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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Afterglow Restart&Reunion.
103/133

2-26 命の価値、死に灯る



 カエルレウム連合公国。

 ルフェイ家と呼ばれていた一族がそれぞれの思想により「過激派」「穏健派」「中立派」に分裂し、現代には御三家となって三分割された領地をそれぞれが統治している島国。

 夏は極端に暑く、冬は極端に寒いという性質はこの島が神の生きる冥界と楽園にとても近しい場所に位置していたからとされている。

 彼らが帰還したのは島の北側、過去の御三家では「中立派」に位置していたファレルの領地。

 気候の激しさは随一だが、恐らく治世の安定ぶりも同じくだ。……彼らから見た領主の性格は差し引くものとする。


 ともかく、あれからの船旅は予想通り海が荒れることもなく落ち着いたものであった。

 ヴェルメリオの戦艦から持ち帰った例の毒薬の血清剤を投与し、しっかりと看病をしたおかげでリオンの銀の腕は正常化されている。身体の状態もすでに完全快復に向かっていた。

 ピンチになりながらも余裕を持って赤き騎士団を打ち倒したレオンとタレイアに目立った負傷はない。

 強いて言うなら魔術師に数名の犠牲者が出てしまったくらいか。

 彼らの弔いは国に戻れた時に感謝を添えて行うとして、そこからは一人たりとも犠牲者を出さずに船旅を続けるのが最優先だった。

 ちなみに、どうにかこうにか兄としてギリギリ残された信頼と約束をしっかり守ったレオンに贈られたのはタレイアからの熱烈なベーゼと、まだ少し弱々しい弟の恥ずかしそうな笑みである。


 辛くもどこか奇妙な旅を経て、三人はついに帰ってきた。


「一同、ご帰還を心からお待ちしておりました。────レオン様、リオン様、タレイア様」


 船を降り、最初に出迎えたのは丈の長いしとやかなメイド服に身を包む老齢の女性と数人の召使い。


「お久しぶりですわ」

「あぁ、本当に久しぶりだ。──エリザ」


 彼女がファレル家に約40年勤めているエリザ・メアリーその人だ。

 幼い兄弟の世話をしていた頃に比べたら年を取り、最近は衰え始めた自分には難しくなりつつある様々な仕事をメイド長として召使いたちに伝授する側にもなっている。

 母亡き今、二人が最も信用できるのが彼女。

 こうして迎えに上がったのもそれをよく分かっている彼女自身の要望もあってのことだ。

 長旅に疲れた彼らを少なからず楽にさせてあげようという親心に似た思いやりがこうして行動に表れていた。


「レオン様、リオン様……戻って早々ではありますが、お二人とも耳を」

「ん?」

「……こうか」


 ちょっと来なさいといった風に手招きするエリザの行動に首をかしげながら、背の低い彼女に合わせて身を屈める。


「では……失礼いたします」


 言葉を終えてから礼儀正しく頭を下げた彼女は、そのまま両手を少しだけ上げて二人の片耳を片手でつまみ────。


「あーーーっ!!? 痛い痛い痛い痛い!!」

「えっエリザ!? なにをぉッ!?」


 よもやその小柄な体格のどこに隠していたのか分からない怪力で勢いよく引っ張っている。

 子供のように半泣きで絶叫するレオンといつものポーカーフェイスもいつも通り崩れ去ったリオンの姿が滑稽すぎて、写真に収めたいと思うタレイアがそろそろ心配する程度にはエリザは半端でなかった。


「皆をどれだけ不安にさせたかお二人とも分かっていますか?」

「そ、それはー……」

「なにも言わずに出て行って……私も、ライラ様も……とても心配していました」

「……すまない」

「反省してます……」


 涙声で言われてしまってはとても言い訳できそうにない二人から謝罪が漏れた。

 母ライラは彼らの失踪がきっかけで心身を病み、果ては亡くなっている。言い方は悪いかもしれないがレオンとリオンが殺してしまったようなものだ。

 言われてみなくても特にレオンはよく分かっている。

 いくら自分たちが故郷のためにと今この瞬間ここに立てども、旅立った母は帰ってこないということを。

 レオンのセンチメンタルな顔を見かねてか、反省中の兄弟の耳から手を離したエリザは手巾で目元を拭き、また深々と頭を下げた。


「感情的になってしまいました。このご無礼、どうかお許しください」

「こっちこそ……」

「とにかくまずは戻るぞ。父上はどうなっている?」

「それが、実は────」





 当主エルシオンの病状は深刻だ。

 二ヶ月以上前、例の毒薬によって病に冒された彼はどういう方法でか花の楽園に手紙を送った後、完全に床に伏せてしまった。

 朝昼晩の食事が満足に摂れず、自力歩行もままならない。どの薬や治癒魔法を選んでも効果は一切なく、併発した病は徐々に命を蝕んでいる。

 魔力の逆流現象が発覚してからは、魔法もすっかり使えなくなりジュノンの教育を任せきりにしているらしい。

 まぁそんなこともあって、プライドの高さ以外はすっかり萎れているのだとか。


 馬車の中でエリザから現在のカエルレウムの状況報告を受け、まず一番最初に分かったのはエルシオン……父はもう間もなく死ぬだろうということ。

 それも何日後とかではなく、今日明日が山場であると思えるような言葉がいくつも彼女からは発せられた。

 リオンとレオンは過去の経験上、あまり父親に尊敬や愛情があったわけではない。しかし先がないと言われてしまうと少し胸を締め付けられるような心苦しさを感じた。

 あの殺しても死ななそうなエルシオン・ファレルが死ぬ────。

 何度も何度も何度も怨嗟の言葉を心中で唱えてきたが、思えば本当にそうなった時を考えたこともない。


「結局、間に合わなかった」


 ボソリと呟いたリオンの表情はとても一言では語れない複雑な心境を表している。



 漸く帰ってきたファレルの屋敷は、リオンが家を出た数年前とほとんど変わらないままだ。

 ちょっと違う点があるとすれば慌ただしいという意味で騒がしく、花が好きだったライラがいなくなったからか門の周りを彩っていた季節の花の類いが少なくなった程度。

 門を馬車が通る際に迎えた警備兵ににこりと手を振るタレイアは、そこに来てハッとなったようで、華麗なジャンプで急に馬車を降りた。


「ごめんなさぁい! 私ってほらぁ部外者だから、一旦帰るわねぇ」

「帰る!?」

「平気平気。お母様とお父様に顔見せするだけだから近い内にまた来るわぁ~じゃあねぇ♥」


 そう言って投げキッスをプレゼントしたタレイアの姿が見えなくなるまでに時間はかからなかった。

 マイペースで気まぐれな人だとは前から思っていたが、家族水入らずの邪魔だとか考えてのことだとしたら余計なお世話といえば余計なお世話だ。

 正直なところ、むしろいてくれた方が場の空気が落ち着きそうな気がするのだが……。


「……タレイア様は相変わらず奔放ですね」

「そりゃあご当主様が頭を抱えるわけだ。この旅で納得できたよ」


 これがタレイア・ルミエールという女性の性質、否定し得ない本性なのでまたまみえる機会があったらいいなと思っておくのが適切だ。


 さて、馬車を降りればそこに待ち受けているのは伏魔殿────ではなく、幼少の苦楽の記憶が残る懐かしき我が家。

 その地の守護者であることを形で表すための体裁としか思えない広々とした敷地は、しばらく狭い小屋に潜伏していたレオンだけでなく、四人家族が住むのにはちょうどよい部屋を()()()()()()借りていたリオンすらも持て余すレベルだ。

 正直こんな家に住んだところで普段立ち入っていた部屋数など高が知れている。

 さっさと解体してしまえ、とそんな風にしか思えない。


 案内されるまでもなく父親の居室は分かっている。

 ところが到着早々見知らぬメイドに耳打ちされたエリザは早歩きで向かうように促し、二人を連れていく。

 その最中……ちらちらと柱の影に小さな子供の姿を見た。

 間違いなく二人を追っているものの、どうしようかと迷っているらしく自分から接触しようとせず観察する動きに、彼らは戸惑うことなく声をかける。


 ────ジュノン、と。


「……! うえあに様、したあに様!」


 リオンは約5年ぶりに再会した弟の成長に驚いた。

 見た目は可愛らしくも背が高くなり、変声こそしてはいないのに声の芯は太い。レオンの話によればだいぶ陰気になっていたらしいが、エルシオンが病に倒れたためかとても快活そうな幼子に見える。

 当時はまだ4歳だったか、今年で9歳になろうとしている少年のポテンシャルは底知れない。


「ジュノン、いい子にしてたか?」

「はい! 父上様の言いつけをちゃんと守っていました!」

「そうか。よしよし、いい子いい子」

「えへへー」


 うえあに様……つまりレオンの大きな手に撫でられてニコニコしている。

 ところが先頭を歩くエリザが困った様子で向き直り、屈んでジュノンと目線を合わせながら言う。


「ジュノン様、どうか今はお部屋に……」

「えーっ!? もっとあに様とお話したいです!」

「お二人ともこれから旦那様の部屋に向かわれるので、また明日にいたしましょう?」

「むぅ……」


 諭される少年はかなり不満げだ。

 今にも駄々をこねそうな様子で頬を膨らませる弟を見かねてリオンも加勢に出る。……実はそこまでジュノンと話をしたことはないけれど。


「父上のところには正直行きたくないが仕方ないことなんだ。明日ならずっとジュノンの話を聞いていられるから、俺も我慢するからジュノンも我慢してほしい」

「……したあに様はちちうえ様きらいですか?」

「あぁ、まだ息があるなら引導を渡してやろうと思っている」

「リオン! そういうよくないことをまた……!!」


 暗にどころかストレートに「生きてるなら殺してくる」と申している。

 とは言っても訝しげにリオンを見つめる曇りなき瞳が意味を分かっているのかと聞かれれば、絶対に分かっていない。

 ただ、レオンからすればどういった意図を汲み取って父が嫌いなのかと質問した理由も分からなかった。

 だってなにも知らないから。


 ジュノン・ファレルはとても純粋な少年だ。

 心優しく穏やかで母親似、塞ぎ込んでいったリオンとは異なり常に明るく振る舞うことをいつでも忘れなかった。

 特定の誰かを愛し、特定の誰かを嫌うこともしない無垢な魂。

 大人への階段を昇り行く過程で、たった一人を憎むという忌み嫌う心を理解したかったからか……知り得ることもない。

 父の教育は拷問と同義だ。

 でもジュノンは憎むことを知らない、知らないからそれでも父を父と呼び続けられる。

 レオンとリオンのように無知ではいられなかった側からすれば複雑な心境ではあるが、本来であればこんなことは考えてはいけないのだろう。

 彼が無垢で在り続けられるのは心根が天使だからではなく、壊れているからじゃないかなんて。


「じゃあ明日はずっと僕とおはなししてください! 旅のはなしをいーっぱいです!」

「旅の話か、分かった」


 リオンは頭を撫でながら兄らしく微笑んだ。

 今までレオンやタレイアの前ではそんな表情をほとんど見せなかったはずなのに心底穏やかな目をしていた。


 ジュノンが自分の部屋に入ったのを見届けた後、エリザに連れられた二人は屋敷の一番奥にある当主の居室へと足を運んだ。

 ここは彼らには馴染み深くもあり、同時に反省室よりも入りたくなかった場所。

 幼少期に流した涙の大半はこの部屋の床とテーブルに染み込んで、あるいは流した血もこの部屋に残されている。

 朝、目覚めるのが嫌だった。

 昼、ここにいるのが嫌だった。

 夜、眠れないのが嫌だった。

 思い出したところでなにもかも嫌悪にしかなりやしない。

 忘れたくても忘れられない記憶が扉のノブに触れることを拒み、隔たる壁に動くことさえ阻まれる。

 見かねたエリザが二人を下げ、扉に付けられたリング上のノッカーを叩いた。


「御当主様、失礼いたします」


 返事のない扉を開いた彼女は招き入れるようにして二人を室内へと導いた。


 そこにあったのは────ベッドだ。


 専属の医師と数名の助手が忙しなく動き回り、管のような魔道具を用いて治癒魔法を詠唱し続けている姿がまずひとつ。

 いくつもの魔法陣が光を放ち、カーテンが閉じられて薄暗い部屋の中には仄かな緑色が浮いている。

 更には目に入った豪奢なベッドには力なく横たわる白髪の男が一人いた。


「……父上」


 エルシオン・ファレルは一年前とは比べるべくもなく老いていた。

 夜闇よりも鮮やかな漆黒は灰色に染まり、筋肉質な躯はすっかり痩せ、見えている顔や腕の皺はまるで百年生きた老人のようにしわくちゃだ。

 見るも無惨、そんな言葉が相応しい。

 治癒魔法を流し込む管に繋がれ、常にその恩恵を受けなくては生きていけないのであろう彼にかけられそうな言葉もない。


「──……戻ったか、我が不肖の息子どもよ」

「……あぁ、戻ってやった。だがその様子じゃ遅かったようだな」

「そうさな。最早貴様らの姿など見えぬ、自らの足で立つこともままならぬ。……どうだレオン、無様だと嘲りに来たのだろう」


 声を振り絞ったリオンと違ってレオンは反論も同調もできなかった。

 ふたつの薬の一方を使ってしまったからではない、そもそもエルシオンに使ったところでこれではもう遅い。

 ではどちらかと言われれば、彼は一瞬でも思ったのだ。


 あれだけ俺達を苦しめた男もこんなに呆気なく最期を迎えるのか。


 と──────。


 一瞬の静寂が永遠にも思えるこの場所で、次に口を開いたのは意外にもリオンだった。


「俺はアンタに言われた通りに帰ってきた。すべてを置いて来たんだ、あの世界に。…………一体なにをすればいい。今更この地で俺になにをしろと言うつもりだ」


 彼には愛する人がいた。

 今でもいつか彼女と結ばれ、老衰するその日まで共に歩むのだと心から願っている。

 しかし、そんな平和は邪竜に奪われた。

 あまつさえ父はカエルレウムに帰ってこいと文まで寄越してきて、事情を把握した今でもなにをするべきなのかを聞くまでは納得できないのも無理はないと思う。


「フン……銀弓の魔術師ともあろう貴様がこの地を護らずしてよくも"置いてきた"などと宣えるな」

「…………」

「いくら歳を食おうと愚か者は愚か者か。生きている限りはルフェイの血と誇りを絶やさぬという使命を果たしてもらうぞ。たとえ敵がヴェルメリオ帝国であったとしても、その血に賭けて貴様はこの大地、ジュノンを守護するのだ」

「……それは、死んでもか」

「阿呆め、死んでは意味がないと解らんか。貴様に流れている血筋を遺さずして逝くことは我らが先祖への侮辱に他ならぬ。──生きてこの地を護れ、死ぬと言うならば今この場で貴様の生き血を絞り抜いてくれる」


 老体に似つかわしくない威圧感のある重厚な声に全身が痺れを感じる。


「命の価値はいかに後世へ遺せるのかで決まるもの。生きているだけは問題外。その上、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と示す指標などと片腹痛いわ」


 言葉が胸に突き刺さった。

 頭から冷水をかけられたようにさっと血の気が引き、急激な寒気が全身を駆け巡る。

 彼は理解してしまった。

 もしかしたら違うのかもしれない。もしかしたらそこまでは考えていないのかもしれない。

 いや、そんなことはない──と、一番信じたかったのは彼自身だ。

 まさかと思ってから止まらない震える声、出てこない言葉を小さく、小さくまとめて彼はその名を切り出す。


「…………それは、──オリオン・ヴィンセントを言っている、のか」


 オリオン・ヴィンセント。

 今は亡き親友であり、同じルフェイの血を分けた奇妙な縁で繋がれた者。

 ふたつの世界の均衡を崩した邪竜を屠り、不浄たる自らをも聖なる力の奔流で蒸発させた名もなき星の英雄は、その想いすらも何一つ遺さずに死んだ。


「────そうだ」


 寒気はそれを合図にして凍えるような冷たさに変質した。

 生きながらして殺されるという感覚。死にたいのに死ぬ要素がない奇妙な処刑台に立たされた気分が体を支配し、吐き気を催す。


「死は救済でも終焉でもない、遺されたものの偉大さによって時々に在り方は変化する。奴は死する前に子を遺したか? 後世に受け継がれる功績は? 目に見えるものはなにもなく、異形の剣士なぞ伝説にすらなりはしない。……そうさな、我々にはどうでもよいが、シャムシエラではない()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。まさに愚か、死して証なき英雄になることになんの意味があろうか。意味のない死は生の価値を歪め、冒涜する行いだ」


 沈黙。

 反論ならいくらでもできるはずが、なぜか上手く声にできない。

 それは父の暴力的な存在感のせいか。

 こんなのが正論であり論破されたなどと認めるわけにはいかない。

 友は命を賭けてふたつの世界を、そこに生きて未来を繋ぐ多くの民を守ったのだ。

 たとえエレリシャスが滅びようとも受け入れなかった時点で破滅は確約されていたのだから彼の行動に間違いなど介在していようか。

 ──そう言いたい。けれどうまく言葉としてまとまらない。

 友の名誉も自身の生き方も踏みにじられたというのに、こんな瀬戸際になっても彼は否定する余地がなかった。


「……お言葉だが父上、俺からも問おう」


 真っ青な表情で硬直しているリオンの肩に手を添えて、レオンはようやく口を開いた。

 逆に今度は黙り込んだエルシオンが返事らしい返事を言わないことに不快感を抱いた彼は勝手に続ける。


「ずっと思っていた。貴方が何故そこまで血統に拘り、俺たちにそのすべてを押し付けてきたのかを」

「……ほう」

「故に訊ねたいことはひとつ────俺たちは、()()()()()()()


 今まで無言で話を聞いていたエリザが、医療行動に徹していた者たちが、一斉にレオンを見た。


「レオン様っそれはライラ様と御当主様に────」

「その疑問、理由を述べてみせろ」


 慌てたエリザを遮って彼は問う。


「貴方が……いや、俺たちが今継ぐべきなのはファレルの血筋だ。今更遥か昔に分裂したルフェイの名を語るなんて相当な事情があってだろう? それに、俺たちには対異血脈(たいいけつみゃく)がない」


 彼らの母親であるライラは元々エレリシャス家当主の娘。同じ娘という立場だったシャムシエラから見ると妹、即ち次女に該当する。

 当然だがシャムシエラとライラには異形の魔を退く亜種魔法抵抗力──対異血脈があった。

 ところが産まれてきた彼ら二人はその遺伝子を継ぐにも拘わらず、そちらに関してはさっぱりだったのだ。

 ファレルが代々宿す未来視、物見の心眼を発現していない上に魔法の一切が使えないレオンだけならまだしもリオンにその兆候が現れないのは誰が見ても明らかな違和感だったろう。

 これは完全な余談であり友たる彼も知り得た事実かは不明だが、あのオリオン・ヴィンセントですらも自身の夢魔という異形の性質の大半を無自覚ながらシャムシエラより継いだ対異血脈で封じ込めていた。

 そして決定的なのはもうひとつの事実。


「ジュノンは対異血脈を発現させている。貴方は隠していたかもしれないが、俺はよく解っている」


 三男、末の子のジュノン・ファレルは確かに母親からその才能を継いでいる。

 リオンがこの地を去ってから、彼が間近で見ていたのはジュノンの成長。いくら過程をエルシオンが隠そうとしても10年は弟の機微だけに気を使い続けた──とも言い切れないが──兄からすればとっくにお見通しだったとのことだ。


「真実に辿り着いたような顔をしているな、レオン」

「……貴方が死ぬ前に答えてもらう」


 隣で彼も思い出す。

 一年前、アルブス城のどこかで仲間たちに放った自らの言動を。


『父上は……母上から受け継がれる才に期待したらしいが、心眼はともかく対異血脈に関して一切触れたことがない。まるで俺達が能力を発起させること自体に興味がなかったような……?』


 同時に、父の元へと向かい言った言葉を。


『俺は、母上の子ではないのか』


 彼はその問いを投げ掛けた瞬間──分厚く武骨な手で頬を叩かれ、強い衝撃に怯んだ隙に腹を蹴られた。

 何度も、何度も、何度も。

 黙っていろと言わんばかりに執拗な暴力を繰り返した父はしばらくして質問が無駄だと悟って動かなくなった彼を置いて去った。

 まさしくその夜の出来事がすべての答えを物語っていたのだ。


「いかにも。レオン、そしてリオンに……我が妻ライラの血など流れておらん。貴様らの身に巡るそれは魔女の血よ」


 父は語る。


 かつてエルシオンの父、彼らの祖父にあたる人物は昔話を言い聞かせた。

 カエルレウム連合公国を造り上げた祖は明世界で「魔女」と呼ばれ、欲望のままにひとつの国をも滅ぼした悪女という説が呼び声高く、その罪に対する罰がこの世界への流刑だったらしい。

 その正体は幻想の島を守護し遥かな時を生きる妖精で、死する王を導く役割を担っていた乙女。あるいは魔女と呼ぶには相応しい、王の異父姉として破滅を導く妖女。

 曰く、彼女は今も生きており、歴史の影からこのカエルレウム御三家を見守っている。

 エルシオンは幼少期に幾度となく聞かされたその話を彼は信じ、彼の父はそんな根も葉もない噂に囲まれた建国の祖の信奉者だったと言っても過言ではない。

 彼女が残したこの偉大なる地と血を濃く絶やさぬことがエルシオンに与えられた使命だ。


 ──時間が流れて大人になり、父が病に倒れ当主を新たに据えると決まった時、エレリシャスの次女を妻に迎える。

 ところが彼はそこで知ってしまう。

 ライラは子を産むのが難しい身体だった。当時は正確には現代で言う不妊症に近い病を患っていたようだ。


 このままでは血を遺せない。


 無意味に過ぎる時間の中、命題を果たせぬ自分への苛立ちは彼の人間性と正気を徐々に奪った。

 結果──悩んだ末に辿り着いた結論は道化も腹を抱えて笑うようなもので、当時ですら冷静になって考えてみれば馬鹿馬鹿しいことこの上なかっただろう。


 エルシオンは会いに行った。

 どこにいるかも分からない大魔女を、たった一人で探し出してみせた。

 愚かで浅ましい子孫を嘲笑う彼女をも一蹴した男は、より色濃い血統と原初に最も近しい遺伝子を後世に遺すため、契約を交わす。


『我はお前に()()()()()を授けよう。ひとつには()()()()()()()()()()、ひとつにはお前の望みを叶える力を与える』


『だがな、我が授けるのは「芽」だけ。ただの芽が蕾となり花を咲かせるか、あるいは踏み潰されて萎れるか……それは神の裁量次第だ』


『楽しませろよ、エルシオン。我はこの時を楽しみにしていたのだから』


 契約通り──まずはレオンが産まれ、四年後にリオンが産まれた。

 契約通り──リオンはかつてない大魔術師となる未来が約束された。

 ただひとつ、エルシオンを以てしても解らないのは────レオンのどこにあの妖婦の大願に応える力があるのかということ。



「それでも私は果たした。我らが先祖に繋がる命題を、偉大なるルフェイの血族の約定を。貴様らの運命を糧として、私は死して許される存在となる」


 満足げな薄ら笑いを浮かべ、老体は彼らの行く末を嘲笑する。

 なんて悲劇。なんて喜劇。

 死んで終わり繰り返す男には彼らが産まれてきて、こんなにも思い通りに運命が振り回してくれた時点で役割は果たされていた。

 ヴェルメリオの侵略など取るに足らない。これから始まる栄華に比べれば、連中などちっぽけで些末な害虫だ。

 勝手に好き勝手させればいい。

 後のことはここにいる彼らが片をつけるだろう。


 故に、間もなく男は逝く。


「…………だったら、俺たちはなんのために」


 小さくて、本当に消え入りそうな声でレオンはそう言った。


「俺たちはお前のための駒じゃない! 神と運命に操られるだけの存在でもない!! 個性と心を持って育ったただの人間だ……! お前の自己満足で俺たちの人生は歪められてきたのに、その責任も取らないまま逝くつもりか!?」


 最早その慟哭が届くことはない。

 エルシオンの瞳はレオンの方を向いてはおらず、濁った色が虚空を指している。

 そうだとしても彼の叫びは止まるはずもなく、奪われた自由と理不尽な運命への反逆は終わらない。


「……返してくれ、俺たちの時間を…………」


 イビツに刻まれた時の歯車は簡単には戻れない。

 父が無能と切り捨てたレオンに生きる意味や価値はなかった。

 リオンを守る剣になると決めて初めて生の実感が実ったのも束の間、神は二人を引き裂いて父が己が傲りで一人を傷付けて──彼もまた手放したのだ。

 もし……銀の腕のない未来が、父が子を愛した未来があったとしたら、こんなに複雑に入り組んだ今は起こり得なかっただろう。

 聞きもしない父に感情を吐露し、なお動じないその姿勢に唇を噛む。


「兄上の言う通り……いや、やはり違うか」


 リオンの声がする。


「過去は変えられない。時間を戻すなんてできない。……同時に、魔女の大願も父上の命題も果たされる日は来ないだろうな」


 かつて友がその身をもって教えてくれた。

 生ききること、諦めないこと────命が終わると知っても彼は愛する人のために戦い、絶望と恐怖に抗った。

 彼自身は「運命を受け入れる」と言う。

 しかしその言葉とは裏腹に、背負った重荷にも負けない決意と意志がそこにある。

 そして今、すべてが終わったその後で無様に生き残ったリオン・ファレルは課せられた呪われし宿命に振り回されて帰還したのではなく、自らが選択してここにいるのだと理解した。


「運命に抗うことを、俺は諦めない」


 命を縛る運命も、死後を捕らえる神すらも、彼の中ではどうでもいい。

 ただ、父の身勝手な命題によって紡がれる人生にだけは翻弄されたくない。それだけだ。


 黄金色の眼が輝く。

 未だ震えているのは父に歯向かうことへの恐れか、言い切った後から鼓動の早まりが収まる気配すら見当たらない。

 隣で聞いていた兄はそんな彼の静かに血が出るほど握っていた拳にそっと重ねて、なにも言わずに父の返答を待つ。


 返ってきたのは────。


「────レオン・ファレル、貴様にファレルの当主を任せる。ジュノンの成人までその役目を忘れることなく生きろ」


 レオンはエルシオンの死と同時にカエルレウム連合公国ファレル領を治める御三家の当主となる。

 ジュノンが成人する年までの代行ではあるが、その間は紛れもなく彼がこの地を守っていく。

 嫉妬に狂ってまで見つめていた地位に辿り着いた彼は、まったく嬉しくもない言葉を無心で聞いていた。

 数十秒の後、また掠れた声。


「リオン・ファレル……我が愚息、祖より受け継がれたその血を宿して尚抗うならば覚悟せよ。……この先、貴様は地獄に堕ちるだろう。貴様と友のようにな」


 捨て台詞のようだった。

 地獄に堕ちれば魂は二度と生まれ変われず、永遠の苦しみを以て記憶は朽ち果てる。

 神に抗い罰せられたオリオンのように彼もまた神に反逆を誓うのであれば地獄以上の苦しみと絶望に未来は閉ざされよう。


 リオンは最後の最後だけは脅迫めいた言葉に怯えることなく、一語一句を刻み込んでその場を去った。

 父エルシオンの死を看取ろうともせずに未来は分岐する。


 最後に、とある話をひとつして────エルシオン・ファレルは死んだ。





 世界を平等に照らす陽は傾き、空は茜色に染まりながら暗闇を待っている。

 ファレルの屋敷内は静かに騒がしくなりつつあり、特に奥の居室は鮨詰め状態で正直長居はしたくない。

 当主としての初めての仕事は父の葬儀の準備だった。

 父が心底嫌っていた女神宗教「フェガリ教」の教えに則り、何事もなければその遺体は数日後に火葬されることとなる。

 一通りの手続きと葬儀に関する前準備、ファレル公の訃報という領地民への発表も済ませたレオンは、人知れず父の部屋とは反対側にあたる廊下へと足を運んでいた。

 そこは汚れやほこりこそないものの、来客用の僅かな部屋があるだけで人が寄り付くような場所ではない。

 それでも彼は明確な目的を持ってここに来た。

 夕焼けだけが照らすこの場所に、人と関わるのが得意ではない弟がいるのをなんとなく想定して。


「……リオン」


 リオンは一人で立っていた。

 焦げた黒い帯を片手で握り、ボーッとしている。

 赤く輝く太陽の残り火を受けた青い姿はいつぞやの剣士のように真っ赤に見えた。


「ここにいたんだな。まだ本調子じゃないんだから、早く部屋に戻った方がいいんじゃないか?」


 本当にまっすぐここまで来たのだが、まるで探していたような口ぶりでなるべく明るく振る舞うように努める。

 いつもなら睨み付け後罵倒なので今日もバッチコイの姿勢で弟の反応を待つ。

 ……ところが彼はいつまで経ってもあの兄上大嫌い絶対殺すという殺意のオーラを発したりしない。

 しばらく待つと、リオンは静かに横目でレオンを見つめた。


「……話を聞いてくれるか」


 その時、あの雨の夜の記憶がリフレインする。

 今日は雨なんて降ってない。なのにざーっという大地を打ち付ける雨音が脳内で鳴り止まず、ずっと記憶を揺さぶり続ける。


 聞かなくては。


 そんな風に判断したのは過ちの記憶あってのことだろうか。

 レオンは静かに頷いた。


「──あの日、兄上に裏切られてから俺はアーテルに行った」

「……そこでオリオン・ヴィンセントに出会ったのか」

「違う。出会っていたんだ、もうとっくに」


 リオンにはアルブスの貴族「ディートリヒ」の少女と縁談があった。

 敷かれたレール上を歩むしかない事実にうちひしがれ、人知れず精霊の森に逃げ込んだ彼は一晩をその地で明かす。

 しかし、彼は一人ではなかった。

 森の拓けた場所を探していたリオンと花の楽園から宵世界に帰還したばかりのオリオンが偶然鉢合わせたのだ。

 アーテルの人間だと名乗ったオリオンを自分を探しに来たアルブスの駐屯兵だと思った彼は最初こそ警戒していたが、別にアルブスに連れ帰したりしないと言う剣士を信じた。


 二人は一晩中語り合った。

 閉塞的な生活を送るリオンが自由な黒き剣士に憧れるのは最初から決まっていたのかもしれない。

 退屈な運命を受け入れず、輝ける光の聖剣を引き抜いて未来を生きると決めたオリオン・ヴィンセントの在り方はとても眩しくて、一等星のようで、それが真似できたらなんて何度も思った。


 時が流れてリオンは友の行く末を知る。

 彼は間もなく死ぬだろう。

 戦いをやめれば少しは延命できるかもしれない。


 オリオン・ヴィンセントは戦った。

 自分の死を度外視してふたつの世界を守るために今を生ききった。

 愛する人に想いを伝えたのかは知る由もなく、どんな結末だったのかは想像することしかできないけれど、形あるモノを遺さなかった彼の生には確かな意味があっただろう。


 だが、エルシオンは切り捨てた。

 なにも遺さずただ終わらせただけの死は生への冒涜である────と。


 だが、少しだけきっと違うのだ。

 もしエルシオンの持論をもって回答するとしたら、あの場でなにも遺さなかったんじゃなく、本来なら遺せる時まで生きるべき人だった。


 だったら、どうすれば。


「なにも遺せない俺が生き残ってしまった意味が、わからない」


 誰も死なせたくなかった。

 たったの一人ですら欠けたくなかった。

 マーリンには戦場ならばと吐き捨てたが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「可笑しな話だろう。あれだけ啖呵を切っておいて、こんなことをほざくなんて」

「そんなこと……」


 レオンに否定する権利はない。

 たとえあの剣士が大嫌いだったとしても、悲しむリオンを突き放せばもう二度と会えない気がした。


「神に選ばれた、そんなモノは名誉でもなんでもない。俺はただ諦めていただけだ。考えを放棄して、他人に選択を押し付けてきた。……気付いたら泣けなくなっていた、笑えなくなっていた。木偶のようにな」


 裏切られた時に涙は枯れきり、旅立った後に笑顔は忘れてしまった。

 それでも友のあの背を追えば変われるとリオンは本気で信じたのだ。親友となってその意思を知ることさえできればきっと自由になれると。

 だが結果はこの始末。

 友の死は尊厳ごと踏みにじられ、歯向かったはずの父の言葉が頭の中に染み付いて離れない。

 誇り高い彼の勇姿を伝えることなどままならず反論する間もなく父は死んだ。

 ひたすら迷って、悩んで、自分には何が遺せるのかを考えた途端に心の隙間からどうしようもなく虚しさともうひとつが押し寄せた。


「なにも変わっていない。俺は……なにも、守れなくて。こんな時になってやっと、泣いてもいいなんて言葉を思い出してしまう」


 ぽつりぽつりと滴が肌を伝って落ちていく。

 止めどなく流れるそれが悔しいから溢れるのか、悲しいから溢れるのか、もう考えることすらできなかった。


『お前は──本当に辛かったら、泣いていいんだからな』


 あぁ。

 あぁ。

 剣士は、彼は、優しすぎた夢魔の青年は、自分が一番泣きたかったのにその役目すらともだちに預けて逝ってしまった。

 心を潰された少年には重すぎる言葉を遺して星は消え墜ちてしまった。


「……あんな風に、生きられないのに……俺は、おれは……ぁッ」

「リオン……!!」


 何年分の涙なんだろう。

 溢れる大粒の雫に濡れた顔は幼い頃のままで、とてもじゃないが見ていられない。

 とっくに枯れ果てたと自称する弟を、その涙を枯らした兄はこの一時だけでもと手を伸ばす。伸ばさなきゃと使命感に駆られて。


「兄上、────」

「全部聞く。ずっとリオンが抱えてきたものを全部聞いて受け入れるから。今は、いいんだ。()()()()()()()()()()()()()()


 レオンの手は救いになっただろう。

 それを皮切りにリオンの感情は急速に動き出し、涙は止まらなくなった。

 誰もいない廊下にはなにかを失いなにかを得た彼の泣き声が響き、その場にいる兄以外に伝わる間もなく世界にかき消される。


 過去は変えられず、かつて戦いに残されたモノはあまりない。

 交わした言葉さえもお互いに命を落とすとは考えもしないごくごく当たり前で自然な会話だけで、看とる時間も与えられなかった。

 当たり前の自由をくれたはじめての友はもういない。

 畏怖の対象たる父のしがらみを乗り越え、自分自身が変わらなければならない事実を受け止めて彼はこれからも歩む。


『リオン、これからは自由に生きろ! お前が選んでいく明日はきっと間違ってなんかないからな!』


 いつかの夜にそんな言葉を心のどこかで懐かしみながら。



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