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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Prologue
2/133

0-2 Prologue.2



「───、様」


 声がした。とても優しく清らかな声が。

 まだ夢の中にいるのだろうか? いや、そんな母親のように優しい声で語りかけてくれるのは月の女神だけなのだから確信しよう、これは夢だ。

 ……などと一人で勝手に解釈し完結させた少年は再び深い眠りの底に落ち───、


「オリオン、様…?」


 ……ようとしたが、声に聞き覚えがあった。

 優しげだが同時に淋しさを内包した少女の声。それは目の前で壁に凭れながら眠りこけている青年に対し送られていた。

 瞼を開けば、首をかしげながら長い黒髪を揺らす少女のゆらめく青い炎を映した瞳が顔を覗き込んでいる。


 そう、()()()()()彼を直視していた。


「う、ッわぁっ!?」


 普段聞くこともないような間抜けな悲鳴が雲一つない青空に響き渡る。

 驚き叫んだ彼──もとい、オリオン・ヴィンセントは寝起きの惚けた頭すら一瞬で覚醒させ、少女のいない左側へと思いきり後転した。

 ぜーはーぜーはーと絵に描いたような荒い呼吸を三度繰り返し、胸に手を当てる。速まった心臓の鼓動を押さえているわけではない、それとはまた別のエネルギーの消費を抑えるためだ。


「どうして逃げるのですかオリオンさ──」

「来るな! こっち来んな! 絶対に!!」


 数秒間の膠着状態に終止符を打った少女が近付くことどころか名前を呼ぶことすら血相を変えて遮る。

 特に悪いことをしたとは思っていない少女はまた首をかしげていた。恐らくというより絶対にだがここまで拒絶されることが理解不能なのだろう、不満そうにはしていないが理不尽だと言いたげな顔だ。

 一体なにがそこまで気に入らないのかは語らないままオリオンは少女の表情に対しても妙に嫌そうな顔で立ち上がり、身に付けた装備についた土の汚れを叩く。


「せっかく良い昼寝の場所見つけたと思ったのになぁ」


 声に出す必要のない情報まで声に出す始末だ。これでは第三者に批判されても文句は言えない上に善意で声をかけた少女だって心に傷を負いかねない。

 しかしオリオンにとっても事情がある。それはそれはもう毎日を生きるには致命的な事情だ。少女には説明していないが、そこは彼なりの優しさらしい。正直とても分かりづらい。


「毎日忙しそうで…お疲れなのに、こんな場所で寝ていては身体も休まりません…ので、お部屋に連れていこうと…」

「余計なお世話だっつの。大体あんな汗くせえ部屋で安眠できるか?

兵士どもがべしゃべしゃになるまで働いてシャワーもしないで寝てるんだぜ? 俺は絶対無理」


 「兵士」という言葉からなんとなく分かるが、彼らがこうして話している場所は公園などの憩いの空間ではない。


 此処は"アーテル王城"の庭。

 アーテル王国──通称「黒の国」と呼ばれるこの国は、ヴァルプキス西地方で最も広大な領地を持ち、民や領地を守護するための戦力は"この世界で"最大規模を誇る。

 オリオンと少女・ブリュンヒルデはこの国に属する兵士たちの一人。こうして駄弁っているがブリュンヒルデの方は今仕事中で、一方のオリオンは仕事を終えて休憩中。


 それを踏まえた上で、オリオンの言い分に移る。太陽光を全身に浴び、ムダなほど重厚な鎧を纏った男たちは汗水流して鍛練に明け暮れる。想像するだけで鼻は曲がりそうになり、そんな彼らのずぼらな行動で悪臭の漂う休憩所になんて死んでも入りたくはないということだ。

 なにより兵士たちもオリオンを休憩所には立ち入らせたくないらしい。理由はブリュンヒルデへの態度を見れば一目瞭然だろう。


「では、ヴィンセント公邸宅までご案内を…」

「しなくていい!! 一人で帰る!」


 駄々こねる子供か、はたまた焦った小物みたいに慌てた返事を返し走って城内への扉を開く。一度振り向いてブリュンヒルデの表情を確認してから廊下を駆け出した。


 ヴィンセント公とはアーテル王国の政治を動かす二十の貴族の一人であり、オリオンの養父だ。

 今のオリオンが帰る家もその養父がいるヴィンセント公邸宅になる。…のはいいのだが、オリオンは別に養子になると自分から認めたわけじゃない、()()()()()()()()()()()()()

 お人好し三人家族がニコニコと屈託のない笑顔で歓迎だなんだと甘いケーキを用意した日を思い出しただけで胸焼けしそうになった。


「変わってるよな、あのオッサン」


 誰に言ったわけでもない独り言に「そうだね」と返事をするにやけ面の男が一瞬見えた気がした。


 走ってはいけませんよと侍女に叱られるのを無視して広い廊下を駆ける。

 二階への階段が左右に輪を描くよう配置されたエントランスに出ていく。掃除中の侍女や執事、世間話する貴族の婦人たち、間抜けた顔で欠伸を繰り返す兵士の姿に「毎日ご苦労さん」と思ってもないことを心の中だけで言う。誰だって無闇なトラブルは避けたい。


「聞いたか? あの剣士また"向こう"のモンブッ壊したんだとよ」

「マジかよ、ほんっと迷惑なヤツだな」

「誰が直してると思ってんだか」

「国王から直々に任命されたから調子乗ってんだろ? 分かってやれよ」


 こういう時ほど自らの普段の行いを反省することはない。

 トラブルを避けたくてもトラブルを生む厄介者が現れてしまう。

 わざわざオリオンが聞こえる位置に来てから兵士たちの世間話が始まった。名前こそ挙がらないが挙げている役職はオリオンのものだった。

 別に挑発に乗る必要はない。"向こう"の塀を壊したり、戦闘が行われる度に修復が必要なクレーターを作っているのも事実。役職が剣士で王から直接任を預かったのも事実だから。

 正しい選択は無視。殴りかかるのは簡単だが後始末が面倒くさい。始末書は御免だ。


「あんな()()に大事な"剣士"の称号なんてやっぱ勿体ないよな」

「それそれ。()()は大人しくママと水汲みでもしてりゃいいんだってーの」

「ふわふわした()()のクセになー」


 チビ、子供、ガキ。彼らから見たオリオンの身体的特徴の最たるものなのだろう。ちらちらとオリオンの顔色を伺いながら彼の"コンプレックス"を嘲る。

 さすがに我慢ならない。

 選択肢は増えた。誹謗中傷を無視するか、三人全員を穏便に黙らせるか、──言われるまでもない、後者に変更だ。


 一番大柄な兵士の背中辺りで足を止め、これまたデカい声でこう言った。


「あーあ! 体だけデカい無能なバカどもがいつまでも昇進しねえから俺一人で"向こう"の連中とやらねえとなー! あー! 大変だなぁ!」


 あまりの大声に婦人や他の兵士も驚いてオリオンの方を見つめている。後ろの三人の兵士も一瞬ポカンとした顔で見ていたが、次の瞬間げらげらと下品な大笑いをし始めた。

 こいつうるせえ、とか何様のつもりだよ、とかひぃひぃと呼吸を荒げながら笑っている。

 実際のところどうなのかと聞かれると、彼らはオリオンより位の低い『一般警備兵』で、まだ戦場にすら出たことはない。

 そもそも『剣士』自体が少し特殊な称号でひとつの国で一人いるかいないかではあるが、その要素を除いても彼らが役職上聞こえる悪口を言うのは論外だ。

 そして一番問題だったのは、


「お前らあんま調子乗るなよ。()()だろ、目上への態度って知ってるか?」


 兵士たちはポカンとした。

 "年下?まさかこいつが年上?"と自分達の年齢を公開する。

 聞く前からオリオンには分かっていたが、城を守る一般警備兵…つまり訓練校を出たばかりの彼らに割り振られるその階級が示している年齢は卒業したての16または17歳。

 オリオンは見た目と精神年齢が子供っぽいせいで14~16歳くらいの少年にしか見えないが、これでも一応19歳だ。

 上下関係の厳しさは訓練校で死ぬほど味わったであろう、通ったことはないが大層なスパルタ教育であるなんていう話はよく聞いていたため話が解れば彼らも退くはずだ。


「う、嘘つくなよ! どう見てもガキじゃねーか! このチビ!」

「誰がチビだ!! 人を見た目で判断すんなバーカ!」


 残念なことに信じてもらえなかった。

 何故なのか。アーテル王国の成人男性の平均身長は190cmを優に越える、その証拠に今いる三人は上から210cm、201cm、196cmだ。

 オリオンの身長はこれまた170cmとこの国では圧倒的に小さい。

 周囲に比べたら20cm程も劣るオリオンが子供扱いを受けるのはいつものことだが、何度も言われたらそりゃあ傷つく。反論だってしたくなる。実は今も泣きそうだ。


 そこからはもう泥仕合。昼のエントランスホールには単純な暴言が飛び交った。

 上流階級の婦人は「いやねぇ」と言って不快そうな顔でその場を去り、侍女たちは人を呼びに、兵士たちは「いいぞ!言ってやれ!」とどちらかに味方をする形を取っていた。中にはどちらが言い負かすか賭けをし始める者もいた、こんな子供の喧嘩にだ。

 途中からは二人の男が「もういいや」と半ば呆れながらリタイアし、諦めきれない一番大柄な男だけが罵倒を繰り返す。負けじとオリオンも言い返していたが、不毛だ…と構ったことを少しだけ後悔した。


「双方そこまで」


 低い男の声がエントランスに反響し、その場の全員が声の主の方へ目を向ける。侍女たちが連れてきたと思われる男は何度か咳払いした後心底軽蔑した顔で騒動の発端になった二人に歩み寄る。

 大柄な一般兵三人はその男を見てビクリと身体を震わせていた。


 男の名はアクスヴェイン・フォーリス。アーテル国王の右腕であり、捕虜の尋問を率先して担当する嫌な肩書きの男だ。


「…また貴様かオリオン・ヴィンセント、何度騒ぎを起こせば気が済む」

「今回は俺悪くないし、そっちの連中の上下関係がなってねえから教えてやってただけだよ」


 オリオンとアクスヴェインは非常に仲が悪い。

 関わればまず嫌味は飛んでくる、説教もされる、あと過去の所業も何故か掘り返される。理不尽にもほどがあると思う。

 面倒事をこれ以上増やして仕事中に疲れがとれないのは馬鹿馬鹿しい、ので適当なことを言って離脱することにした。

 喧嘩の原因は三人の不躾な態度のせいで、それを分からせてやろうと反論したらどんどんヒートアップしたのだとちゃんと説明する。一分一秒でも早くアクスヴェインの前から逃げるためにはこうするしかない。今は堪え忍ぶ、本当は殴りたくて仕方ない40代ナイスガイの顔に腹が立っていても。


「そうか。騒ぎ立てることは問題ではあるが…まず貴様から態度で指摘を受けるとなれば、そこの三人は相当質が悪いようだ」


 まるで下等種を見るような目で見つめられた三人は小さい子供が親に叱られる時のように萎縮する。

 アクスヴェインを敵に回すことは城での立場を失うことと相違ない。問題を起こして解決に来たのが彼ともなれば怯えるのは当然のことだ。


「分かってくれたなら結構、んじゃ俺帰るから」


 足早にその場を去る。

 全く災難だ。本来ならすでに自室で寝ていたはずなのにこんな喧嘩に巻き込まれた挙げ句厄介な男まで現れて、これでは"向こう"に行くのに体力が回復しないではないか。

 七割ほどは自業自得なのに憤慨するオリオンは人の輪から出ていき、扉の方へ向かった。


───痛ッ!?


 何者かがすぐさま長い後ろ髪をぐいっと掴まみ、抜け出すことは叶わなかった。

 どうやらアクスヴェインがぐいぐいと髪を引っ張っているみたいだ、まだ言いたいことがあると言わんばかりに。散歩から帰りたがらない犬のリードを引っ張るように。

 二つに束ねられた青い髪を両側から纏めて引っ張られ、頭皮が痛い!千切れる!と率直な感想を脳に伝達し、思わず声にして叫んでいた。


「なにしやがんだテメエ!!」

「逃げ切れると思ったか大馬鹿者め、付いてこい」

「はぁぁぁ!?」


 三人の兵士は別の兵士たちに、オリオンは因縁深きアクスヴェインにそれぞれ連行された。

 白昼のエントランスホールにはなにも残らず、集まった兵士も冷めきった様子で持ち場や休憩室に戻っていった。


 時計は午後2時のベルを鳴らしている。





 国王は笑った。もう大爆笑だった。豪奢なカーペットの上で正座させられ不服そうなオリオンの姿を見て愉快そうに笑っている。悪意はなさそうだ。

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てている内に玉座の前に放り出され、国王すら呆けている間にアクスヴェインによって淡々と事の経緯を説明。警備兵と国王の隣にいた王女もクスクスと笑いを浮かべすでにかなりの羞恥プレイだったが、説明が終わって国王は腹を抱え出した時オリオンは頭が痛くなりそうだった。ついでにアクスヴェインも頭を抱えた。

 それが落ち着くと一息ついてから太陽のような笑みでこう切り出した。


「よいではないかアクスヴェイン。とても若者らしい、喧嘩は若い時にしかできんぞ」


 昔の私は大層喧嘩ッ早い若者だった…、と国王の長い話が始まる。

 アンダーグラウンドでの壮絶な戦い。集団の敵を捻り上げ、好敵手と切磋琢磨し互いの拳をぶつけ合った。最終的に出逢った女性と結ばれ、幸せな暮らしを手に入れた。

 全員分かっているがもちろん全て嘘だ。アーテルの正統な王族である国王にそんな過去はない。あくまでも彼が愛してやまない冗談の一つなので聞き流している。…一人を除いて。


「お父さま、お話が長いわ」


 最愛の一人娘ことブランカ・ルミネ・アーテルハルダが。


「アクスヴェインが困っています」

「えぇ…ほんとぉ?」

「本当です」


 父親のふざけた態度にブランカは少し顔をむっとさせている。これも娘の特権か。

 そしてブランカが作った隙を見逃すほどアクスヴェインも甘くはない。また軽く咳払いしてすぐさま話を切り替えた。


 アクスヴェインの主張はこうだ。今回はただの口論だったが、いつもはまず手が出る。彼の起こす暴力沙汰やトラブルの頻度は異常で、こんな人物が国を護る『剣士』の称号を持つなど国の恥である。もちろん彼が強者であることは分かっているため、剥奪するまではいかずとも暫くの間謹慎処分にでもしなければ反省することはないだろう、とのことだ。

 国王は「確かに」と頷き、今度はそれを聞いたブランカが反論を始める。

 確かに態度は悪く何者に対しても無礼ではあるが、彼ほどの実力者はこの国にはいない。代わりになる人物がいないのに無闇な処分を下しては"向こう"の事件を解決することはできない。これは別に私がオリオンを好いているから擁護したわけではありませんと余計な一言を足しながら言う。

 それもそうだ、とまた国王は首を縦に振った。


 オリオンも基本的にブランカの言う通りだと思う。

 彼が担っている『剣士』の称号はそんなに安いものではない。簡単に与え、奪うことは国側だってしたくはない。

 なによりもオリオンの任務は"向こう"で行われる。ただでさえ"向こう"へ行くにも相当な時間と労力を使うのに、オリオンのような実力者がこの国にはいない。

 実力者自体はいるのだが、彼女は指揮官でもあるため、持ち場から離れればそれこそ現場の混乱は免れない。なんにせよ代わりは本当にいない。

 オリオンは向こうとこちらのバランスを上手く保つには必要な人材なのだ。だからこそ処分できず、兵士たちやアクスヴェインなど大臣たちの反感も強く根付く。


「アクスヴェイン、今の我々が知りうる兵士たちの中にオリオンに並ぶほどの者はいない。それはお主も解るな?」

「無論承知しておりますが、奴はその優位にかこつけ、幾度も目に余る行動ばかりを起こす。これは許されることではありません」


 国王は判断しかねているが、双方の主張は割れている。相手が国王であってもアクスヴェインは自分の意見を譲るつもりはないらしい。

 オリオンの方は「そう見えるのはテメーらの頭がおめでたいからだろ」と言いかけたのを堪えた。これがアクスヴェインの言う「目に余る行動」なのだろうと多少は自覚する。


 ここで国王は自らの言葉で語る。

 先程も言ったが彼らはまだ若い。意見の違いで言い争うだけなら大人でもできるが、暴力で解決できると思っていられるのは若い頃だけ。我々はすでに暴力がなにも産み出さないことを知っているからこそ彼らがとても愚かに見えるのだ、と。

 老成した人間は皆、若者の導き手だ。全ての過ちを無理矢理に押し込めるのではなく、彼らを理解し、時間をかけて善いモノと悪いモノの判別をさせる。もちろん全部を許し折檻しないわけではないが、その心がけは必ず良い行いを産むだろう。そうした結果、また若者が歳を取り、それらを次の世代に伝えてゆく。

 発端になった兵士たちは未成人、オリオンも成人はしたものの暮らしていたのが辺境だったがために周囲との距離感はまだ子供と大差ないのだと王は言う。


「以前のことはともかく、此度は口喧嘩なのだろう? ならば見逃してはくれぬかな?」

「…お言葉ですが王よ、その軽率な判断はいずれ悪しき形で反ります」

「ハッハッハッ!! 構わぬよ! その時は私が玉座から退くときだ!」


 アクスヴェインからの明らかな嫌味も太陽みたいに輝く王の威光には全く敵わない。

 「王の判断にお任せします」と言って身を翻し、アクスヴェインは部屋の外へ出ていった。横を通った時に彼の舌打ちが聞こえたが多分気のせいだろう。


 少し微妙な空気が流れているが、それもお構い無しに空気の読めない国王が「じゃあ次の話ね~!」と言わんばかりに手をパンパンと叩いた。


「オリオン、全ては積み重ねだ。次はないと思って行動するのだぞ」

「は、はぁ…気ィつける…ます…」


 取って付けたような不器用すぎる敬語がかなり不自然だったが、国王は寛大だ、気にしてはいない。

 ───しかし、


「じゃが、私から別件で話がある」


 先程まで愉快そうに笑っていた国王は瞬時に変貌した。

 その強面ぶりにオリオンも尻込みする。


「オリオン、その後の"変異体"の行方はどうだ?」


"変異体"


 そのワードが耳に入った途端、彼の目付きが変わった。戦場で敵を屠る剣士の目だ。


 変異体を語るには、まずこの世界の生態系を説明しなければならない。

 この世界で行動する生物は大きく分けて3種類。人、人のように複雑な言語を発しないその他の動物、そして最後に"異形"と呼ばれる存在だ。

 いつから生態系に割り込んだのか。古から伝えられてきた彼らは、多種多様ではあるものの通常は高度な知能を持たず見た目もグロテスクなだけのただの()で、ターゲットした獲物を喰らうことこそが神から彼らに与えられた唯一の命令だ。動物を襲う人を襲い、この世界では人間に並んで食物連鎖の頂点にある。と、やたら強そうに誇張表現したところで異形が世界で最強の生き物というわけではない。効果のある攻撃を繰り返せば、不死身ではないのでいつか命が尽きるようになっている。

 では変異体とは何か?言葉のまま、変異した異形だ。自らで考えて行動し、知性を持ち、勝てない戦いはしない。個体差はあれどその知能は人間にかなり近い。

 だが、変異体も別段珍しいわけではない。例えば吸血鬼やサキュバスなんかもここでは変異体に該当する。


 それだけならオリオンが目の色を変える必要も、王がここまで神妙な面持ちになる理由にはならない。


「まだ、見つかってない」


 問題なのは変異体が現れたのが"向こう"だったこと、その変異状態が異常であることだ。


 数ヵ月前、オリオンは"向こう"で一体の変異体を討伐した。まずそいつが異様だった。

 見た目は通常の異形と同じなのに、言語を話した。それだけではない、それの皮膚はありえないくらいに硬かった。

 異形という畏れられそうな名前はあってもあくまで生物だ、剣で斬れば他の動物のようによく斬れる。"向こう"の変異体にはそれがとにかくできなかった。まるでダイヤモンドに剣がぶつかったように硬かったのをオリオンは覚えている。

 激しい戦いの末、負傷しながらも漸く倒した変異体が薄気味悪い笑みで遺した言葉は、


『アト、もウ一体イる』


 それを聞いたオリオンは"向こう"での特殊任務を志願した。

 自分が苦戦するような変異体を他が倒せるわけがない、もし他人に任せて死んでしまえばそれだけの罪悪感が胸を刺すことになる。なら自分がやるしかない、と撃ち抜かれた腹の痛みも耐えて、次の夜からまた"向こう"へ行くことになった。


 現在、その変異体は見つかっていない。


「うむ…そうか」

「なるべく早く解決させる、あれは野放しにできないからな」


 今も増え続けている"向こう"の人間の被害を最小限に抑えるためには早急に見つけ出して殺さなければ。

 深刻そうなオリオンを見てブランカが近寄る。


「最近無理していない? 先程から顔色が悪いと思うのだけど」

「今日は全然寝てねえからだ。そう思うなら早く帰らせてくれよ」


 真面目な話が長引く前に帰って寝たいオリオンを気遣ってブランカが扉の前まで強引に体を押す。こうすれば話が途中でも愛娘補正がかかり国王のターンは終了だ。

 国王は娘の愛らしい行動に嫌な顔一つせず、話の続きは明日にしよう、とまた豪快に笑っていた。


 玉座の間からブランカに強引に連れ出され、手を引かれる。行き先はどこなのか。


「ブランカ、どこ行く気だよ」

「どこって決まってる。わたくしの部屋です」

「はぁ?」


 ブランカの部屋。この国の王族の娘の部屋。

 こんな可愛らしいお姫様からお部屋への誘いがあったならきっと9割の男が肯定的な返事を返すだろうが、オリオンはどうしても裏があるとしか思えなかった。いつも"向こう"の話を聞きに来る娘ではあるが、眠いと言ったのにわざわざ部屋に呼ぶものか。

 冷静になれば分かることだが、普通は一介の兵士を部屋に呼ばない。彼女が12歳の少女だったとしても。


「そう! いつもふかふかなベッドだからきっとよく眠れるの!そしてわたくしも一緒にお昼寝したり…」

「やめろ! 俺が王サマに殺される!!」


 案の定だった。

 お姫様の添い寝なんていう恐ろしい現場が押さえられたらどんな手を使っても言い逃れできない。本気で怒ったパパモードの国王に称号どころか国での立場すら奪われてしまう。


 ブランカはオリオンに相当お熱らしいが彼女は婚約者がいるので自重せよと何度か侍女たちに叱責されている。本人曰く「別の国の人よりここの人が良い」らしい。そういう問題ではない、身分の問題だ。

 ちなみに、特に悪さはしていないがオリオンもブランカの教育係からだいぶ絞られた経験があり、後から彼女が一時期オリオンの口調を真似ていたことを知った。それが尾を引いているため、あまり直接的な関わりは持ちたくなかった。


 さっさと逃げよう、脳が判断した瞬間には体が動いていた。


「あっ!! オリオン! どこに行くの!?」


 次に教育係と会ったら「王女が廊下を走るようになった、どうしてくれる」と言われるだろう可能性が浮上していることはあえて無視して全速力でブランカから離れる。


 連日連夜の戦闘で疲労が溜まっているのは事実だ。だから面倒事を避けたかったのに気付けばこの始末、いい加減に自分の性格も見直すべきかとオリオンは倦怠感に溢れきったため息を漏らす。

 とりあえずまだ時間はある。今から寝ても夜には間に合うだろう。


 時計は午後3時のベルを鳴らしている。

しばらくプロローグが続きます。

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