0-1 Prologue.1
文章がイマイチまとまらなかったのでこのまま投稿します。
厨二病的な設定が苦手な方は非推奨。
誰かを愛した者がいた。
誰かを憎んだ者がいた。
誰でもない、たった一人の存在がそこにいた。
ヒトとは誰かの不幸を浪費せずには幸福を得られない生き物だと過去に男は嗤った。それを否定する材料がなく私は反論の余地を失った。だが彼はそれでもヒトの幸福と明日への生を願い、剣を抜き、己の身を焼いてでも立ち上がって、強く生き抜いた。
私はその姿を美しく、儚く、残酷であるとしながらも傍を離れることはできず、舞い散る花が踊る草原で彼が駆ける背を私はいつまでも眼に焼き付け、記憶はいつまでもその魂に刻まれた。
もしも彼と出会わなければ、もしもあの日宵が支配する月下に足を踏み出さなければ、始まることも終わることもなかった物語。それも今、傷だらけの彼が終わりを告げようとしている。
「此処で、──君の夢の中で生きている」
泡沫が産み出す奇跡の憧憬。
その輝きを、私は忘れない。
『ANASTASIA』
太陽の輝きが花の楽園を照らす。その日は雲一つ見当たらないほどの晴天だった。
時間の概念を失った世界の境界線、森に囲まれたその大地には優しい風に揺られ常に花弁が舞い、見たことも聞いたこともない花が咲き誇る。この異質な空間はまさに"花の楽園"と言うに相応しい。
とはいえ彼には見慣れた光景だ。ここで産まれ育ち、毎日毎日飽きるほど同じ光景を見てきた。今では綺麗だと感じてもそれ以上ではない。
だが今日は違う。その非凡であり平凡な日常には大きな変化が訪れた。
いつものように目覚めたはずの彼はいつものように楽園を見下ろす大魔術師によってとんだ災難を押し付けられた。
その名は「おつかい」だ。
それもただの「おつかい」ではない。…というのも彼の経験から来る推測だが、時に凄まじい気まぐれを発揮するこの同居人は過去に何度か「おつかい」と称して彼を楽園の何処とも知れぬ場所へ送り出す。仕方がないと嫌々ながら出掛けていきどうなるか、大体はどう考えても倒せっこない巨大な怪物が現れて逃げ帰るか労力のわりには大したことのない収穫に絶句するか、それが今晩の食事の材料であるかの三択である。それはそれはもう今回もロクなモンじゃないと思うのだ。
実は毎度騙されているのに頼まれたら断らない彼もどうかしている、と魔術師はいなくなった後に爆笑しているのを彼は知らない。
魔術師に関してはどれだけ罵倒しようと話題が尽きないため彼は「おつかい」の内容に目を向けることにした。
行き先は今までで最も遠い湖だ。歩けば半日とちょっとくらいだろうから戻るのは夜になるだろうなと内心ため息を吐く。
其処は霧の中に隠されている美しい秘境だと魔術師は語る。同時に「アレは素晴らしい観光スポットになるんじゃないかな? この花畑とセットでツアーを組んでさ、ねえ良いビジネスと思わないかい?」などと宣っていたが、そもそも此処に人間は来ないため無理だと本人が一番分かっているはずだ。なので彼は冗談も休み休み言えと辛辣な言葉を返しておいた。
しかし妙なのは湖についてだ。かつてその湖は精霊が守護し、血みどろの戦場から一人の騎士が涙ながらに持ってきた"大切なモノ"を守っていたという本を読んだことがある。
魔術師の話を思い出すに、どうやらその大切なモノを持って帰ってきてほしいとのことなのだ。
もしか、今回こそはお宝なのではないか?
と、思わず怪しい笑いが声になりかける。
期待に胸が膨らみ、好奇心は大地を駆ける。走り出した花畑の先に期待以下の最底辺があったとしても伝承が残る場所への旅は若干の楽しみはあるものだ。
しかしてそこには現実が広がっていた。
眼前に広がる湖、透き通って底まで見えるのに生き物の姿は見えないし気配も感じない。ただそこにあるのは、かつての王が抜いた剣を彷彿とさせる聖なる剣。
ただそこにあるだけで別次元の存在感を放ち、それ以上近付くことすらできないほどにまばゆく、黒い夜に燦然と輝く星を思わせる美しさに目を奪われてしまいそうだ。
──まさか、この輝く剣がそうなのか。
どう考えてもこれは最早「お宝」なんかで済むようなものじゃない。なんらかの手段で売り払っても値には替えられない、職人に頼んでも同じものは絶対に造れない、どんなに高名な剣士であってもこの剣を持つことはない、曖昧なのに具体的な否定の言葉が巡る。これを自分が持って帰っていいのか、静寂という名の圧迫感に圧されてしまう。
だがここでずっと棒立ちしているわけにはいかない。おつかいを果たして帰らなければくぅくぅと鳴っている腹の音も収まらない。
それに、彼はなんとなくだがその剣を抜かねばならない気がしていた。
16年をこの小さな世界で生きてきて常に感じていた"停滞"は剣の腕を磨いたり、魔法の修行をしたり、なにをしても変えることができなかった。なのにこの剣を抜くことだけが止まった時計の針を動かせる要素である、という信じがたい直感は最初の一目見た瞬間に頭の奥からその後の未来を描き出すかのように彼の背中を押している。
『今日は君におつかいを頼みたいんだ』
頭の中で今朝の出来事がリピートする。
花畑で魔術師が言ったように、彼は一歩ずつ進み、サファイアを溶かしたような湖の冷たい水の中へ歩みを進める。
『難しいことじゃない、簡単なことだ』
それを手にすればなにが始まるかなど知る術はない。ただ実際のところ彼には、その剣を抜くこと以外にその先の未来を得るため資格がないと強い確信があった。
進むしかない。停滞は死だ。
この花の楽園で誰に知られることもなく生命を終えることになる。そんなのは嫌だと永い永い時間のほんの塵にしかなっていない命が叫んでいる。
『花畑を歩き、森を抜け、丘を越え、湖に辿り着き、剣を抜いてきてほしい』
中央に浮かんだ剣を掴み取る。まだ昼だというのに肌寒い夜のような風が肌を刺しているのに、流れ星が砕け散る瞬間の熱に身体の内部を融かされているような気がして身体が震える。
だからと言って怯えて手を離したりはしない。
手から伝わる魔力はその剣が如何なる"聖剣"であるかを教えてくれる。
『それは君の始まりを告げる剣』
かつて精霊が護り続けた静寂の湖。
その静けさを切り裂くように紅く燃える炎のごとき剣を彼は抜いた。
己の運命を知る覚悟と共に、退屈と怠惰だけが残された止まった日々の変化を求めて。
「君という夢の物語の、ね」