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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 明世界編
18/133

1-10 想いの息吹 2




 開かれた窓の外から妖気を含んだ生温かな風が吹き込み、靡くカーテンはまるで別世界から誘う悪魔の手にも見える。

 月光だけが照らす室内には敷かれた布団とベッドにダミー用の人形。そして椅子に座る二人の姿。

 互いの形は影となり、上手く視認はできない。

 夜の沈黙が支配した月光下の部屋で、目覚まし時計が午前0時を指し示す。

 準備はとうに出来ていた。


「───イブキ、本当に大丈夫なのか?」


 顔を上げたオリオンは開口一番で一颯に問うた。

 昼間の出来事があってから彼女は一度しか部屋から出ておらず、風呂に行く以外には食事もしていない。

 心配して何度か声をかけたが、彼女は決まって笑顔で「平気だよ」と返した。だが、行動は明らかに一颯の言葉と反している。

 時間が経とうがあれだけ言い切ってしまえば両親と顔を合わせるのは辛いのだろう。

 今夜の異形退治は窓から出ていこうと一颯は夕方に提案していた。


「平気、問題ないわよ」

「問題なかったらそんな暗い顔しねえよ。今夜は無理しなくていいんだぞ」

「それはダメ! なんてコト言うの貴方は!」


 もし一日放置して朝を迎えて、死体があったとしたら───一颯はその可能性を考えたくはなかった。

 自分の事情は自分だけのことだが、この異形退治には重い"命の責任"がのし掛かっている。彼が「行かなくていい」と言ったからという理由で途中放棄するわけにはいかない。

 それにオリオンだって個人的な理由だけで深夜の町を放置したことはないのだから同じ土俵に立つ自分だって同義だろうと一颯は思っている。

 しかし彼は気付いている。

 彼女の心の影が作り出す憂鬱がいかに深刻であるか。

 もしこんな一颯を怪我させてしまったらどうしよう━━という不安を絵筆にした最悪の光景(ビジョン)が彼の脳内には最初から描かれている。

 彼が口にした言葉は簡単に取り消すことはできない、だからこそ喪失への恐怖心はより強く根付く。今日みたいな日は特に嫌な予感がしていた。


「さて、口より手を動かすわよ! しゅっぱーつ!」

「────」


 窓から外へ飛び立つ少女の背中はまるで自由を得た鳥のように美しい。なのに、本当の彼女は狭い価値観に押し込まれてがんじがらめにされていることを彼は知っている。

 最大限の空元気で笑う彼女を見て、同じ苦痛を理解し共有できる気がしながらも心を隠す姿を見たくないとどこか知らない感情が津波のように押し寄せて、彼は内心複雑なまま彼女の背を追った。


 夜の町に人気はない、いつもと同じ梓塚の夜だ。

 ただ当たり前の静寂だけがこの夜に漂う唯一にして異質な特徴。今日はそんな静けさが一颯の心象風景を示唆しているようで、身が震えるほどに寂しさを覚える。


「………ん?」


 今いる場所から後方、つまりさっき出てきた一颯の家から物音が聞こえた。それも一階からだ。

 一颯には伝えていないが、彼女の両親が眠っていることは確認済み。ダミーを用意したとはいっても下手に気付かれて外に出ていかれたらそれこそ異形の餌になってしまう。

 ──戻るべきか。

 家の扉を睨み付けて思案する。


「いた…!!」

 

 一颯が声を上げた。

 彼が振り向き見つめた先には二体の異形。二人には気付いていない。

 オリオンだったら隙を突いて一体目を、慌てている間に二体目を叩けば容易に終わるだろう。確実に二体を仕留めるなら狙い目は今だ。

 だが誰かが危険に晒されているわけでない今すぐに出る必要もない。

 一颯の現在のメンタル、能力を合わせても不意打ちで二体を一気に仕留める技量があるかどうかはオリオンも判らない。ならば二体が離れてから一体ずつ攻撃すればいい、一対一なら彼女は負けない。

 進言しよう、そう決めた瞬間一颯はすでに駆け出していた。


「私行ってくる!!」


 意識を集中させていた彼には止める間もない。この場はスルーすることを求める声を出した時にはすでに一颯は隣にいなかった。


 屋根の上をバネにして跳んだ彼女は真っ直ぐに異形の脳天へ剣を突きつけた。

 

───取った!!


 一颯に強い確信が芽生える。

 ───しかしそれは予想外の行為によって摘み取られることとなった。


 金属音の反響を拡げる風が吹き荒び、一颯の身体に伝わる振動は剣が届いたことではなく、弾かれたことを示していた。


「……嘘だろ。ありえない!!」


 オリオンが声を荒らげる。

 そう、ありえないのだ。


 ────()()()()()()()()なんてことは。


「なん、で……!?」


 異形とは知能を持たない怪物、生物を食らうことだけのために生きる害悪。知能がないということは同じ種族を仲間とは認知できても、その行動には発展できないはずだ。今までも彼は見たことがなかった。

 ならば変異体か?いいや、これは違う。少なくとも梓塚で目撃する変異体ではないし彼が最初に目撃したそれは共食いまでするとんでもないヤツで、異形同士の仲間意識なんて持っていなかったはずだ。


 一緒に行動していた二体の内、赤い頭のそれに向けられた一颯の剣は黄色い頭の方に弾き飛ばされ、彼女の身体は軽々と3mほど先に飛ばされてしまった。

 突然の事態に呆然とするオリオンも一颯の姿を見て高速で駆け寄り、彼女を一旦屋根の上へ逃がす。


「ね、ねぇ……? 異形が異形を守るってあるの?」

「見たことも聞いたこともねえよ、梓塚ではな」


 宵世界にいる変異体なら種族らしい性質を持つため十分あり得た話だが、ここにいる異形はあくまで梓塚の異形。向こうの常識はほぼ通用しない。

 すでに想定外の行動をされたためほぼ確定的ではあるが、本当に情報外の新たな変異体だとすれば今は勝ち目がない。

 オリオンは未だに剣を顕現できない状況、ここで立ち向かえば実質二対一だ。

 幸い、奴等は目が悪いのか遠くを視認できないらしく屋根に上っただけの二人を見つけられていない。攻撃を加えるのではなく、影から監視するだけに留めれば襲われる危険もないかもしれない。

 後日オリオンが完全回復してから二人で臨めばいい。


「一旦放置するか」

「いいの?」

「あの状況で仲間を守れるってことは連携もするぞアイツら。…一定距離以上は離れねえのが最たる証拠だ」


 彼の言う通り、異形は互いから半径2m以上は絶対に離れようとしなかった。

 しかもその動きには警戒心が感じられる。一颯の初撃があって敵の存在を近くに関知しているからだろう。


「でも、こんな近くでうろちょろされたらたまんないわね…」

「そりゃ同感だけどさ…」

「ならさっさと倒す! 行くわよ!」

「えぇぇ!!?」


 短い会話を終えた一颯は冷静に分析する彼と反して臆することなく同じ形をした異形に突っ込んでいく。

 そして彼女のあまりに猪突猛進すぎる姿にオリオンはあるひとつの結論に達した。

 普段なら半ば恐慌状態気味になりながら剣を振り、強化系魔法を用いて急所を一撃で突き刺す彼女が恐れることなく未知の異形に立ち向かっているその"原動力"。


「アイツまさか……ストレス発散のつもりか…!?」


 彼女だって頭は悪くない、考えて行動する冷静さがちゃんとありオリオンの意見や作戦には概ね同意する姿勢を今まで見せてきた。

 故に、無茶と無謀を掛け合わせた今の一颯は昼間の苛立ちを力に換えて戦っているとしか思えなかった。

 まともに策を練る気は持ち合わせていない激情だけが先走ることそのものは構わない、時には死に急ぎにも見える心意が驚くほどの快勝へ導くこともある。しかし感情のコントローラーを握る張本人の技量が追い付かなければその強烈な感情の力は無駄と化す。

 一颯の戦闘技術では先程も言ったが二体を同時に相手にするのは難しい。狂乱に身を投じれば筋力は多少増すだろうが技術面は向上どころか疎かになりかねない。


「このッ……馬鹿か!!」


 直情的に向かっていく一颯に追い付くのは簡単だが止めるのは難しい。

 こうなればオリオンは一颯の援護に回り、連携で倒すのが最適解だ。

 剣さえあればすぐにでも素っ首落とせる事実がなんとも歯痒い。

 ───彼女が持つ贋作(レプリカ)の剣に彼は魔力を通せなかった。つまり一颯から借り受けて戦ったとしても強化を施せない、それならわざわざ手離させる必要もない。

 前に立てないなら後ろから彼女を守る。それが今オリオンにできる最大の助力だ。


 屋根から降りた一颯は周囲を警戒する黄色い頭に向かって全力疾走。

 3m近くまで距離を詰め、巨体に気付かれないよう身を屈めさながら草原を駆ける肉食獣のごとき勢いで懐まで潜り込む。

 だが足元の音にはさすがに気付いたか、異形は右足を一歩後ろにずらして一颯の距離感を狂わせる。

 踏み込みが直前で甘くなった身体が前に倒れそうになったところ、上から残酷な処刑台の刃となった手刀が無慈悲に降ってきた。


開始(Anfang)──!!」


 言の葉が(トリガー)となり、紡がれた奇跡はなにもなかった虚空に冷気を生み出す。

 涼しげにオリオンの周囲を舞う氷の風はやがて電灯に反射して輝く氷の数を増し、夏の夜とは対極に位置する絶凍の象徴となる。


「連閃、氷結(Eis)ッ!!」


 絶凍の風は彼の合図によって一颯に襲いかかった異形の顔面に直撃した。

 黄色頭は異形特有の獣より汚い悲鳴を上げて凍って真っ赤になった顔を両手で押さえる。手刀がキャンセルされたことで、一颯は転けてしまったものの無事胴体が真っ二つなんていう事態は避けられた。


「黄色のは俺が抑える! 赤いのから頼んだ!!」

「分かったわ!!」


 最も勝利に近い戦い方は、分断することで連携を防ぐこと。

 この強敵相手なら四日後の変異体戦に向けて温存した魔力を抑える必要はない。

 いや、むしろ今夜を戦い抜くためなら溜め込んだ分を全部吐き出す覚悟を持って彼はこの世に存在しない奇跡を振るう。


 黄色頭の背後に出てきた一颯は赤い頭の異形の初撃をスライディングでかわし、二度目の攻撃で繰り出された腕にしがみつきその肉体に剣を突き刺す。

 痛みに悶え苦しみ暴れまわる赤い異形に剣を通じて魔力を注ぐ。

 陽魔力を注入された異形の首回りが解け出し、ぎゃあぎゃあと叫ぶ肉塊の背から飛び降り一旦距離を置いた。


『GAAAaaaaaaa!!!』

「ふッ───!!」


 肩辺りまで溶解して力のない拳に対し重さのある一撃を見舞い、互いに反動で弾き返される。


 怒りの篭る一颯の剣は強化の魔法ひとつかけていないと言うのに、彼女の強い感情に呼応したかのように揺らめくランプの炎に似たオーラを放つ。

 そして一颯もまた、その感情を包み隠すことのない乱暴な戦い方と険しい表情をしていた。


 オリオンの言う通り、彼女はこの敵に昼間の両親に対する憤怒をぶつけている。

 巨大な怪物がまるで両親の持つ一颯への負の心を表す本来の姿であると思うようにしながら、罪悪感のひとつも感じずにただひたすら剣を叩きつける。

 今夜ばかりは町の平和云々は体の良い言い訳にすぎない。

 彼女は誰かのためでなく自分のためにこの剣を振る。こんなことオリオンに知られれば軽蔑されるだろうとは解っていながら。


───いらない子だと思わせたのは二人じゃないか。


 例の出来事を思い出す度に頭痛が走るが、代わりに信じられないほど力が湧いて出てくる。


「燃えてッ!!」


 炎熱が赤い剣を更に灼熱に染め上げる。

 無双的な強さで一撃一撃食らわせる度に心に溜まった不満が解消されている気がして爽快だった。

 黄色い方はオリオンの魔法攻撃で一颯の元に行けるほどの暇はなく、赤い方もすでに死に体だ。


 まずは一体目。

 その姿をいつも一颯どころか家庭自体に関心がなく仕事とお金にしか興味を示さない父親に見立てて、首を落とさんと煌めく白の刃を憤怒で燃やして大地を蹴る。


「はぁ────ッ!!」


 今度こそ討ち取った━━攻撃が当たる前からそんな歓喜が込み上げて油断が生じる。


 そして……。


「……えっ……?」


 突如鳴り響いたガラスが割れる不快な音。

 その音の発生源は何処か、家の窓か?電灯を保護する膜か?否、どれでもない。


 ───()()()


 彼女が纏っていた追想武装が異形に触れた剣先から壊れて消えていく。

 不快音と共に失われ、カランと虚しく落ちる結晶体と一颯の身体にはすでに力が宿っていない。


 黄色い異形の間からその一部始終を目撃したオリオンは驚愕した。

 彼女から感じられる気配からして魔力不足ではないし、トドメの一撃を食らわせる直前なら彼女の意思でもない。

 なにが理由かも判らない状態で追想武装の強制解除。


「なんで……?」


 今自分の着ている普段着に焦りを感じながら結晶体を掌に転がす一颯には強制解除の原因が紐解けない。

 二色の魔力でまばゆい輝きを放っていたはずの結晶体はただ紅いだけの石に変わり果てている。

 周囲の目を気にすることなくその石に強い意思を持って口付けしたが、──反応しない。光輝く帯は現れず、彼女を包む太陽のような魔力は一片も感じない。


 追想武装とは、宵世界の人間が陽魔力を持つ人間に魔力を注ぐことで形として発現させる一種の魔法である。

 発現するのは宵世界側の人物の装備に依存し、高い陽魔力を擁する者なら装備を完全再現することも可能。

 ───そこまでがオリオンの知る追想武装の実態。

 しかし、追想武装にはもう一つ重要視される要素がある。


 それは装備する人間の(おもい)である。


 追想武装は発現した者の強い感情によって更なる力を引き出し、弱い意思を持つ者に対してなら弱体化すらさせてしまう。

 一颯がオリオンと出逢った最初の日には一颯の"守る"という意思が彼女に加護を与えた。だが今日はどうだろうか?

 彼女が支配されているのは強い負の感情。追想武装は確かに強大なパワーをもたらしたが、それは時限式の輝きにすぎない。一時的にオリオンをも凌ぐほどの力を得ても、負の感情はその後に良い結果を及ぼさず、追想武装はタイムアップを迎えて強制的に消し飛ばされたのだ。


「そんな、っおかしい…!! 反応してよ!」


 異形の影が忍び寄る。

 自らが殺し損ねた溶け落ちる怪物が目前へと迫り、彼女を呑み込もうと身体を傾ける。

 一颯を助けようとするオリオンは黄色の異形に道を阻まれ、魔法攻撃を食らわせても敵は怯む気配すら見せない。

 異形も彼らと同じく、一体ずつ仕留めるつもりらしい。


「逃げろ!! 早く!!」


 地べたで愕然とした表情を浮かべる一颯に逃げ出そうとする意思は見えない。

 強硬突破しようにもたった2mの距離がひたすら遠い。間に合わない、赤い頭の異形はすでに攻撃の姿勢に入っている。


 突然の出来事に、一颯はもうダメだと思うことすらない。

 ふと結晶体を見るのをやめて顔を上げた時には遅かった。

 蝋燭の溶けて血のような赤い液体を垂らしながら一颯の体を掴もうと迫り来る両腕を回避できない。


「ッ──!」


 強い力で掴み上げられギシギシと体内で軋む骨の音で現実に帰ってきた一颯はすぐさま死を覚悟した。

 全身に上手く酸素を回せず、呼吸音がひゅーひゅーと汗がじわりと滲む。


───どうしてこうなった。


 死の恐怖の狭間に後悔が押し寄せる。

 あんな感情を持たなければきっとこうはならなかった、と脳ではちゃんと処理ができていた。

 しかし遅いのだ。それをもっと早く理解できていたなら、こんな無様に死ぬこともないはずだった。

 黄色い頭の異形の隙間から見えたオリオンの姿を微かに捉えて、彼女は思う。


───あぁ、また約束を破ってしまった。


 その瞬間衝撃と鈍い痛みが一颯を襲った。




「あ………っ?」


 ───が、彼女の骨がそれ以上悲鳴を上げることはなく、少女の肢体は静かに地面に落とされた。

 時を同じくしてボスッと間抜けな音が連続して異形の背後から聞こえてくる。それが鞄を叩きつける音だと気付いたのは背後にいる人物の姿を見てからだ。


「あれ、は……」


 一颯の視界の先、ラベンダー色の瞳は背後に立つ男に向けられている。


 そこには本来ここにいてはいけない人がいた。

 梓塚の深夜という人を食う恐ろしい世界に目を逸らし、眠っていなければならない一颯のよく知る人物。

 どんな高価なものより大切な世界でひとつだけの"人"を守るため、鬼気迫る表情で自分より遥かに強大な化け物に立ち向かうその彼は────、


「───()()()()……!?」


 はぁはぁと呼吸を荒らげ、髪も服も乱した一颯の父はいつも仕事で使う鞄を一心不乱に何度も何度も異形にぶつけている。


「私たちの大事な娘に、手を出すなッ!!!」


 異形に言葉は伝わらない。だが七貴はその言葉を口にした、異形の怪物に言い聞かせるように。

 そして一颯には直に伝わっていた。


「その子は私たちの命だ!! 代わりになるモノなどないッ! だから離れろ化け物めッ!!」


 それは心を揺らす言葉。

 今まで聞いたこともない父の叫びは一颯の中にある両親への憎しみに近い怒りを解かし、冬から移り変わる春の日差しのように胸に宿った光を呼び覚ます。

 そう───遠い日々に取り残された懐かしき記憶が。


"命の息吹、という言葉があるだろう?一颯はね、僕らの命なんだ。大事な大事な僕らの()、なにがあっても一颯は生きて、幸せに生きるんだ。それがお父さんとお母さんの幸せだから"


 小さい頃よく聞かされた。

 その当時は意味がわからなかった、だが今は違う。大人になって、その意味を理解できるまでに成長した。

 二人は初めから変わってなどいなかった。最初から一颯の幸せだけを望み、彼女のためならどんなものを犠牲にしてでもひたすら自分達にやれることに明け暮れていただけだった。

 ぽろり、ぽろり、と無意識に涙が溢れる。

 小さな手を握ってくれた二人の姿を想い、共に笑っていた日々のことを懐かしんだ。


「一颯、さぁ逃げるんだ! 早く━━う、っ!」

『Uuuu……』


 束の間、振り返った異形は先ほどの一颯と同じように七貴の体を容易く掴み取る。もう手元に鞄はない、万事休すだ。


「お父さん……ッ!!」


 結晶体を握る手に力が宿る。

 ──もう一度でいい。この状況から脱する力を、守るための力を彼女は願う。


 黄色い頭を蹴飛ばし、ようやく一颯の傍にまで飛んできたオリオンは彼女が突き上げた手に触れて魔力をありったけ注ぎ込む。


「イブキ持ってけ!これで全部だ!!」

「───ありがとう!」


 結晶が激しく発光し、赤と白の光は奇跡の日と同じく一颯の全身に再び想いを呼び起こす。


 間に合え、間に合え、間に合え───!!


 父を握る異形の腕に向かって全力で駆け、光帯から抜けた瞬間彼女は今までの姿とは明らかに違う姿に変貌していた。


「あれ、なんだ…!?」


 月の光を彷彿とさせる()()()()は真っ先に異形の両腕を切断し、崩れ落ちた父を直接抱えて離脱する。


「君、は……?」

「私は──、通りすがりのそっくりさんです」


 にこりと笑いながら父に嘘を吹っ掛けると、彼を一度地面に下ろして敵に刃を向けた。

 発狂して暴れる赤い異形とその様子に激しい動揺を見せる黄色い異形は一颯に近付く様子がない、陽魔力に当てられているのかもしれない。

 なら好都合だ、すぐにでも倒してしまおうと地面を蹴った。


 オリオンは赤い異形の後ろで再び魔法の詠唱を開始。

 魔法の種別は強化だ、本来なら自分にしか使わない──否、使えない強化を一颯に発動しようとしていた。今の彼女なら耐えられる、という絶対の自信をもって放たれた金色の粒子は一颯の足を加速させ、筋力に絶大なパワーアップの恩恵を与える。


「はぁぁぁッ───!!」

『GuGiaaaaaaaa!!』


 人ならざる速度で動く彼女を目が悪い異形では捉えられない。

 両腕をすでに失った赤い方は瞬時に腹を捌かれ、灰として空を漂う。

 その事態に怒り狂ったのは黄色い異形だ。

 一颯に向かいまっしぐら、なにも考えずに突撃してきたソイツの足を剣の一振りで斬り崩して跳び、倒れて叫ぶ頭の上に月光の剣を振り下ろす───!!


『AAAaa……aaa………』


 哀しげな声を発したのを最後に黄色い異形も消滅する。

 灰は夏の風に飛ばされ、もうなにも残らなかった。


 戦いの終わりと同時に白に近い金に輝く魔装束がゆったりと色を失い、いつもの赤と黒の武装へと変化していく。

 月光色の輝きも外装が壊れ、剣はオリオンの剣の贋作に戻る。


「……な、なんだったの…これ……」


 一颯から出た言葉は尤もだ。

 オリオンの装備を再現? 一体どこが彼の装備だったのか、詳しく聞かせてもらいたいと思うほどそれは異質なものだった。

 実際彼も今唖然呆然だ。あれはなんだ、と。


「とりあえず…やった、のか?」

「そうみたい……」


 せっかく強敵を倒せたのになんだか腑に落ちない。

 互いの目を見合わせて、状況整理に努める。


「き、君……一颯、じゃないのか……?」


 後ろから聞こえた七貴の声でハッ!となった。

 そういえば武装解除した姿を見られてはいなかったか?と、正気になってみると一颯にとってはかなりまずい状況である気がする。

 しかしなにもしなければ解決する問題でもない。

 おそるおそる振り返り、彼の顔を見る。


「……君は、娘によく似ているよ」

「えっ?」

「君があの化け物に捕まっているのを見て、見間違ってしまった。助けに入ったつもりがあの通りでね……迷惑をかけてすまない」

「え、えええ!? いやそんなこと、な、ないです!」


 七貴は一颯を一颯に似た少女だと思っているらしい。……考えてみれば、今の彼女はオリオンに似た長い髪を靡かせているのだから当然かもしれない。


「昼にね、娘にひどいことをしてしまった。二階から物音がして窓が開いていたから、てっきりこんな時間に家出したと思ったんだ」

「……そう、ですか」

「一度家に戻って部屋に様子を見に行くよ、そうすれば━━」

「あの!! 娘さん、きっとぐっすりですよ! 迷惑になっちゃうし朝お話されたらいいと思います!」


 顔色が瞬間的に変わった。

 今部屋に突撃されれば間違いなくダミーがバレてしまう、その危険は絶対に避けたかった。


「…それもそうだ、すまないね」

「あと、娘さんはもう怒ってないと思います」

「ん……?」

「次の朝、ちゃんとお話してみてください」

「───あぁ、わかったよ。ありがとう」


 静けさを取り戻した深夜の世界で、父と子の約束が紡がれた。


 七貴と別れてからは2時頃まで二人で梓塚を回った。

 開かれたままの窓から自宅に戻り、静かにベッドの中に潜ると、どっと疲れが溢れてくる。

 隣ですでに寝息を立てている少年に微笑みながら、一言だけ聞こえないようにお礼を言って、一颯もまた眠りに就いた。


 明日は良い日になる気がする。

 そんな嬉しい予感を胸に抱きながら。




 そして───決戦の朝。


 いつもより一時間早く目覚めた二人は、いつもより早く身支度を整えて階段を降りていた。


「イブキ、本当に大丈夫か?」

「だから平気だってば、もう……夜中もおんなじこと言ってたでしょ」

「あのなぁ…それで大丈夫じゃなかっただろ。久々に生きた心地がしなかったぜ」

「ごめんごめん」


 図星を突かれてなんとなく出鼻を挫かれた気がしたが、身内にしてやられているようじゃまだまだだ。

 階段を降りきり、リビングルームに少しずつ近付く。

 息を呑み覚悟を決めて踏み入るそこには、朝食の準備をする母とテレビを付けて新聞に目を通す父。

 二人ともスーツではなく私服姿だった。


「一颯、おはよう」

「あっ…おはよ。……仕事、行かなくていいの? 時間じゃない?」

「──今日からしばらく休みをもらった」

「えっ?」


 父から出た意外な言葉にきょとんとしていると、七貴は新聞を無造作に置き一颯に近付いてきた。

 もしか深夜の正体が自分だと気付かれたか、と一颯が警戒していると───頭を撫でられた。


「ちょっ、ちょっとやめてよお父さん…」

「ずっと思っていた。一颯の将来を幸せなものにするためには働き続けるしかない、と」

「……うん」


 将来大学に入れるため、就職する時のため、結婚する時のため、子供ができた時のため、病気になった時のため、節目が訪れた時にお金はたしかに必要だ。

 自分達の一生を棒に振ってでも彼らは大切な一人娘の一生を案じた。

 だが───、


「それは違った。今の一颯を幸せにできないんじゃあ、未来に幸福を得られないんだ」 

「私たち夜中にずっと考えたの。一颯の寝顔を見てね、貴方がどれだけ一人寂しい夜を過ごしたんだろうって」

「今日見たお前がとても嬉しそうな寝顔だったんだ。そこの彼と一緒にいて、まるで一人じゃないことに安心するみたいに」


 オリオンに軽く会釈した文恵に彼もまた少し慌てた様子を見せながら挨拶を返す。


「今日は久々にみんなで食事に行こう、一颯の好きなハンバーグを食べよう」

「お父さん…その…」

「すまなかった。今まで一人にしてしまって、本当はもっと早くこうするべきだったのに」

「あの、あのね…私もごめんなさい。お父さんもお母さんも私のために頑張ってたのに私、期待に応えられないから……」

「いいのよ、いいの…一颯はそのままで、したいことをしてくれれば私たちはそれで幸せだから」


 父の大きな体と母の暖かなぬくもり。

 一颯が久しぶりに感じるその優しい世界は、どんなものより尊く、美しく、永久であってほしい世界だ。

 数十秒の抱擁の後、後ろを見ればオリオンが恥ずかしいものを見たような顔で目を背けていた。


「ところで、彼についてなんだが…」

「じ、実はね!!」


 彼は夏休み明けから星宮高校に通う留学生で、本来は先生の家にお邪魔するはずがそちらの準備が全く整っておらず、不幸にも荷物やお金もまだ届いていないため、仕方なく一颯が立候補して家に泊まらせている。

 ……という、中々強引な嘘を吐いた。

 後ろですべて聞いていたオリオンも「そりゃ信じねえよ普通」と小さく呟いていた。


「なるほど…オリオンくんはあと四日でその先生の家に…」

「うん、だからお願い! しばらく彼をここにいさせて!」

「事情が事情ですから、構わないわよそれくらい」

「本当!?」

「もちろんだ。一颯に理解もあるようだからな」


 昨日の出来事はどうやら忘れられていないらしい。彼の表情は苦い。


「じゃあ今夜は四人で食事をしましょう。仲直り記念と、オリオンくんの歓迎会です」

「はい決まり!」

「歓迎って、今更そんなんしなくても」

「気にしなくていいわよ、たんまり食べなさい」


 どこかで聞いたようなデジャヴを感じつつ、場の空気に呑まれたオリオンは渋々了承するしかなかった。


 そのまま月見家は朝の準備に取りかかる。

 一颯は今日で夏休み前の学校は最後の登校日だ。授業もないので、帰ってからはすぐに出掛ける用意をするように文恵から言いつけられた。

 朝御飯をちゃんと完食し、時計が9時を示した頃にはすっかり一颯はいつも通りになっていた。


「それじゃあ行ってくるから」

「おう」

「……あのねオリオン、貴方に会えてよかった」

「なんだよ藪から棒に」

「ふふっなんでもない! じゃあね! ちゃんと用意しときなさいよ!」


 怪しげに笑った一颯は彼の返事を聞く間もなく自宅を後にした。


 一人玄関先に残されたオリオンは俯き、一颯と家族のやり取りを記憶に描く。

 本当の家族とはあんなにも綺麗で、歪で、正常なものなのか。彼には知り得ない形を胸に刻み付けて、それでも。


「……本当の、親…」


 呟いたそれが誰かに届くことはない。

 虚空に消えて、静かな水面を揺らしただけだった。

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