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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Dear Moonlight 明世界編
15/133

1-7 彼女について 2



 例の殺人事件から約一週間が経過した学校内は、校門前には警察とマスコミ、よく分からない活動家たちの姿はあるものの、ゆっくりと時間をかけてあるべき活気を取り戻し始めていた。

 通う挨拶や絶えない笑顔。存在しない殺人鬼や深夜の怪物に怯えることを皆、昼間の学校という安全圏に入ったことで忘れているのかもしれない。

 しかし、平和な校内など今の彼女には全く関係ない。この程度の喧騒では彼女の動揺は隠せなかった。

 そう──ラベンダー色の瞳をかっ開き、鞄の口を開いたまま全身を凍りつかせた少女は、あるべきはずのものがないという衝撃的な事態に打ち震えていた。


「ない……! プリントが…どこにも……!!」


 鬼教師・坂本に掴まされた10枚の英単語書き取りプリントは、オリオンとのやり取りの後ちゃんと鞄の中に入れたはず───なのだが、実際に入っていたのは更にその後彼と話したスーパーの特売チラシが挟まった今朝の新聞紙。

 普通は間違えないだろそんなのと思うだろうが、会話しながら食事をし、鞄に持ち物を入れる時もちゃんと見ず触感も意識せずにいたためこんなことになってしまったのだろう。無念だ。


「オリオンも変だったし……ダメだなぁ、私」


 彼との距離を上手く詰めたくて積極的に交流しようとしたのもこの事態の一因だ、そちらに意識がいってて他の物事を疎かにしてしまっている。しかもあの一連の行動が友人関係のプロセスとして正しかったかと聞かれたらかなり不安だ。仲良くなるどころか引いていたような気がした。

 二兎追う者は一兔をも得ず、とはまさにこのこと。完全に空回っている。

 机の上の鞄をいくら漁ってもない物は見つからないし、やってしまったことはもう仕方がない。幸い、今日は英語の授業がない。下校時間になったら一度全速力で自宅に戻り、プリントを持ってまた来よう。

 あぁ──こんな時、オリオンのように加速の魔法があれば……なんて考えたが、今回も自業自得なので甘えるのは止す。

 ショックのままテンションだだ下がりになり、机に突っ伏してチャイムが鳴るのを待つ。


「新月の夜……か」


 昨晩は日付の確認以外は特になにも考えずにいたが、よくよくカレンダーを見てみれば新月まではあと5日。

 今もう軽い魔法なら使えるのだから、5日後にはオリオンも無事に快復するはず。それで一緒に変異体を倒し、長いようで短い二人の奇妙な生活は終わりだ。

 投げ出さない、最後までやり切る。しかし、その最後が来てしまったら彼とああして顔を合わせて話す機会はなくなる。

 彼はこの世界とは別の世界にいるべき人。彼女とは縁の遠い存在。

 あくまで一颯の推測だが、オリオンが彼女に必要な事柄以外に深く関わろうとしないのはすぐに別れが来ることを理解しているから、ではないか。

 互いを知ったところで、この関係が終わればすぐに忘れてしまう。それなら最初の夜にあんなに笑顔だった天真爛漫な彼があそこまで態度を改めるのも納得───できるはずがない。

 オリオンの態度の変容が今更すぎる。そんなことに気を使うなら、最初からもっとしおらしくしていればいいじゃないか。

 急に大人しくなられた側の一颯からすれば一体なにがなんだか分からない。

 しかも彼は時たま素に戻る。ちらつく乱暴な言葉が最たる例だろう、必死に取り繕っている感が否めない後付けの優しさが見え見えだ。

 なんだか胃がムカムカしてくる。こうなれば意地でもオリオンから色んなことを聞き出して、心の距離を近付けてやる、と妙にやる気が湧いてきた。


───絶対手加減なんてしてやらないんだから。


 泣いて事情を話したって笑って許してはやらない。

 女心は弱くも時に強引なものだ。

 鳴り響くチャイムの音を聞く前に睡魔に襲われた彼女はゆっくり眠りに落ちていった。




「はっくしッ!!」


 一方のオリオンは30℃を越えた暑さの中、堂々とくしゃみを一発かましていた。

 特に熱や寒気はない、所謂"噂話をされている"というやつだ。恐らく宵世界に帰ったキャロルが適当な誇張表現を織り混ぜてシキに報告しているんだろう、想像しただけでムカついた。


 オリオンは今、尾野川駅前で星宮高校に向かうバスを探すためバスターミナルにやってきている。

 一颯が毎朝乗っていくからには、5種類の目的地に向かうバスの中に必ず学校近くに停まるものがあるはずだ。

 表示されたバス停の文字は難しいものじゃないので大したことはない。いざとなれば運転手や交番のお巡りさんに聞くのも有りだろう。

 彼は明世界の昼の日差しがそこまで好みじゃないので、早くバスに乗ってしまいたかった。


「星宮高校……ほし、みや……高校……あった!!」


 ここから7本ほど先のバス停名が「高校前」と書かれている。きっとこれが星宮高校に一番近いバス停だろう。

 しかも始発のバスが乗車を待っている。幸先が良い、とても幸運ではないか。

 るんるん気分で乗り込み、お金を入れていると、運転手の男はオリオンの独り言を聞いていたようで「大正解だよ」と微笑んでくれた。完全に子供扱いだが気にしないことにした。

 ここまでの所要時間はバス探ししていた分も含めて30分程度。バスに乗れば9時20分くらいには高校前に着くはずだ。

 片手に持ったファイルをチラ見する。一颯はこのプリントがなくて今頃涙目になっていることだろう。これを届けに馳せ参じた彼を見て彼女はそれはそれは感謝する……気がする。


 バスが着くまでまだ時間がある。

 瞳を閉じて、あちらの世界について考えることにした。


 二つの世界の時間の流れはほぼ同一なので宵世界の現在時刻はまだ朝か。

 こんなことになる前ならこの時間帯は十中八九寝ていたというのに、最近はあの不健康極まりない昼夜逆転生活ともてんで縁はない。下手すれば最近の方が寝ていない分不健康生活かもしれないけれど。

 あちらでは目が覚めて、部屋から出るとまず顔を合わせるのはおおらかで優しい義母。

 食事はシェフによって用意されていて、栄養バランスがとても良い野菜や魚がメインの食事だった。玉ねぎを弾くとシェフに怒られて次の食事の玉ねぎの量が倍になるのだ。

 城に行けばブリュンヒルデの身震いするほど手厚い出迎えとブランカのお話聞かせて攻撃。それに割って入ってくる荒くれた兵士と喧嘩して、アクスヴェインやメイド長に頭から叱りつけられる。

 たまに義父が城にいて護衛をやらされたり、戦闘訓練後の汗くさい義姉の愚痴に付き合わされたり、思い返してみれば愉快な毎日だった。

 友と呼べるような人はいないが、自身を取り巻く人々はいる。みんなは元気にしているか、少し気になる。

 最近は殉職した仲間の墓参りにも行っていない。戻ったら花でも置きに行こう。

 まだ一週間経っていないのに、宵世界での日常が遠い昔のように感じた。

 どうしてだろう。

 一颯といるのが楽しいからか。


「違う、違うだろ」


 宵世界のことを考えていたはずが、気付けばまた一颯のことが入ってきた。

 いやいや、と首を振り彼女の存在を一旦頭から消す。今は関係ない、関連付けられるべきではない。

 どうしてそうなった。


《次は高校前、高校前。棗歯科医院は───》


 気付けば目的地がすぐそこだ。

 そろそろ降りる準備をしよう。二人がけの席の片側に置いたファイルを持ち、バス停を待つ。


 ───が。


「あ、あれ…!?」


 停車しない、揺れるバスはゆっくりと速度を保ちながらバス停を華麗にスルーした。

 電車の時には"各駅停車"に乗ったが、快速なるものもあるらしく、それは決められた駅にしか止まらないそうだ。

 つまり、バスも同義の可能性がある。どこが決められたバス停かは分からないが、このままではしばらく揺られる羽目になる。

 ここは先程の運転手に相談すべきか、と立ち上がった瞬間、後ろから背中をツンツンとつつかれて思わず振り返った。


「あんた、さっきから慌ててるけど寝過ごしたかね?」

「えっ…」


 後部座席に座っていた相手は推定70代、杖を片手にしたおばあちゃんだ。


「さっきのバス停で降りるつもりだったんかい」

「そ、そうなんだけど…降り方が分かんなくて」

「……ほお?」


 老婆は首をかしげる。

 無理もない。今や日本で走行するバスの大半は、下車ボタンを押すか人が待っているバス停でしか停車しない。それは老人であっても当たり前の常識として認識している。目の前の自分より50歳は若いであろう少年が降りる方法を知らないなんて、ふざけているようにしか見えない。

 しかしオリオンは本当に知らないのだ。

 宵世界には大気中の魔力を燃料に動く列車があるくらいで、バスや電車のようなハイテクで画期的な乗り物がないため、ルールやシステム面が大きく異なる。

 ボタンで停車するか否かを決められるなんて判るものか。


「なんだい、本当に知らんのかい?」

「うん」

「仕方ない子ねぇ……」


 次は堤中学校前、と言う機械音じみた女の声がスピーカーから響く。

 老婆はオリオンに側面に設置されたボタンの位置を指差し、ここを押してみろと指示する。

 されるがままにボタンを押せば、チャイムのようなピンポーンという音が鳴り響き、「次停まります」とまた女の声がした。


「おぉぉ…!!」

「おやまぁそんなにきらきらさせて、珍しくもないだろうに」


 いいやとても珍しく、奇異な体験だ。宵世界の住民には一生に一度あるかないかで聞かれたら絶対に"ない"。

 感動とまではいかずとも、それに至った感想ははどんな雷系魔法よりも強い衝撃に打たれた気分、だった。

 そう、これはカルチャーショックとも呼べるだろう。


 まもなく停車したバスの中央部分のドアが開き、先程の老婆や他の乗客が降りていく。最後にオリオンが下車すると、バスは再び発進して曲がり角に消えていった。


 さて、ここから元来た道を少し戻るわけだ。

 伊達に鍛えているわけではない彼は体力には自信がある。

 ただし魔装束(スペリオルメイル)を着用できないので、焼きつく太陽の恩恵を肌でじっくり味わうことにはなるだろう。


 何分か歩いていると、大きな建物の外周に辿り着いた。

 石に彫られた字には私立星宮高等学校の文字がある。間違いない、ここが目的地だ。

 さぁ、どうやって入ろう?

 校門の前には警察官、カメラを構えた取材陣、プラカードを掲げた正体不明の大人たち。逆に生徒や教師の姿はない。

 疚しいことはないが、警察を見ると体がビックリすると一颯が前に言っていたのを思い出す。たしかに、彼らの身に纏った制服は独特の威圧感を放っている。

 ちらちらと様子を窺いながらそっと校門に近付く。門と道路の境のように植え込みの向日葵が出迎える窪んだ広場に入ろうと、おかしな緊張感を前にして唾を飲み込んだ直後。


「君、ここでなにしてるんだ」


 不意打ちにビクッと肩が揺れる。どうやら正面の警察官に声をかけられたようだ。


「マスコミ関係者にしては子供だな」


 グサリ、言葉のナイフで心臓に一発入れられた。

 警察官のガタイは圧倒的にオリオンを上回っているし、彼の容姿が16歳前後に見える事実は否定できない。一颯の時とは違い、たかが見た目程度で反撃し、権力に逆らうつもりもない。

 声かけされたからには仕方ない。ここは正攻法で学校内に入れてもらうことにした。


「忘れ物届けに来たん……です。学校に入れてくれ……いや、ください」

「忘れ物? そのファイル?」

「そう、これこれ」


 あくまでも自分は生徒関係者ですよーという雰囲気を作るため、無理して敬語を使おうとする。

 ファイルを警察官に差し出し、名前を確認してもらう。月見一颯、紛れもなくこの学校の生徒なので怪しいことさえしなければ問題なく通してもらえるはず───。


「なるほど、それで君は? 身分証明書はある?」

「みぶんしょうめい?」


 明世界でオリオンの存在を明確に示す書類やカード類、そんなものはない。あっても見せられない。


「今この辺り物騒だから、君がどんな人かも判らないのに学校に入れるわけにはいかないんだ」

「えぇ!? イブキはこれがないと困るんだよ!」

「それは大切だから、そうだろうなぁ。でも君はその一颯ちゃんにとって学校に入れるほど必要不可欠か?」


 警察官による正論の嵐。反論の余地もない。

 ───実のところ、魔法で催眠をかければ余裕で押し通ることができるのだが、明世界の現地民に危害を加えるような魔法を使うのは御法度だ。バレたら首を切られる。

 なので、彼の厚い壁を突破しない限り校舎には通してもらえない。

 一颯がこの間にも待っている。

 使えるものならなんでも、あの手この手で行こう。


「とりあえず、身分証明書出して。ご両親はいる?学校はどこ?」

「親は、──仕事。で、俺は学生じゃなくてちゃんと働いてて…」

「じゃあ職場は」

「え、ーっと」


 梓塚全域です、とはとても言えなかった。これを言ったら不審者か変人のそれだ。

 適当なことを言って変な場所に連れていかれたら今後こちらでの任を解かれるかもしれない。しかしなにも言わなければオリオンは不審人物Aのままだ。

 どうする、どうすればいい───?


「あれ、なにしてるんですか」


 警察官の後ろから若い男の声がする。どうやら騒いでいるのを聞き付けたかで、この学校の教職員が出てきたみたいだ。

 スーツを着込んだ男は両手に掃除道具を持ち、間の抜けた顔をしていた。


「貴方は?」

「ここで教師をしている明星(みょうじょう)という者です。今日はどうかしましたか?」

「実は──」


 警察から説明が入り、明星と名乗った男はうんうんと頷きながら話を聞いている。

 この隙に学校に侵入……と思ったが、案外警察官のガードが硬い。見逃さないようチラチラとオリオンを見ている。


「なるほど。月見一颯……あぁ! 二年の月見さんか!」


 明星は納得したようにぽんっと拳を手に打ち、ポケットから折り畳みの携帯電話を取り出してどこかに電話をかけ始めた。

 通話相手に事情を話し、相槌が何度か聞こえた後、電話を終えた明星が警察官を諌めた。彼は重い校門をガラガラと開いてオリオンを手招きする。

 どうやら通してくれるらしい。

 嫌そうな警察官の隣を抜けていく時にニヤリと厭らしい笑みを浮かべ、ざまぁみろと言わんばかりにステップを踏んで敷地内へと入った。

 明星に案内され校舎に入り、「職員棟」と書かれた廊下を抜ける。程なくして長い廊下の一番奥にある「応接室」に到着した。


「一限が終わったら月見さんを呼ぶように先生に連絡しました。間もなく来ますよ」

「あ、ありがと……ございます」


 キーンコーン……


 定番のあのチャイムの音が校舎内を反響する。授業の終わりの合図だ。

 一颯がもうすぐ来る、無事に辿り着きこうして会えることにとりあえずは安心した。と、言っても安心したのはオリオンだけだ。

 バンッと、すごい音を立てて応接室の扉が開く。 

 激しい足音を鳴らし廊下を駆け抜けて、息切れを起こしながら現れた彼女が"貴方の知り合いが来ましたよ"と言われてどう思ったかというと、


「な───、なにしてんの……」


 当然の呆然である。


「ほら、忘れ物」


 こちらは全く意に介さない。元より彼女のためにした、ではなく彼女の隙を見逃さなかっただけのことだ。一颯がなにを言おうと特に気にする必要もない。

 一颯はヒラヒラと彼の手に揺られる宿題を半ば奪い取るように受け取り、思わず距離を取る。

 「何故オリオンがここに」という疑問より、忘れ物を身内に届けてもらうという小学生ばりの恥辱に打ち震えていた。

 どことなく火花が散っているように見えたのか、明星は警戒体勢を崩さない一颯の肩をぽんっと叩く。


「彼、親戚? 弟がいるとは聞いてないけど」

「────実は、ですね」


 座っているオリオンの殺気が怖いので、扱いが"弟"だったことは触れない。

 現在、我が家には外国人の友人がお泊まりに来ている。形式としてはホームステイに近いだろうか。

 今日はお留守番を頼んでいたが、自身の忘れ物をわざわざ届けに来てくれたらしい。

 ───間違っているようで間違っていない嘘だ。

 しどろもどろな一颯の返事に「ふーん」と関心薄そうな返事をした明星は二人を交互に見て、ニッコリと満面の笑みでこう言った。


「恋人とかではないんだ」

「ッ!?」


 二人の心臓を纏めて貫く本日一番の豪速球だ。


 明星東(ミョウジョウアズマ)はこの学校に来て3ヶ月である。

 物腰柔らかな態度、子供っぽさが残る口調、触れ合いやすい性格で生徒からの人気も高い。一颯も何度か話をして、彼の手伝いをしたことだってある。

 ただ、彼は周囲の人間が想像する以上に()()()()()()()

 現在のオリオンと一颯は見るからに冷戦状態だというのに"恋仲"だと思っているとは中々強者だろう。


「先生……退室お願いしてもいいですか……」

「んー? いいよ、話が終わったら呼んでね」


 そんな空気の読めない男を排除した応接室はエアコンが効いていてとても快適だ。──尤も、二人のせいで空気はかなり悪いのだが。


「──持ってきてくれたのは感謝するけど、もう同じことしなくていいから」

「ンだよ、迷惑だったか?」

「そうじゃなくて…外、通った時気付かなかった?」


 件の殺人云々で警察は厳戒体制。マスコミが常に生徒からの証言を狙い、授業中もニュース番組の中継だと称して騒ぎ立てている始末。

 一颯の名前を確認したからという理由があってもよくまぁ明星も身元不明の彼を通したものだ。

 彼女が言いたいのは、今この学校はとても息苦しい状況、生徒関係者やこの辺の住民以外が通ろうものなら尋常ならない過剰反応を受けるの可能性があるからできれば近付くな、ということだ。

 しかもオリオンは例の事件以外にも深夜の化け物騒ぎに関わりを持つ正真正銘の当事者側。下手に事情聴取を受けることになれば、まず戸籍が存在しない彼はどんな扱いになるか微妙なところ。一般人の一颯は絶対に擁護しきれない。


「分かった?」

「おう」

「帰りは一緒に帰るから、絶対あちこち見に行ったりしないように!ここにいなさいよ!」

「はいはい、分かりましたよー」

「…感情が篭ってない、もう一度」

「はーい」


 本当に理解できているんだろうか───。眠たげにあくびをする彼の不真面目な態度は一颯の頭を悩ませる。

 朝は様子がおかしく、今は反抗期の子供みたいな態度。

 一颯は自分の推測が半分違っている可能性を視野に入れた。彼は申し訳なさで自重しているのかと思ったが、今の状態を鑑みるに大人しくしていたわけではないのだろう。ややこしい男だ。

 手加減しないと決めた手前、我慢せずに彼に直接聞いてみた。


「オリオン、貴方ホントにどうしたの?今日はおかしいわ」

「おかしい?」

「ええ、そうよ。私が気に食わないことした?」


 無言で俯く彼は首を横に振った。

 一颯の行動や言動に問題はないことを示しているのか、自分の様子がおかしいことを否定しているのか、明確に答えを出さなかった。

 曖昧な返事に思わずムッとなる。はっきりと口にすれば良いというのに、言葉として表さないオリオンが一体なにを考えているのか、一颯には解らない。

 ───だから、一颯はもう言うことにした。


「貴方、なにか隠してるでしょ」

「──別に、俺がなに隠してようが自由だろ。一颯だって知られたくないことあるんじゃねえのかよ」

「秘密はともかく、聞かれれば教えてあげるわよ。私のことほとんど聞きもしないじゃない」

「う……」


 言葉が詰まった。

 今のオリオンにとっては彼女の方が何枚も上手だ。全てその通りなのでは反論のしようがない。


「だから決めた! 帰りの時間、家に着くまでに私に質問を5()()()()しなさい!」

「はぁ!? なんでそうなんだよ!?」

「なんだか今のオリオン変よ! 今のままじゃ気になって異形退治もできないから!」


 お互いに置かれた花瓶が揺れるほどテーブルを叩く。

 強引な一颯の提案をオリオンは飲まざるを得なかった。何故か、彼女自身が自分を知ることにYESのサインを出したのだ、この機会を逃せばもう今の距離を埋められるチャンスはないことを彼は瞬時に理解した。──もちろん、心の底ではそれでいいのかという葛藤もあったが。


「代わりに私も貴方からひとつ質問を決めておくわ」

「なんだよその質問って」

「今は教えない!」


 彼女の意思の強さは半端なものではない。これはもう了承するしかなかった。

 この1分のやり取りで、一颯の本気を一瞬だが垣間見てしまった気がする。

 短い時間の口論だったのに、深夜の戦いより長い時間を体感したオリオンはソファーに脱力した体を預けて項垂れた。

 逆に一颯は何事もなかったかのように応接室の扉を開き、明星に対して下校まで彼をここにいさせてほしいと頼み込んでいた。今まさに女子の底力を見せつけられている。


「まぁ今出たら記者の人に囲まれるかもね…」

「はい!なのでお願いします!」

「ちょっと待ってね、僕にはそんな権限ないから今確認を───」


 明星を遮るようにカツカツとパンプスの靴底が鳴る。


「月見さん! 今貴方の知り合いが来てると聞いて来たんだけど!!」


 ───高町黒枝、見参である。

 きっと他の教員から話を聞き付けて結婚相手でも探しに来たんだろう。

 彼自身の嗜好はともかく年齢的に鉢合わせたら面倒だ。一颯は聞こえない音量でため息を吐き出した。

 そしてオリオンは……、青ざめていた。


「姉さん……か?」


 ぼそりと呟いた言葉に一颯は驚いたがそれどころじゃない。

 長い髪を靡かせ、チラチラと中の様子を窺う高町の顔を見て真っ青だった顔は更に白くなっていく。


「…あら?」

「先生? どうしました?」

「……あの子、見たことあるような気がするわ」


 ビクリ。オリオンの肩が震えた。


「き、気のせいじゃないですか?」


 彼の様子が今朝以上に異常であることを察知した一颯が上手く機転を利かし、冷や汗かきながら対応する。

 しかし高町は一颯の言葉に納得がいかないらしい。


「もしかして、夜中に外にいたことある?」

「えっ!?」


 知っている。彼女はオリオンの正体を知っている。

 まずい、このままでは───。


「なーんてね。冗談よ、冗談」


 緊張感のあるやり取りは唐突に終わりを迎え、二人は大きく息を吐いた。

 どうやら、"深夜に徘徊する長い髪の人物"という噂をさっき聞いたらしく本当に冗談半分で言ってしまったらしい。

 徘徊はしていないが、それは間違いなくオリオンだ。危なかった。

 応接室に入ってきた高町は目線の高さを彼に合わせる。まるで迷子の子供と接しているみたいだ。


「初めまして、名前と歳を聞いてもいいかしら?」

「……オリオン、19歳」

「じゅっ…」


 じゅうきゅう、だと……ッ!?

 女性にしては野太い声が震え、引き気味のオリオンの手を離さないようにがっちりと掴んだ。


───嗚呼……懸念してたことが。


 残念ながら一颯の心の声はオリオンには届かない。


「ねえ君、年上の女性は好き?」

「嫌いだッ!!!」


 その反応速度はまさに神速。

 凍り付いたその場を収める者はいない。


 チャイムが鳴る校舎内。

 授業の始まりを告げる鐘が虚しく響き渡った。

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