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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 明世界編
20/133

1-12 夕闇の使者 2




「……りおん、ふぁれる?」


 思わず全文ひらがなになるほど隠しきれない動揺。

 オリオンを前にして目を逸らす男は「黒弓璃音」。その名は一颯だけでなく彼の生活圏内で彼と面識を持つ人間全員が知っているものであり、当然ながら間違っていない。

 だが日本人とは異なる外国の響きを宿すその名前を呼ばれても璃音は否定する素振りを見せず、それどころか彼は大きなため息を吐きながら観念した様子で肩の力を抜き、下駄箱に背を預けた。


「──俺は謝らんぞ」

「はいはい、相変わらずガキだなぁお前」


 先程のいかにもこれから果たし合いが始まるような殺伐さとは打って変わって仲良さげに会話するなんだか見た目と年齢差が噛み合わない二人に一颯は目が点になる。

 誰か説明してくれ、と目で訴えてもオリオンは反応なし。当事者の璃音すらついさっきまで殺意を向けていた彼女に毛ほどの関心もなさげだった。

 いい加減に痺れを切らし、そろりそろりとオリオンの背から彼の姿を覗き込む。

 肩を掴まれたオリオンと視線を感じた璃音の両者がやっと一颯に注目にしたところで、ようやく彼女が声を発した。


「お二人はどんな関係で……?」


 戸惑いを見せながらも一番気になる質問を直球で投げ掛けた。

 なにを言ってるんだコイツは、と言いたげでキョトンとした表情のオリオンに反してその彼を二度見した璃音は呆れたようにやれやれと呟いて頭を抱えている。


「言わなかったっけか」

「なにも聞いてないわよ!」


 どういうわけか相変わらず分からない一颯には会いに来たのが"新たな戦力"である以外には一切の事情が伝えられていない。

 彼女にとってオリオンは協力者であり相棒だ。そろそろ自身だけが無知なのでは彼と共にいる意味すら失いかねない、だから自分から今すぐ踏み出し得れる情報はすべて得たかった。

 ───と、一颯が強い意思を半ば強引に心中から引きずり出しているにも拘わらず説明の義務を負った彼はなんでもなさそうな態度だ。

 それでも彼女の疑問に答えるため、軽く深呼吸して璃音に失礼にも指差ししてにこりと笑う。


「いーや前に言ったろ、俺のダチだって」

「…ダチ?」


 数秒でここ数日の記憶を洗いざらい思い出す。

 そういえば、キャロルが現れた日にそんな単語を発していた。

 すべての詳しい内容は二人とも忘れてしまったが、まず簡単に要約すると「オリオンにはすごいイケメンの友達がいる」という話だ。


「……たしかに聞いたわね。でも名前なんて知らなかったし、詳しく教えてくれなかったでしょ」

「そりゃコイツがこうだからな。俺がいないところで正体バレたなんて知ったら学校の帰りにでもどっか遠くから魔法撃たれて首がすとーんって飛んでたかもな」


 彼は自分の頬を両手で触れながらその両手を明後日の方向へ上げる仕草をする。

 少年らしく冗談っぽくニコニコ笑っているが、明世界在住一般人Aの一颯からしたらとんでもない恐怖。

 通り魔に刺される確率は宝くじの一等に当選するのと同程度だと言うが、璃音の正体を知るだけで確実なものにしてしまうと考えたらゾッとする。

 だが町中で殺人を起こせばすぐに足が付く。特に猟奇殺人で緊迫したこの梓塚でそんな気を起こすはずはない。

 ただし、それが一般的な殺人だった場合に限る。

 リオン・ファレルは魔術師である。元々彼を引き入れたかった遠距離攻撃を得意としているからだ。

 誰もいない場所、誰も気付かない位置から狙撃されれば回避や防御は不可能。殺人事件として立件しても凶器、または指紋が残らないため証拠らしい証拠を得るのも難しい。

 もしも彼が今までも先程のように正体を知ろうとしたり偶然知ってしまった人物と出会っていたとしたら───その先は考えたくもなかった。


「つーか女の一人も仕留められないって……三年で腕が鈍ったんじゃねえか、リオンくんよ?」

「最初から手は抜いていた。たしかに殺すつもりだったが本気でかかろうなどとは思わなかったからな」

「ホントかよ…」

「……月見がどれだけ動けるか知っておきたかっただけだ」


 彼が見せた微かな言葉の綻び。

 最初一颯に対し「死体が増えればオリオンが姿を見せる」と言った。しかし今は「月見の動きを知りたい」になっている。この差はなんだろうか。


「あの夜からどこまで順応したのか、か?」

「そうとも言うな」

「あの夜? 先輩、私の事情知ってるんですか……?」

「言わなかったか」

「先輩もですか!?」


 璃音の回想は始まりの夜まで遡る。

 魔術師たる彼の魔法適応力(マギアセンス)が常人以上に高性能なのは発動前の結界を発見したことで証明されている。

 その日の夜も眠りに就いていた彼は心臓が直接揺さぶられるような衝撃で目を覚まし、原因が凄まじい魔力の奔流であることに気付いた。

 普通ならありえないほど渦巻く陽魔力から異常事態が起きたのだと解り、マンションの屋上から変異体の戦いをずっと観察し、死の淵に立たされたその姿を見てしまった。

 本来ならこちらの世界で日常を謳歌する彼が夜の異形たちには干渉することはない。自らの正体を明かすことになってしまうからだ。

 璃音は悩んだ。助けるのは正しい選択かもしれない、しかしオリオンはともかく一颯がいずれ自分を知るのではないか、とあくまで利己的な思考をやめられなかった。

 だとしても旧友、そして恋人の友の危機を前に、いつの間にか手は動いていた。

 結果として彼らは危険を脱し、璃音が始めに危惧した通り対面している───ということだ。


 今だって彼女への殺意は持っていた、それ自体に嘘はない。

 しかし懇切丁寧にも結界を用意して誘き出すなんてなにか理由がなければしないこと。

 巻き込まれたくないオーラを全身から放つ彼は結界の用途を理解した時、大人しく姿を現すことを選んだ。その際まず一颯が現れたら彼女の実力を試すつもりで殺すことを決めて。


「むちゃくちゃだ……」

「分かってはいたけど……リオンって昔っからアレだよな」

「元はと言えば月見を巻き込んだお前が悪い」

「うっ…あの状況は仕方なかったんだよ」


 オリオンと対面してすぐに「謝らない」と言ったのは彼も一因を担っているから、らしい。

 一連の話を聞いても命を狙われた側の一颯は納得できないが、他にも込み入った事情がありそうなのでムリヤリ納得したことにして収めることにする。


「それで、俺になにをさせたいんだ」

「───新しい変異体が現れた。二人だけじゃ勝てる気がしねえから手を貸してほしい」

「断る」

「早ッ!?」


 その間秒数にして僅か0.3秒。

 まるで最初からこれを言うつもりだったのか聞きたくなるほど素早い返答にオリオンすら開いた口が塞がらない。


「月見が発現した追想武装があるだろう。あれは最早()()()()()()()だぞ、変異体がどんなモノであってもまず負けないはずだ」

「あー……もうないんだ」

「ない……?」


 一颯が双子型と戦った時に発現した追想武装──と思われる謎の装備。それさえあれば変異体がどれほど強力でもメじゃないはずだが、その時発現したキリで次の日から二度と一颯が纏うことはなかった。

 オリオンの推測では追想武装が"想いの力"で強化された状態だったのだと思っている。

 そうじゃなければ魔力の過剰運用による状態変化になるが、戦闘後彼女が魔力を物凄く消費した様子はなくケロッとしていたので違うだろう。

 後に残ったのはオリオンが魔力をスッカラカンにしたという事実。

 話す側の彼がとても恥ずかしそうにしていた。


「あと俺じゃ遠距離支援できないし、どうしても隙ができたら一颯が危険な目に遭っちまう」

「なるほど……"頑張れ、健闘を祈る"、俺から言えるのはそれだけだ」

「頼む! 今回ばっかりは協力してほしいんだ!」


 璃音は頭を下げるオリオンを申し訳なさそうな眼差しで見下ろす。


「……俺は梓塚の異形討伐には関与しない。この町に来て最初に言ったはずだ、忘れたのか」

「忘れてねえよ。でもな、最近の連中はイレギュラーが多すぎる。行動ルーチンが変わっただけだとしてもおかしいんだ」

「それがどうした」

「このままだとアイツら、家の中とか昼間でも行動するようになるかもしれない」


 唐突な爆弾発言に璃音だけでなく一颯も驚き、なにを言い出すのかと軽く慌てて問い質す。

 対して数年にもおよび梓塚の夜を見てきた彼からは至極真っ当でごく当たり前の答えが返ってきた。


 梓塚の異形は成長している。


 異形だって生物、生きているなら成長もするだろう。……もちろん同一個体であればの話だが。

 人生とは死んだら先に未来はない。成長どころか老いもない。

 それは何故か、"生"とは"死"が終着点だからだ。

 異形も同じで死ねば生が終わる。梓塚の異形の場合は夜中の12時に現れて、オリオンに屠られるか朝日に溶かされるかの結末を迎えるため、変異体以外には成長の余地がない───はずだった。

 オリオンは毎日繰り返す戦いの中で気付いていた、奴らの行動範囲が少しずつ変わっていっていることに。

 同じ生を歩んでいるわけではない異形たちが梓塚という地に同胞の生と死を繰り返して順応しつつある。


「確証は?」


 違和感を拭えない話だ。

 どうやって出現前の異形たちがその直前に生きた同胞の情報を得ることが出来ようか。


「ない!!」


 当然、というより当たり前だが、全て観察して統計を出したわけじゃない。彼が戦いの中で見出だした野生の勘と記憶力の賜物だ。


「でもな、その時が来たらお前はどうすんだよ。イブキから聞いたぜ、カノジョいるんだろ。そいつが危険に晒されると解ってても動かねえか?」


 変異体の誕生スピードが上がっているのも異形の生息に関するアルゴリズムが変化しつつある証拠ではないか。もしかすると、いずれは梓塚に現れる異形が全て変異体になるかもしれない。

 その際に得る通常個体と異なる能力として、"昼間に行動する"や"屋内にも侵入する"があった場合、民間人の安全は完全に保証できなくなる。

 これらによって描かれる最悪のシナリオは梓塚に住む人間が全て死ぬ、という結果だ。もちろんその中には抵抗手段が持たない華恋も含まれる。

 これから倒そうとしている変異体にそのような未知の力がないとは言い切れない。もしもその時が来て、彼女が手の届く距離で死に震えていたなら彼はどうするのだろう。


「脅しのつもりか」

「たりめーだろ。もし俺がお前の立場なら必死こいて守るけど……リオンは自分の保身優先だろうし、ソイツがどうなろうがほっぽって逃げちま───」


 オリオンの長い髪をすり抜けてガラスをぶち破った閃光が、最後の「う」までは言わせない。

 派手な音を立てて崩れる強化ガラスに眩暈を感じる。本日二つ目の実害らしい実害が出てしまった。


「誰が、逃げるだと」

「……やる気になったじゃねえか」

「お前のためじゃなくて華恋のためだ、そこを勘違いするなよ」

「どっちにせよやることは同じだろ」


 脅された、というより煽られたに近いか。一颯としては璃音がまんまと口車に乗せられたようにしか見えないが、まだ謎が多いこの先輩ならオリオンにそういう"意図"があると読んでいた可能性は十分ある。

 ただ華恋を引き合いに出した途端急に顔色を変えてオリオンの"口撃"に反撃まで繰り出したとなれば、璃音があの少女をどれほど溺愛しているかはお察しいただける通りだ。

 相変わらず会話についていけない一颯は破壊されたガラスと彼らを交互に見て、今度はオリオンの後ろからちゃんと出てきて首をかしげる。


「とりあえず、協力してもらえるんですか?」

「あぁ」

「あ、ありがとうございます! えぇっと、名前…えっと……リオン、さん?」

「今まで通りでいい」


 彼らは名前が一文字違いで紛らわしい。璃音の言葉により一颯の中での彼らの呼び方は元々の状態に落ち着いた。

 

 こうして、色々と拗れはしたがオリオンの思惑通り、遠距離支援可能な魔術師を仲間を引き込むことに成功した。

 当日は単純な近距離戦は一颯が、魔法と物理攻撃で一颯のアシストをオリオンが、そして敵が気付かない位置からの遠距離支援攻撃を璃音が担当する。

 まだ半人前の一颯を一番の最前線に置くことになってしまったが、明日までに急激な回復があると期待できないため致し方なしだ。

 残る問題は変異体の"速さ"がどこまで伸びるのか、と加えてどのような能力を持つのかの二つ。


「なにか対策はあるんだろうな」

「あったらテメエを呼んだりしねえっての」

「そうかそうか、────馬鹿かお前は。いいや馬鹿だったな、すまん忘れていた」


 まさに無計画&無鉄砲。珍しくなにか考えていそうな時ほどなにも考えていないのがオリオンの悪いところだ。

 ───彼を責めたい気持ちは一颯にも()()()

 しかし彼だってライバルを前にカッコつけた手前、三日前まではちゃんと対策や作戦をきっちり思案していた。どうすれば一颯を安全な位置に配置できるか、動きを止めるためにはこの魔法を使う、とか。

 じゃあ何故作戦がお蔵入りになったのか。それはオリオンの隣にいる彼女が一番よく理解している。だから璃音にもこれ以上は突っ込ませない。


「そうだ。新月の夜に…とは言ったけど、今まで姿を見せなかった変異体が決められた日付に現れるってあるのかしら……」

「まぁ…多分大丈夫、小細工はあんま得意じゃねえけど」

「小細工?」


 オリオンが璃音を呼び出すために用意した大掛かりな遅延発動型結界にはもうひとつ別の効力がある。

 発動させた術者の魔力が最も高まる日付と時間に結界が起動し、高密度な魔力を持つ者が吸い寄せられる。今回の結界の更に強化版と言うべきか。

 彼の魔力が最も高まる日は"新月"、そして夜も更け時計が頂上を指し示す頃から夜明けまで宵の剣士として相応しい最高の力を得られる。

 同タイミングで結界も同時発動し、まんまと引っ掛かった変異体とオマケの異形どもを一網打尽にする───しかもフィールドは学校という広くて人が寄り付かない安全地帯。決戦にはもってこいだ。


「リオンは屋上の結界見たろ?」

「見た。出来があまりにお粗末だったぞ、酷すぎて再詠唱した程度にはな」

「ひ、ひでえこと言いやがる……」

「ダメな箇所を直してやっただけありがたく思え」


 本職からのダメ出しにがっくり肩を落とした。

 実際のところ出来がどれくらい酷くても仕方ないといえば仕方ない。

 オリオンは魔法使いであっても魔術師ではないため、戦うことには特化していても大半の魔法は専門外だ。

 自らの魔力によって発動期間が制限される引き寄せの結界なんて異形狩りの魔術師くらいしか使わない。一介の剣士に過ぎない彼がその魔法と詠唱を知っているだけでも十分特異なのである。

 今は一般市民のフリをしてるが、元のリオン・ファレルは血筋に約束された異形殺しのエキスパート。要は専門の魔術師が手直ししたなら粗もなく、発動せずに暴発だの不発だの不測の事態は起きないだろう。


 これで準備は整った。

 彼は戦わずに尽くせる手は尽くし、あとは戦い勝利し真夜中の怪異を屠るだけ。


 空の茜色が藍色に移り変わる中、三つの影が学校を後にする。

 魔装束は魔力に融かされ彼らは一般人に早変わり。破壊された床やガラスは治癒魔法で修復し、窓や扉も全て施錠した。

 ここにはなにもなかったしなにも起きなかった。その結果だけが迫り来る真っ黒い闇に包まれ消える。


「オリオン、俺からも言いたいことがある」

「───どうぞ」


 "その時が来て、お前は月見一颯を守り切れるのか。"


 温い風に揺らされた彼の青い瞳はその先を歩む月の少女を見ている。

 あの日、宵が訪れた最悪の夜に彼女に出逢うのは運命だった。きっと先にある結末も運命、定められた標なのだ。

 だから迷いもせず、オリオンは堂々と胸を張って言える。


「……守るに決まってる。どんなことがあっても───俺が死ぬとしても、必ずだ」


 遠い世界で遠く先を歩く彼女には伝わらない決意。


 オリオンの意志に返事はなく、静寂だけが残された。

 一颯が彼らを呼んでいる。やってきたバスに乗ろうとなにも知らずに手を振っていた。


 明日の夜、全てを倒した暁に二人の物語は終わるのだ。







 ────夢を見る。


 此処は如何なる世界か。

 花は咲き乱れ、草木の揺らぎは踊るように、青が覆いつくす空には一片の曇りもない。


 初めて降り立つ大地には明けの世界にも宵の世界にも属さぬ幻想が高らかに歌う。


「やあ、()()()()()()


 柔らかく美しい透き通るテノールが少女の背後に座っていた。

 振り向いた少女は果実のような紫の瞳を見開いて、白い法衣に身を包む風変わりな男を捉える。

 岩に腰かける男は白い髪を風に乗せ、歪に色を変える瞳を重ねてくすりと笑い、どこからともなく手のひらに花を添えて彼女に差し出す。



「僕の名はマーリン───花の楽園へようこそ、月見一颯ちゃん」




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