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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 明世界編
23/133

1-15 黒夜流星 2




 金木犀が彼の頭上で薫る。

 暖かい空気が眠りを誘い、永久の日だまりが優しく身体を包み込む。母の胎内にいる赤子のような気分、とはこのことを指すんだろうか。

 世界中を満遍なく照らす太陽は、日差しを受ける万人に平等の安らぎを与える。いっそこの柔らかで穏やかな光の中で一生を終えるなら、命すらも惜しくないと思った。

 ……自分の頭がなにに乗っているのかを理解するまでは。


 嫌々ながら瞼を開き、正体が割れている何者かの姿を確認する。


「おはよう、オリオン」


 白くて長い髪を垂らした胡散臭いローブの男が膝枕しながらにこりと微笑んでいた。



 ────此処は如何なる世界か────そう、此処は花咲き誇る永久の楽園である。

 かつて戦乱に呑まれたというとある国の王が死後に眠り、約束された復活の日を待っているという伝説の島。現実では既に存在そのものが死に絶えた動物や草木はこの地だけには遺され、明世界や宵世界から失われた幻想の全てが此処にはあるのだ。

 奇跡を体現する安らぎの大地に新しい人が産まれることはない、未来永劫それだけは変わらぬ仕組みだった。

 しかし、一人の赤子をマーリンが偶然見つけ出したことで、たったひとつだけ新たな生命が確かな生を得た。それが今ここにいるオリオン・ヴィンセントだ。


「……俺、死んだのか」


 傷ひとつない自分の腹部を撫でながらオリオンはマーリンに問いかけた。


 彼は全て覚えている。

 新月の夜に変異体・ゼピュロスと戦い、敵の拳一発で腹を抉られ意識を失った。離れた場所で呆然とする一颯、声も出さなかった璃音のせいで自身の死が明瞭であることを最後の瞬間まで信じて疑わなかった。

 身体を失った魂をマーリンがこの楽園に運び、一時の幻として再現してくれたのだろう、と彼は考察する。だから日差しや香りがやけにリアルで穏やかなのだと、寂しげな目で空に輝く白い光を見つめた。


「君はそう思うのかい?」

「思うさ、俺じゃなくてもありゃ食らえば死ぬやつだから」

「そっか……食らえば、ね」


 マーリンは子供をあやすようにふわりと軽く頭を撫でながら、なにか言いたげな怪しい顔を崩さない。

 よしよしよくやったね、と母が子を労うように額に手を添える。久々の子供扱いが今はとても心地よくて、いつもなら怒ってはね除ける手も伝わる温度にこれ以上ない愛情を感じた。

 しかし、最後の日向ぼっこを集中させない要素がオリオンにはひとつ残っている。


 一颯はどうなったのか、無事なのか。

 きっと璃音なら彼女を救い離脱してくれるはずだと信じている。それでも目で確認できない以上心配の芽は残り続け、死の間際にすら不安が心に影を及ぼす。

 命を懸けて守ると豪語しながら真っ先に殺されたことをリオンは笑い話にしてくれるかな、などと彼は自嘲気味に笑う。

 その問いかけにも似た独り言にマーリンは優しげな眼差しで口を開いた。


「一颯ちゃんは無事だ、生きてるよ。もちろんリオンくんも……」

「……そっか」

()()()()


 花畑は全てが沈黙した。

 特にオリオンは完全に思考をフリーズさせられている。


───コイツは一体なにを言い出しやがった!?


 慌てて身体を起こし、ペタペタと全身をまさぐる。

 まず傷はなかったし言われてみれば怠さや重苦しさは一切ない、強いて言えば楽園が全域に放つ癒しの魔力に対する魔法抵抗力(マギアプロテクト)が非常に低下しているくらいだが、それに関しては恐らく寝起きだからなので基本問題なし。

 なので、オリオンは前提……つまり腹を抉り貫かれたという部分から盛大な勘違いをしているのだ。


「せ、説明しろ!」

「実はね、あの攻撃を受ける直前に君をサルベージしたんだよ」

「それは分かる! でもな、俺は攻撃されたって認識も痛みもちゃんとあるんだぞ」

「ねえねえ僕が幻想魔法の使い手だって忘れてなぁい?」

「……あ」


 マーリンはかつてブリテンの王・アーサーを支えた予言者にして宮廷魔術師である。

 当然だが魔法の実力はそれはそれは大層なものだ。幻想魔法と呼ばれる高位の幻術を使いこなし、当人の認識や五感すら狂わせるほどリアルな幻を作り出す。マーリンはその魔法の最上位とも言える超広範囲の支配術を一瞬で、しかも気付かれなければ半永久的に発動したままでいられる。

 例えば四人家族が普通の生活をしているとしよう、彼らは学校に通い家事をこなし仕事をすることをごく自然に行っている。しかしこれが幻想魔法による支配術が見せている幻だったなら、実際の彼らはその普通の生活すら満足にこなせない状態にある可能性が極めて高い。

 自覚できない分自覚した瞬間の恐怖はきっと尋常ならないだろう。だがマーリンにはそれを可能にするだけの魔力も実力もある。

 今回の場合、オリオンが受けた支配術は周囲にいる一颯、璃音だけでなくゼピュロスの感覚気管すら狂わせた。視覚情報で"オリオンが死ぬ"というありきたりな幻を見た二人と違い、オリオンとゼピュロスは腹を貫く(貫かれる)感覚や触覚をリアルに体感する幻に捕らえられていたのだ。

 すべてはマーリンの策略通り。むしろゼピュロスに不意の一撃を食らわされそうになるシチュエーションはその場の誰にも疑われず彼を回収するにはもってこいだった。


「でもなんで、たしか楽園(ここ)から明世界(あっち)に過度な干渉はできないんじゃねえのか」

「それは縁がなければの話さ。僕はね、事前に縁を結んだんだよ」

「まさか一颯と!? だからテメエの追想武装なんて」

「そそ、大当たり」


 宵世界は魔法という強い縁があるためマーリンはいくらでも干渉できる。しかし明世界はすでに円卓もアーサー王も存在せず、グラストンベリーの墓標や伝承だけでは現代に影響を及ぼせない。だから直接人間に縁を持たせることが最適だった。

 最初は一颯自身が楽園の扉を開いてやってきた。その時は彼女の記憶を奪ってしまったが、夢魔の血を通わせるマーリンはそんな些細な出来事だけで再度彼女を楽園に呼ぶことができる力がある。特にオリオンと近い今の一颯はなんの障害もなく、縁と縁を繋ぎ合わせるだけでいい。

 こうして夢の中で再び対面したマーリンは追想結晶を預け、贈り物兼オリオン専用のエスケープポイントにした。

 彼女を利用する形にはなったが、こうしてオリオンが無事に戻ったなら結果オーライだとマーリンは笑いながら言った。


「テメエはなんつーか……ホントに最ッ低だな」

「性分だよ、どうせ人の心なんて持ってない異形だからね。でも君や一颯ちゃんを助けたい気持ちは本物さ」


 さて、と一言呟いて立ち上がったマーリンは懐にしまっていたあるモノを取り出した。

 それはオリオンがずっとなくしていたモノだ。


「なんのために君を連れ戻したか、分かるね?」


 笑みを消して淡々と言葉を並べる男を前に、オリオンはその意味を納得せざるを得なかった。

 失っていた美しく光る紅い剣を男から受け取り、手を重ね、瞼をゆっくり閉じる。オリオンがすることはそれだけだ、あとはマーリンがすべてを解決してくれる。

 両者から湧き出る魔力はオーラのようにゆらゆらと踊り、重なり合った手を通じて次第にオリオンの魔力は肥大化していく。


 彼は魔力の消費がとても激しい代わり、本来貯蔵している魔力量は体内に収めきれないほどの量を誇っている。マーリンに大半の魔力を預けなければ身体が内部から引き裂かれているほどだ。

 言わばオリオンがマーリンから魔力譲渡を受ける、というのは貯金を下ろしているのと同一の意味を持つ。普段はある一定期間をおいてから引き出すそれを、今回は特別に満タンになるまで引き出そうとしている。


「ところでオリオン、面白い話があるよ」

「なんだよ」

「あのゼピュロスって変異体、本気の君と互角に戦えるんだってさ。相手してあげたらどうだい」


 すべてを見通す予言者は二つの世界を常に監視している。

 自身を上位種だと言い本気のオリオンと良い勝負ができる、などと宣ったゼピュロスに対しマーリンは笑いが止まらなかったそうだ。

 そして、笑いが込み上げるのはオリオンも同じく。全ての魔力を溜め込んだ後、静かに手を離して青い宝石の瞳に炎を燃やしてこう言った。


「ああ分かった、遠慮なくブッ殺してくる」


 死刑宣告は怪物の知らない間に終わった。

 行っておいで、と背中を押したマーリンの言葉通り楽園から明世界へ。


 紅い流星が黒き夜へと飛び立ち、今再び真実の姿を得て舞い戻ったのだ。





「────オリオン……!?」


 年上の少年が立つ小さな背中が今の一颯にはとても大きく見える。凛々しく雄々しく美しい、夜のために現れた妖精なのかと目を輝かせた。


「イブキ、リオン……心配かけて悪かったな! 俺、やっぱり生きてたみたいだ!」


 ニッと白い歯を見せて笑顔を見せたオリオンに二人の中の焦燥と不安、疑念が全て真っ白にデリートされた。

 紛れもなくここには誰も欠けることなく三人が揃っている。

 逆に焦り、恐怖するのはゼピュロスだ。自らの手が殺したはずのオリオンが余裕綽々といった様子で笑っている。余計な知恵を得てしまったために食い物が増えた、ではない未知の感情に踊らされ、大量の汗を流す姿はどうしようもなく滑稽だ。

 出てくる言葉もお決まりのそれだけ。絶対に解決できない疑問に口をぱくぱくさせるしかない。

 しかもオリオンが手にしているのはさっきまで影も形もなかった星の剣。これを持っているということは、確実に魔法しか使えない弱い彼ではない事実。


『アッありエナイよ……』

「あり得ないかどうかは楽園でニヤついてるロクデナシに聞いてみろ。この事実は俺もビックリだ」

『ま、マーリンかァ!!』


 恐らく今テヘペロをかましているはずの人でなし魔術師の名を挙げたことで璃音は漸く納得できた。

 オリオンが消えるという怪奇な事件と別人と思わしき動きをする死に際の違和感。本物の彼は腹に穴が開いた時はすでにここにいなかった。これらはマーリンが仕組んだ幻影で、ここにいる全員が騙されていたのだと。

 全くお笑いだ、銀弓の魔術師すら欺く魔法。明世界の人間に害を加えるのはご法度だと知っていながら一颯を巻き込める精神力。千年を生きる夢の主は本当に人の心がないらしい。

 キャラに似合わず吹き出しそうになるのを必死に堪え、璃音は一颯の手を引きこの場を離れようと提案した。彼女は当然嫌がったが、離脱の意味が撤退とは違うことにすぐに気付いたらしく、小さく頷いて教室棟のある校舎エリアに飛び去った。

 その直前、互いの目を合わせたオリオンと一颯には「絶対に負けない」と信じる心が伝わるような気がした。


『待っテ!』

「おおっと二人の後は追わせねえぞ。わざわざ出向いてやったのにもったいねえことさせんなよな」


 呑気に指を立てて剣の柄をとんとん鳴らす姿に怪物は苛立ちを募らせる。一方で関心の薄そうな観察眼で見つめ終わった彼はよーし、と盛大に掛け声を発し両腕を上げて身体を伸ばすと、本題を切り出した。


「さぁてゼピュロス、たしか本気の俺と殺し合いたいんだっけか」

『ッ……な、ナんでソレ、知っテ……!!』


 返事に興味はない。重要なのは言葉が事実であるという確証だけ。

 反応で察したオリオンは無言で剣を地面から引き抜き、静寂を裂いてゼピュロスの眼前に鋭い刃を向ける。


「いいぜ、かかって来いよ。ただし全力で来な。さっきまでの雑魚と同じだと思って油断してると──────テメエ、死ぬぞ」


 売られた喧嘩を買うかのごとく、怒り狂い皮膚と目を真っ赤にさせたゼピュロスは先程までの浮かれた口調をどこにやったのか、とても異形らしい醜い叫びを上げながらオリオンに飛びかかった。

 そこから始まった理解の外にある戦いは一瞬後ろに振り向いた一颯に感嘆の声を上げさせた。


「……うそぉ…」


 避けて、とも逃げて、とも言う間もなく突進してきたソイツの攻撃をオリオンは片手持ちの剣たった一本で受け止めている。小細工や魔法など一切なし、ただただ剣の表面で荒れ狂う異形を留めているのだ。


 新月の夜はオリオンが最も力を発揮できる日である。それは所謂筋力や耐久力にも影響を及ぼし、彼の中の魔力量によって上限も変わってくるのはメリットでありデメリット、今の場合は前者だ。

 現在彼の身体は魔力で満たされ、今まで一颯が見てきたどんな日よりどんな状況より最高の高出力状態を発生させキープしている。

 故に、今のオリオンの筋力でガードしている剣を勢いだけで突き破ることは決して出来ない。


『ナンデ! ナンデ! ナンデ! 突破、デキない!?』

「悪いな、ちょいと充電してきたからコンディションが良いんだ。……でもよ、お前は俺と戦いたかったんだろ? だったら本望じゃねえか」

『AAAAAaaaaaaaaッ!!!』


 半狂乱と化したゼピュロスは荒ぶる姿のまま猛烈な風をそよ風に変換するのも忘れて全方位から彼の(はらわた)や脳を抉り出して掻き回してやろうとするが、努力も暴走も全ての動きに対し反応され、ただただ無意味だ。

 阻む障害を許さなかった音速さえ今のオリオンには見えているし、暴風の流れを読んで避けることも容易である。


 怪物は最初から間違えていた。

 戦いにおける本気とは今出せる全力と必ず殺すという精神であると認識していた。しかし実際の本気とは肉体や精神以外にもあらゆる面で万全の状態であることを指し示すなんて。

 解るはずがない。あんなすっからかんのまま立ち向かってきた男が、今まで感じたこともない強者であったことなど、所見で理解できるものか。

 そう───ゼピュロスは同胞が目の前の宵の剣士に殺されたというのも、この強さを体感して初めて現実として受け止め、初めて死に対する恐怖心を得た。


 一回始まった暴走は止まらない。ただ感情に振り回されるがまま暴れ回り、グラウンドの土をひっくり返し、木々を倒し、ネットを突き破る。乱暴さは人のこと言えないため、やめろとも言わず黙って場所を変えることにした。


「暴れ足りねえならついてこいッ! 案内してやるよ!」


 猛攻を掻い潜りながら一歩ずつ大地を踏み締め決着の目的地へ駆け抜ける。

 いよいよ校舎エリアに続く屋外階段に差し掛かり、上るのも面倒くさくなったオリオンは両足に視認できるほどの魔力を巡らせ、力を入れて一気に上空へとジャンプした。


『小賢シイッ! オ前なんテ挽キ肉にシテ、アイツらの前デ食い散らカしてヤル!!』

「おおやってみろ! 楽しみだなっそりゃッ!!」

『ギ、ィ───!?』


 ついにオリオンは反撃を加える。ひたすら突進してくるだけの単調な動きはもう飽きた、恐怖を煽るように最初一颯が受けた傷と同じ頬に斬撃を見舞う。

 喚き散らす悲鳴が深夜の町を木霊し、返答なく消えてゆく。


 疾風と流星が交差する新月の夜の下、互いに持ちうる全力を投じ紅と赤をぶつけ合う。

 迷いなき剣撃を敵の攻撃タイミングに合わせて振るい続け、さすがに学習されたのか校舎エリアまで上りきった時にはオリオンのカウンターも回避され始めていた。

 しかし彼の本命はカウンターでの逆転なんかじゃない。ひたすら上へ、上へ、空の上へ昇ることだけを今は選び続ける。神速が巡る天空の世界へ、星は地上からただ一点を目指す。


 五階建ての建物のガラスとコンクリートを踏み割り、連なる体育教科棟の四階屋上でオリオンは手摺を曲がるほどの強さで蹴り、教室棟の屋上より遥か高い位置まで跳んで往く。

 追う側のゼピュロスも無論、彼と同じ位置から更に高い場所まで飛ぼうとする。だがそれこそが罠だ、オリオンが狙っていた目的地にヤツは足を踏み入れたのだ。


『ナン、ダって───』


 オリオンが用意した遅延発動型結界は魔力の高まりによって異形を引き寄せる魔法。

 一度は彼がこの世界から消えたことで効力を失った結界にはもう一人、不完全を理由に魔力を注いだ者がいた。特性上魔力の高まる時間にしか発動しないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が魔術師たる彼にできないはずがない。

 つまり、この地へゼピュロスを引き寄せているのは追われているオリオンだけじゃなかった。


 狙い撃つはたったの二点。

 どんなことがあろうとも彼は決して二度も同じ獲物を逃がさない。


魔狼縛(グレイプニル)ッ!!」


 矢を番えて睨み付ける璃音を見つけ、引きつった表情のまま意図せず上空に留まったゼピュロスを、一颯が四方八方から伸びる細い縄で捕らえ動きを封じる。

 神代に伝わりし魔獣縛りの拘束魔法はゼピュロスが宵世界の変異体に似た性質──知恵と固有像を持つことで、身動きひとつ取らせないほど限界まで縛り付ける。これでもうさっきみたいに風は起こさせない。

 拘束発動と同時に璃音の一射が放たれ、槍のように重く鋭い二本の矢が異形の長細い足を削ぎ落とす。


『ギ、ヒギアアアアッ!!!』


 要の足を両方とも落とされ、激しい痛みに悶え苦しむゼピュロスは泣きわめくのもそこそこのところで上空に満ちる極光を見た。

 その光が遥かな空まで消えた男が持つ剣から放たれていることに気付いたのは、その流れ星がもう間もなく衝突するであろう位置に到達した時だ。


 月を無くし、星に埋め尽くされた夜を体現する刃は濃密な魔力を込めた尋常ならない輝きを紅と白の刀身から放ち、見る者全ての目を奪う。

 あまりに強大故、地上で発動すればそれだけで建造物を破壊したり犠牲者を出しかねない斬撃波は、この遺装(アーティファクト)を持つオリオンだけが発動を許された絶対の力にして不敗の限定開花(レミニセンス)

 本気が見たいならば見せてやろう。

 ここなら地上を焼き払うこともなく、存分に振るうことができるのだから。


「────黒夜(シュヴァルツ)、」


 白い光はトリガーを引かれ更に勢いを増す。

 回避はできない、防御もさせない、そして距離はほとんど零に近い距離になった瞬間ついに審判は下された。

 右手だけで構えていた剣の揺れを抑えようと左手を添え、斜め上段の位置から大きく振りかぶり、燃え盛る炎を彷彿とさせる光輝を叩き込む────。


流星(ステラ)────ッ!!」


 振り切られた星々の斬撃は校舎の合間を裂き迸り、地面を穿ちながら対抗の術を持たないゼピュロスを燃え尽きることない流星の光の中へと呑み込んだ。


『ア゛、アア……』


 断末魔の叫びを上げ損なった怪異は光の奔流に巻き込まれ、カスのように閃光の中で熔け消える。


 ────黒夜流星(シュヴァルツステラ)。斬撃という体を成した光属性系統における最上位魔法。

 その名にある"黒夜"とは新月を指し、月のない夜にこそ最大出力を発揮。漆黒に塗り潰された世界で燦然と輝く白金は降り注ぐ流星のようであると称された。

 故に、黒き夜に流れる星。

 オリオンが保有する謎の遺装が内包せし最強の魔法。魔力を遺装に全力で注ぎ込むことで発動条件を満たす───これが()()()()だ。


「……終わった……の?」


 原形を留めない燃え残りを地上で踏み潰し、これにて本当にゼピュロスの討伐は完了した。


「ああ、……終わったぜ」


 たった一時間。長いようで短い、本当に短い時間の中で繰り広げられた最後の激闘は幕を閉じる。


 変異体ゼピュロスが野良の異形を食らったことで、その日は新たに異形たちが出現することはなかった。

 何故共食いしていたのかというのも、どうやら知恵や生命力を簡単に身に付けるためには同族を食うことが奴らにとって効率のよい方法だったらしい。なんとも浅ましい者共だ。

 そしてゼピュロスと今までオリオンたちが遭遇した変異体との関係は───四つ子であった。双子型変異体は二体で一体の計算で、硬化型と筋力特化型を合わせて四体。奇しくもゼピュロスの名の元となったアネモイも四柱。偶然の一致にしては出来上がりすぎているため、恐らく"神"とやらが狙って名付けたのだろう。


 ともかく、長い戦いがひとつ決着した。

 同時に───彼らの奇妙な関係は、朝日昇る町で終わりを告げる。


「これでおしまい、か。なんか長いような短いような……」

「俺は長かったと思うぜ」

「なんで?」

「色々なことがありすぎた」

「それは私も同感よ」


 オリオンと一颯の出逢いから今日この日まで、色んなことが起きた。それは辛くもあり、悲しくもあり、だとしても手放すことができない大切な出来事ばかりだ。

 両親とやり直すことができたのも一颯にとっては彼が一因を担っていると思う。だから彼には感謝しなければいけない。とても大事な絆を取り戻させてくれたことを、家族で笑い合える日々を与えてくれたことを。

 だが、上手く言葉にしようとすると気恥ずかしくて、一颯はオリオンが不思議そうに顔を覗き込むのをデコピンで返した。


 朝日が昇るのを毎日丘の公園から二人で見た。でも今日だけはなんだか寂しく、非日常という日常の終わりを前にして一颯の胸は強く締め付けられる。


「ありがとな、イブキ」


 沈黙を裂いた言葉に一颯は「えっ」と無意識に反応した。すると彼はくすりと笑いながら、


「イブキがいなかったら俺ってばホントに死んでたかもしれねえからさ!」


 と、冗談っぽく笑えない言葉を口にした。


「なに言ってるのよ。……オリオンは強いもの、私なんてそれに比べたら」

「いいや、そうじゃなくて……」


 オリオンはマーリンから聞いたあの衝撃の事実を全部一颯に暴露し始めた。一颯が最初の日に楽園の夢を見てくれたから結果としてオリオンは助かって、変異体を倒すことができたのだと。

 彼女はそんな夢があったことを覚えていなかったが、なんとなく理由を理解して苦笑していた。

 しかも毎日過酷な無茶をこなしてくれた、それだけで十分彼女は強い。身体の強さではなく、心の強さならオリオンも敵わないだろう。


「───さて、と」

「……やっぱり私はここでお別れ? 一緒に戦っちゃダメ?」

「そうだなぁ……俺が元気になっちまったから、イブキをもう巻き込めない」


 一颯は赤みを帯びた彼の追想結晶を見つめながら落ち込んでいる。

 仕方がない。本来なら彼女もオリオンが守るべきただの一般市民の一人だ、イレギュラー的な状況が解決した以上もう役目は終わり。明日からはいつものように深夜は外に出ず、静かに布団の中で穏やかな眠りに就くのだ。


「じゃあ、お願いしていいかな」

「なに?」


 緊張気味に何度も深呼吸し、まるで愛を語る少女のように彼女は言葉を口にする。


「───必ずまた会いに来て。約束してくれたでしょ? 楽園に連れていってくれるって、だから私に会いに来てよ」


 非日常の彼を忘れたくない、星夜に瞬く誓いの剣を遠くではなく近くで見つめ寄り添いたいと一颯はとんだ口約束を願い出た。

 しかしオリオンも否定や拒絶をする理由はない。むしろその願いを聞いた時、心のどこかで彼女とまた会うことができるという不思議な安心感を覚えていた。


「分かった、必ずイブキに会いに行く。だからそれまでは無茶したり勝手に外出たりすんなよ」

「ええ、もちろんよ」


 朝焼けに照られる少年少女の姿はごく当たり前のはずなのに、肖像画に描かれたそれよりも美しく刹那的だ。

 もうすぐ来る長い一幕の終わりに、花を添える太陽が顔を出す。

 時刻は午前五時。白色の空は黒夜を裂いた彼の剣によく似ていたが、朝の訪れと流れ星ではやっぱり違うかと一颯は空を眺めながら思った。


「そろそろ帰るか」

「……わかったよ」

「アイツは先に帰っちまったし、イブキも早く帰って寝た方がいいぜ」

「なによ! 私は全然眠くないから!」

「じゃ、なんで泣いてんだよ」

「は───?」


 目尻に溢れた涙は頬を伝って一滴、一滴がぽたりと静かに流れ落ちる。

 理解の追い付かないところで起きた感情変化に少々パニックになりながらもごしごしと目をこすり、赤くさせながら一颯は笑う。


「な、なーに言ってるのよ! ほら! 私は大丈夫だから早く帰りなさいよ!」

「……んじゃあ遠慮なく、剣士サマは城に戻るとするさ」


 どこからともなく右手に現れた剣を大きく縦に振り、空を割く。───するとそこだけが扉の形を造り上げ大人一人が潜れる大きさのゲートが出来上がった。

 これが明世界から宵世界へ繋がる扉、通れば無事に彼は帰還できる。


「イブキ! じゃあな、また会おうぜ!」

「うんっ! さようなら!」


 ほんの短い挨拶を経て彼は振り返らず扉の向こうへ消えていく。


 完全に扉の先に見えなくなった時、空間にできた裂け目は何事もなかったように普通の場所になっていた。



「────ありがとう、オリオン」



 一颯の声はオリオンに届いているだろうか。


 たった一人残された夏めく太陽の世界に住む少女は終わりの夜を静かに見届けた後、赤い結晶を手に握りしめてその場を後にした。




 ──────物語はひとつの終着点に辿り着いた。

 これは非日常に憧れた日常に暮らす月の彼女と非現実が在る現実を駆ける星の彼が綴った、奇跡とも言える出逢いと別れの()()()()



 彼がいるべき黒い国、そして白い国の剣士に起きた事件を────この時はまだ誰も知らない。








*物見(ものみ)心眼(しんがん)

ファレルの一族に代々に伝わる未来視の能力。

開眼には相応の鍛練を積まねばならず、その最中で命を落とした者も数知れず存在する。

リオンの場合は数秒から一分後に起きる事象を正確に視ているらしい。


*遺装(アーティファクト)

神話や伝承にまつわる逸話を持ち、なんらかの理由で明世界から宵世界へと流れ着いた武具を指す。

これらには本来は正式な所持者がおり、オリオンたちが普段扱う際には一定の性能を抑える"外装状態"が付与されている。

大量の魔力を注ぎ外装状態を解き放ち、本来の能力を一時的に解放することで"限定開花"し、武具に封じられた最上位魔法を発動させることができる。


*限定開花(レミニセンス)

遺装と呼ばれる聖遺物クラスの武器や防具が本来持つ能力を一時的に全解放することを指す。


*黒夜流星(シュヴァルツステラ)

オリオンが持つ謎の遺装が保有する限定開花。

魔力を注ぎ、流星のごとき一撃を見舞う光属性系最上位魔法攻撃。

名称に相応しく、月のない黒き夜に最も強い威力を発揮するが、星の輝かない夜には威力が激減する。

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