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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 明世界編
29/133

1-20 選択





 二日間降り続いた雨が終わり、晴れ晴れとした空がまた顔を出した三日目のこと。


 ───月見家にある人物がやって来た。

 チャイムを鳴らされてから二階の自室を出て、どちら様ですかとも聞かずに玄関の扉を開く。

 今の彼女にとってはそれが強盗だろうが宗教だろうが心の底からどうでもよかったからだ。殺してくれるならそれも結構、すがれるものがあるならそれでも結構。とにかく今はなににも人並みの興味関心がなかった。

 しかし予想に反して相手は普通の人で、それでいながら殺してくれと願えば頭を撃ち抜いて楽にしてくれる異様な人。


「……先輩」

「月見、調子はどうだ」


 あの日以来初めて顔を合わせた璃音はどこかいつもより穏やかな雰囲気だった。───気を使っているとも言うが。


「ほっぺたはもう大丈夫です。さすがに帰ってきた時は大騒ぎでしたけどね」


 一部にまだ薄く青アザが残る頬をさらりと撫でて一颯は苦笑する。


 事態の後、豪雨を理由に華恋を連れ出して梓塚に帰った一颯は精神的な疲弊を理由に寝込んでしまい、仕事から戻った両親も顔の腫れと様子を見てパニックになるほどであった。

 お出掛け中に運悪く顔から転んで頬を怪我した、歩き疲れたので寝ていた──などと誤魔化すことでその場を収めることにはできたが、自分のしたことに対する罪悪感を誤魔化すことはできない。


「───あの人が言ってたことが嘘だってちゃんと分かってたんです。でも本当だった時を考えたら怖くなって、……オリオンがそんなことするような子じゃないことくらい知ってるのに」


 夢魔という異形・変異体の一種だとしても、命を懸けて人々を守るオリオンが人を襲う怪物であるわけがない。

 一颯は長い10日間で間近で彼の戦いを見て、彼の心を知った。最初は互いに干渉しづらい位置から始まって、次第に心の距離を埋め合った。

 だがオリオンがどれほど善良で無垢な存在であっても最終的には自分の女性としての嫌悪感が勝ってしまい、結果としてはアクスヴェインの思惑通りに事が運んだ。

 もちろん年若い少女なら当然の反応だったと男性の璃音も思う。

 現代社会では同意の有無がひとつ違うだけで重大な犯罪であり、一生で見れば取り返しのつかない傷になる。

 だから一颯は悪くない。無論オリオンも悪くない。最も唾棄すべき害悪は女性の精神に漬け込み恐怖を植えたアクスヴェイン・フォーリスだけだ。


「あまり気にしすぎるな。ヤツもその程度でお前を軽蔑したりはいない」

「……そうですか」


 続かない会話と流れゆく沈黙が示す複雑な感情。

 一颯は今どうするべきなのか分からない。

 敵は異世界。そこに行く権限や力はなく、あるのは途方もない無力感といずれ訪れるであろう"誰か"によって殺されるのを待たなくてはならない恐怖。

 彼を救い出すための手段はない。彼女にはただ待つだけしか選択肢は残されていない。

 そう、思っていた。


「昨日、緑の国"ヴェール"が壊滅した」

「それって宵世界の話ですか?」

「あぁ」


 宵世界には明世界と同じく多数の国がある。

 その中でも極めて特異とされているのが、異形・変異体でありながら人間以上の魔力と清い心を持つ精霊(エルフ)たちの国。

 名を───森聖領域"ヴェール"という。

 ヴェールは通称「緑の国」と呼ばれるだけあって、アーテルとアルブスの国境にある大きな森の中に隠された秘匿の世界だ。

 広大な森の更に深い場所に結界を張り巡らせ、内側の空間に都市があるため普通の人間には見つけることすらできない。

 ところがヴェールの都市は昨日、黒装束の集団に襲撃されそこに住んでいた多くの精霊は抵抗もままならず殺された。


「解っているだろうが、この件はアクスヴェインの仕業だ」

「人が入れない場所に……どうして」

「オリオンが必要だったのは恐らくこのためだな」

「どういうことですか?」


 話が飛び飛びで流れが見えない。

 璃音が言いたいのはつまりヴェール襲撃のためにオリオンが必要だった……なのだが、何故彼が必要なのか。

 答えは彼が持つあの剣にあった。

 深紅の光を靡かせる美しき魔法の剣は、かつてヴェールがある精霊の森の湖に沈められていたものらしい。20年近く前に何者かが持ち出したことで失われたそれがどういった理由でオリオンの手に渡ったのかは誰も知らない。

 そして剣は精霊の力を強く帯び、人間には感知できない結界を見つけ出し破壊する力を持っていた。

 アクスヴェインにはヴェールを見つけることはできないが、オリオンには都市を隠す巨大で透明な膜を視認し、切り裂くことができる。殺すこともできたはずの彼をわざわざ捕らえた理由はこれしかない。


「じゃあオリオンは精霊を───国を滅ぼすための手助けをさせられたってことですか!?」

「そうなる。しかも、この事態を世界の秩序を乱す災厄だと決めた存在がいる」

「誰ですか!」

「────七の意思、宵世界における絶対の支配者」


 神代に肉体が消えた明世界の神々と違い、宵世界には存在として認められる神々がいる。

 七の意思は名前の通り七柱の神だ。

 彼らは宵世界を完全に支配し、世界を戦乱に落とす悪がいるのなら平気で世界に干渉して抹殺する。


「七の意思はアクスヴェインとその一派をいずれ宵世界を滅ぼす要因になりうる種子と断定した。そこにはヴェールを壊滅させる原因になった人物も含まれている」

「───オリオン、ですか」

「……残念だが、ヤツらは世界のためなら利用された側だろうが容赦はしない」


 すでに七の意思は手を打った。

 一人の人間に干渉し、異形・融合体の素体になる子供も含めすべて皆殺しにせよと声を投げたのだ。

 ここまで話を聞いたなら、誰が干渉されて声を聞いたのか想像は難しくないだろう。


「まさか先輩……」

「……本筋から脱線するが、話を聞いてくれるか」


 黒弓璃音─────リオン・ファレルは宵世界で最強格の魔術師である。

 神秘宿る金色の瞳は未来を写し、卓越した魔法の才能を持ち、果ては誰にも成し得なかった究極に辿り着くことに成功した。

 七の意思は白銀を青く染めながら何者にも塗り潰されない彼を大いに気に入った。彼はいずれ宵世界を守るべき存在だ、と。

 そうした経緯があって彼が手に入れたのは死後に宵世界の秩序を守護する者として永遠を約束される権利───冠位。

 悪く言い換えれば死んだ後の世界に生まれ変わることなく神々に奉仕する義務だ。

 彼が何故宵世界を捨てて明世界に逃げたのか、それはいずれ永久に縛られる生への執着がきっかけだ。早く死ぬことが恐ろしい、戦いたくない、誰も背中を押さない優しさを求めてオリオンの助けを借りてこちらにやってきた。

 ────気が付けばもうすぐ三年になることは最近思い出した。

 

「全て無駄だった。七の意思はこちらの世界に扉を開く力を与えている、だからいつでも干渉できたんだ」


 鉄の仮面を砕いた彼は苦虫を噛み潰したような表情のまま笑う。

 七の意思はまだ生きている彼に手を貸せと要求した。戻ってきて世界を守らねばお前はそちらの世界に置いておくわけにいかない、と脅しをかけて。


「……オリオンを、殺すんですか」


 薄暗い室内に籠る空虚な感情が声に出る。

 璃音はなにも答えない。オリオンをどうするかはなにも言わない。

 代わりにひとつ、一颯に選択肢を投げ掛けた。


「月見、これはお前にしか選べない」


 夏の太陽が深く深く沈んで行く。

 まるで、少女を宵の世界に誘うように。





 太陽が黒い空に沈みきった頃、一颯はあの公園にやってきた。

 町を一望できる丘の公園。彼が町の全景を見ながらここで異形の出現を待つんだと言っていた場所。

 彼女の手のひらでは赤い追想結晶が美しい輝きを放っている。

 オリオンはちゃんと生きている、それはこの結晶の輝きが証明していることを一颯はしっかりと理解していた。

 どんな形であっても、彼は宵世界にいる。


 璃音の提示した選択肢はあまりに残酷で、心に重石を投げつけたみたいに辛かった。


 ひとつ。璃音の家で身の安全を確保した上でオリオンのことは()()()()()普通の女子高生に戻る。明世界で耳を塞いだまま璃音が始末する彼らの断末魔を聞かず、大切な記憶を海へ還すのだ。

 ふたつ。共に宵世界へ往き、死の危険を纏ってでもオリオンを救出する。璃音はこの選択を選ぶなら七の意思が定めた不可侵の制約を破り、一颯を連れていくことを決めた。ただし命の保証は一切できない。


 忘れてしまえば楽になる。

 オリオンに酷いことをしたなんて記憶も全部失って、昔と同じ日常を生きる普通の女の子に戻ればもうなにも苦しくない。

 息をする度に後悔しなくてよくなる。

 結晶を握り締めて夜の世界を見ることもなくなる。

 しかしそれは彼に対する裏切りだ。

 一颯を花の楽園へと連れていくと言ったオリオンは彼女のワガママを受け入れた。また必ず会いに来ると言ってくれた。世界の見方を変えてくれた。命を助けてくれた。

 だから助けなきゃ、そう思っても頭の中は保身へ逃げ出す。


────たすけて、こわいの。


 一颯の声は誰にも届かない。

 届けたい相手は今頃何をしているかも分からない。


────わるいゆめみたい。


「そうだね、悪い夢みたいだ」


 花の香りがした。

 真っ暗闇に咲く花は鮮やかな色をしていて、まるで昼間の太陽を浴びているかのように煌めいている。

 男の声に導かれるまま振り向いた瞬間────世界は花園へと姿を変えた。


「やあ、一颯ちゃん」


 永久を受け入れる世界の狭間。

 花の楽園の主は静かに夜の花畑の中から顔を出す。


「マーリンさん……」

「悪いことをしたね。騙していたつもりじゃないんだよ、オリオンが混血だって話はいつかするつもりだったんだ」

「……いえ、お気遣いなく」


 隣に来なよ、と土を叩いて促すマーリンに呼ばれるがまま星が輝く楽園の大地に座り込む。


 都会の空では輝きを放てない星たちは黒い夜にそれぞれが持った存在感を発している。

 その中で一際まばゆく目に止まったのは彼の名前と同じ星。


「むかしむかしあるところに星になりたかった子がいたんだ」


 星になりたかった子には名前がなかった。

 それでも精いっぱいに生きて、手を伸ばして、星に届こうとした。

 "君はどうして星になりたいんだい?"───男は聞いた。

 "あの星みたいに目印になりたいんだ"───子は答えた。

 男は名もない子のささやかな願いに対し、頭を撫でてこう言った。


「オリオン──それが君の名前だ、とね」


 彼の願いは果たして叶っただろうか。

 漆黒を穿つ流れ星はキラキラと輝いて、誰かの目印になったんだろうか。

 ────きっと一颯の目印にはなった。

 始まりの日に初めて一歩を踏み出すことができた彼女にとって、彼という星はいかに価値があるのか判らないが、目を離すことができない大切な光だったのは間違いない。


「……オリオンに助けてもらってばっかりです」

「でもそれが彼の本望さ」

「私は、オリオンのための星になれないですか」

「なれないよ」


 残酷な宣言。

 無力な自分への落胆が身体をどん底へと突き落とす。


「君は彼にとっての"月"だ」


 マーリンは静かな語り口で話し出す。

 町の乱暴な明かりは眩しすぎて彼では負けてしまうけど、月の淡い光は黒い夜にしか輝けない彼を優しく包み込む。

 黒夜の流れ星が辿り着いた先でいつでも待っていてくれる月は満天に輝く星よりもずっと価値がある。

 だから君は星にならなくていい。

 月の優しさを持ったままでいい。


「僕は知っていたんだよ、あの子が生まれた時から月見一颯がオリオンと出逢うことを」


 ────きっと、それが()()と言うんじゃないかな。


「いいかい一颯ちゃん、君の未来は決まった。でも選択するのは君だ。君の物語を紡ぐのは神や他人じゃない、君なんだから、どうするかは君次第」


 決められた未来を流れのままに進むか、信念を持って自らの意志の力で新たに未来を切り開くか。

 どちらにせよ、マーリンは一颯に約束をしてほしいと言う。


「今この瞬間にも、残酷な世界が待ち受けていたとしても目を背けないでほしい。泥まみれでも、傷だらけでも、絶対に揺らがないでほしい。君が君の未来を勝ち取るために、向き合い、必ず君が勝ち取るんだ」


 どこかで聞いた言葉がリピートして脳に響く。


────あぁ、そうか。


 あの日、全てが始まった日に夢を見た。

 花畑の世界で体は動かないのに動いている気分になって、白い男が優しげに笑いながら語りかけるのだ。


 君の未来はすでに決定した、と。


 それでも男は自分で選べと言った。

 何故か胸に残った言葉の断片に突き動かされるがまま、一颯はオリオンの無理な願いを聞き入れて共に戦う道を自分で選んだ。

 雪子の影響が強かったかもしれない、しかし目を背けずに最後までやり遂げると決めたのは彼女の遺志じゃなく一颯の意志だ。


 だから今回も自分で決めよう。

 今なにをすべきか、なにを果たすべきか。


 なにを選択するべきか。


「さぁ行っておいで。月と星にどうか、花の祝福があらんことを─────」





 ────深夜が訪れた。

 璃音の前には一人の男が立ち、彼の様子を見て笑っている。


『さて、友人を殺す覚悟はできたかね?』

「────」


 藍色の目を持つ長身の男の正体は七の意思が一柱──藍のブラウ、銀弓の魔術師を気に入り引き込んだのはこの男だ。

 言葉を発さずただ黙ったまま誰かを待ち続ける璃音を見ながら厭らしい笑みを浮かべている。

 男が呼んだのはリオン・ファレルだけ、それ以外は誰一人として召集していない。なのに彼はひたすら無言で誰かを待っているのだ。明世界に来てからおかしくなったのかと滑稽な姿を嘲笑うように見下ろしていた。


 ────そして。


「先輩!!」


 透き通る勇ましい少女の呼び掛けに、璃音の深く落とされた心が戻ってきた。

 藍のブラウが少女の姿を見て驚く様に璃音は今思っているだろう、"貴様の命令には従うものか"と。


「来たな月見」

「はい! お待たせしてすみませんでした、準備万端です!」

「よし」


 オリオンから託された追想武装が暴風と戦った新月の日よりいっそう綺麗に見える。


 剣を握り、戦う準備を整えた一颯が出した答えは二つ目だった。

 宵世界に渡りアクスヴェインの手からオリオンを助け出す、自分の命を投げ出してでも必ず彼を救うという道を選んだ。

 そこに至るまで彼女は真剣に考えた。一つ目の選択もちゃんと視野に入れた上で、自分のするべきことを何時間も必死に考え尽くしてようやく出た結論は当たり前なもの。


「私はオリオンに酷いことしました。だから謝りたいんです、謝らないまま逃げ出して忘れたりしたくないんです」


 見え透いた嘘に騙されて彼の心を痛め付けたことへの謝罪。

 たったそれだけのために彼女は戦うと決めた。


『───明世界の人間を宵世界へ通すわけにはいかんな、リオン』


 そう。問題は七の意思が一颯を認めるかだ。制約を破るにも許可があるとないでは全く扱い方は変わってくる。


「言っておくがな、俺は死後に貴様らと契約してやっただけに過ぎない。今の俺は生きている、貴様らの願いを叶える義理は全くないのに手を貸してやると申し出を受け入れた。だからもし月見の同行を認めないと言うならば────俺は()()()()()()()()()()()

『なッ───』


 魔術師としての命とは、己の中で作られる魔力と生まれ持った魔法適応力(マギアセンス)を指す。

 それを絶つということは自ら"不適合者(ルーザー)"へと変質することを意味している。

 本来はそんな芸当は無理に等しい。だが璃音には可能にする魔法を知っている、そして不適合者になれば死後にも彼は魔法を使えないただの凡人になるだろう。

 七の意思は彼の強大な力を頼ろうとしているのに無能になられては困る。


『……よかろう、その蛮勇に免じ一度きり女が宵世界へ往くことを認める。───が』


 もしアクスヴェインから敗走し、明世界に戻ることがあった場合はもう二度と一颯が宵世界に入ることを、璃音が明世界に帰ることを認めない。

 かなりキツい交換条件だ。

 一発勝負、負けて逃げれば互いに後はない。

 だとしても彼らは尻込みしてやっぱりやめたなんて言い出さない。


「いいだろう、月見はどうだ」

「もちろん! 絶対にオリオンを助けますから!」

『そうか。ならば往くがいい、君達の勇姿を我が七色の威光が見届けようではないか』


 藍色の男は光と化しそこに扉が開いた。

 彼が開く扉と同じそれは、確かに魔力の流れを帯びて宵世界の道を形作られている。


 二人は一度目を見合わせ、静かに亜空間の先へと足を踏み入れる。

 落ちる世界は何処に。

 明けと宵は表裏一体、その先に向けて身体はゆったりと闇に解けていく。


────待っていて、今行くよ


 明けた世界の月は世界の切れ間から姿を消した。




 彼らの物語の序章が終わり、始まるのは夢に産まれた君の話。


 ───聖剣に()()()()()()()星の────。

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