1-26 再会 2
「っあークソ、身体中いってえ……」
「大丈夫? 自分で動ける?」
「なんとか……」
楽園の魔術師の恩恵を受けた追想武装にはそれを纏う一颯にあらゆる魔法を理解し、発動するために必要な詠唱をノートに書かれた文章のようなイメージ像の形で脳内に映している。たとえ多少の高位魔法だったとしても魔力さえあれば一颯は記憶した歌詞を読むように詠唱するだけで発動が可能だ。
一颯はその中から詠唱は長いが毒や精神汚染などの悪性の魔法効果を確実に解除できる治癒魔法を唱えた。女王アルメリアが使った魔法効果無効化では魔法の効力がなくなれば一時的なものに終わってしまうかもしれないとオリオンが言ったからだ。
そうしてようやく自由となった彼は両手をグーパーさせながら凝り固まった全身を柔軟運動で解きほぐす。
地下にいたせいで時間の感覚はあやふやだが、たった数時間でもその場でジッとしていれば身体は動かなくなるもの。ただでさえ魔力は底尽きかけているのに鍛練も食事もしなかったせいで腕や頬は痩せて筋肉量は明らかに落ちてしまった。
今すぐにでも余計に貧相な体格を元の状態に戻したいところでも、どこで誰が待ち構えているかも分からない以上はさっさとリオンと合流して抜け出すに限るだろう。
彼が一颯と分かれたということは別ルートで侵入し、アルメリアや子供たちは保護または解放していると思われる。つまり外は戦闘と捕虜の逃走で混乱し、アクスヴェインもたかがオリオン一人を相手にするわけにはいかなくなっているはず。
目下のところ目的は脱出────なのだが、さっきから一颯がオリオンの表情を覗き見ながらそわそわしているのが彼は非常に気になっていた。
「イブキ、どした? 俺の顔じろじろ見て……なんか気味わりいぞ」
「あっ……この話、今でもいいかな……?」
「ンだよ。俺もちったぁ休まねえと戦えねえし、話くらい聞くけど」
「じゃあ……」
正座の姿勢になった一颯は深呼吸して、顔を上げたまま正面を見ることなくそのまま停止した。
軽い気持ちで聞いてしまったせいで重々しい雰囲気に耐えられないオリオンが思わず先に声を出そうとした瞬間のことだ。
「ごめんなさい!!」
彼女は風圧が髪を撫でる勢いで力強く頭を下げた。……土下座とまではいかないが姿勢が完全にそれにしか見えないし、何事かを理解していないオリオンには全く訳が分からない。
一颯がいつ謝るようなことをしたのか。──彼に見覚えがあるとすれば、それはこの二人のどちらかがが謝罪すべきことではなく少なくとも彼女にはなんの落ち度もない事柄だ。
あのことに無意味な罪悪感を感じている彼女の顔をまずは上げさせたい。
「イブキ、いいから。なに勝手に謝ってんだよ」
「だって私、オリオンにひどいことしたじゃない。あんな嘘信じて……そのせいでこんな……」
大した怪我はなさそうに見える彼の肌は瘡蓋ではないが出血が固まった部分があったり、魔装束には土を踏んだ靴の跡や汚れが目立つ。それが意味するのは拷問に近い暴行を受けた可能性だということが一颯でも解る。
何故怪我がなく五体無事なのかまでは不明だが、それすら生かして利用するための手段だったとしたら本当に悔しくて胸が苦しい。
「元はと言えば俺が隠してたのが悪かったんだよ。軽蔑されるのが怖いから誰にも言わなかったんだけどさ、──その結果がこれってバカみてえだな」
「そ、そんなことない! 貴方がどんなモノでも差別される理由にはならないわ!」
「ありがと、……なーんか昔とおんなじこと言われちまったなぁ」
まだ剣士ですらなかった頃────、自分の種族が人間にいかなる害を加えどれほど嫌悪されているのかを知らなかった時、ほんの些細なきっかけで自身の出自を明かしたことがある。
対する反応は今のオリオンになら分かりきったものだ。当時は人間と違う耳も隠していなかったせいで最初から彼を疎んじていた周囲はますますもって忌み嫌う原因となるに終わった。
しかし、その大衆の中でたった一人だけ彼と隣で歩んだことを決めた青年兵士がいた。
青年は彼が大衆と異なる形であることを認めながらも自らと同じ"人"であることを主張し、友となり共に駆け抜けていったのだ。
「イブキはアイツと同じこと言ってくれてるんだし、騙された側なんだから謝ったりするなってこった」
「でも……」
「"でも"じゃねえ。俺は別に気にしてねえんだからもう終わりだ、それでも嫌なら一生気にしてやがれっての」
「む……もうっわかったわよ」
若干印象を悪くする終わり方だがこれが一番手っ取り早い。こうしてしまえば一颯が一々気に病んだりはしなくなる。────もしかしたら腹は立つだろうが。
「いや……俺は謝っとかねえとな、ごめん。許してくれとは言わないけど、嫌わないでもらえたらすげえ嬉しい」
……と、結局はオリオンも頭を下げた。
ここまで来たら要するにお互い様。どう行動をしようにも溜まったモヤモヤを消化しないことにはまともな会話が成り立たなかったわけだ。
「──許すとか許さないとかもうわかんないわよ。でもね、私はオリオンを嫌ったりしない。だって貴方に会うためにここまで来たんだから」
あの日、始まりの日にその歯車が噛み合わなければ決して出会うことはなかった二人。しかし出会ったからこそ二人はこうして強い運命の糸で結ばれ、見えないなにかに引き寄せられたように再びあり得ない事象と常人には踏み入ることができない世界で巡り会うことができた。
最早本能による嫌悪など一颯には微塵もない。ただ無事に生きていたオリオンの姿を見ただけで胸の奥にある別の想いが溢れ出してしまいそうだった。
いっそ今全部を伝えたかったが、それはここを無事に離れ更にはアクスヴェインを倒すことができてからの話。この場では飲み込んで、せめて逃げ仰せるまではとっておこう。
諸々はともかく、これでようやく互いの意思は伝えることができた。あとは地下からの脱出とリオンとの合流だけだ。彼が捕まるなんて絶対にないと妙な信頼感を持っている二人からすれば心配は無用だろう。
「さて、魔力は微妙だけどちょっとした休憩にはなったな」
「まさか剣を振るの!?」
「ンなの当たり前だろ。一暴れしねえと割に合わねえからな」
「全くもう……」
ウキウキしている彼の姿に一颯は呆れるしかない。
使われるだけ使われ、無駄に暴力を振るわれたオリオンからしたら動ける内に僅かでもアクスヴェインに逆襲するのは当たり前だ。
尤も全力でやると言って城に限定開花クラスの必殺技を撃ち込んだリオンが敵戦力を残しておいてくれるとは到底思えないし、魔力が全くと言っていいレベルで足りないので無理はできない。
長時間座っていたことによる足の痺れは無視し、ゆっくりと出口に向かって前進を開始する。
オリオンが先に進み、一颯が後ろから付いてくる形になった。彼女は不本意だと言っていたが、ここまで来させた手前オリオンにも戦いとは無関係な彼女を守るという責務がある。一颯にぼやかれながら半ば強引に先に進んだ。
地上に繋がる長い階段を上り、不釣り合いなステンドグラスの扉の前に立った時ドアノブを握ったオリオンの手が止まった。
「どうしたの?」
「イブキ、自分の周り気を付けろよ」
「……わかったわ」
飲み込むような返事を聞き、左手に剣を持った状態で警戒しつつ静かに扉を開く。
なるべく扉が盾になるように腕だけを動かして身体は隠し、敵影がはっきりするギリギリまで開ける仕草を止めたり少し閉めたりすることでフェイントをかける。
敵の気配が動く素振りはない。ここはいっそ一気に開き、突っ込むことで怯ませた方が効果的かもしれない。
さんにいちでカウントを数え、少ない魔力で効果的な強化の魔法を乗せて扉を全開にした。
「食らえッ────!?」
飛び出したまではよかった。勢いもついていたし、人間の兵士相手なら一瞬で決着するくらいオリオンは速く、一撃で気絶させるくらい容易なほど力強い剣を振り抜いていたと後ろから見ていた一颯は思う。
ところが相手は予想していたモノと全然違う存在だった。
見た目は──おそらく女性。日本で言う袴のような長い丈のスカート、上半身を覆うアーマーや顔を隠す仮面といった異質な雰囲気を纏ったあべこべ感よりも強く目に焼き付いたのは、女が持つ巨大な剣だ。自身の背丈より20cmはあるであろうその剣を下段に構えていた彼女は突撃してきたオリオンを"斬る"ではなく"叩き""殴る"といった表現が相応しい攻撃で迎え撃つ。
予想だにしない反撃に面食らった彼は廊下の壁に叩きつけられ、不運にも刃が当たった腕は魔装束のアームカバーごとざっくり切り裂かれた。
今の一撃で負傷したオリオンに近づこうと踏み出した一颯はそれに気付いた女の視線に射抜かれ、仮面越しに突き刺さる謎の圧迫感に怯んで次の一歩が出てこない。それこそ女の剣ではない"なにか"に対し、本能的に命の危機を感じ取ったかのような────。
「なッ……んだよ、お前……」
壁だった瓦礫の山に埋もれ、強打した頭を抱えながら発した言葉は女への疑問の言葉だった。
オリオンには解る。女の持つ理解不能なまでの強さと所有する剣────遺装が帯びる異常な魔力が示すアクスヴェインに依するこの戦士は、リオンと一颯を含めた三人がかりでも倒せないことを。
余裕そうに人差し指をくいくいと曲げ、挑発してくる姿が「お前には負けない」という女の自信を物語っている上、本当に勝てる気がしない圧力を前に苛立ちが隠せないオリオンは瓦礫に混じった小さな石と拳を握り締め、目線の勝負だけでも負けないよう目は離さない。
《────る──?》
「……っ?」
《──える?》
「シキ……!!」
膠着状態の双方を見ていることしかできなかった一颯の耳に突然入ってきたシキの声は地上に上がったおかげで魔法による念話が"圏内"になったことを意味していた。
オリオンと合流し脱出しようとしていることを伝えると彼女は我が事のように喜んでいたが、同時にシキが見せた映像の女とは違う謎の女戦士と彼が対峙し劣勢であることを伝えた途端、あの飄々とした魔術師があからさまにフリーズした。
それもそうだ。謎の女Xの存在はシキの出した仮説に一石を投じる完全な矛盾となっている。
オリオンが不利か有利かは関係ない。とにかく彼女からすれば黒と白の剣士を越える要素を持った駒をアクスヴェインが用意していたことが想定外なのだ。
《リオンは異形と交戦中だ。今すぐに伝えるけどあと二分は待ってもらわないと……》
「二分……」
《一颯ちゃん、戦えるか?》
「──時間を稼げばいいのよね、分かったわ」
リオンが到着するまで推測で約二分。一颯にできることは女の気を引き、彼が来るまでの時間を稼ぐこと。
追想武装は変えない。下手に剣士の姿になってつばぜり合いをしようものなら十中八九女の大剣に吹き飛ばされ、オリオンが受けた傷よりひどい怪我を負いかねないからだ。遠距離から足止め用の魔法を放ち、迫り来る女の攻撃を上手く回避して、気付いた時にはリオンが到着していると信じて戦うだけでいい。
そうと決まれば行動あるのみ。
一颯が持つ常人ならざる陽魔力を最大にまで高め、杖の先に飾られた鮮やかな花の宝珠にイメージ像を描き出す。
眼差しだけで足がすくむあの女の目をまた見なければならないのは嫌だが、オリオンを守るためにはこれくらいどうってことはない。むしろここでやらねば二人まとめてやられるのが現実だ。
魔法が鎧型の魔装束にどこまで効果的に作用するか不明ではあるが、試すだけ試してみる他ない。
「連閃、炎撃ッ!!」
煌めく宝珠から迸った熱い炎の連続魔法は標的に向かい一直線に延び、尾を生やした灼熱が剣を握った女の肩口を狙って凄まじい速度で飛んでいく。
オリオンから目線を外さない女がこの魔法を回避するには少し距離が近く、防御しなければ間に合わない。そこで剣を使えば逆に隙が出来上がり、オリオンの二撃目が待っている。示し合わせていなくとも二人でならきっとうまくできるはすだ。
────しかし、女戦士はそう甘くはなかった。
発射された魔法に回避行動や防御姿勢を取るどころか熱を感じる位置にまで来ても見向きもしないのだ。このままでは直撃すると魔法を放った一颯ですらヒヤリとしたが、その後の光景を目の当たりにして驚愕に塗り潰された。
「そんな……っ効いてないの!?」
渾身の魔法攻撃は直撃したにも拘わらず、女には火傷どころか鎧に傷ひとつなく全く効いていなかった。
至近距離で見ていたオリオンからも炎が肩に当たったことが確認できている。ただしやはり傷はない。対魔法障壁を作るための詠唱をしていたようには思えなかったし、そもそも無音だったにらみ合いの最中で仮面の奥からそれらしき声は聞こえていなかった。
「マジにバケモンじゃねえかよ……!」
魔装束に魔法を無効化する障壁が備わっていることはまずありえないと言っていい。魔装束を編むのは専門魔術師の仕事だが、どんな魔術師であっても完全な魔法抵抗力を擬似的に持たせることは不可能に近いのだ。
一颯がいくら素人でもあの大魔術師マーリンの力と強力な陽魔力で撃ち込んだ魔法は相当な威力を誇っている。女の魔装束がいくら高名な魔術師が作ったものだとしても威力軽減ならまだしも無効化できるはずがない。
となれば、導き出される答えはただひとつ。魔法を無効化したのは女自身の魔法抵抗力だ。それでも物理的なダメージすらなかったことにできるなんて聞いたことはないため、オリオンには"化け物"としか形容できなかった。
そして女に魔法が効かないと判れば一颯には成す術がない。大剣を振り回す女が相手では筋力が致命的に敵わないことを理解できているのが余計な要素となり、要らない焦りを募らせる。
「ッ──!」
ついにオリオンから視線を外した仮面の奥は見えないのに冷たく凍えるほど寒かった。
威圧に負けて震えながら一歩ずつ下がってしまうが、あるのは長い長い階段だ。振り返って駆け降りれば一時的に逃げられるがその先には逃げ場がなく、待っているのは確定的な"死"だけ。
ならば一か八か、全力の魔力を使って一番の攻撃をかますしかない。
あと一分くらいだろうか。こんな時に限って二分程度がなんて長いんだ。ざわざわと騒ぐ思考を一斉に押し退け、杖先にもう一度魔力を込めた──────その時だ。
「ダメだイブキ!! 攻撃すんな! 防御しろ!!」
えっ、とオリオンの言葉に疑問を返す間もなく一颯の身体は暗い宙に浮いていた。
全てがスローに見えるほどの時間の流れの遅さに愕然とし、一度だけ背中が石の角にぶつかったことが理由で、後方の階段──すなわち地下に落とされたことに気付いたがもう遅い。
一瞬の鋭い痛みに思考を奪われ、体勢を立て直すという簡単な動作すらままならない内に彼女の姿は薄暗い底に消えていった。
「────まずは一人だ、宵の剣士」
ステンドグラスの扉の奥に広がった闇より深い女の声がオリオンの耳には全く入ってこない。
イブキはどうなった。無事か。死んではいないか。今すぐ安否の確認に向かいたいのに立ちふさがった女戦士が邪魔で邪魔で仕方がない。
「そこどけよ……!!」
「我々は剣を振るう者共。私を退かしたければその剣で語るがいい」
「上等だクソ女ッ!!」
瓦礫の山をかき分け、両手で力強く握った黒い流星の紅剣を遠慮なく女の大剣に叩き込む。
僅かでも女の間に入り込めればいい。一颯の無事が判れば後のことはリオンがどうにかしてくれると責任を放棄してとにかく隙を窺うが、女は鉄壁のように動かない。それこそ石に向かって剣を振っている気分だ。
「まるで赤子だな」
「うるせえぞ。黙って斬られろッ!」
「フンッ青二才ごときが戯れるな────!!」
「ッぐぅ……!?」
繰り出される剣撃が重い。だが剣の大きさの差だけじゃない。その細い腕はオリオンの戦闘経験では到底追い付くことのできない恐ろしい"力"を宿している。
このまま競り合ったところで勝負は見えたも同然。
現在の状態では出血のせいで手には力が入らず、強化魔法も持続させることができない。だからと言って一颯を放置して逃げることがオリオンにはできるわけもない。彼が戦闘続行か逃走かで揺れているのが分かる女は終始精神的にも優勢を保っていられる。
「────!!」
女の動きが少しだけ止まった。それはなにかが来るのに気付いた様子だった。
チャンスか? と思い懐に飛び込もうとした瞬間、女はステンドグラスの扉の奥に逃げ込み、追いかけようにも罠かもしれない行動を易々と追うのには抵抗が生まれ、手が出ない。しかも一颯を人質に取られれば余計攻撃なんてできない。
今すぐ向かうか様子を見るかで悩むオリオンを追撃するかのように後ろからは大勢の足音が聞こえてくる。もう時間がない。
────が、彼は突然やってきた。
離れの廊下の壁を一瞬で消し飛ばす銀弓の連撃が周囲一帯を破壊し、開いた穴から降ってきたリオンは苦い顔つきで膝をつく友人の姿を確認し、同行者であるもう一人を探す。
「──月見はどうした」
「……出ていくなら……勝手にお前だけ行けよ。俺はイブキを、助けないと……っ」
扉の先にあるものの魔力を感じ取ったリオンはドアノブに伸びた手を上から押さえつけた。その行為を振りほどこうと睨んできた彼に対してかける言葉もないといった無言の表情で首を左右に振り、一段と幼く小さく見える体を抱えて入ってきた穴から早々に脱出する。
「てめ、なにしやがる!」
「馬鹿か、時間切れだ。俺たちはお前を死なせるために来たわけではないぞ」
魔力切れを見抜かれたことでオリオンにはそれ以上の反抗ができそうになかった。
確かにあのまま続けていたらいずれは負けていたのが現実である。
戦場をよく観ていて、起きる事柄に冷めていて挙げ句物見の心眼を持ったリオンが介入したことで最悪の結果だけは避けられた。むしろ礼を言わなければならないくらいだ。無論極めて不本意だが。
「……ごめん」
──穴の奥から兵士たちの声が聞こえてくるのが無性に腹立たしい。しかしそれは離れていく彼らにはもう関係のない話だ。