絶望少年と希望少女
雲一つ無い晴天の空からジリジリと肌を焼く日差しが燦々と降り注ぐ人気のない公園。その端にある東屋から、風に乗り飛び去る桜の花びらを何となく眺めてた。流石は花見の穴場なだけあって至るところから花びらが飛び交ってる。むしろ多すぎるくらいだ。
世の学生共は進級や入学を済ませ新天地に不安と希望で胸を踊らせてる時期、俺は一人公園で何をするわけもなく緑茶を片手に、将来に不安と憂慮と煩慮で胸を疑懼で満たしていた。
この先普通に勉強して普通に働いて普通の暮らしをしたとして何もせずに日がな寝て暮らせる日が来るのはあと半世紀も先の話だと思うと生きるのですら面倒に思えてくる。俺の場合その日々は一生来ないかもしれない。
一層の事存在した証諸共この世から消えてしまえればどれだけ楽か。
思えば俺の十七年間は不運続きだった。
母親は家庭内暴力で十歳の時捕まり俺は犯罪者の子供として周りにいじめられた。父親も職場でぎくしゃくして耐えられず母親が捕まって二年後自ら命を絶った。
倒れる椅子と宙吊りの父親、異様なほどの寒気と異空間的な異質な空気が立ち込めるその光景はきっと一生忘れられないだろう。その光景は少年の心に一生物の傷として深く刻み込まれたのだから。
程なくして親戚の家を盥回しにされる日々が幕を開けた。もって二年、早いときは数ヶ月で家を追われ日本各地を点々としてきた。俺の唯一の幸運は養護施設じゃなくちゃんと家にいれた事だろう。
とにかくそんな状況で信じれる人なんてできるわけもなく、今日も今日とて一人でこうしてバイトまでの時間を潰している次第。
「はぁ」
「ため息吐くと幸せが逃げますよ」
「逃げる幸せなんて最初から無い、てか誰君」
「正義のヒロイン、平日の真昼間から公園で死にそうな顔した悪の手先をやっつけに来ました」
そう言うと自称正義のヒロインさんは緩くウェーブする亜麻色の髪をなびかせ幼い顔つきで悪戯っぽく笑った。
歳は高校生位だろうか、平均的な発育具合や膝上丈のスカートと白のポロシャツの制服を着てる事から大体の年齢は察せる。高校生という事は普通に考えて俺と同じ歳くらいか。
まぁこの子も言った通り今は平日の昼、ようするに俺も彼女も学校にいるべき時間だが俺も彼女も公園にいる。彼女は知らんが俺は単純に浪人した、だからこうして公園で気を紛らわしているのだ、全然紛れなかったけど。
だが彼女は何故ここにいるのだろう。今日は祝日じゃないし水曜日だから振替休日の線も薄い、となるとサボりとしか思えないが所詮他人事、気にする必要は無い。
「俺殺されんの?」
「正義のヒロインは人殺しなんてしません」
「てか初対面の人間に死にそうな顔って言うか普通」
「こんなのどかな公園で死にそうな顔した人の方がいませんよ」
「公園はな、子供は遊び青年は恋人に振られ大人はあの頃を思って死にたくなる場所なんだよ。むしろ俺は正常と言える」
「そんなこと言う人が正常なわけないですから」
「……結局何の用だ?」
「雨笠天さんですよね?」
あざとく笑い首を傾げる彼女は何故か俺の名前を知っていた。苗字も含めると俺の名前は割と珍しい部類に入る、そんな名前を知ってるのだからこいつはわかってて話しかけたに違いない。何を企んでるのか探る必要はない、取り敢えず否定しておこう。
「違う」
「違いませんよ、私知ってるんですから」
「仮にそうだとして何の用だ?」
「あれ、おばさんに聞いてないですか? 今日から私もおばさんの家に住むんですけど」
今朝ダンホールが数箱置いてあったけどそういう事か。と言うことはおばさんってのは藤岡の事か。
俺と藤岡夫妻との関係はお世辞にも良好とは言えない。顔を合わせても目も合わせないし、俺のバイト代の一部は家賃として彼女らに納められ、料理の食材や調味料も完璧に分けられている。勿論光熱費も携帯の通信料もだ。
だから目の前の女の質問の答えは自ずと一つだけだろう。
「聞くどころか半年位喋ってない」
「うわぁ、何かしたんですか?」
「まぁ親戚つっても他人だしな。お前は家のお隣さんに用もなく話しかけるか?」
「何が言いたいかは分かりました。話しを聞いてないということは私の名前も知らない訳ですし改めて自己紹介します」
「いやいい、どうせ覚えないし関わんないし」
「いやいや覚えましょうよ家族になるんですし。私は緋藍紫黄、女子高生兼正義のヒロイン。よろしくお願いします」
「雨笠天、アルバイター兼ネガティブの先駆者。よろしくしない」
差し出された右手を無視すると不機嫌そうに唸りながら引っ込めた。
一挙手一投足の全てが一々あざとい自称ヒロインは俺のことを知っていた。まぁあの家に住むならおかしくないか、藤岡夫妻は進んで俺の事を話はしないがこれから住むという人間に教えないわけにもいかない、話して当然だろう。
あの人たちの事だ、差し詰めこんなふうに紹介したに違いない。
『二階の隅部屋には厄介者がいるから近づくな』
あの人達に限らず親戚の人は俺のことを基本的に良く思ってない。親戚曰く母親が犯罪者になったのも父親が死んだのも全て俺の呪いのせいらしい。
いい歳した大人が呪いなんてのを信じて身寄りのない子どもを迫害する、人の悪い所をよく受け継いだ人達だ。単なる偶然に必然たる理由を作り広め、信じた人は束になって対象を迫害する。
関われば自分にも火の粉が降りかかるからと自分はなにも関係ないふりをする。関係ないふりをすれば本当に関係ないと信じきってる奴もいる、自分は関係ないから悪くないと信じて疑わない、俺の人生にはそういう奴ばっかりだ。
さて、目の前の自称ヒロインがそういう奴なのかどうかは知らないが俺は無関係のフリをする側の人間だ。こす狡いことしてでも無関係を示すタイプの人間だ。関係なんてもってもどうせ切れるんだ、そんなの要らない。
「結局学校にも行けなかったし家の場所も分からないし、道案内してくれますか?」
「俺なんかが案内したら呪われるぞ」
「えっ?」
「自慢じゃないが俺はこれまで関わってきた大半の人間を不幸にしてきた。両親もそうだし俺を預かってくれた親戚たちも殆どが離婚か調停中だ、俺はどうやらそういう星の元に生まれてるみたいだ、悪い事は言わねぇから藤岡さんに電話して迎えに来てもらえ」
信じられないような話だがすべて事実。呪われてるからって遠ざけられるのは嫌だけど実際のところ呪われてるとしか思えない。親戚の子供も俺のせいでいじめられたしこれはもう何か作為的なものを感じざるを得ないではないか。
とどのつまり俺は人と関わって生きてはいけないという事だ。他人レベルならまだしも知り合いになろうものならきっと不幸が降り注ぐだろう、それも俺のせいで。もう誰かが不幸になる姿は見たくない。
「大丈夫ですよ、私運いいですから」
「……ごめん、分からない」
「当たり付き自販機は五回、町内会の福引の一等は九回、当たり付きアイスは数知れず。運の要素が絡めば必ず最善を引ける正義のヒロインの正体は幸運の女神でした」
「それイタイから学校ですんなよ」
「そこでマジレスすか。じゃなくて呪いなんて占いと一緒で当たるも八卦当たらぬも八卦、当たる時は当たるし外れる時は外れる、それ位の捉え方でいいじゃないですか?」
「まぁそのへんはそうとして俺と一緒にいるの見られたらいい顔されないのは確かだ」
「大丈夫です、今更他人にどこ思われても気にしませんよ」
意味深な発言と振り撒いていたあざとさの無い態度に思わず呆気に取られ、その隙に緋藍は俺の手を引き歩き始めていた。自分のことをヒロインだとか幸運の女神だとか言うやつの言葉なんて気にしなくてもいい、そう分かってても俺はどうしても引っ張られてしまう。
言葉なんて薄っぺらくて誰でも簡単に扱える型の銃のようなもの。言葉は武器、誰でも持ち得る武器だからこそ使いこなせる人間が強い。同じ武器でも素人と玄人が扱えばまるで違うのと同じで、緋藍は言葉に力を込めるのが上手い。だから下手くそな俺が引っ張りるのだろう、そうに違いない。
公演を出ようと出口の桜の木の下を通ったとき狙い済ましたような体を揺さぶるほどの突風が大量花びらを舞い散らせ視界を白にも見える薄い桃色の花吹雪に覆われる。肌に触れる柔らかくて少し冷たくて薄く柔らかい感触も全て昔を思い出させる。
――あの日も今日みたいに暑いくらい天気のいい春だったな。
ふわりと蘇る記憶は隅の方に押し殺した数少ない家族との幸せの記憶。まだ両親の仲も良好で母親も暴力を振るわなかった頃の記憶。
その日も今日みたいに天気が良くて雲一つない春だった。母親は片手にお弁当を持ちもう片方の手を俺と繋いでいた。俺は余った方の手を父親と繋いで、三人で花見をしてた。
家族で食べた母親のお弁当は本当に美味しくて、父親とやったキャッチボールは全然上手くいかなかったけど楽しかった。確かに木の下にいたら毛虫が降ってきてビビって転んで泣いたんだっかな。帰りはガス欠まで暴れ回った反動で熟睡、父親におぶられて帰った。
何もかもが輝いて見えて小難しい言葉なんて要らないほど楽しくて幸せだった。本当に幸せだった。
「すごい風ですね」
「……あぁ」
「ぼーっとしてどうしたんですか?」
ふと我に返ると風はやみ緋藍は頭の上の花びらを払っていた。風に舞い上げられた花びらたちも重力に捕まりゆっくりと降っている。
「まるで桜の雨ですね、これが桜時雨ってやつですか?」
「違う、それを言うなら花の雪だ」
「物知りなんですね」
「常識だろ」
「じゃあ肩に毛虫ついてることも知ってますよね」
「は?」
言われて気づいた毛虫に思い切りヒビり素っ頓狂な声まで出して桜雲に尻餅をついてしまった、毛虫を弾いたぶん手が出なくてケツが痛い。てかまた毛虫にビビって転んだんだな。
「泣いてる事も知ってますよね」
「……あぁ」
戻れる事ならまた幸せな家族だった頃に戻りたい。崩壊しない方法がもしあるなら何度でもそこまで戻って模索し続けてもいい。一人じゃなかった、学校で友達がいなくて家の中にしか味方はいなかったけどそれでもいいから戻りたい。
もう一度母さんのお弁当が食べたい。もう一度父さんの運転する車に乗りたい。もう一度だけでいいから三人揃って写真を撮りたい。
そう思うともう涙は止まらなくて堰を切ったように今まで溜め込んだ涙がダラダラと流れ出てきた。もう十七歳なのに、初対面の女子が目の前にいるのに、もう家族との幸せの日々なんて諦めた筈なのにだ。
そうか、緋藍の意味深な言葉が妙に引っかかったのはだからか。
他人なんて気にするだけ無駄だと嘯いてきたけどそれは強がりだったんだ。居ないふうに扱われるのは辛い、同じ家で暮らしてるのに他人同然は寂しい、どんなに頑張っても気にしてもらえないのは悔しい。
だから強がってまるで自分が周りを見下してる風を気取って、そんな自分に気付かないふりしていたんだ。
気づいてもらえないのがどれだけ辛いかを知ってるはずなのに俺は俺を気づいてやれなかった。それに気づいてればどれだけ違ったのか、そう思うととんでもないくらい悲しくなる。でも俺は今やっと自分に気づいて、ならそれはとても嬉しいことで、悲しいとか嬉しいとかが入り混じった気持ちはやっぱりわからない。
緋藍は自分の事をふざけて正義のヒロインとか幸運の女神だとか言ってたけどあながち間違いでもないのかもしれない、俺は確かに彼女に少し救われたのだから。
「落ち着きました?」
「あっあぁ、うん」
「まぁ虫って気持ち悪いですもんね、私も毛虫なんて降ってかかったら号泣まではしないけど泣いちゃいますよ」
「…………」
「ところで顔付き少し変わりましたね。目以外は死にそうな顔じゃなくなってますよ」
「目は死にそうなのかよ」
「て言うか死んでます完璧に」
ため息をついて立ち上がるとすると急に目の前に手が出てきた。昔見に染み込んだ恐怖からどうしても手を顔に急に近づけられると体が硬直してしまう、しっかりと母親の爪痕は残ってるのだ。
そんな俺を見て訝しむ緋藍を見て我に返り右手を掴んだ。自分で立つ力に引っ張りあげてもらう力が加わって今までにないほど楽に立てた。
そして一息つく間もなく緋藍は俺の手をはにかんで引っ張り始めた。隙をつかれて泣く泣くそのまま帰ると藤岡さんは案の定嫌な顔を惜しげも無く披露してくれた。しかし緋藍はそんなこと知るかと言わんばかりに挨拶をし荷解きまで始めてしまった。
こんな奴が空き部屋の都合上隣の部屋を自室にするのだから、いつもの静かな生活とはお別れかもしれない。
広くて静かで上もしたもわからないくらい真っ白な世界。俺がどれだけ努力しても色を付けれなかったその世界に彼女は確かに色を塗ってくれた。本当に凄いやつだよ、緋藍は。
すっかり遅れてしまったバイトに出かけると外の世界は何時もよりも少し明るく見えた。
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