森にて 1
夕暮れ時。太陽が半ば山の陰に隠れ、世界を朱色に染めあげる昼と夜の境界。
赤く染まった森の中。その中の一角では、木々が切り倒され粗末な木製の小屋が点在していた。
その小屋の一つ。もっとも大きく、つくりも立派な小屋。その中で、うろうろと行ったり来たりしている大男が一人いた。身長は2mを優に超えている。肌は浅黒く、その顔はブタ。醜悪に歪んでいる。丸々と太った胴体から妊婦のように巨大な腹が突き出ている。
彼は苛立っていた。
半日前、彼はいつものように部下たちを狩りに行かせていた。狩りは通常、五人で一つのパーティーを作って行う。狩りの為に集落を出ることが許されるのは、いずれも精鋭ばかり。戦士として優秀なもの。手先の器用なもの。斥候として優秀なもの。力自慢のもの。それぞれの得意分野は異なっているものの、彼らが選び抜かれた精鋭であることは間違いない。
そのはずなのだが……
ドンっ!
苛立たしげに机をたたく。固く握られた彼の拳は、まるで巌のよう。木製のテーブルを容易く打ち砕く。ガチャンという音。床に落ちた食器類の割れた音だ。
「GYUUUUUUUUUUUU!!」
彼は吠える。狩りに出かけたパーティーの一組。それが今になってもまだ帰ってきていなかった。
一人か二人ならばいい。狩りに犠牲はつきものだからだ。事故は避けられない。この森全体を彼の部族が支配しているとはいっても、反抗的な種族がいない訳でもない。それに、そもそも、スライムなどの種族は知能が低すぎて支配などということを考えることもない。
故に、ある程度の犠牲は織りこみ済みだ。だが、パーティーが丸ごと一つ行方不明というのは異常だった。
屈強なオークが五人! それが一度に失われるとは! オークは、たったの一人でも強力な種族だ。ゴブリン程度であれば、一人で100匹を相手取る事すら可能だ。
この森にはオークの五人組に勝てるようなものはいないはずだ。少なくとも、これまでは見たことも聞いたことも無い。
となると、相手は森の外からやって来ていることになる。
別のオークの部族か? あるいはオーガ? ニンゲン? トロール?
オーガだとするとかなり不味い。オーガの肉体は非常に強靭で、単純な肉弾戦では勝てないからだ。
ニンゲンもまた問題だ。ニンゲンは、一人一人は弱い。
しかしながら数が多い。ニンゲン達は、農耕を営むことにより安定的に大量の食糧を生産することに成功しており、その数は圧倒的だ。
それに加えて問題は、ニンゲン達が生み出す道具類にもある。オークもまたある程度は道具を作ることが出来るものの、ニンゲンのそれには及ばない。ニンゲンの作る金属鎧は非常に頑丈だし、その武器も脅威足りえる。厄介な相手だ。
だが、相手がオークの別種族やオーガ、ニンゲンならば、対処のしようもある。
トロールに至っては目も当てられない。北の密林に生息しているトロールがこちらにまで生存圏を広げているのであれば、手の施しようがない。抵抗しようとしたところで、巨象に挑む鼠の群れのように蹂躙されるだろう。
文字通りの意味で、尻尾を巻いて逃げ出すしかない。
「GYUUUUUUUUUUUUUU!!」
不快感から唸り声を上げる。情報が不足していた。まずは相手が何者なのかを確認しなければならない。
彼は、足音も高く小屋から外に出る。
「センシチョウ!」
大男の怒声。その大声は山々にこだまし、集落全体に響く。
反応はすぐに帰ってきた。集落の片隅で、複数のオーク達と何ごとかを打ち合わせていた一人が、集団から離れて彼の元へと向かう。デップリとした腹部の脂肪をブワンブワンと振るわせながらも疾走したそのオークは、彼の眼前に来ると跪く。
「ココニ、オウヨ!」
「ジョウホウヲアツメル! オレガイク! モットモツヨイセンシヲゴニンセンバツセヨ!」
「ハッ!」
センシチョウと呼ばれたオークは言葉少なく返答する。
「オマエハノコッテセンシタチヲアツメテオケ! アイテガベツノブゾクナラセンソウニナル!」
「ハッ!」
彼はその返答に満足感を覚える。戦士長は、王である彼の言葉に異を唱えないからだ。何かと王の決定に口を出したがる長老連中とは段違いだ。
「イケ! スグニジュンビスルノダ!」
「ハハッ! タダチニ!」
戦士長はすぐさま立ち上がると、先程と同様に大きな腹を震わせながら走っていく。
「セイレーツ!」
戦士長の怒声が聞こえてくる。その声にこたえて、屈強なオークの精兵たちが直立不動の姿勢を取る。
「オマエ! オマエ! オマエトオマエ! ソレニオマエ!」
戦士長が五人のオークを次々に指さす。その五人の戦士は彼も見知っていた。間違いなく精鋭と呼べる戦士たちだからだ。
「オウトトモニ、ユクエフメイパーティーヲソウサクセヨ!」
「GHAAAAAAA!!」
威勢のいい返答が聞こえる。そんなオーク達を横目に見ながら、彼は考える。一体、相手は何者なのだろう? 出来れば事故の類であれば良いのだが……。その可能性はない訳でもない。ここ数日は長々と雨が降っていた。もしかしたらその影響でどこかで土砂崩れが起き、それに巻き込まれたのかもしれない。
だが、そこまで考えて彼は首を振る。そのような思考は楽観的に過ぎる。考えなければならない。相手は何者か? 交渉は可能か? 退却するとして、退路は? 考えるべきことは山のようにあった。
やがて、五人のオークが彼の元へと駆けてくる。彼は思考を中断。早速、出発の合図をする。まず捜索すべきなのは、南。行方不明のパーティーが向かった方向だ。大雨の影響で地面はぬかるんでおり、足跡がはっきりと残っている。追跡は難しくないはずだ。
~~~~~ ~~~~~
星明りに照らされながら、暗い森の中を四人の男女が歩いていた。先頭を行くのは身長200cmの大男たち。ブタ顔のオークだ。
その少し後ろを、更なる巨体を持った男が歩く。その男は余りにも大きく、200cmのオーク達がまるで子供のよう。そんな大男が漆黒のトレンチコートを着てサングラスをしているさまは、まるでギャング。彼がショットガンでも持っていれば、遥か昔の平面映画に出てくる未来からの暗殺者を連想するであろう。
最後尾を歩くのは金髪赤眼の少女。彼女は集団の中で浮ついている。整った顔立ち。着ているのは紺色のセーラー服。少女の醸し出す清楚な雰囲気は、良家の令嬢といっても違和感を抱かない。そんな彼女は、すらりとした肢体に不釣り合いなほど大きな胸を実らせている。先頭を行くオーク達がちらちらと振り返っては彼女の胸部へと視線を向けているのは、ご愛嬌といったところか。
そんな四人の集団。彼らは夜のとばりの降りた森を歩いているが、その足取りに危なげな様子は全くない。その内の二人は機械兵だからだ。電子の目と暗視装置を内蔵しており、夜間だろうと地下であろうと、行動に支障はない。
残りの二人のオークにしたところで、危なげなく森の中を進んでいる。野生生物と同じように、夜目が利くからだ。
そんな四人が向かっているのは、北だ。遺跡を出た後、周辺を捜索した結果、何もないことが分かったからだ。
恐らくは何らかの事故によって、本来の転移先とは違う場所に出てしまったのだろう。これは十分に考えられる事態だった。何せ、あの魔法陣は本来、人間の少年を運ぼうとしていたのだ。横から強引に転移対象を変更させている以上、何らかのトラブルが生じている可能性は十分にあった。
問題は、そのトラブルの程度だ。精々が数キロ程度の誤差で転送されたのだがいいのだが……。これが数百光年もずれていたりしては、彼らにはお手上げだ。彼らが無事に原隊に復帰できるかどうかは、航宙艦隊の努力次第ということになる。たかだか二体の機械兵が行方不明になっているからといって、艦隊が本気になって彼らを捜索するとは思えなかったが。
いずれにせよ、二人の機械兵には、救援を黙って待つなどと言う消極策を取るつもりは全くなかった。そこで、取り敢えずは周辺の森全体を捜索することにしたのだ。
北に向かっているのはただの気紛れ――のようなものだ。本当は少しだけ異なる。足跡を見る限り、五匹のオークが北から遺跡に進入したのが明らかだったからだ。そこで、特に行く当てのない機械兵たちはそちらへと向かってみることにしたのだった。
「しかし……ステラがオーク好きだったとはな」
くくくくく、という笑い声と共に、テッドはそう呟く。
「別に好きではありません」
ステラのすねたような声が、後ろから帰って来る。
「何も隠さなくてもいいだろうに。先程からチラチラとお前のことを振り返っているではないか。オークはオークで中々愛嬌があるものだな」
「あれは愛嬌とは言いません! 性欲ですよ! 性欲!」
ステラの返答。その声はヒステリー気味だ。
「そんなに嫌なら殺してしまえばいいだろうに」
憲兵隊司令部はむやみやたらに異世界人を殺して回ることは禁止している。だが、相手が唯のモンスターなら話は別。ブタ顔の化物を殺したからといって、問題になるようには思えなかった。
「そう言う訳にもいきません! あれはアレで何かの役に立つはずです」
ステラの反論が聞こえる。やれやれと、テッドは内心でかぶりを振る。面倒なことになった。なぜこうもオークを連れて行くことにこだわるのやら。テッドにはステラの思考が理解できなかった。
「何かとは? 何の役に立つというのだ?」
「そのうちです!」
「その内ではわからないのだが?」
「その内はその内ですよ。未来に何が起こるかわからない以上、役に立つかどうかは未来になるまで不明です」
自信満々な返答をステラが返してくる。一方で、それでは説明になっていないと、テッドは内心で唸る。
「例えばどんな状況で役に立つと考えているんだ?」
「例えば? そうですね……」
ステラは考えるような仕草を見せる。ややあって、説明を始める。
「召喚魔法装置は、厳重に防護されていることが多々あります」
ステラがそう指摘する。これは事実だ。今までの事例から言っても、召喚魔法装置は城や要塞、協会など、厳重に防護された場所に存在している。
「ふむ。それで?」
テッドは続きを促す。
「この場合、私たちが元の世界に戻るのに、厳重に防衛されている拠点を攻略する必要があります」
「なるほど」
テッドは相槌を打つ。
「である以上、戦力アップはやっておいて損ではありません。幸いこのオーク達は従順ですし、手駒として使ってもいいのでは?」
こいつらが従順なのはお前が股間を踏み抜いたからだろう、とテッドは思う。要するに恐怖で縛っているのだ。戦場という、同じく恐怖が支配する場所に追いやった場合、オーク達が従順に戦えるのかは疑問だった。恐怖心から逃げ出す可能性は十分にある。
しかし……
悪くない考えだ、とも思う。この世界の魔法文明がどの程度なのかは不明。異世界人との戦争はほとんどの場合一方的に蹂躙して終わりだが、いくつかの戦争では機械兵にも損害が出ている。
別に死を恐れている訳ではないが、彼らが壊れてしまっては、本国に報告を上げることが出来なくなる。そうなっては、異世界人達が第二、第三の召喚を行うのを阻止することが出来ない。
ここは一旦帰還し、本国に報告。召喚装置を完膚なきまでに破壊すべく、改めて航宙艦隊を派遣してもらうべきである。
そうでなくても、手数は多いに越したことはない。単純に言って、取れる戦術の幅が広がるからだ。
「まあ、よかろう」
結局、テッドはステラの提案を了承することにした。
「可愛い部下の初恋相手だからな。人の恋路を邪魔していては、馬に蹴られてしまおう」
そう言って、ステラをからかって遊ぶのも忘れない。彼はしつこい男なのだ。何度再整備しても治らないと、管区憲兵隊機械兵調整部を大いに嘆かせる彼の特質だった。
「だから違うって言ってるじゃないですか!」
そんな少女の抗議は、彼の耳に入らなかった。