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ANASTASIA  作者: 桜依 夏樹
Afterglow Restart&Reunion.
101/133

2-24 タレイア・ルミエール




 決まった、確実に決まった。

 これはもう確定事項にも等しいほど完璧だと思っていた。

 世界に選ばれたわけではないが団長の下で騎士を名乗る彼女には、強固な守りを超え肉と皮膚を裂いて削いで殺す蛇の剣の性能に絶対の自信がある。

 どんな兵士の武装をも悉く打ち砕いてきた盟友であれば、腹部を大胆にもさらけ出す目の前の露出狂に致命的な一太刀を浴びせることなど造作もないはずなのだ。


 ……なのだが……。



「……お、おかしい!」


 グラセから出た第一声は本人すらも予想外の言葉であった。


「ちょっと! 貴女なんで無傷なの!?」


 そう、彼女が対峙し、そして斬りつけたはずの露出魔兼敵対生命体──タレイア・ルミエールは全くの無傷のまま、堂々とした面持ちを崩さずに立っている。

 一瞬の出来事が夢ではなかったことを証明できるのは足元には糸の切れた人形か、はたまた溶けた土塊のような兵士が転がっている事実程度。

 ところがそれでも十分な要素に成り得るのが戦場と呼ばれる世界だ。

 であれば導き出される答えは当然のように絞られてくる。


「ここはステージじゃないの。油断しちゃダメでしょう?」


 侮ってはいけなかった。

 未来予知の占い一族ルミエールの踊り子とただそれだけ認識していればいいという話ではなく、彼女がいかに場数をこなしているかを考えるべきだった。

 身に纏うそれは見たまんまステージ衣装のような装束ではあるが、魔術師として産まれ、そして学んできたからには彼女とてただ放浪の旅人と断じるわけにはいかない。


 魔装束(スペリオルメイル)は纏う者の魔力であり、また強固な防護魔法と同義である。


 これらは魔法によって成り立つ世界──この宵世界にとってはあらゆる一般常識とも等しい常識。

 グラセは見た目の露出度とエタンセルの並外れた制圧力によって完全に失念していたが。


「私の魔装束は露出した皮膚にコーティングを施してくれているの。多少の攻撃はそう簡単に届かないわ」


 本来作り上げた術者の技量によって魔装束の性能は大きく変化する。

 本職の魔術師が作ったモノであれば、並大抵の物理攻撃では纏う者に傷すら付けられないというのだが……遺装(アーティファクト)と呼ばれる神話や伝承に連なる武具や強力な異形が相手になれば話は変わってくるだろう。


 タレイアは旅人だった。

 ヴァルプキス西地方だけでなく東地方も、果ては大陸を跨いだことだってある。

 なにが言いたいかといえばタレイアは隙がないということ。

 場数をこなせばそれなりの実力が身に付いていくように、彼女は旅の中で多少の盗賊や異形への対策を常に講じてきた。戦闘技能としてではなく護りの方面に、だ。

 護りの魔法は彼女を育て上げ、危険な旅もいつしか安全すぎるほど穏やかになっていきもう高められる技法はないとまで思っていた。

 しかし、エタンセル・ローランと鉢合わせ、凄まじい一撃に触れた時に実感する。


 ────あぁ、私にはまだ伸び代があるのね。


 戦闘経験豊富なレオンや精霊の女王に君臨していたディアですら敵わない最強の騎士が去った後、人知れず反省したタレイアはすぐさま暇を見つけては自らの魔装束を次の段階へ高めようとした。

 結果──彼女が纏う舞姫の衣装は流れる川のように宙を躍り、軽やかに美しく煌めきながらもあらゆる盾にも負けない物理攻撃への耐性を得たのだ。

 それだけではない。

 本人が語るようにその真価が発揮されるのは露出している皮膚に見えない薄皮の如く張られたコーティングに攻撃を食らった時だろう。

 よもやあそこまで大胆にさらけ出された弱点こそ最も硬いとは誰も思いやしない。


「じゃあわたくしの鞭は弾かれた……? その布に……!?」

「そういうコト」


 鋼鉄の床に伏した蛇腹剣をよく見れば、触れたはずの刃の一部が欠けている。

 信じられない。

 絶句した。

 ヴェルメリオ帝国にはほとんど認められていない魔法が、誇り高きキカイの国の鉱石の剣に勝つなんて昨日まで考えられなかったから。


「それにしても、趣味が悪いんじゃあないかしらぁ」

「……なんの話?」

()()は何」


 耽美で甘美な雰囲気は一変し、冷たい声が落ちる。

 戦闘前にグラセの類稀な特異体質は十分理解していたつもりだった。

 一言で表すなら男性相手に特化した服従の呪詛。魔法抵抗力(マギアプロテクト)を無視し、精神を乗っ取る術であるというのがタレイアの認識。

 ところがアレは一体どう説明すればいい?

 直前に彼女の目を覆い、拳を食らったのはレオンに串刺しにされて死んだ兵士。剥き出しの白目と青ざめた肌からはまるで生気を感じられなかったそれが、まるで糸で操られた人形のように蠢いていた。

 あの体に宿るのが強力な呪いとはいえ死者をも操るなんて恐ろしいにもほどがある。

 だが、問題はそこではなかった。

 いくらタレイアにとって敵であったとしても死体を盾に使うなどという命への冒涜を許せるはずがない。

 何事もなかったかのような表情で自分の心配ばかりをするグラセへの向き合い方が変わるのも当然だ。


「彼、あー……()()()()()()()()()()()()、とても好い人だった。死して自分の魂を失っても、わたくしの愛にちゃんと応えてくれたものね」


 愛。

 さっきからそうだが、「拒ませない」とかなんとかは呪詛による支配とは違う意味合いを持っているのか。


「見て、周りを」


 言葉に促されるまま周囲を睨むタレイアの視界には死体、死体、死体────そのすべてが立ち上がり、やはりゾンビのように虚ろな顔で女を囲っている。


「わたくしはわたくしの愛に応えてくれる殿方が大好きなの。だってわたくしに尽くす以上に幸福なことなんてない、みんな理解している」

「……いいえ、それは貴女のエゴ。貴女にとっては満たされて幸福かもしれない、だけど死んだ彼らの尊厳は辱しめられたままよ」

「尊厳? ええ、国に帰ったらちゃんとお墓に埋葬してるから守っていると認識しているつもり。でも今は……彼らが応えてくれるなら、わたくしも応えなくちゃ」


 当然ながら彼女が語るその事実は、彼らが自分達の意思で信念と矜持を抱いて応えているとは言えない。

 自分自身に宿った「永続性呪詛・不変の愛(ヴァナディスチャーム)」が強制力の非常に高い呪いであることはグラセだって分かっているはずだ。かからないのが普通なのではなく、むしろ呪いに抗ったレオンの方が異常であることも。

 つまり、その「愛」の本質は押し付け。

 しかもグラセの場合は「愛する」というよりも「愛される」方で、呪詛によって彼女を愛するようになった男たちの献身を一身に受けることで満たされているのだ。

 そう考えれば彼女が守っていると豪語する尊厳など、実際に起きている事象を前にすれば全く信じられるわけがない。


「……貴女、そう…………」


 タレイアはただの話では通じないことを理解しながらも、同時にひとつの答えに辿り着いた。


 この女騎士は渇いている。飢えている。歪んでいる。


 事情を察することはままならないが、目の前の女はきっと愛されたことがないのだろう。

 それは両親からか、または焦がれる人からか──そこまでは推して測ることなどできやしない。

 ただどんなに些細でも本当に寵愛を受けたことがある人間は、同時に誰かを愛する心を理解するようになる。だって人間はそういう仕組みになるよう作られているから。

 そんな相互の感情が循環し、ヒトは思いやりを知ってゆく。

 これが皆から愛され、そしてその愛に応えたタレイア・ルミエールが他ならない自分の身をもって知った世界の真実のひとつ。


 であれば、彼女を救わなくてはならない。

 身体を戒める呪いが発するイビツな愛情でしか自己を満たせない哀しき人を、負の激流より助け出すことこそが──きっとこの旅に同行した意味なのだ。


「かわいそうな子」


 一言吐き捨てた。

 すぅっと息を吸い、風の色をした二振りの鉄扇を両手に持つ。

 花開いた扇は潮風を優雅に舞う蝶のようだ。

 だが蝶は時として毒を持つ蜂となり、刺し貫く牙となる。


「私は世界中で多くに触れた。一夜限り愛されたことだって少なくはなかったけれど、私自身が満たされることは決してなかった。……それはきっと、この胸に抱く感情が恋ではなかったから」


 踊り子として多くの地を渡り、一夜の夢をあらゆる形で提供してきたタレイアとてそれが自分の自己愛を満足させられるような行為でないことをずっと昔から理解していた。

 男女問わず惜しみ無い金と声援、心を贈られてもなお足りなかったのはずっと昔──少女だった頃に恋をして、今でもその背を慈しみ見守り続けているあの子からじゃなかったから。


「急になんなの……?」


 殺気立った雰囲気を隠さず放っているにも拘わらず、それとは別にタレイアの瞳には母性にも似た優しさが宿る。

 奇妙な光景に動揺を隠せないグラセの手には汗が滲む。


「貴女も近い将来に分かるわぁ。そんな呪いだけじゃ誰も心が幸福になることなんてないってね」

「ッ……好き勝手に言ってくれる……!!」

「じゃあもっと好き勝手に言ってあげる。────貴女、()()()()()()()()()()()


 それは心臓を冷たい刃で貫かれるような衝撃だった。

 まるで見透かされているようだ──そう思えてしまうほど彼女の眼はグラセの心を見ていたのだろう。


 グラセはいつも彼の背中ばかりを見る。

 幼い頃……両親はいつかも思い出せない時にいなくなり、皇帝に保護されて城が家になった頃から少女の視界の片隅にはいつも寡黙な少年が在った。

 家族として、仲間として、成長していくにつれて彼は彼女から遠い存在になっていく。常に近くにいるはずなのにそんな実感があったのは、心が遠ざかっていったのを解っていたのかもしれない。

 ……だとしても、だ。

 産まれた頃から愛される呪いにその身を浸していた少女は手を伸ばせばすぐにでも心を我が物にできただろう。

 それをしなかったのは、彼から欲しかったのが操り人形のように思うがままに従属してくれるようなアイではなく──炎のように、芯から燃え盛る恋という名の愛だったからか────。


 彼女は足りないからアイを欲しがる。

 本当に欲するモノに手が届かないからこそ、虚栄心を満たすように呪詛を振り撒く。

 そうして戦場で戦果を挙げれば、戦いだけに飢えた彼が振り向いてくれると信じているから。


 ──────そうだったとしても。


「う、うるさいッ! なにも知らない醜女(しこめ)の分際で人の心に入り込んで来るんじゃないわよ!!」


 グラセは己の本心を強固な殻で包み、代わりに苛烈な自尊心を焚き付ける。

 思うままに叫んだ言葉が指示の代替えとなったらしく、呻き声を上げてそこいらをさ迷っていたゾンビ兵たちが一斉に剣を振り上げた。

 数は目視できるだけでおおよそ五十強。

 その全てがグラセの思うままに動くわけだが、逆に言えばこれだけの数がひしめく中では彼女自身の行動も制限されると予測できる。

 であれば互いの状況はあまり変わらない。ゾンビが敵か味方かくらいだ。


「それならとっておきを見せなくっちゃあね」


 襲いかかってくる兵士たちに埋もれるまで残り数秒。

 閃光を散らす扇は風を纏い、タレイアを台風の目にして猛烈な突風を巻き起こした。


「ア゛……アァ」

「アーァア」


 装備に反して体がすでに軽い兵士は風に飛ばされ容易に千切れていく。

 こうしてテリトリーが広がったタレイアの進攻は早い。

 長い脚を生かした足技を中心とした体術から切り出し、首をへし折り床に叩きつけ、死角から襲いかかる敵を仲間と同士討ちにしながら鉄扇に宿る魔法を発動して粉々に粉砕する。

 タレイアが持つ二振りの扇には多種多様な属性魔法が宿っており、状況に応じて使い分けたり二種の属性を混ぜ合わせて複合型の魔法を成すことも可能だ。

 しかもまるで踊るように戦う彼女の身動きは独特で、魔法を絡めたりもするため敵が次の手を更に読みづらくなるのも特徴と言っていい。


「だったら、死体ごと穿ってッ!!」


 死体はすでに死体。

 それでもなお立ち上がるというのなら使い道はいくらでも存在する。──それぞれの行動を隠す壁に、とか。


 どこまでもその名の通り這い回り、ゾンビ兵を穿ちながら蛇行して近付いていく蛇腹剣の刃が今度こそ守りを突破せんと今度は皮膚ではなく魔装束自体を狙う。


「いいえ、視えているわ!」


 入り組んだ行路を巡る蛇の牙が滑らかなシルクのスカートを引き裂いた。

 ……が、それは想定内。

 なんと右腿に巻き付いた鞭を、今度は氷上を滑走するアーティストにも似た空中回転(アクセル)を用いて緩ませ外してみせたのだ。

 タレイアとは逆に予期せぬ行動を取られた蛇腹剣の方は弛んだまま床に落ち、跳んだ側は更にゾンビを踏み台にして僅か50mにも満たない距離で唖然とするグラセにうさぎ跳びで迫る。


「そんな、まさか……ッいや、わたくしを守って!!」


 声に応えた残りのゾンビ兵が一斉に肉壁と化してグラセを覆う。

 鉄扇の魔法攻撃が命中したとしても分厚い肉に阻まれ本人にダメージを負わせるにはままならない。

 ────それでも、その壁を越えなければならない理由が彼女にはある。


照準固定(set)属性(element)合成(synthesis)──(wind)(fire)ッ!」


 カチリと歯車が噛み合うような音が扇の内部機構に響き渡る。

 鮮やかな色をすでに持つ二振りの魔道具はそれぞれが更に美しい色素に染め上げられ、漂わせる香りには冷たい冬の日が感じられた。


 属性魔法を合わせて新たな魔法を作るのは、ただ単純な爆発力だけを産み出すためではない。

 掛け合わせる属性によっては身近によくある自然現象を起こし、味方につけることさえ可能とする。


 たとえば、よく燃えているものに酸素を送り込むとか。


「ギィイ゛!?」

「ア゛アア゛!!」

「火……っ!?」


 放たれた炎で勢いよく燃えるゾンビ兵の異変に気付いたグラセが後方に下がった。

 どうせ壁を崩したと思ってタレイアは上から攻めてくるだろう。

 ならこちらは更に後ろに下がって雲隠れし、相手が混乱している隙を突いて今度こそ斬撃を叩き込む。

 一撃でも食らえば動きは止まるし追撃は難しくない。

 今はチャンスを得るために退くのだ、グラセはそう思って右足を少しだけ摺り足で下がる。


 が、時すでに遅し。


 かき消えない程度に手加減された風に炎が呑み込まれ、山のようなゾンビが薙ぎ倒される位置ににまだ取り残されている彼女の身体は押し潰されようとしていた。

 守らせるために用意した人数が多かった分、下がるまでに間に合わなかったらしい。

 いとも簡単に浮く武装した兵士に潰されればまずただではすまない。それが炎を纏っているなら尚更危険度は高まる。


 死ぬ? このわたくしが?


 自覚した途端に冷や汗が湧いて出てきた。

 無様に火炙りにされ逃げ場もなく這いつくばりながら暴れて最期に事切れるなど、しかも自分が用意した呪詛の愛が裏目に出てなんて認めたくもない。

 死ぬなら彼の腕の中で死にたかった。

 最後の瞬間まで彼の隣で語り合いながら、あるいは彼と背中を預け合って戦場で鮮烈に生きながら、愛しい人の目の届く場所で逝きたかった。

 彼はここに来ることはないだろう。

 皇帝陛下と共に任務の完了を待っているに違いない。

 じゃあこの顛末はなんだ。

 呪われていたのは男たちではなく、やっぱり彼女だったのか?


「ひっ……やだ……! 死にたくない!! 助けて、助けて()()()()()……!!」


 ふと聞こえた助けを呼ぶ言葉は、心の叫びだったのか口に出た本音だったのか。

 命の危機を感じてすべてがスローモーションに見える彼女の世界に次に入ってきた他人の姿は──男のものではない細く柔らかな女の両腕だった。





 バチバチと燃え盛る元人間の群れが動かなくなるまでそう時間はかからなかった。

 呆然自失のまま、我が身を最後まで守り我が身を死の瀬戸際に追い詰めた山を見つめるグラセの身体は今までの人生で一番重い。

 すべてを失った、と思った。

 文字通りすべてだ。

 愛を知らない彼女が唯一他人から愛──に似ている絶対的服従──を得る方法だった永続性呪詛によって命も名誉も証もなにもかも奪われかけた時、なんの理由もなく救われた。

 本来なら敵に助けられるなんて自分から命を絶つと言ってもいいほど屈辱的だが……。


「どうして、トドメを刺さないの」

「トドメって?」

「だから、貴女の勝ちなのになんで動かないのかって……」


 グラセの言う通り、彼女を助け出した張本人であるタレイアはすでに鉄扇を畳み、堂々とした立ち振舞いで炎に包まれた兵士たちの死体を見つめている。

 多少の警戒心は肌で感じ取れたが、戦意はない様子だった。


「私、基本的に人を殺す覚悟はないのよん」

「は?」


 あれだけ大立回りを見せつけておいて一体今更なにを言っているのか、さっぱりわからない。

 しかし晴れやかな表情のままタレイアは続ける。


「レオンくんたちなら貴女をあそこで見殺しにしていたかもしれないけどね、私は助けを求める声がしたら助けちゃうの」

「……でも、わたくしは貴女の敵」

「それ以前に──同じ恋する乙女、じゃなぁい?」

「なっにを!?」

「私はもう恋に敗れた女だから、好きな人がいる子を見ると応援したくなっちゃうのよぉ」


 たとえそれが敵だったとしても。


 付け加えるように告げられた一言を聞いた瞬間、この女……タレイア・ルミエールには敵わないことを確信した。


「愛に対して受動的になったら、それってもうただの人形とおんなじだわぁ。相手が振り向いてくれないなら、もっと自分から行かなくちゃあダメ。彼が本当に貴女から興味を失った時以外は失恋だなんて言わない、そういうのは友達以上恋人未満って言うのよっ」


 やはり見抜いている。

 男という性を強制する呪詛によって与えられるだけの偏愛を知っても、(エタンセル)に還元できる方法なんてなにひとつ知らず騎士団のナンバースリーとして支え続けるだけに甘んじていた彼女の本質。

 言葉をかけられずにいた少女のままのグラセが大人になるために必要だった背を押してくれる何者かがここには居た。


「グラセさんには頑張ってほしいから、私は命は取らないわ。その代わりにお薬だけもらっていくけれどね」


 文句もぐぅの音も出なかった。

 すべて納得し、この場に────いや、残るべきではないか。


「……わたくしは、失敗したから……国に帰ることはできない。陛下のご期待に沿えない兵士に必要性なんて……」

「…………なるほどぉ」

「それにこのまま帰っても団長を失望させるだけだから」


 敗北と失敗によってグラセの居場所はヴェルメリオ帝国内にはなくなるだろう。

 そうなれば待っているのは処刑だ。

 要らないものを捨てるのと同じく、国に不要な存在は処分されるのだと彼女は自嘲気味に語った。


「だったら! 貴女、国に来ない?」

「……カエルレウムに?」

「ええ!」


 曰く、捕虜として捕らえたことにしてカエルレウム連合公国内に連れ帰り、ヴェルメリオ帝国との関係が落ち着くかあるいは穏やかになったら国に帰らせる。その間は行動に制限はかけるが、ルミエールの領地でなら基本は自由に行動しても構わない──という旨の話だった。

 先程から繰り返しているが彼女は敵だ。

 多くの魔術師に呪詛の悪意を振り撒き、多くの人間を危険な目に遭わせている。

 だが、それがなんだと言う。カエルレウム側だって似たようなことがいくつも起きているのに棚上げして彼女だけを咎められるか。


「でもいくつか話を聞かせてちょうだい。私は知りたいことがいーっぱいあるわ! グラセさんの好きな人の話とか、そう! 恋の話をたくさんしましょう!」

「わ、わたくしは……」

「大丈夫。必ず、大切な人のところに帰すから」


 思い出せない。覚えてもいない。

 そんな母親の優しくて暖かな眼差しが懐かしくなる女の瞳は、確証もないのに信じたくなるような気がして、この時はなにも考えずに童心に帰った少女はタレイアの胸元で泣いていた。


 いつまでもいつまでも、続けばいいと。

 争うのをやめて、彼を連れて逃げ出したいと。


 叶わない願いを抱いて頬を涙で濡らした。



 一頻り感情を吐き出して落ち着きを取り戻した頃、海には強い風が吹き始めた。

 潮の香りが一際強烈で、せっかく手入れした髪が台無しになるのはもったいないという理由で壁のある場所に移動しようと提案したタレイアに対し、立ち上がったグラセは静かに告げる。


「実は、陛下には協力者がいるの」

「……ちょっと、それは話してもいいお話かしらぁ?」

「一応の扱いは捕虜ですもの。こっちだけが庇われるのは癪だから少しくらいは話す」

「そう。それで、協力者とは?」


 ヴェルメリオ帝国は現在のレーヒゥンが就任して以降、魔法は神の支配に通ずる愚鈍な文明を象徴する異物だと強く主張し、その存在を否定し続けていた。

 国内では生活に使われていた多くの魔法が法によって禁止され、罰則の対象となりたくさんの人間が処刑された。

 しかし、レーヒゥンは赤き騎士団が新設されるより少し前からある客人を秘密裏に城に招くようになる。

 最初こそ客人の姿を見れるのはエタンセルやベレーのようなごく一部に限られていたが、騎士団の息が長く続き、数年後にはグラセも何者かの護衛任務を命じられるようになった。

 そして彼女は知ったのだ。

 魔光の宝玉の力を用いて世界の形を新たにすべく動き出した二人の計画を。

 皇帝と彼女が産んだあり得ざる未来の皇帝の存在を。


「客人の名前は」


 グラセの口の動きが「う」の発音を示した途端──────彼女は目を見開いた。


「グラセさんっ!?」


 そのままぐらり、ふらり、と倒れた身体を抱き抱えたが、タレイアはその背に見えた傷の深さに絶望した。

 何故? どうして? となにかを疑問に思うような顔つきの彼女の背中は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 汗が滲み、表情が歪み、苦痛に悶える。

 呼吸もままならないグラセはそれでも力を振り絞り、顔を上げて言う。


「客人、は……っ……」

「もうダメよ。喋らず、呼吸を整えないと……」


 グラセを諭しながら辺りを見回すが、周囲に敵の姿はない。

 一体誰がどこから致命的な一撃を食らわせたのかタレイアには知る由もなく、ひゅーひゅーと呼吸を乱す姿に焦りが募る。


「……フ…………、……かい」

「今、なんて?」

「ぉぅ……、な……」

「…………分かったわ。その人が、協力者なのね」


 返事が聞こえたグラセは嬉しそうに頷き、目と口を開いたまま動かなくなった。

 胸に鼓動が感じられない。身体もどこか冷たく体内魔力の流れがない。

 ──どうやら、亡くなったらしい。


 本当は分からなかった。

 声が掠れて小さすぎて、聞き取ろうにもなにも聞こえずに安心させるために嘘をついた。


 ただその嘘を後悔する日は来ない。

 もしも悔恨があるとすれば、少女の恋を叶えることができなかったという一点だけ。


「タレイア!!」


 奥の階段から彼の声がする。

 視線を向ければ片手に剣を携えて、駆け抜ける表情は満足そうに緊張感を抱く。

 彼女が待っていたレオン・ファレルの帰還だ。


「レオンくん、戻ったのね」

「敵は片付けて薬を手に入れた。あとは戻るだけ……だけど……これは」


 タレイアが抱き抱えた赤い装束には見覚えがある。

 中々呪詛にかからないレオンに対し闘志を燃やしていたのはまだ記憶に新しく、致命傷と思わしき傷跡からはこの場で起きた出来事を窺い知ることはできない。

 だから彼女は言ったのだ。


「……この子は、私の友人よ。いきましょう」


 でも、友となるには遅すぎたけれど。




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