において重役を担う貴族の男だったらしいが、キャロルは生まれてから一度も男を親と認識したことはない。
そのワケは至極簡単な事情──二人は愛し合う仲ではなかった。男が女の一夜を買ったことがきっかけで産まれたのがキャロルだったというたったそれだけの関係だ。
天才的な頭脳、抜群の運動能力、母親譲りの美貌を兼ね備えておきながら彼は宵世界で生きるにはあまりにも魔力が足りていなかった。母親から譲り受けたのは美しい容姿だけではなく魔法適応力を発揮できない不適合者という烙印。
それでも彼は母親に愛された。貧民街の住民も彼を愛し、いずれは城で王に仕える才児になると持て囃されたが、当時のキャロルにはなんの興味もなかった。この世界ではどうしても己が他人より劣る事実に生きづらさを感じていたのだ。
彼が10歳の時、女は病気で亡くなった。
女が最期に遺した言葉を彼は今でも覚えている。きっと老いて記憶が掠れようと死ぬまで忘れないだろう。
その言葉を辿り巡ってさ迷った彼は母親の死から一年後に出逢った運命の少女に導かれ、果てに見たのは幸福だったのか。
きっと今現在は幸せだろうが、それはあくまで一時的なものだ。
残念ながら望んだカタチ、誤ったカタチを手にした彼には過去も未来もなにも残らない。
彼が勝利しなければ、あるいは新しい可能性が産まれるかもしれないが──さて、魔術師が見る蒼炎の彼の結末はどうなるか。
楽園から薄ら笑いを浮かべ、二人の剣士の行く末を見守ることにしよう。
────炎が瓦礫を葬りながら黒ずんだ煙を纏って迫り来る。
互いに打ち込む爆ぜる魔法がぶつかる度に生まれる衝撃は、大地の軋みをより早め、精霊の都市を隅々まで破壊していく。
今のところ両者五分五分。タネが判って戦い方を理解したオリオンは重力から逃れるべく、なるだけ距離を置いて魔法を撃ちつつ魔力を惜しまず斬擊波を放ち続けている。キャロルはといえば長年連れ添った夫婦が互いの癖を知っているように身体が彼の行動パターンを記憶しているため、反撃の手数なら上回る──と、なんとも言えない緊張感の中なので少しリズムが崩れただけで優劣は変わってくるだろう。
「くっそ……なんで速いんだよアイツ!」
体格が大きいからといって決して遅いわけではなくむしろ速い方のキャロルは脚力強化なしだと平気で追い付いてくる大概な化け物だ。
オリオンの燃費の悪さではいつか魔力が尽きて速度が落ちる。決着を着けるタイミングがいつ来るかを彼自身が決めるとすれば、その時が来る直前──所謂最後の力を振り絞って、というヤツだ。
だから今やれることは攻撃と準備。ダメージを与えつつなるべく障害物を排除し、平地のフィールドを作り出すこと。
しかしそれを容易に成させるほどキャロルは甘くない。
魔人の腕は容赦なく逃げ道を潰し、オリオンの全身を砕かんと無作為に襲い来る。回避に気を使えば今度は真っ暗闇の夜空を蒼く彩る地上の灼熱が彼を焼き焦がす。
蓄積された16年分の魔力は予想を遥かに上回っている。不適合者でなければ今頃シキを、いいやマーリンをも越える大魔術師になっていたかもしれない。そう思わせるほど、一々オリオンを追い詰める重力魔法と蒼剣の炎熱を組み合わせた絶技は素人が一朝一夕で身に付けたものと到底考えられないくらい精度が高かった。
そんなにも評価が高い融合体キャロルにオリオンが拮抗できるのは、彼を理解し、やはり魔術師としての素養を持ち合わせていたからだ。
加えて現在の魔力量では歴然とした差がついているものの、魔法に関してはオリオンの方がコントロールが上手い。パターンを読んで行く先々の重力を強める辺りは持ち前の頭の良さが働いているが、無駄に乱発するのを見ると、魔法そのもの精度は高くても相手に直接ぶつけるための精度はあまり上手くないことを自らバラしているも同然だった。
──尤もこんな情報が判ったところで蒼剣のせいで対策は全く練られていないが。
「逃げ回る姿がまるでネズミのようだぞ。壁を崩して一体どこに抜け道を作ろうとしている!」
「誰がネズミだ! 教えねえよッ!!」
重力が建物の建材を押し潰し、炎が融かして更に剣撃が砕き飛ばす。
美しい街をこれ以上破壊するのは気が引けたが精霊たちが無事にこの森に帰るためにはアクスヴェインの野望を全てにおいて断ち切らねばならない。
オリオンがコンディション最高潮のまま戦闘を持続できるのは長くても残り3分。
これだけの魔力を放出していれば3分と言わず1分以内にでもやってくるだろうリオンの介入は実は望むところではない。魔性に堕ちたとはいえ元々は好敵手、キャロルとの決着は己の手で果たしたかった。
「点せ!!」
鍔を軸に発火したエンチャント魔法は道を塞ぐ蒼炎にぶつかりすぐにでも相殺されるが、細かいことを気にする暇はない。むしろ太陽の遺装を相手に炎系魔法が相討ちできるだけまだマシだ。
四方八方から襲い来る炎から身を守り、瓦礫を踏み越え、流星の斬撃を撃つ。
「──っ……そろそろヤバイ……」
限界が着々と近付くオリオンに比べてキャロルは回避や攻撃の挙動に余裕がある。それを見せびらかすように繰り出す重力魔法も時間をかけて精度を高まっていく。
一度でも重力に捕まれば全てが終わる。身体は炎に焼かれ、命の灯火は強い業火にかき消されて死が訪れる。それだけは許してはいけない。
ここでオリオンが負ければ次は間もなく到着するリオンを、ひいてはアルブスで帰りを待つシキすらも焼き尽くすだろう。今の彼には実行を可能にする力があり、殺人に怯えることない狂気も備えている。
キャロルに手を下させない。すでに彼を無力化する方法は判明し、準備段階もラストスパートに入った。
どれだけ傷を受けても致命的な一撃は食らわず、最後は必ず生き残る────たとえ自分の命を削る結末になってもだ。
森の中ではあっても精霊の守護を受けた都市は周囲を囲う木に炎が引火したり斬り倒されたりすることはなく見えない壁や天井に阻まれる。しかしその点が災いし蒼い炎が生む煙が充満した都市部は、不快な息苦しさがこもって息苦しさを増す。
もうすぐだ。もうすぐタイミングが訪れる。
何故わざわざ瓦礫や家を崩してまで平地を作ることに拘ったのか。何故魔力をギリギリ残しておくように調整したのか。
全てはこの星に賭けるため。
重力を越え、炎を突き抜ける黒夜の星が最大限に輝くために。
最後の壁を氷結系魔法で崩したオリオンは剣にありったけの魔力を込める。
「あれは、限定開花……!!」
暗闇を纏った夜の紅剣は内包した星の輝きを余すことなく解放し、満ちた光は波動として放出されず剣に集束していく。
漆黒に染まった紅と白の両刃には確かに限定開花──黒夜流星の輝きが瞬いていた。
融合体キャロル・アクエリアスを無力化する方法は二つ。一つはキャロル本人を殺すして異形の魔力活性化機能を根本から停止させる、手っ取り早さで言えばこちらの方が容易い。もう一つは、限定開花がもたらす魔を退ける圧倒的な星光で命に害さずキャロルに寄生した異形の腕だけを切り離す。今までの融合体と異なり彼は完全に一体化しているのではなく腕がくっついただけの状態だ。そこだけをピンポイントで落とせれば彼は異形・融合体の力を失うのではないか、と思った。
しかし、腕を落とす──それはつまり、彼の剣士としての人生を終わらせることを意味している。二振りの剣を持つために必要な片腕が無くなれば彼は戦場という烈火の中を疾走できなくなり、不適合者にさえ戻してしまえば二度と戦いに赴くこともない。
オリオンが出した結論は、剣士の命たる腕を奪う代わりにキャロルだけを生かす。生き残っても剣を持てない彼とはもう戦う機会はない、だからライバル関係を終結させると宣言したのだ。
「限定開花、撃たせてなるか──ッ!!」
黒夜流星の強大な魔力に危機感を覚えたのか、キャロルの移動速度が上がった。
間近にまで迫った赤い閃光が靴底で大地を抉り、彼自身を焦がす蒼炎は黒い聖剣を根本から折らんとばかりに更に燃え滾り黒夜流星を纏ったオリオンの剣のように灼熱の刀身を作り出す。
ついにぶつかり合った剣同士が騒々しい金属音の叫びを上げ星空に消えていく。
「貴様には分かるまい、不適合者と呼ばれ卑下された俺のような人間の気持ちが……!!」
「あぁわかんねえな!!」
弾き飛ばした火炎の剣に魔力を乗せた黒夜の一撃を見舞う。
振動に震えるガラティンを持つ右手がほんの少し緩まったタイミングを狙い澄まし、剣を横に薙いで叩き落とした。
少し焦った様子を見せたキャロルもただでは終わらない。右手が自由になったのはむしろ好機。周辺の重力を全力で重くし、近すぎる距離を開けてから蒼剣の片割れを拾いに後方へ下がろうとする────が、オリオンは意に介さず、足が一瞬潰され躓きかけたもののあえて前方へ進んだ。
これによって追撃をかけられたキャロルは左手に残された片割れだけで戦うことを余儀なくされた。
「──力を欲し、願い、ようやく手にしたというのに貴様の影がちらついて離れない……。いつだってそうだった。俺は地の底から這い上がり、上り詰めたのに貴様は力がある故になにもしていなくとも剣士になることができた。一体この差はなんだ……!! 何故俺は、常に劣らねばならないッ!!」
痛ましい叫びに呼応する炎は彼の平静さを象徴する蒼白さを失い、赤黒い流血の色に変色して忌むべき嫉妬の対象を覆い尽くす。
それらすらも叩き斬る星の一振りは皮膚を焼いた火傷も気にせず、炎の中を抜け出てキャロルとの距離を更に近付ける。
怒りが滲むマゼンダと無関心な深海の藍色が交差し、それぞれの見ているものの違いをハッキリと明確に互いに示していた。
「そっか、てめえにはなにもしてないように見えてたんだな」
「なに……?」
「俺はいっつも必死だったぜ。剣士になる前、こっちに来るずっと前から自分のことがさっぱりでッ! アーテルに来てからもいつも、誰かを守らなきゃならない重荷で──ッ潰されそうになりながら!!」
力が抜けていく。魔力が限界を迎えたのだ。
もう体でぶつかっていくしかない。小さい体を奮い立たせ、彼の両手に握られた蒼剣に剣を叩き込む。
「それでも必死こいてやってこれたのはな、これしかなかったからだ。こんだけ力があっても、俺にできたのは誰かを守ることだけだった。今だって、俺はイブキを助けたい────だからッ! てめえみたいなのに負けて死ぬわけにはいかないんだよッ!!」
キャロルが何故オリオンに劣るのか──。
不適合者であるからか、夢魔ではない人間だからか、いずれも違う。
それは自分のために剣を握った彼の本質そのものが、オリオン・ヴィンセントの誰かを守り誰かのために剣を振るうことしかできない在り方に決して追い付けないからだ。
「俺、は」
彼が蒼剣を初めて握った日。母を亡くし、最期の言葉に駆られて走り出した彼が大罪を犯した日。その時からすでに、キャロル・アクエリアスはオリオンに劣っていた。
「……俺は────!!」
「俺は、絶対に負けない!! キャロル・アクエリアスッ!!」
重力魔法を繰り出そうと腕を突き出した瞬間、オリオンは身を屈め、キャロルの脇を抜け出て背後を取り地面を斬り上げ──右腕を切断した。
迸る鮮血はキャロルの視界から青く紅い彼の姿を覆い隠す。
そして、意識がブラックアウトする瞬間に漸く気が付いた。
オリオン・ヴィンセントが見ている世界は、キャロルが今見ていた新しい世界とはすでに大きく乖離しているということを────。
『AAaaa──────!!』
切り離されて吹っ飛んだ腕の形をした異形は地面に落ちたと同時に醜い悲鳴を上げ、血の中に倒れた宿主へ帰ろうと必死に動き回る。
だがその素早い動きはオリオンがすでに予測済みだ。
剣に溜まった僅かなエネルギーを一気に放出し、星光の煌めきが一帯を包み込む。
「黒夜流星────ッ!!」
放たれた光輝は邪悪の一切を飲み込んで魔人の腕を消し飛ばす。悲鳴すら上げさせない限定開花の奔流に瓦礫と土まみれの都市は目映く幻想的な光彩を得た。
白金色が粒子状に拡散しながら薄れ消えるのを見送ったオリオンは横目で隻腕になったキャロルの安否を確認した直後、剣を魔力に解かして膝を着いた。
息苦しさと痞のせいで咳き込み、喉からせり上がった違和感の正体が出血だったことを知って苦笑いを浮かべる。
「やっべ……さすがに、三回目は……キツかったかなぁ」
三回目。その理由を彼以外がこの場で知る由はない。
ただぼんやりとした瞳は戦士のそれではなく、まるで目を悪くして視力が著しく低下した人のように見える。
「オリオン!」
自分を呼ぶリオンの声が聞こえて意識を繋いだオリオンはふらつく足に力を入れて立ち上がる。
「無事だな」
「おう、一応なんとかなった」
「キャロル・アクエリアスは?」
「生きてる……と思う。急いで治療すればな」
「分かった」
短く会話を交わしたリオンはキャロルに近づき、切断された右腕の付け根に銀腕をかざして詠唱を静かに紡ぐ。
その彼の姿をうっすら白い靄がかかった目でぼんやり見つめ、次いで夜空を見上げた。
震える手には全く力が入らないことを知るのは、オリオンだけだ。