フリーマーケット
その日は普段より早くに目が覚めた。
子どもを産んでからというもの、細切れにしか睡眠をとれない生活が続いている。眠りのリズムがいよいよ狂ってきたのだろうかと思いながら、私はできる限りそうっと身体を起こした。
熟睡など久しく縁がなかったのだが、毎日蜘蛛の糸のように全身に纏わりついていた倦怠感が、不思議なことにすっかりと消え失せている。
昨夜も遅かったのに。深夜とも早朝ともつかないおかしな時間帯に、娘のむずかる声で起こされたというのに。──まあ、いつものことだけれど。
一歳半の娘は寝つきが悪く、ちょっとした物音でもすぐに目を覚ます。新生児の頃からその傾向はあったが、近頃とみに顕著になってきた。
日中たくさん遊ばせるだとか、お昼寝の時間を変えてみたりといった工夫は思いつく限り試したものの、今のところ効果はあまり見られない。
起きてすぐに我が子の様子を確認するのはとうに習慣と化していた。
娘は小さく平和な寝息を立てている。寝相はいい。ときおり唇をもにもにと動かすのが可愛らしかった。夢でも見ているのかもしれない。
ふと視界に夫の寝姿が入ってきた。寝相の良さは夫譲りなのだろうか。皮肉な気持ちが胸をざらりと撫でる。彼は寝入ったら決して起きない。娘が泣こうが喚こうが我関せずとばかりに掛布を頭からかぶり、そのまま朝までほとんど身動きしないのが常だった。
娘がよく寝ている今のうちに朝の家事を済ませてしまおう。
夫を意識から締め出して、私は寝室を後にした。
*
「たまには息抜きしてきなよ。葵は俺が見てるからさ」
そんなことを言って、夫は私を外へと送り出してくれた。
思いもよらぬ休息を不意に与えられた戸惑いは大きい。夫自身も久しぶりの休日なのに。先日まで昼も夜もなくかじりついていた仕事は一段落ついたのだろうか。
様々な考えが脳裏を過ぎったが、結局ありがたくお言葉に甘えさせてもらうことにした。夫に対して厭な気持ちを抱いてしまった引け目や自己嫌悪は、夕食に彼の好物を揃えることでごまかすことにした。
馬鹿正直に心の内すべてを相手にぶつけていたらお互い身がもたない。だからこれでいいのだと納得し、歩き始める。
なにぶん急なことだったので、きちんとしたメイクをしておらず小洒落た店には入りにくい。せいぜい近場をぶらりと散策して、帰りに少し買い物をして。二時間ほどなら夫でも娘の面倒をみられるだろう。オムツは替えたばかりでご機嫌もまずまずだったし、最近は後追いも落ち着いているし。
「……あら」
考え事をしながら歩いていたせいか、気がつくと意外にもけっこうな距離を来ていた。
見慣れた公園が、華やかに飾りつけられている。娘の元気があり余っている時たまに連れて行く、遠いほうの児童公園。敷地全体に無数の敷物やテーブルが配置され、陽気な音楽が流れる中を、少女たちが笑い合って覗いていく。
フリーマーケットだ。
新品と見紛うような古着や帽子。ハンドメイドのアクセサリー。小型のゲーム機、ジグソーパズル、文房具などなど。色とりどりの大小様々な品物が、公園を埋め尽くすように陳列されている。
吸い寄せられるように近づいてみて分かったのだが、それらを売る人々もまた個性的だった。ハート形のサングラスをかけた年輩のご婦人の目玉商品は凝った模様の手編みセーター。いずれも体格の良い大学生くらいの男の子たちは、照れくさそうにキルトのブックカバーを並べている。
考えてみれば、ひとりでゆっくりと商品を見て回るなんて一体何年ぶりだろう。子どもの泣き声や夫の苛立ちまじりの視線に気を揉むことなく、自分のペースで身軽に行動できることの、この心地良さときたら。
解放感と心細さとに交互に揺られつつ、誘われるように奥へと進む。
刺繍ハンカチ、石鹸。ティーカップセット、真鍮細工のついたヘアゴム、古本。まるで色彩の洪水のようだと目を細めて、ふっと笑いたくなった。家事育児に必死で周りを見る余裕のない主婦には、ただのフリマがこれほどまでにまばゆく映るのだ。「お姉さん美人だからとっておきの商品を出しちゃうよ」だなんて、百パーセントのお世辞と分かっているのに頬に朱がさしてしまう。簡単お手軽。気分転換まで所帯じみている。
でも、近所のフリーマーケットくらいが気楽でちょうどいい。そう思うことにした。気取って高望みをしても不満が溜まるだけ。何事も身の丈に合ったものが一番だ。
帰り道、どことなく夢見心地のまま購入した品物を眺めながら、私は首を傾げた。
掌サイズのウサギのぬいぐるみである。白くて柔らかな体と青い瞳。他にこれといって飾りはない。商品タグも見当たらない。誰かのお手製に違いないが、既製品のように上手く誂えてあった。
他にも目を惹くような小物や実用品がたくさんあったのに、なぜこれを選んだのか思い出せない。気づいたらなんとなく購入していたのだ。もしこのウサギがワンコイン──百円だ、もちろん──以上の価格だったなら、衝動買いをするタイプではないと自任していたのは思い上がりだったのかもと不安になるところだった。
家に戻り、玄関でぬいぐるみをシューズボックスの上に載せてみた。ちんまりと収まった白ウサギは、優美なブルーアラベスクの花瓶と並べると一層愛らしく可憐に見える。
私は満足し、家の奥へと声をかけた。こういう可愛いぬいぐるみを自分で作れたらさぞ楽しいだろうなと、頭の片隅で考えながら。
⁑
変化はその夜に始まった。
お風呂に入れようとして普段どおりに娘をバスルームへ促したら、突然廊下で棒を飲んだように立ち竦んだのだ。
目を見開き、あらぬ方向を凝視して、娘は一歩も動かなくなった。いつも盛んに声を上げておしゃべりする子が息すら潜めて硬直する様はとても尋常のものではなく、ひきつけでも起こす前兆ではないかと思って一気に全身の血の気が引いた。
娘の視線を追っても何も見当たらない。ただ普段と何ら変わりのない廊下と、その先に玄関が続いているだけ。
握りしめた小さな手がわななく。必死に身体を抱え込んで娘の顔を覗き込むと、徐々に肩が上がり、薄い胸が不規則に震えるのが感じられた。
凍りついていたのはほんの短時間。そのあとは一転して、爆発のような大泣きだった。
驚いた夫が廊下まで見に来るほどの声を上げて、娘は泣いた。泣きながら全身でしがみついてくる。ひどく逼迫した、無限の玉簾のような涙。胸元や肩まわりが瞬く間に濡れていく。
訳もわからず、私は狼狽えた。激しく泣く娘を前に為すすべがなかった。ただ抱きしめて様子を探るだけ。
どうやら痙攣や発熱ではなさそうだと胸をなでおろす頃、ようやく号泣が収まった。
寝室で身体を拭いてあげると気持ち良さそうに笑顔を見せてくれたのだが、心に噛みついた不安は去ってくれそうにない。
今までに見たことのない泣き方だった。直前までご機嫌だったのでなおさら腑に落ちない気もする。
ギャン泣きなどという可愛らしいものではなく、形容するなら『火がついたように』だ。理由の推し量れないその急変ぶりが恐ろしかった。
ひょっとしたら、急に二時間もの間そばを離れたのがよくなかったのだろうか。
翌朝にでも地域の保健師さんに相談してみようと決めるまで、眠る娘から視線をもぎ離すことができなかった。
***
原因は、三日と経たないうちに炙り出された。
私がフリーマーケットで買ってきたウサギのぬいぐるみ。娘はそれを嫌がって泣くのだ。
廊下に出るたびに様子がおかしくなるのではなく、ウサギのいる玄関に近づくのが駄目らしい。半信半疑で試しにウサギを居間に移してみたら、今度はその部屋へ入るまいと手足を突っ張って抵抗するのだ。さらに場所を変えても同じことの繰り返し。
激しい反応を示す娘に無理強いをするのも躊躇われて、私は首を傾げた。不可解なことだ。新しくても古くても、一歳半の幼児らしく身の回りの物にはひとしきり興味を示す子なのに。
目の届かないところへ遠ざけておけば平気かと思い、寝室据えつけのキャビネットの中にしまってみたが効果はなかった。まだ娘は意味の掴める言葉を話せないけれど、大泣きという極端な手段で気持ちを伝えてくる。抱き上げても泣きながら大きく反り返って、何度も腕の中から取り落としそうになるほどだった。
極めつけが、ウサギを手に持っている間、娘が私に決して近づこうとしなかったことである。
確信を抱くに至った私は嘆息した。お世辞にも広いとは言いがたい賃貸住まい。これでは家の中のどこに隠しても生活に差し障りがあるではないか。
いちおう帰宅した夫に相談を持ちかけてはみたものの、予想と寸分たがわぬ気のない返事しかもらえなかった。もとより期待などしていなかったけれど、その他人事のような態度がやはり若干腹立たしい。
一体なんなのだろう。
答えの出ない疑問に絡めとられるうち、可愛らしいと思っていたはずのぬいぐるみが徐々に気味悪く感じられるようになっていった。とりあえず購入したときのラッピング袋にしまい直し、さらに厚手の紙袋に入れてテープで留めておく。どうにも妙に気が咎めて仕方がなく、棄てるという選択肢を選べなかった。
それからすぐに、ぬいぐるみは隣町から遊びに来た姉が引き取っていった。
不用品を集めていたところだったからちょうどよかったと、喜んで袋ごと持って行ってくれたのだ。
小学校のバザーに出すのだと言う。
以来、私は、ショップにある正規品しか買うことができない。