1-17 胎動 2
異形・融合体と称された化け物は、同じ人間が築き上げた身の毛もよだつ恐怖の研究によって誕生した。
成り立ちを単純に一言で表すなら、合成魔獣といったところか。異形同士を配合したものは使い魔として使われることもあるため気にするほどでもないが、融合体に使われる素材は人間だ。
アクスヴェインは語った。融合体の素体として一番良いものは子供だと。まだ成長過程にある状態と新品同様の細胞が意思を持たない異形と混ざり合うことでより強い個体になるらしい。とんだクソッタレだ、笑えない。
その中で特殊な例なのがバルト・エインズだった。
素材が大人の場合、成長しきったことと細胞の劣化が進んでいるという二つの要素が異形を受け付けず、身体が崩れてしまう。しかしバルトは自身が持つ強靭な肉体と精神力が感応し変化を起こしたのか、融合体としての成功個体に数えられていた。
とはいえ、異形という人間にそぐわない生命体が肉体に入り込んだせいで発狂。自我は崩壊し、ただ目の前の餌を殺し食らうだけの生物へと堕ちてしまった。
胸くそ悪い説明の最後「一度融合したら分離できない」を聞いた時、オリオンは心の底から哀しんだ。ユカとの約束が果たせないことを思い、胸の奥が痛くなる。
そして何度もあの幼い少年に謝った。
またも透明な硝子が音をたてて崩れ散る。もう何度目になるか分からない独特の透明感が混沌に鳴り響く度に彼は追い詰められていることを実感する。
黒き王国が誇る月の城は剣士が付けた長細い痕跡、狂乱の怪異が破壊した扉や壁の瓦礫に埋め尽くされ荒れ果ててしまった。本来彼らが護るべき場所だったその場所は、最早栄華を誇るべき王城ではなく反逆者を殺す処刑場だ。
怪異が無作為に振り回すハルバードは剣で受けても共振に耐えきれないほど力強く重い。これが連発される通常攻撃だと言うのだから更に力を込めて殴られたら受け止めたとしてもダメージが貫通してしまいそうだ。実際壁を割って現れた時の体当たりは、吹き飛んだ後十秒くらい呼吸ができなかった。
幸か不幸かスピードは小柄な分オリオンが上回っている。逃げるだけなら余裕だが、とにかく敵は攻撃の重さと得物の殺傷力が段違いだ。まともに戦おうが不意を狙おうが理性がないため行動が読めず、ただ振り回しているだけのハルバードに運悪く当たってしまえば致命傷を負いかねない。
「どうすりゃいいんだよ……!!」
最適解は隙を突いた黒夜流星で一撃の下葬り去ること。直撃すれば星光の奔流は呑み込んだバルトを塵へと変えるだろう。
ただ使用する魔法の燃費の悪さには定評のある彼がそんな大量の魔力を残しているはずもなく、一睡もしてないので体力回復という名の補充すらできてない。
そもそもバルト以外の融合体がいないとは限らない上謎の剣使いも控えている現状で、マーリンから引っ張り出してきた魔力を全部使うのはあまりに愚かだろう。
だからといって今すぐにでもオリオンを殺そうと大地を割る凶悪な怪物に手を抜けば十中八九死ぬ。
「こうなりゃ、一か八かだ……ッ!」
一回の攻撃が大振りな分隙も大きいのがヤツの弱点だ。
少々血を見ることになるが、両腕を切断して無力化することにしよう。
怪物が床を踏み締める広いエントランスホールのシャンデリアが軋みを上げる。照明器具としての機能を失った重いだけの燭台はいつ落ちるか分からないほどゆらゆら揺れた。
『ウ゛ウウウウ゛ウ゛ゥゥア゛ア゛ァァァ!!!!』
二階フロアの扉を壁ごとぶち破ったバルトはなにを表しているのか分からない雄叫びを上げた。
絶対に折れることないアダマントのハルバードは鍛えられていながらも小さな身体には余りある攻撃力を有し、脚力強化されたオリオンの速度を以てしても近付くことすら戸惑われるほど圧迫感を放つ。
だがその程度の威圧に負けては剣士としての銘を返上せねばなるまい。
疾風のごとき閃光に身を任せ、一度駆け降りた右階段の反対側に上り、自らを追って崩し降りる姿と対極の位置へと移動する。
知能が著しく低下したバルトは階段を降りるべきか上がるべきか効率の良い方法を選べない、かといってど真ん中を突っ切っても素早く動くわけでもないなら重力がその体重を見逃すはずがない。
逆に最速で行動することで重力に早々捕まらないオリオンなら敵がどう動こうが懐に切り込める。
「行くぞオラァッ!」
『オ゛ォォン゛ン゛!!!』
金色の手摺に足をかけ、グッと力を込めて高く高く飛ぶ。呼び掛けに応えるように怪物も向かってくるだろう、と予想した彼の目を驚かせたのは無茶苦茶すぎる次の行動だった。
『オ゛オオ゛オ゛ォォッ!!!!』
手に持っていたハルバードを肩より高い位置に構え、オリオンの上半身に照準を定めると全力で投げ飛ばしたのだ。
空中では回避する術がない。剣を構えたが、圧倒的に重い得物は咄嗟に防御姿勢を作っただけの片手剣を凌駕し、抉る鋭い一撃が左肩に滑り込んで肉を削ぎ穿つ。
「ぐ、あッ!?」
地上に落ちることなく捕まって反対側の壁まで戻された身体に突き刺さった凶器を抜いて脱出し、階下から迫る怪物の頭部より上から火の輪潜りみたいに身を丸めて飛び降りる。
ちぎれ落ちそうなくらいふらふらする腕やぶつけた背中の痛み、出血によるめまいに苦しむ間はない。
バルトはハルバードを手放した今、リーチの長い攻撃は出せず振り向いて迎え撃つにもオリオンは身を屈めて階下からやって来るため隙は大きい。本来下からの攻撃は不利とされているが、肥大化しすぎた巨体では小回りの利くネズミみたいに足元を駆け回る彼を捉えることができない。
「開始、絶凍強化!」
炎熱すら凍らせる吹雪の力を受けた剣は透明な硝子細工を纏う。
「食らえ、バルトォッ────!!!」
振り向き様に下ろした右腕を縦に裂き、ばっくりと開かれた骨と肉と血を冷気が残さず固めて回復や再生の可能性を阻害する。
本来なら食らうことはなかっただろう痛みに苦しみもがく姿に心を痛めながら、続いて剣を横に薙いで左腕を切断し凍結させた。
これでバルトは二度とハルバードを持つことはできない。彼が愛用し続けた30年来の相棒とこんな形で別れを告げさせねばならないなんて思わなかった。
あとは命を奪うだけ。
人間をやめさせられて、不必要な心身の痛みも受けて、彼はもう充分すぎるほど苦しんだはずだ。
殺すことで彼の人としての尊厳を守れるのならオリオンは心を鬼にして、もう一度、今度は首を斬り命を断つ。
両腕の自由を失い、無様に暴れる男を直視するのがこんなにも辛く悲しいことはなかった。今まで人間相手でも数多く戦いを経験したが、大体は慈悲など持てない極悪人どもばかりで斬ることにむなしい思いをしたことなんてない。
それでも野放しにすれば数千単位にも及ぶ街の住民の命が危ない。オリオンがやらねば誰もこの男を殺せないのだ。
牙を抜かれた怪物は体力が尽きたのか、次第に動きが鈍くなり足を滑らせ階下へと落ちた。
『ゥ、ゥゥガアァ……!』
トドメは一瞬で済ませよう。
首と共に意識も飛ばし、魂が安らかな楽園へと向かい正しく生まれ変われるよう祈るだけだ。
うつ伏せに倒れたバルトの首に剣を突き立てる。切っ先にはまだ人らしさを保つ鮮血がプツリと顔を出す。
『ユ゛ゥゥ、ガァァァ……』
断頭台の刃が錆ついたように手が止まった。
なにをしている、早く殺せ、と正義の側面から見ている自分は言っている。それはもちろん正しいこと。殺すことで彼を楽にできて街の人々の命も守れる。これほど効率的な手はない。
しかし怪物は人ならざる者となってでも"父親"だった。愛する息子の名を呼び、掠れた喉から精一杯言葉を吐き出している。
人としての情を持つ者として、"父親"としての在り方だけは変えないこの男を殺すことは───。
───さぁ早く。
いいやダメだ。
───殺さないと。
この男にはまだ心がある。
ふと気付けば剣はバルトの喉元から離れ、レッドカーペットの赤糸を貫いていた。
「……悪いな」
息子がどんな子か知らなければ殺せていただろう。無邪気に笑い剣士を慕う幼子をオリオンは知りすぎていた。
今すぐアクスヴェインがいる玉座の間に戻ろう。
融合したら分離できないと彼は言ったが、もしかしたら隠しているだけかもしれない。
両腕は使い物にならないほどぼろぼろになっているけれどユカは父親が戻ればきっと喜んでくれる。もしオリオンが腕を切断したことを知って、許せないなら恨んでくれても構わない。
さぁ急げ。敵はこの茶番を観て笑っているかも分からない。
「所詮雑ざりモノにできることなんて高が知れているな」
頭上で冷めた口調の男が見下ろし、オリオンめがけて剣の形をした魔法を五つ連射した。
彼は唐突な攻撃を無意識に回避したが、それが過ちだったことに気付いたのは着地して元いた場所を見た時だ。
オリオンが避けた剣は無機質に肉の塊を突き刺し着弾を理由に消失した途端、全身を真っ赤にするほど夥しい量の血がバルトの身体から吹き出し、ビクビクと痙攣を起こした後動かなくなった。
「アイツが中々手を出さないから俺が介錯してやったぞ。よかったな、楽になれて」
最期に「ウゥ…ア…」と小さく呻いたバルトは氷漬けにされた腕ごと解けてサラサラ流れる砂と消えてゆく。
引導を渡した白いローブの奥の表情はとても複雑そうだった。
「テメエなにしやがる!」
「なにをする、だと? 馬鹿が。あの男は限界だった、だから殺した。俺は最初からアレの実験を見ていたけどな、全く頭がおかしくなりそうだった」
新たな臓器を移植するように、麻酔もないまま腹を割かれて異形の胎児を詰められたバルトは四六時中鼓膜が破れそうになるほど悲鳴を上げた。
白いローブの男は立場の関係上、耳を塞いだり実験を止めることはできず暴れ狂いながら怪物と化していく姿を目撃し、ついに完成した融合体としての彼を「気色の悪い化け物」としか認識できなくなった。
男は凄惨な現場を前に、怪物が死ぬ時は楽に死なせてやろうと決めて今日まで彼の成長経過も見てきた。だからオリオンが剣を突き立てた時に期待した。
しかし、彼がバルトを殺すことはなかった。
「アイツはまだユカを覚えてたんだぞ! なのに、なのに……!」
「アレは人の枠組みも異形の枠組みも外れた化け物だ、心なんてとっくに死んでるさ。……どうせお前が擁護しているのは同類だからだろう? 分かりやすいんだよ、なぁ?」
同類。
その言葉が意味するのは怪物となったバルトとオリオンのことか、それとも同じ王に仕えていた者という意か。どちらとも言えそうな熟語の解釈を、彼は前者で受け取った。
"ヤツ"はきっと知らない。知らないはずだと思っていたのに、何故───?
求める答えがすぐに返ってこないのは理解している。だから今すぐにやれることをやれば解決だ。
ひきつったオリオンの顔がゆっくりと冷静さを取り戻し、剣を握った右手に力が籠る。
「嫌われ者はやることが幼稚すぎんだよ、誰がテメエの下らねえ挑発に乗るかっつの────!!」
背後の空間をバッサリと切り裂いたオリオンはその動きすら読んでいた男の接近戦を全く受け付けない。炎熱系魔法のエネルギー砲を三発程度撃ち込み牽制する。
煌めく白銀が追う間もなく彼は扉の先へと突っ込み、その向こうにある真っ暗な亜空間の闇に消えた。
「コイツ、ッ!!」
オリオンを追おうと閉じかけた扉に手をかけた男を制止する声が無音のエントランスに響き渡る。
「そこまでだ、目的は達した」
「……しかし」
「融合体の実戦投入……悪くない結果だったぞ」
愉快そうに薄く嗤うアクスヴェインの声を背にしてオリオンは彼の世界へ浮上する。
泡沫を知る楽園ではなく、月を内包した少女の下へ。
希望を失った宵の異世界に必ずもう一度戻ると誓って─────。
◇
雲一つない晴天だ。
夏めく陽射しはカーテンの合間を抜けて寝ぼけた頭を覚醒させる。
「……あと、ごふん……」
誰に言ったわけでもない宣言が示す五分が経っても少女は布団から起き上がらない。
ピンポーン、ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン────。
喧しい。
一体どこの誰の嫌がらせだ。
ピンポンピピピピピ─────。
嫌々ながら起き上がった一颯は眉間にシワを寄せる。
カーテンを開けて玄関を覗くのではなくダッシュで階段を駆け降り、未だ鳴り止む気配のないチャイムの前にいる何者かをとっちめてやろうと扉を開いた。
「何度も鳴らさないで!! 近所迷惑よ!!」
勢いよく開いたドアの先を見て、思わず目を丸くする。
夏場だというのに暑苦しい赤いマフラーと涼しげに風を撫でる長い髪が風圧に揺らされて、少年は立っているのもやっとな様子で玄関チャイムのある壁にもたれ掛かっていた。
思考が少しだけ追い付かない。
つい半日前に別れたばかりの彼が、一体どうしてここにいる───?
「……どうしたの」
左の肩には槍かドリル等で抉られた傷が無惨に残されている。全身が擦り傷まみれで呼吸も整っておらず、まるで戦場から戻ったようではないか。
彼女の覚えでは、彼は宵世界で自分のいた国に帰ったはず。だったら華々しく迎え入れられていて然るべきなのに。
口を開いて吐き出した息からほんの少しだけ香る鉄の臭いが恐ろしいなにかを予感させた。
「────大変なことになった」
オリオンは始めにそう切り出す。
語られた想像絶する反逆者の野望と新たな異形の在り方に対する恐怖はまさに気が狂っていた。
晴れ晴れした明けの空と対極の暗雲が二人の心に忍び寄る。宵の世界に起きた新たな悲劇を幕開けにして物語がまた始まる。
彼の首にかけられた薄く細い糸に、まだ誰も気付かない。
*バルト・エインズ
アーテル王国遊撃部隊隊長。
絵に描いたような熱血漢。どんな兵士にも対等な目線で向き合う。
アクスヴェインの手で異形・融合体の被験体にされ、理性と知恵を失った怪物と化したがそれでもなお愛する我が子の名を呼んでいた。
*ユカ・エインズ
バルトの息子。
いつかはアーテルの兵士になることを夢見る少年。
父のようにハルバードを扱うのではなく、片手持ちの剣を用いる正統派の剣士を目指している。
*アンナ・エインズ
バルトの妻。
高齢の旦那とは対照的にとても若いが、彼に捧げる愛情は本物。