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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 明世界編
22/133

1-14 黒夜流星 1




 燃え尽きた空を穿つ流れ星が風を捉えた。

 無限に降る光の矢は弾丸のごとき速度で変異体の拳を貫き、崩れて歪んだ地面を粉々に吹き飛ばす。


『ギ……!! 小賢しイッ!』


 激しい連撃に近寄ることもままならない、と怪物は一颯から離れ、矢に対して回避行動を取り始めた。

 真っ暗闇に降り注いだ光弾が着弾し、巻き上げられた土煙が煙幕の働きを果たして周囲一帯を彩り、ゼピュロスの視界から一颯の姿を隠す。

 怪物とはいえ発達しているのは知能と肉体だけ、突然消えた少女を煙と矢の乱舞の中で探す蛮勇は成長したが故に持ち合わせていない。

 それでも体良く運試しと称し、歯軋りしながら水や草をかき分ける仕草を繰り返す怪物を空から眺めた璃音は微かな足音ひとつ立てずに地上に降り、時折自律型の攻撃系魔法で牽制しつつ同様に一颯の姿を探す。

 蹲り黙っているのか、彼女は暗闇と煙の中で完全に透明人間と化していた。

 念話を使えば応えるだろうが同時に魔力反応を感知したゼピュロスもその位置を把握してしまう、そこからのスピード勝負では人間の璃音に勝ち目などない。幸い、おおよその位置自体は判っている。あとはそこに辿り着けるかが問題だ。


 ────オリオン・ヴィンセントが死んだ。

 こんなバッドニュースがあってなるものかと最初は驚いたが、立て続けに起きた死体が消えるという極めて不可解な現象の方がよほど疑問だった。

 これに対する仮説としては二つ。

 一つ、敵であるゼピュロスには殺した相手を消す能力を持っている。しかしこの説はあまり信じられない。何故なら必要ないからだ。死んだ者は生き返らない。魔法や錬金術において蘇生は禁忌中の禁忌とされている、だから誰もそんな真似はしないし奇跡でも起きない限りはありえない。

 二つ、この中にはいない第三者の介入。可能性としてはこちらが高い。ゼピュロスが"神"と呼ぶ何者かが遺体を回収し、なんらかの方法で再利用を目論んでいる。

 それにしても妙だったのは直前のオリオンの様子だ。反撃を出したまでは璃音もいつもの彼だと思っていたが、おかしな点がいくつもあった。

 抵抗があまりにささやかで、攻撃を受けた後も糸が切れたみたいに動かなかったのは璃音のみならず全員が視認している。

 一人でなら腕が折れようが致命傷を受けようが死に物狂いで殴りかかるような男だ。まるで形を真似ただけの別人が動いていたような反応しかなかったことに璃音は違和感を感じた。


───ダメだ、集中しよう。


 オリオンの消滅について疑問視すべきことは多いが、戦いの最中に関係のない考え事は命取りになる。今は生き残ることを優先すべきだ。

 

 見つけ出した一颯はすっかり意気消沈していた。手のひらで転がった黒い結晶には彼女の陽魔力以外が感じられず、戦闘に役立ちそうな状態にもない。


「月見、大事ないか」

「────はい。でも、オリオンは……」

「話は後だ」

 

 女性にしては大柄な一颯の身体を軽く持ち上げ、彼はその場からの離脱を選択した。今ここに彼女を置いたままでは戦えない。


 一旦状況を落ち着かせるため、職員棟入り口より現在地から近い体育教科棟の中に移動して空間を閉じる。

 涌き出てくる魔力はすでに気配を消した、わざわざ移動したのに感知されてしまってはいけない。狭い場所では遠距離攻撃など逆に不利になる。

 ───追ってくる気配はない、どうやら眩ませることには成功したようだ。

 しばらく進んでたまたま目に入った弓道部のミーティング室に一颯を入れ、今一番大切な安全だけは確保した。

 追想武装がなくなり魔力を放っていない彼女をゼピュロスが一から見つけるのはきっと難しいはず。時間は璃音が稼ぐので、そのまま眠るか息を殺すかしてもらえれば朝まで見つかることなくやり過ごせるだろう、なんて希望的観測だが。


 魔法で閉じられた扉は鍵はかかっていないが、石のように固まっているのかノブが回せない。

 部屋に入ってすぐに一颯は扉をガチャガチャと喚かせるものの、それだけでは開くことなく、バンバンと叩いてもまだ扉の前にいる璃音が魔法を解呪することもなかった。


「先輩、開けてください…! わたしっまだ、まだやれますから!」

「───味方の死体ひとつであそこまで狼狽えるような奴を戦場に出すわけにはいかない」


 "死体"。

 今の一颯にとってはこれ以上ない非情な二文字だった。

 まだ死んだと決まったわけじゃない、きっとオリオンなら───と、心の底から彼の再起を信じていた彼女をどん底へ突き飛ばした璃音の言っていることは正しくもある。

 戦場は生死の狭間、いつ死ぬか判らないその場所で生を終えることは仕方がないのだ。確実に生き残れる確証はない、むしろ戦いに出て毎回生き残ることは奇跡にも等しい。その理の中ではオリオンにも例外はない、今までの奇跡の代価をあの一瞬で払ったのだとすればここで死ぬのも別段不思議ではない。


「アイツは死んだ、それだけだ。ただ月見───お前は絶対に死ぬな。お前はあの男が唯一命懸けで守りたかった個人だ、もしもその心意気に報いてやりたいならなんとしても生き延びろ」


 返事は待たず璃音はその場を後にする。彼が向かうのはゼピュロスと戦うのに障害物のないグラウンドエリアだ。


 彼を追いたい一颯は全身を扉にぶつけたり、カーテンの閉じた窓を叩いたがやはり彼女の退室を許さなかった。

 待って、と哀れに呟いてもあの先輩は戻ってこない。

 両手に握りしめたままだった追想結晶も反応はなく、月も星も輝かない暗闇に取り残された少女は幼子のように泣きわめくしかなかった。


 30分前には軽口を叩き合って笑っていた人がすでにこの世にいないことを快活で中性的な声のない静寂で実感する。

 孤独に震えても彼は現れない。誰も彼女に手を差し伸べて抱き締めてはくれない。ここにいるのは戦うことを選んで大切ななにかを弔ったただの少女だ。

 真夜中の世界に勝手に足を踏み込み助かろうなんて図々しいことはもう思ってはいないのに、どうして自分ではなく彼だったのかと疑問と恐怖が記憶の回路から沸き上がり、今まで体感したこともない絶望感に身を焼き尽くす気分を味わわされる。

 だってオリオンのために諦めないと宣言したのに、誰かの助けになりたいと何度も雪子の笑顔を追想したのに、結局月見一颯という少女はなにも成せないままだ。ここまでやったのに彼を無事に見送ることはできず、戦いを避けていたはずの先輩に守られて、無力にも逃走した最初の日となにも変わらないじゃないか。

 一体、彼女はなんのために戦ったのだろう。


「……今のは…」


 ころん、小さく重い音が暗闇を引き裂いた。

 さっきまで涙の粒を落としていた床を見下ろすと、そこには美しく発光する花の香り漂う宝石。───魔術師・マーリンから託された追想結晶だ。


"君やオリオンがピンチになった時、きっと力になるはずだ"


 心を透かす男の声を思い出す。

 そう、これは危機が訪れたなら使うのだと贈られた宝物(プレゼント)

 黒ずみ力を失った追想結晶が輝かないと言うならばこちらはどうだ、世界中のどんな宝珠より煌めきを放つ花畑の証に力がないとは誰も言えまい。


 生き延びることをオリオンが望むなら。

 諦めないことを一颯が望むなら。


 楽園の主はきっと応えるだろう。

 ───彼らに祝福あれ。その力は必ずや運命を変える、と。


「───よし…!!」


 口付けることはしない、ただ一颯はこのちっぽけな輝石に願うだけ。

 彼の願いを果たすだけの力を、自らの想いを諦めない力を、ただ人を殺すだけの心無き殺人鬼を討つ力を。

 追想結晶は想いに呼応する。

 微かに魔力を帯びた身体の纏うモノはほどけ落ち、代わりに身を包むのは無数の花弁。それらが光となりゆるやかな魔術師の法衣が顕現し、結晶は形を大きく変えて杖の化す。

 花の魔法使い、それこそが今の一颯を表すのに相応しい。

 強い意思を持ち誰にも負けない信念を燃やす。たったひとつ、諦めたくないという感情に身を焦がして少女は立ち上がった。


「解呪、施錠空間」


 魔術師の力を得た一颯には、触れただけでその魔法がどんな効果を持ちどうすれば解呪できるのかが解る。

 さっきまでピクリともしなかったノブは彼女が唱えた術によって重りを外されたみたいに軽くなった。これなら誰でも簡単に開くことができる普通のドアだ。


 璃音がグラウンドに向かったのは足音で判っている、この体育教科棟から最速で向かうための扉がすぐそこにあるからだ。

 同時に、それを証明するように鳴り響く弾丸の雨が耳に入った。さっきまでの部屋は空間を閉じることで外からの音をシャットアウトしていたらしい。

 つまり、間違いなく璃音とゼピュロスは戦っている。


「行かなきゃ!!」


 一颯にとって璃音はあまり接点のない先輩だが、彼が死ぬのは許せない。

 いつも彼や自分の隣で笑顔を振り撒く華恋を笑顔を失う姿を想像するだけで胸が苦しくなる。絶対にあってはいけないと意志が強く根付く。


 バンッと力強くガラス張りの扉に体当たりをかまし、グラウンドを一望する階段上エリアにやってきた一颯は鉄柵に思い切り身を乗り出してキョロキョロと周囲を観察する。

 グラウンドの隅から隅まで見るために視力強化の魔法を使い、未だ視界外の璃音とゼピュロスの姿を逃さない。

 ───瞬間、ど真ん中の砂が巻き上げられた。

 見つけた。ゼピュロスはそこにいる。相変わらずの移動スピードだが今なら一颯にもハッキリとその軌道を捉えられる。

 そして矢が発射されているポイントはゼピュロスがいた位置から約10m離れた場所。連続して舞う土のせいでしっかりと確認してはいないが璃音だ、どこにも血痕がないことから無傷であることも分かった。

 逆に言えば両者共に傷を負っていないのだ。ゼピュロスにはスピードが、璃音には一颯も知らない手段があり、互いにそれらの壁を越えることができないためただ攻撃を撃ち合うだけの状況が続いている。

 現在の両者は攻撃と回避に神経を尖らせている分、一颯の存在に気付いていない。不意打ちであの速度を縫い留め抑えることが出来るとすれば、連携で屠るチャンスはあるかもしれない───そのための魔法を用意する。


「───我が纏いし楽園の主が命ず」


 彼女の指示に応じた魔力は杖の先に魔力を集約させ、狙う標的を捕らえる機会を伺う。

 遠距離攻撃との攻防とは思えぬ勢いを以て吶喊する怪物に対し、一発でいい。当たれば動きを止めて璃音が一撃を加えられる。

 落ち着いて呼吸し、なんの迷いもなく、ただそのトリガーを引くだけだ。


────来たッ!


 予測した位置、時間と重なる怪異の影。足を璃音の目の前に踏み込む直前に、込めた魔力を撃ち放つ────!!


『グゥッ!?』


 杖から解き放たれた三つ首の竜を模す雷はゼピュロスの背に貼り付くと、稲光を輝かせながらその身体を拘束した。

 身を捩り逃げ出そうとしても無駄だ。三つの光の先端は刃の形をし、地面に突き刺さっている。このトライアングルの中央に囚われたゼピュロスは上空にも前後左右にもましてや地中にも動くことはできない。


「黒弓先輩ッ!!」


 拘束が発動したのを視認した一颯は念話も忘れて喉が渇れるほどに異形の目の前で弓を構えた彼の名を叫んだ。

 少し驚いた様子を見せた璃音は叫びに応え、回避も防御もままならない距離で歯軋りするゼピュロスの顔面に矢を突き立てる。


 逃しはしない。


 金色の眼はその奥から漏れる神秘の光で怪を抉り、白銀の弓に番えた矢を引き絞る手を一切の容赦なく離した。


「やった……!!」


 確かな勝利の確信で薄暗かった表情にも笑みが灯る。

 何故矢が刺さるのではなく爆発するのかは分からないが、今は全速力で璃音の元へと向かう。彼は攻撃に巻き込まれないためにグラウンドの端から反対の端に移動していたので、階段を下りればすぐに合流できた。

 ………が、


「月見……なんだそれは」


 勝利の喜びやそれに伴った犠牲への哀しみを分かち合うこともせず、璃音は真っ先に彼女の新たな追想武装に対して静かながら引き気味に声を上げた。どれくらい引いているかと言うとそりゃあもうドン引きだ。

 一方の一颯はそんな様子にきょとんとし、なにが不満なのかと次第に膨れ顔になる。そして一颯の機嫌を損ねたことに気付いた主犯の彼はめんどくさそうに頭を掻き、弁解を口にした。


「それが追想武装なのは分かっている。……しかもあの魔術師もどきのな」

「知ってるんですか!?」

「知っているもなにもアレはオリオンの────」


 マーリンには夢で会った程度の接点しかない一颯に興味深い話題を提供しようとした璃音は困った顔を瞬時に切り替え、───一颯の身体を突き飛ばした。

 え、と困惑の声を上げる間もない。ふわりと浮いた体は抵抗できず、お尻が地面に着く前に璃音は目の前から消えていた、否、掻き消された。

 尻餅をついたせいで臀部が痛むが気にしない。どうするか迷った果てに苦々しく名前を呼んでも見えないし聞こえない。

 代わりに落ちたのは鮮血だ。ぽたぽた垂れる血液はどこから流れているのか、決まっている、その位置にいるのは璃音だけ。

 なにが起きたのかを一切把握できないまま悲鳴じみた呼び声を漏らした一颯は衝撃を目撃することとなった。


「うそ……!?」


 弓を持った右腕に無数の切り裂き傷をつくり、右肩を脱臼したのかぶらりとさせたまま表情のない璃音と、向かい合いニヤつく頭の欠けたギョロ目の異形。


『さスがは異形殺シのリオン・ファレルだ。物見の心眼、スゴいネ』

「よく知っているな変異体。しかし貴様の神は異形に知識を振り撒くのか、笑える話だ」


 物見(ものみ)心眼(しんがん)

 以前オリオンがリオン・ファレルについて一颯に話した際、ぽつんと言った「一族に伝わる神秘の眼」とはこれを指している。

 単語だけではイマイチ概要が伝わらないが、もっと簡単にするなら恐らくこれが最適だろう。


 未来視。


 無論限定的なものだ。常に未来が視えるわけではないし、なんなら数年後や数日後、一時間後すら視えないため、未来視の魔眼としては不便さが目立つ。

 しかし"異形殺し"または"銀弓の魔術師"と呼ばれ、宵世界で猛威を振るった彼にとっては最大の武器であり防具にもなる。

 その実態は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()能力だ。

 戦闘で未来を視るなんてそれ以上のアドバンテージは存在しない。彼はどんな攻撃を受けようが攻撃される未来を視ているため、確実に回避できる。

 さっきまでの戦闘ではゼピュロスがどう向かってくるかを完全に把握して回避、攻撃を繰り返していた。ただしゼピュロスの素早さが異常すぎるせいで、追尾型の矢以外は上手く当たらずジリ貧だったが。

 今も一颯に掴みかかろうとしたのを視た彼は彼女を突き飛ばすことで回避した、代わりに彼が負傷したが()()()()()()


『へ、ヘッ……でモ、サッキのハ痛かったネ。おかゲで、頭ガ割レちゃっタヨ』


 削られた頭蓋からなにか気持ちの悪い汁を垂れ流し下品に笑う様相は不気味を通り越して異様だ。

 だがしかし、超至近距離からグレネード弾並みの爆発を起こした矢を受けて何故生きているのか。奇術師の脱出マジックじゃあるまいし、身動きのとれない状態で神速の刃から逃げられるわけがない。


『よォく考えテ。僕ハ、速いダけジャあないんだヨ』

「……もしかして風…ッ!?」

『その通リ、正解ダよ』


 ゼピュロスは常人に捉えられない音速の異形、それと同時に名が体を表すかのように発生する暴風をそよ風に変えてしまう。先ほどの一撃は後ろから飛んできた魔法と前方から放たれた矢の余波による風があった、故に周りに流れる風をコントロールすることも容易い。

 顔面に向かって一直線に伸びてくる一発を風の流れを変えることで反らし、致命傷を防ぐ━━━思考を得た変異体としても知恵だけではどうにもならない問題を能力をフルに活用して解決するなど人間以上の一手に他ならない。

 さすがに予想できない動きをされ、璃音にも焦りが見て取れた。


『残念だナァ……ヤっぱ、サッき死んダ魔法使いヲ残セばヨカったよナァ……』


 ゼピュロスの思わせ振りな発言は真っ先にやられたオリオンがまだ余力を残していたんじゃないかという疑念をはっきりとさせている。


『アノ男の本気とナラ、ボクと()()ナんジャないかナ? ホントに残念ダヨ』

「そんなことを言っていいのか。アレは諦めが悪い、今のを聞いていたら地獄から這い出して貴様を道連れにするかも知れんぞ」

『ひ、ヒヒ、あんナ呆気なク死ヌヤツにハ負けヤシナいモンね』


 本気のオリオンを見てみたかった、と言っておいて自身が上位であることは決して譲らない。やけに人間臭さを目立たせる人ならざる怪物は、その未知数に劣らぬはずの璃音も楽園の魔術師を宿した一颯もすでに相手にならないと一蹴する。

 ぎょろぎょろ二人を見つめる眼が次なる標的を選ぶ。どちらも同じ、どちらも殺すという意思を持って、細長い足で大地を蹴り風に解けた。


 選ばれた不幸な敵、それは────。


「ッ、月見か!!」


 先に未来を視た璃音から出てきたのは紛れもなく一颯の名前。

 タイミングを同じくして杖を構えた一颯の懐に猛烈な突進攻撃がブチ当たる。防御姿勢をとっていても後退させられるほどの威力も相まって、風だけが杖を貫通し彼女の魔装束(スペリオルメイル)の腹部を大きく切り裂く。危うく命を奪われるところだった、ちゃんと姿を見て防御しなかったら間違いなく真っ二つにされていただろう。

 冷や汗が全身を伝い、第二撃の準備に入ったゼピュロスを目視する視界も呼吸の乱れと共に揺らぎ始めた。

 璃音はすでに一颯の隣から離れた。いつの間にあの重傷を癒したらしい彼はゼピュロスの見えない位置からの射撃を狙い死角から矢を放つが、全く意に介さない怪物は発する風だけで矢を避けていく。地面ギリギリを飛び回っているせいか、避けられた直後に着弾してしまうため矢はどれだけ追尾しても当たらない。


『ソレ楽園にイる夢魔ノデしょ、知ってルよ』

「だからなによっ!!」

『キミ、気に入らレテる。魔力ガおいしいハズだヨ。だからチョウダイ、ボクにもチョウダイ』

「絶対にっあげないわよ!」


 ゼピュロスは一颯が杖を介して乱射した吹雪のような氷結魔法は簡単にかわし、それが発生させる風を利用して彼女に近付きオリオンと同様に拳を腹に叩き込む。

 衝撃を受けた胃から液を吐き出しはしたものの、強力な物理耐性を持った防護魔法が自動でかけられているらしい魔装束(スペリオルメイル)は腹に風穴を開けることはなく、後方のネットに吹き飛ばされた程度で済んだ。

 まともに呼吸ができず声にならない咳が連続し、腹に力を入れて踏ん張れない。今は璃音が攻撃を繰り返しているため一颯一人に集中することはないが、隙を見て近付かれたら今度こそ終わってしまう。

 早く立ち上がり、体勢を立て直さなくてはならない。ぐらりとしながらも腰を気遣いネットを掴み、なんとか膝立ちまで姿勢を戻した。


「負けるもんですか……!」


 脳裏にちらつく彼の最期を振り払い、全身に力を込めて漸く立ち上がる。

 まだだ、この程度ではまだ終われない、そう易々となにも残さず終わるわけにはいかないのだ。


『じゃア、負けテミる(死んデみル)───?』


 ハッと正面を見た時にはもう遅い。

 首根っこを掴まれ後ろで学校敷地と公道の境界を担う硬いネットに押しつけられた一颯は呼吸の要である喉を絞められ呻きながら足をジタバタとさせる。

 しかしどれだけ無様に暴れても微動だにしないゼピュロスはニィッと気色悪く口角をつり上げ、自身を狙い構えた璃音に向かって思いきり少女をぶん投げた。

 現役の野球選手が投げる豪速球と見間違うほどの猛スピードで飛ばされた彼女を予期したとしても避けるわけにはいかない、だからと言ってキャッチするには弓矢を持った状態で手が空いておらず、矢じりが当たらないよう弓を下げることしかできなかった璃音と投げられた一颯はなんのクッション材もなく衝突する。


『ほらァ、キミらモ大しタコトないヨ』


 漆黒の中でもはっきり分かるにんまり顔の悪魔は今は自らのスピードを抑え、静かにゆっくりとにじり寄る。

 受け止めた側の璃音は特にダメージもなく上体を起こすことができたが、地面に頭部を強く打った一颯は膝元に突っ伏したまま唸るだけで一向に動かない。

 このかつてない危機的状況に今夜は撤退することを選択肢に加えるのも視野に入れ始めたところで、彼女は璃音の右手をぎゅっと掴んで首を振る。


「おい月見」

「……だめです、逃げたくないです。今日から逃げて、諦めたら、明日はもう……あの部屋から出られない」


 彼女に与えられた時間は今夜のこの時だけなのだ。そこから先には進めない、オリオンを喪って逃げ出して諦めた彼女に宵の世界へ踏み入る権利は一生失われてしまう。

 深夜零時が訪れる度に体を丸めて無力感と恐怖心に震えることだけが残されるなんてそんなの嫌だ、と彼女の想いに応える権利を持たないがために振りほどこうとする璃音の手を離そうとはしない。離したら終わる。離した時には彼は一颯を抱えてこの場を去ろうとすることが、ぼんやりとしか思考できない彼女には解っていた。


 彼を帰すことができなかった自分を戦うことで許したいわけじゃない。

 どんな未来が待っていたとしても向き合い、必ず勝ち取れと誰かが言った。ならば月見一颯が勝ち取るべき道はゼピュロスを倒した先にある。

 辛く哀しい死に目を逸らさず、乗り越え、ひとつの悪夢を終わらせること以外に選択肢なんてはじめから存在しなかったんだと力強く握った拳に熱が篭る。


「私、まだ諦めたくない!!」


 叫びが木霊した月無き夜の空に疾風の一閃が二人を貫かんと世界を切り裂く。

 真っ直ぐに凛と煌めく瞳がそよ風という名の嵐を捉え、自らの命に対する覚悟を決めたその時だった。


 ────星が降った。

 夜空を支配する白金色の星々とは似ても似つかぬ()()()()

 無茶苦茶な軌道で飛び回り光を発する輝きが射抜いたのは怪異と彼らの中間、割って入った隕石は宇宙から来たのか━━否、この世界のどこからでもない。

 火花を散らす白い刃、はためく紅色とグレーのコントラストは夜の漆黒では隠しきれない灼熱のようだ。

 長い髪を風に乗せた彼は楽園から現れた。

 大事な命の声を聞き、その灯火を消そうと嗤う異形の悪魔を屠るため───彼はもう一度、出逢いの日と同じように守護の証たる黒き夜の剣を抜く。


 月の少女が見開く瞳に映るのは信じてやまない星座の子。


『ナ、なんデだ……オ前は死んダはずダヨ!?』


 大胆不敵に笑みを浮かべた少年は構えた剣を地面に突き刺し、異形の者と向かい合う。


「死んだはず? そりゃあ随分、おもしれえ勘違いしてくれてんじゃねえか」


 どんな夜だろうと、闇だろうと決して光を失わない星を宿す青い色。


 そこにいたのは間違えるはずもない、そう───。



「オリオン・ヴィンセント、此処に再登場だ」

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