1-3 剣の在処
《K県梓塚市尾野川町で四人の遺体発見、殺人事件か》
手に取ったスマートフォンの画面には王手ニュースアプリの速報通知が表示されていた。
本日早朝、梓塚市尾野川町にて高校生の男女四人が遺体で発見された。四人は全員が全身を強く打ち死亡したものと思われ、警察は遺体の状態から殺人事件と見て捜査を開始。
四人と一緒に行動していた立花雪子さん(16)も行方が判っておらず、事件となんらかの関係があるとして行方を追っている。
薄暗い室内で仄かに光を放つ画面にタップし、ニュースページを下へスライドさせ淡々と読み進めていく。内容は必要最低限。守られるべき個人情報は晒されていたが、それ以外に不必要なことは書かれていなかった。
現在朝の10時過ぎ、あの凄惨な現場には恐らく今や警察やマスコミが大挙して押し寄せているのだろう。きっと存在しない犯人を探して躍起になっている。
テレビの報道番組も残酷な猟奇殺人事件に魅せられたなにも知らない小賢しい大人たちが黒い腹の底を隠し、悩ましい顔をしながら中継リポーターと話を進めている。
勝手に不愉快な気持ちになった一颯はテレビを消し、簡単に作った玉子おかゆを持ってリビングを去った。
二階の自室には彼がいる。彼女を庇った口が悪くて優しい少年がすやすやと小さく寝息をたてながら休息中だ。
あの騒ぎから帰ってきて、自分のベッドに寝かせた彼の顔や腕の怪我に処置を施している間も彼はずっと寝ていた。それはそれはもう、まるで単なる寝不足だったんじゃないかと思うほど。
今もグッスリと眠りに就き、起きる気配はない。
「……やっぱり子供みたい」
テーブルにお盆を置き、寝返りを繰り返すオリオンを見守った。
一目見た時から童顔だと思っていたが、眠っている今の顔は余計に幼く見える。深夜帯に異形の怪物を屠っていたバーサーク剣士には到底見えない。
青紫色の長い髪なんかはショートヘア一颯よりよっぽど女性らしさを放ち、そこからちらりと覗く耳は見たことがないくらいとんがっている。
「この子の世界の人はみんなこんな耳なのかな」
俗に言うエルフ耳というやつだ。まず日本人にはこんな耳の形状の人物はいないと思う。
自分にはないモノへの羨ましさに手が伸びさらりと髪を撫でると、ぴくりと彼が反応した。もしかして起こしてしまったか、とすぐさま手を引っ込める。
「──ん、あさ……?」
朝日の輝きをうっとおしそうにしながらオリオンが身体を起こす。まだ寝惚けてどこにいるかも分かっていないらしい彼はきょろきょろ周囲を眺め、一颯が視界に入ったことでようやく覚醒した…かと思えば次は「あー!!」と大きな声を上げ、頭を抱えた。
なにか問題があったのか、首を傾げる一颯に対して彼は言い放った。
「おま、お前……俺生きてる!?」
「いきなり!?」
手始めに自身の身体中をベタベタと触りまくり、上に着た服をバッと捲り上げてお腹の辺りを見つめたり、頬っぺたをぎゅーっとつねったり、一颯の前で彼は色々様子のおかしい行動を取り続ける。
まさか、彼は本当に"自分が死んだ"と思っていたのだろうか。
言われてみれば、全身を強打したり脇腹に鉄の棒が貫通したり鋭利で巨大な爪に引っ掛かれたり、……普通の人間なら死んでもおかしくないレベルの負傷をしている。というか実際に同じ目に遭った人が死んでいる。
一颯からしてみれば、気付いたらオリオンの背中の傷は影も形もなくなっていて、脇腹に関しては本人が「ガワは大丈夫」などと意味不明なことを言っていた気がする。それを正直に伝えたら、「そうじゃない!」と強い否定が返ってきた。一体なにが違うのか。
「魔力が!! 致命的に!! 足りない!!」
まりょく。アレだ、ゲームで魔法を使うときに規定量消費する所謂MPだろう。彼は魔法を使っていたのでもしかしたら合ってるかもしれない。
が、MPって普通HPとは違うもののはず。魔力=MPで考えるなら、致命的に足りないからって死んだとかに発展するのは少し無理がある。
「MPってHPと別物じゃない、死なないわよ」
「はぁ!? ……つーか、えむぴーとかえいちぴーってなんだよ」
言語の違いかはたまた文化の違いか、彼は「新しい魔法の詠唱か」と聞いてきた。
一颯は途端に冷静になる。落ち着いて考えてみれば、彼がいた異世界とやらがゲームの世界と限ったわけじゃない。それと、魔法と聞いてMPが思い浮かぶのは身近にゲームがありそれらの専門用語が総じて同じように名付けるからではないか。
自らの短絡的な発想に深く反省したと同時に、オリオンに聞いてみた。
「魔力ってそんなに大事なの?」
「なに言ってんそんなん当たり前───って言ってもイブキにはわかんねえよな」
「だから教えてよ」
しゃーねえ、と彼は頭をかき胡座をかいて何度か深呼吸を繰り返す。
「魔力についてだけじゃなくて全部伝える」と彼女に言って返事を待たずに話を始めた。
「まずは俺がどんな世界から来たか、だ。魔力とかもそれに関係してるからな」
オリオンがいた世界。そこは、あらゆる生物が「魔法」と総称される万能の術を手にし、この世界と似ているようで違う文明のまま発展を遂げた異質な世界。
人間、異形、それ以外の生物……三つの生態系がそれぞれ生活し、時には彼らを食らい時には友や家族とし時には神として崇める。異形が存在すること以外は基本的にこちらの世界でも変わらないという。
「俺たちは二つの世界を分けるために、イブキがいる今の世界を"明世界"、その魔法の世界を"宵世界"と呼んでる。昼と夜だ、分かりやすいだろ?」
「ええ…でも、今聞いただけだと魔法があるくらいでこことあんまり変わらないと思うんだけど」
「そうだなぁ、文明が劣ってるくらいであんま変わんねえかな」
無論衣服の類はある。ベッドもある、本もある、学校と呼ばれる教育機関も存在すればこうして家族が住むのに十分な家だってある。
でも機械類の発達ぶりは明世界には絶対に敵わない、と彼は言った。どうしてかと問えば、魔法で全てが補える世界だからだと答えた。更に機械を介さなくても魔法を詠唱するだけで遠くの人とも話すことができるから、と付け加えられた。
「ここまで分かったか?」
「うん、一応」
「じゃあ次。俺たちは魔法を使うためにあるモノが必要になる」
「それが魔力?」
オリオンは頷いた。
「魔力…言い換えるなら、"生命力"でもいいか。宵世界の住民は、命を糧にして魔法を使う。もちろん寿命削ってるわけじゃないから寝たり食ったりすれば回復するけどな」
こう彼は軽く言っているが、先程までなにを慌てていたのか理解できた一颯は驚愕した。彼が何故死ぬとか死んでないとかで慌てていたのか、ヒントが出れば答えは簡単だ。
彼は魔力を使い果たしていた。
今はこうしてピンピンしているので、使い果たしかけていた、が正しいか。どちらにせよとんだ無茶だ。
「まぁ俺の場合、魔力ってのはもう一つ別の要素でもあるんだけど……言わなくていいよな」
「なによ、もったいぶらずに言ったらどう?」
ううーん、と困った顔をして彼は悩む。焦らしているのか本気で言う気がないのかは不明だが、茶化しているつもりではないらしい。
「別にいいや。とにかく魔力は使いすぎたら死ぬ。魔法じゃなくても消費するタイミングってのはあるしな」
生命力=体力でもあるとしたら、立ったり走ったりするだけでも魔力は消費されていくことになる。また、昨晩のように大量出血を伴う大怪我をしたとすればそれも生命力の低下に繋がる。
一颯が考えているよりも彼らの実情は大変らしい。
「だってほらイブキ、気付かねえか?」
「気付くって?」
「俺の見た目。最初の時と違うだろ」
確かに、腕を覆っていた紅いアームカバーを始めとした様々な装飾が彼から失われている。いつからなくなったんだろう?彼をそんなにずっと見ていたわけではないので一颯は不思議がる。
「俺が今着てる装備は魔力で作られた特別なモノでな、リソースを常にコレのために使ってる」
逆に言えば、この装備を外すことで使用中の魔力を一旦元に戻すことができる。
そんな不便なことをするなら普通に鎧や服を着ればいいのでは?一颯が発したこの世の常識による正論に対し、彼はまた答えてくれた。異形と戦うのに鎧は無駄、むしろ動きを阻害する。普通の服なんて論外だと。
オリオンが纏う武装、通称・魔装束は鎧なんかよりよっぽど強度があり、魔法による防御が成されているため極寒の冷地や亜熱帯にもそのまま対応できる。
しかし万能なわけではない、強い衝撃や攻撃を受ければダメージはある、もちろん体に傷を受ければ怪我もする。
今回の場合、松井エミの背中が異形の爪で裂けていたのに対し、オリオンは変異体の攻撃でもそこまでの深傷は負わなかった。
もし武装が鉄の鎧だったとしたらあっさり砕かれた挙げ句、本当にこの世とおさらばだったかもしれない、なんて彼は冗談混じりに笑う。一颯には笑えなかった。
「イブキの追想武装だって着てるモノは魔装束と同じだから耐久力はあると思うぜ」
「お腹あんなに見えてるのに?」
「防護魔法っていうのは露出した肌が守れるのも強みだぞ。……でもなんであんなカッコなんだろ?」
オリオンが魔術師から聞いた"追想武装"は、魔力を譲渡する側の装備を全てトレースする……はずだ。一颯の姿は剣や一部装飾は同一でもオリオンとは違う姿だった。この差はやはり魔力量の違いか?とも考えたが、彼が一颯から感じ取った魔力はそんなちんけなものじゃなかった。
「そういえばイブキ、追想武装はどうしたんだよ」
「知らないわよ。ソファーで寝てたら制服に戻ってて…あ、でもコレ見て」
一颯がポケットから取り出したのはてのひらサイズの紅い宝石だった。ルビーやガーネット、ネットで検索してヒットした宝石と見比べてもどれにも当てはまらない美しい石は陽の光に照らされて輝いている。
曰く「起きたら握っていた」らしいそれを受け取りじっくり観察する。特におかしな点は……ある、一つだけ。
宝石は凄まじい魔力を放っていた、しかも二種類。オリオンと一颯の魔力。彼らの力がまじわり渦巻く光は、この紅い宝石が何物かを表していた。
これは追想武装だ、どういうわけかこの中に収納されている。
「なんだこれ…」
「貴方も分からないの?」
「こんなん初めて見た」
記憶をうまく探るが、魔術師からそんな話は聞いていない。
どう使えば追想武装を発現できるのやら。
「──陽魔力を使うとか…あとは壊すとか」
「陽魔力って? なにか違うの?」
「あー……」
簡単に言えば明世界の人間が持つ魔力。普通の人間が生命力を魔力として昇華できるのは珍しく、中でも一颯のようにトンデモ魔力量がある人間なんて夢か幻かと思っていたオリオンはかなり驚かされた。
「イブキ、この結晶に魔力を注いでみてくれ」
「えっ? どうやって?」
「うーん…キスとかかな」
「は!?」
彼は悪気なく「魔力を別のものに移す時にはキスが一番効率的なんだ。それにイブキは上手く魔力を練ったりできないだろ」と続けた。
馬鹿正直でストレートな発言は一颯の脳に混乱を巻き起こす。あぁなに言ってるんだこの子供、マセてるにもほどがある、というかあの時私キスされなかった!!?? 口じゃないならセーフとかいう風潮なの!?? とフル回転で全ての思考力が活発化する。
顔はイチゴみたいに真っ赤になって、ふるふると身体を震わせる一颯が心配になったオリオンが「なぁ」と恐る恐る声をかけた。
「ッできるわけないでしょバカ!!」
紅潮した一颯はオリオンから強引に宝石を奪い取り、立ち上がって足早に部屋を出ていった。
「え、あ……あれ……?」
いまいち状況が飲み込めず、一人ベッド上に取り残されたオリオンは瞬きを繰り返し、そっと立ち上がり後を追う。
一体どこがどう気に食わなかったのか、不快にさせたのかが解せない。彼にとってはそれが常識だった故に余計彼女の逆鱗に触れた理由が特定できない。
妖しいことを言った自覚が全くない戦犯は扉を開けようとしたがなにかにつっかえて開かない。
「なぁイブキ、変なこと言ったか?」
「……変というか、女の子なんだからその辺理解してよ」
ジトリとオリオンを見つめる目は夜みたいに恩人を見る目じゃない、デリカシーのない男を見る目だ。
別に異性と接吻しろと言ったわけじゃないし、という言葉が喉まで来たがさすがにキレられそうだったのでそこは控えた。一颯がキレた暁には家から放り出される気がしたのだ。
上手く言いくるめようにも自分の口と頭の悪さは自覚しているつもりのオリオンでは女性の心なんて解らない。
唸りながら髪の毛をくるくるしていたところ、ちょっと冷静になったらしい一颯が「下行きましょ」と腕を強く引っ張って彼を連れ出した。
冷房がガンガンに効いているリビングルームの床に互いが正座し、まるでこれから禅問答が始まるんじゃないかと思わせる様相を呈してきた。
静まり返った中で、はぁ……と生意気にため息を吐いたオリオンが先制して話を再開する。
「とりあえず追想武装についてはいいから、それは大事に持っとけよ。金にはならねえだろうし」
一颯がハッとして握っていた宝石を見た。どうやら彼から強奪したことをすっかり忘れていたようだ。
「分かったわ。あと、私からも聞きたいんだけど」
「なんだよ」
「君──どうやって宵世界に帰るの?」
宵世界に帰る方法?なんてことはない、梓塚は宵世界に近い状態であるため魔法で扉を開けばいつだって帰ることができる。
そう、魔法で扉を開ければ、だが。
「あぁーッ!!」
オリオンが天変地異でも起きたかというくらい慌てている。
自分の両手を何度もチラチラ見たりなにもないかと思えば次は強く念じていたり、また奇行を繰り返した。━━特になにも起きなかったが。
「魔力が無さすぎる……!!」
「つまり?」
「帰れない!!」
血相を変え立ち上がって何度か腕を振り、右手を前に突き出して一颯には聞き取れない言葉で喋ったりしたが、なにも起きない。正確には間抜けにガスが抜ける音がしただけだった。
「剣も出ねえ!!」
そういえば彼は剣を出すとき鞘から抜くのではなくどこからともなく呼び出していた。それも魔法だったらしく、魔力の足りない体ではどうあがいても剣は現れなかった。
「嘘だろ……死ぬか、クビ切られる前に……」
「物騒すぎない!?」
「あのなぁ剣士から剣とったら何が残るんだよ!!」
「士?」
「そうじゃねえ」
冗談だ。さっき笑えないジョークをかまされたので仕返しのつもりだったが、彼は深刻そうに頭を抱えて「あぁどうしよう…」などとボソボソ独り言を話している。
なにも知らない側からしたらそんな大袈裟な、と思ったが彼からすれば本気でピンチらしい。夜中の惨事が可愛くみえるとまで言っていた。そこまでか。
「どうして魔力が足りないのよ、寝たら回復するんじゃなかったの?」
「それは使った分によりけりだっつの。昨日は治癒魔法と魔力譲渡が余分に含まれて…しかも普段あんまないような怪我もしちまったし」
「ん──?」
今、魔力譲渡を余分と言わなかったか?
「もしかして私のせい!?」
「あ? まぁ7割くらいは」
「な、な、なんで先に言わないのよ!」
「えぇぇ!?」
理不尽だ。
こういう事情があるから追想武装に関する詳細も、彼女に気を使ってあまり説明しなかったのだが、地獄耳なのか一颯はただの独り言すら聞き逃さなかった。
「だって、それはえっと……私の責任なんでしょ?慰謝料とか払えないし…」
「慰謝料なんて───」
いらない、と言う前に彼の中で超絶名案が浮かんだ。
一颯が責任を感じているなら、この条件は絶対飲むに違いない。いいや、飲んでもらなわければ困る。
ここからは膝を突き合わせての交渉タイムだ。
「そうだな、じゃあ俺が全快するまではここで生活させてくれよ」
「生活? …衣食住の提供ってこと?」
「ま、そういうこった」
オリオンが明世界に来る理由は「異形討伐」の一点のみ。
魔装束と剣と、たまにパンを持ってくるだけでそれ以外は必要ないと判断して置いてくる、よって着の身着のままで食事はない。当然だが通貨も異なるためお金はなければ住む場所なんてあるわけがない。
生きていくため、魔力回復するために食事や寝床は重要だが、甲冑ではないと言ってもさすがにこの姿は目立つだろうし服もほしいところだった。幸い、男女の違いはあれど一颯とオリオンは体格が似ている。彼女のお下がりでも彼は問題なかった。
そして一颯も、彼がこの家で生活することに問題は感じていない。両親との距離が冷えきって冷戦状態だからこそ、他に住民がいるのは少しありがたい。
「どうせ一人だし、君が良いならそれでもいいわ」
「よし!」
「ただし! 私からも条件があるわ!」
「へ…?」
一颯が提示した条件は、家事を手伝うことだ。責任を感じるとか慰謝料とか言ってたのに随分上からだとは思ったが、どれほど事が重大かをまだ微妙に把握できない彼女から見たら最低限働くくらいしないと割に合わないと言いたいのだろう。
オリオンだって掃除くらいなら構わないと思った。機械類は使い方を聞けばいい、むしろ動かなければ体はどんどん鈍ってしまう。多少の運動は大事だ。
これにて交渉は無事成立した。一颯はオリオンに生活環境を与え、オリオンは一颯の家事を全面的にお手伝いする。ルームシェアやカップルの同居感覚と思えばいいだろう。
だが終わりじゃない、まだ本題が残っている。
「イブキ、」
「なに?」
「この話は断ってくれてもいい、まだ宛はあるしな。それを承知で聞いてくれ」
俺の魔力が回復するまでの間、代わりに異形と戦ってくれ。
一颯はその一言を真剣に聞いてくれた。
異形と戦ってほしい────それは彼女に、命のやり取りをしろと言っているのと同義だ。
彼女は彼が殺されかけたのを目の前で見ている。戦う力は確かにあるが、同じ目に遭うかもしれないのに戦場に立てとは無茶苦茶な話だ。
自分の身は誰だって可愛いのだから、普通なら100人中100人が断るだろう。
前置きした通り宛があるにはある。しかしその相手がそう簡単に首を縦に振ってくれるかと言えば、多分NOだ。なにも言わずに断るだろうし、そもそも梓塚のどこに住んでいるのかもオリオンは知らない。
「もし私もその宛の人も断ったら、どうなるの」
「さぁな。俺は戦えないし向こうから援軍も来るとは思えない、また誰か死ぬかもな」
宵世界ではこちら以上に死が日常的なのか、彼はしれっと言い切った。
実際、そんなことは起きないと断言はできない。残酷だが彼の言う通り。ただの噂だ都市伝説だとバカにして死んだ若者たちの姿を一颯は見たじゃないか、あれが現実だ。
断ってもいい。ただしその場合、人は死ぬ。夜は無法地帯と化す。オリオンの頼みはある意味脅迫に近かった。
他人を死なせたくなくば自分を犠牲にしろと、自分はそうして戦っていると。
「私、やるわ」
危険性も死の恐怖も、全てを承知して一颯はYESの返事をした。
最初から一颯に断るという選択肢はなかった。
何故か、月見一颯にとって立花雪子の自己犠牲は消えない記憶として決して忘れないよう染みついてしまった。
雪子が死んだ直後は死にたくないと思っていたはずなのに、あんな風になりたくないと自分のために走ったはずなのに、工事現場に突っ込んだ彼を見た瞬間、人が死ぬことに今までとは違う恐怖を得た。
深夜眠りに就く前、何度もフラッシュバックするあの最期を思い出しては、"雪子のように人を守れる人間になれたなら"、そんな風に考えてしまう。
そして、未だ知れない感情に心ざわめかせる少女に花畑の男が言うのだ。
"残酷な現実から目を背けるな"
彼女はオリオンが頼むまでもなく自分から彼を手助けすることをその夜の時点で決めていた。自分にできることは恐らくその程度だから、と自嘲しながら。
きっと凡人から見れば今の彼女は歪んでいるのだろう。しかし、オリオンにとってそれはどうだっていいことだ。
彼女の中で変化した性質より、今の返事とこれからだけが重要で、オリオンは戦う彼女を支えることだけすればいいんだから。
「いいんだな?」
「まだ分からないことの方が多いけど、そこは君が教えてくれればいいから」
彼女からの申し出はありがたいことだ。剣の腕も魔法も訓練生以下の彼女に教えられることは多い。
「そんじゃあ改めて、よろしく」
二人は固い握手をし、契約は結ばれた。
一颯がオリオンの代わりに戦う。その具体的な期間は不明だが、完全回復を目指すなら約1週間ほどで復帰できる。
それまでは昼に稽古、夜に本番の形で場を持たせる。彼女の戦闘のセンスの良さは昨晩ではっきりと分かっているし期待値は高い。
問題は剣の実践訓練をする方法がないことだ。
「剣の稽古……おじいちゃんが剣道やってたから、おばあちゃんの家に竹刀がまだあるかも」
「シナイ?」
「竹でできた剣って言えば分かる?」
「へぇ…竹ってそんな使い方あるんだな」
それ以外でどんな用途があると思うか彼に聞いてみたが、「タケノコって旨いよな!」と頓珍漢な返事をされた。
竹刀があるなら素振りに使う木刀もあるはずだ。もしかしたら彼はそちらの方がお気に召すかもしれない。
祖母の家は尾野川の隣町・笹口にある。ここからなら電車で15分ほどだ。
完全なサプライズになってしまうが、彼を連れて行っても驚いたりはしないだろう。見た目がすごく童顔だから勘違いされることもない、たぶん。
「じゃあ出掛けましょうか」
「おう!」
「あ、でも服……」
サイズは一颯のものでも大丈夫。しかしボトムスはショートパンツやスカート、女性ものばかりで彼に履かせるには無理がある。足のサイズもさすがに一颯と比べたら大きいようだ。
まずは笹口の更に隣町、ここよりは都会の浜津まで行き、彼の服を買うところからだ。お財布の中身は有り余っているが予想外の出費に肩を落とす。
「とりあえず、上だけ羽織って隠してよ。クローゼットに使ってないジャージあるから」
「わ、わかった!」
カーテンの隙間から見える空は快晴。雲ひとつ見当たらない、まさに晴天。さぞかし暑いことだろう。
残念だが、一颯の心は土砂降りで大雨洪水警報発令中。
戦うことよりこれからのお財布事情の方がよっぽど手痛い気がしたのは、正直ここだけの話だ。
「あ、おかゆ忘れてた……」
ここからは用語解説です、読み飛ばしても大丈夫です。
*追想武装
宵世界の人間が持つ魔力を明世界の人間が受容し、形とした魔法装備。
陽魔力が宵世界の魔力を受けて融合した状態のため、明世界または宵世界の人間同士では装備できない。
宵世界の研究者の中にはこの追想武装に関する謎を追う者もいるらしい。
*陽魔力
明世界の人間が持つ魔力。
普通の人間は生命力を魔力に変換することすらできないためとても希少。一部は宵世界の住民とも変わらぬ魔力を持つ人間がおり、一颯はその一人。
追想武装の強さはこの魔力の量にも反映される。
*明世界と宵世界
一颯の住む現代の世界が明世界、オリオンの住む魔法の世界が宵世界と呼ばれる。
宵世界の住民は二つの世界を分けるためこの呼称を用いている。
*魔装束
宵世界の戦士が纏う魔力で編まれた鎧や衣服を指す。
オリオンはこの装束で戦い、普段は自身の魔力と同化させることで不可視化し隠している。
見た目とは裏腹に強固な防護魔法がかけられているため、布でありながら鎧以上の防御力を持つ。破れても大抵は魔力で修復できる。