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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 宵世界編
35/133

1-24 ヌアザの聖腕



 肌を滑る水滴が流れ落ちて波紋を描き出す。

 アルブス王国名産品のひとつ"アルブスカミーリア"は超が付くほどの高級品でありながら、世界各地の上流貴族婦人や王族が取り寄せる美容の必需品。花から絞り出される油は肌に塗るだけで保湿のみならず、柔軟性を高めて炎症を抑える働きがあるらしい。

 一颯が浸かっている湯にはそのアルブスカミーリアの花弁(はなびら)が贅沢にも大量に散りばめられ、それ自体の効能かは分からないが指先で撫でる腕の表面がなめらかになった気がする。有名旅館の温泉がテレビで紹介される度に「絶対に誇張表現だ」と思っていたが、こんな湯に巡り会ってしまってはアナウンサーや芸人のマーケティングじみた感想を信じてしまいそうだ。

 とは言ってもここは現代日本の秘湯ではなく、シキが暮らす小さな屋敷の一画に造られた所謂"風呂場"である。

 ディートリヒ家がどれだけ地位の高い一族かを一颯は存じないが、シキ曰く「女に産まれたなら潜在する"美"だけは捨てるな、と母が造らせた」とのことで、娘の美容のために25mプールに匹敵する広さのバスルームを用意したと解釈した瞬間、常識外れの相当なものだと理解した。

 さすがにここまで来るとお金持ちでも羨ましいとは言えない。むしろ国に奉仕する彼女は気苦労の方が多そうだと一颯は思う。────実態はともかく。


「……先輩、どうなったかな」


 そういえば──と言っては失礼だが──、リオンの一族は王族に匹敵するものだと事が落ち着いた後にシキから聞いた。

 アトランティカ大海に浮かぶ青の国──カエルレウム連合公国は、御三家なる三つの一族が治めている。御三家は元々ひとつだったのが、血筋を未来に繋ぐ過程で三つの思想に分かれていき、現在の形になったそうだ。

 リオンが属するファレル家は"異端(ヘレスティック)殺し(イレイズ)"と呼ばれる遺装(アーティファクト)贋作(レプリカ)と物見の心眼を扱い、御三家で最も高い発言力を有する対異形に特化した戦闘集団。

 一応人間の枠組みに入る彼が異様に強いのも家柄を聞いて納得できた。


「全く、戦うことしかしらないって嫌だよね~。あれがスパルタ教育って言うのかな?」

「……いつからいたんですか?」

「えへへっちょっと前から隣にいたよ。それと僕はシキね、僕も一颯ちゃんって呼ぶからさ」

「わ、分かったわ」


 物思いに耽っていた間に迫っていた少年のような少女は誰もが羨むほどスレンダーではあるが、あらゆる部位が同世代の一颯より慎ましく背丈に見合わない幼さを印象づけている。それでもアルブスカミーリアの効果が全身に出ているのか、露出された肌はしっとりと艶やかで必要以上に色っぽい。


「もしかしてリオンくんのこと気にしてる?」

「気にしない人の方が少ないわよね……」

「だよね、うん。あの状況は僕も緊張しちゃったよ。ファレル公には黙っててって全員に伝えたはずだったんだけどなぁ」


 エルシオンとシキによる無言の睨み合いはその直後、発端となったリオンに止められ彼自身が父親を連れて外へ出ていった。

 突如として静まり返った応接室にはどことなく嫌な空気が充満して、とても居座る気が起きなかった一颯はシキと共に屋敷へ向かい、仮眠と食事をした(のち)こうして風呂に浸かることになったのだ。

 彼が戻ったらこの屋敷の場所を伝えるよう侍女に命じたらしいのだが、シキの反応からまだ戻っていないのが分かった。


「なんなのかな、あの人」

「……ファレルの家は複雑なのさ、色々とね」

「色々?」


 シキの目は遠くを見ているように見えて奥はとても真剣そうだ。


「知りたい? また長話だから、のぼせちゃうかもしれないけど」

「気になったままじゃ嫌だし話して。まだ五分くらいしか浸かってないもの」

「じゃあ遠慮なく────」


 ────長い歴史を誇るファレル家の現当主は恐ろしいほど厳格な男だ。

 同じ御三家から魔法の才能が優れた女を妻として迎えた彼は彼女との間に男児を授かったが、その赤子には家を支えられるだけの力はなく、その後産まれた次男は魔法の才には恵まれたもののなんらかの要因で()()()()()与えられた遺装を満足に使いこなすことができなかったが、最後に産まれた三男は完璧で非の打ち所がない天才児だった。

 しかしエルシオンは跡継ぎに関係なく、息子たちには過酷な教育を平等に施したらしい。時には真冬の海に投げ出し、寒さと異形に襲われようが一日以内で戻らなければ温かい食事と暖かい寝床は与えないと言ったこともある。それらは教育とは呼べず、現代社会で問題視される小児への虐待すら生ぬるく感じるほどの行為ばかりだ。


「先輩は三男?」

「いーや、彼は次男だよ」

「ええっ!?」


 おかしい。彼には弓を番え、魔法を放てるしっかりと繋がった両腕があるじゃないか。次男は片腕が生まれつきなかったはずだが、シキはむしろなんで知らないの? と言いたげにキョトンとしている。


「──そうか。考えてみれば明世界でそれを明かす必要がないのか。ねえ一颯ちゃん、彼が怪我したことはある?」

「怪我……ゼピュロスと戦った時に風で腕が……」

「どうなった?」

「いつの間にか治ってたわ。いつ魔法を使ったのか分からないけど」


 対ゼピュロスで彼が腕に受けたダメージは射手として致命的だったと思う。右肩の脱臼に加えて複数の裂傷は動かすだけでも激痛だったろうが、不思議なことに後の戦闘でも平気そうな顔で矢を撃ち放っていた上、直後ちらりと彼の腕を見たらすでに傷は癒えていたのだ。

 治癒魔法を詠唱する余裕は少なくとも一颯にはなかったし、リオンもしていないはず。


「彼はね、贋作遺装の弓以外に別の遺装を常に身に付けてるんだ」

「……もしかして!?」

「分かったね。そう、彼が所持する真の遺装は──彼の義手(ひだりうで)なのさ」


 彼の左腕として形を成す遺装、その名は"銀腕・アガートラーム"。

 ケルト神話におけるダーナ神族の王ヌアザが王位継承のため医療神ディアン・ケヒトの助けを借り、造り上げたとされる神造の義手。

 神話によれば右腕の代わりのはずだがリオンは左腕にしているので、実際と言い伝えは多少なりとも違うのだろう。ガラティンも本来の伝承では一振りだ。

 限定開花(レミニセンス)はリオンがアガートラームと魔力による接続を果たしているならば自動的に発動する。

 ひとつはゼピュロス戦で謎を残した能力、彼が負った傷を生きている限り時間さえかければ致命傷でも()()()()()()()"治癒神の祈り"。もうひとつは"神域の加護"と呼ばれ、詳細は不明だがシキが言うには"神造(デミウルギア)遺装(アーティファクト)"特有の異常な能力だそうだ。

 しかもアガートラームは擬態するため、接続がある限りは銀の輝きは色を隠し、普通の左腕にしか見えない。


「彼はヴェールの女王様に気に入られてね、銀の腕をあげるから弓の才を磨いてほしいって言われたのさ」

「そんな簡単に!?」

「らしいよ? 僕も詳しい経緯は知らないけど。──まぁそれがあって、本当に冠位にまで辿り着いた彼をファレル公は当主にすると言い出した。無茶苦茶だよね、本来なら継ぐのは三男だったんだもん」


 片腕がない故に銀弓を扱えなかったリオンは銀の腕を得た途端に神が与えた人として最高の才能を開花させ、ヴァルプキス全土に名を轟かせた。

 ところが、同時に御三家出身者のほとんどが欠陥品を最高傑作だと手のひらを返したことで、彼の中にあった一族への不信感が増し、更には加速する父親の"教育"と増大する死への恐怖に耐えきれず半ば亡命する形で島を逃げ出した。


「これが約三年前、ファレル公は当主候補のリオンくんを必死に探したけど……明世界に逃げたんじゃどうしようもなかったみたいでね、さっぱり諦めて三男の教育を進めてるよ」

「酷すぎるわ! そんな人、父親失格よ!」

「確かに。でも彼は父親として息子とは接してない、自分を継ぐ有能な男を選んでるだけなのさ」


 ガラス窓の先に広がるアルブス城下都市の夜景、その先にある城の客間を見つめているシキは憤る一颯と異なりエルシオンのやり方を否定も肯定もしていない。

 シキは自由に振る舞っているが、普通の貴族は当主になるまでの約20年は機械のような人生を歩む。明世界ではアンドロイドだの鉄仮面だの言われていたリオンは機械になりきれなかった。

 数年の苦行に耐えれば残り数十年間の人生が勝利確実になる出来レースで彼は自らリタイアを宣言したのだ。


「ま、ファレル公が憤慨するのも解るよ。リオンくんがいなくなったあと長男も行方不明になって、奥方──ライラ様もショックで心身を壊されて亡くなったらしいから。……自業自得だけどな」


 今回の鉢合わせは一応、偶然だ。

 アクスヴェインの凶行に対しアルブスとカエルレウムでなんらかの解決法を模索するためはるばるやって来たエルシオンとほぼ同じ理由で明世界から来たリオンが、偶然にも同じ時期に城に滞在した結果起きた事故。シキの言う通り二人には互いの存在を知らせていなかったのだが、きっと兵士たちの内緒話を耳にしたのだろう。

 なんにせよ、約三年前もの間行方を眩ませていた放蕩息子を前に怒り狂う気持ちは解らないでもないが、それが父親としての感情からではないなら部外者がかける言葉はない。

 

「大丈夫かな……」

「彼はこんなことで目的を見失う男じゃないよ、明日には元気になってるさ」


 常に真顔なリオンの元気の基準がイマイチ分からない。言えば意外と笑って答えてくれるだろうか。


「それより君ぃ、僕はまだ君の口から聞いてないぞ~」

「えっなにを?」


 邪悪な笑みを溢すシキはフフフと声にもなにか含ませて、一颯の瞳をじっと見つめてこう言った。


「そりゃあオリオンくんとの馴れ初めだよ」

「なれ…………いやいやいや私たちまだそんな関係じゃないわよ!?」

「まだってことはいつかなるんだな、よし! じゃあイチからゆっくり聞かせたまえ!」

「えぇぇっ!?」


 この後本当に一から十まで喋らされ、気付けば一時間半も風呂に籠っていたせいで揃ってメイド長に怒られたのは言うまでもない。

 余談だが、話の最中シキが所々に相槌のような形で挟んだ「僕とキャロルもさ~」から始まる同調には、なんだか二人の関係性が垣間見えた気がした。それは一颯とオリオンの信頼関係なんかより遥かに進んでいるのだと、彼女は実感せざるを得なかった。


 ─────その日の深夜。


「お疲れさま。一颯ちゃんに見せられないほどひどい顔してるよ」

「やめてくれ……本当に疲れてるんだ」


 丸いテーブル越しに頭を抱えるリオンは顔や腕などの見える部位に点々と赤い痕を残し、時々最初に殴られた頬の辺りをさすっている。

 彼が屋敷に戻ってきたのは日付が変わった直後頃だった。

 昨晩眠れていなかったらしい一颯はすっかり眠ってしまっていたが、シキはひどく疲弊したリオンを屋敷内に迎えてこうして深夜のお茶会へと洒落込んでいた。──無論、リオンはもう寝たい気分なのだが。


「そんなで本当に明日大丈夫なのかい?」

「もうすぐ全快する。問題はない」

「そうじゃない、ファレル公の方だ」


 観念したリオンが手ずから連れ出した後もエルシオンの怒りは収まりそうになく、それくらいは想定内の彼も反抗する気はなかった。理由は理解しているので多少の事は甘んじて受け入れ、堪え忍んだ。

 それでも悪いのは父上だ、とそのスタンスだけは崩さなかった。


「……多分な」


 最早親子喧嘩程度では片付けられない状況でリオンは明世界に逃げたことについては一切の弁解せず、何故今になって宵世界に戻ったのかだけを説明した。

 彼がこの世界に足を踏み入れた理由。契約期間外なのに七の意思から直々に命じられ、アクスヴェインの反乱から始まった世界の脅威を取り除くため、反乱に手を貸すとある人物との過去の因縁に決着を着けるためだ。

 奇しくも利害が一致したエルシオンは暴力を振るう手を止め、なにも言わないまま踵を返し客間へ戻っていった。

 では今までの数時間なにをしていたかと言えば、エルシオンから受けた暴行の傷を川辺で治癒していたのだ。苛立ちのせいで誰とも顔を合わせたくなかったのもある。

 最初に対面したのが一颯でなくてよかったとリオンは心底思う。彼女はこの世界では無駄なくらい優しいから厳しく当たってしまっていたかもしれない。


「俺たちの邪魔をするようなら足止めしてくれ。なんなら寝込ませるくらいはしてもいい」

「はいはーい……って実の親にそれかぁ」

「悪いか」

「いいや、僕が君の立場でもそうするよ」


 向こうの意図が読めない以上は警戒の対象と見るべきだ。邪魔をするつもりなら排除し、手助けをするならありがたく受け取る。別にエルシオンは父親であっても味方ではないのだから。


「……そういえばさ、すっごく気になること聞いていいかな?」

「短めに頼む」

「わかったよ。じゃあさ……君は知ってただろ? クラレントが()()()()()()()だってこと」

「────何故?」


 一颯が眠った後、実家──ディートリヒの屋敷に行ったシキは現存する遺装に関する文献を探した。彼が「クラレントは片刃じゃない」と言う前、不自然に言い淀んだのが違和感だったからだ。

 巨大な図書室に入ってから探した時の過程は省略し、見つけ出した"王の伝説"に連なる文献に書かれたクラレントの記述には確かにその一文が存在していた。


「クラレントは持ち主の意思であらゆる形に変化する、君はそれを知ってて違うって言ったんだろ? 持ち主と一対一になりたいから、余計な競争相手を作らないために」

「……」

「そして、君はクラレントの持ち主も知っている。何故ならソイツは──────あぁごめん、この先は地雷だな。分かったから睨むなよ」


 謎解きの終盤で犯人を追い詰める探偵のように

喋っていると、リオンの表情が次第に険しくなっていったので煙を払うような仕草で手を振る。

 だがシキの説を否定はしなかった。彼の性格上、真実を指摘されても慌てはしないが違うなら違うとはっきり否定するはずだ。たまにいたずらに試すようなことも言うけれど、今回の表情を見る限り間違ってはいないだろう。


「これは俺たちの問題だ。お前や月見、オリオンにも関係はない。邪魔をするなら全員敵だ」

「────そう。なら、もうなにも言わないよ」


 その会話を最後にリオンは部屋を出ていった。

 掴んだ正体を口にすることすら許さないほど強い敵対心にはさすがに巻き込まれたくはない。銀弓の魔術師の異名には興味があるが、殺し合うことになるようなら穏健派の魔術師としては極力控えておきたい。


「さぁて、僕も休もうかな」


 壁掛け時計はすでに午前二時過ぎを指している。夜明けまではあと二時間しかない、休める時間もだいぶ限られている。

 今日という日は、結果がどうであれひどく長い一日になるだろう。

 不安と狂気が彩る宵世界でこれから起きるすべての出来事が良き方向に事が運ぶよう、三人の誰もが願っている。



*神造(デミウルギア)遺装(アーティファクト)

神話に登場する道具──いわゆる"神造物"の中で、遺装を指す言葉。

リオンが所有するヌアザの"銀腕・アガートラーム"や北欧神話におけるトールの"雷鎚(らいつい)・ミョルニル"などもこの部類に含まれる。

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