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砂時計の山頂は、まだ揺れている(上)



 私の生涯には、強い印象を残した三人の女性がいた。

 一人は妻、もう一人は娘。そして最後の一人は……。



「Salve dott.Shimizu.《こんにちは、先生》」



 娼館に新しく入った少女が日本人だったことに、私は少なからず驚いた。


 (うるし)のように黒く長い髪を、彼女は後ろで一つに纏めていた。外国では日本人の黒髪の美しさというものが、改めて意識される。


 若々しい性質がうなじに見える。青い林檎を砕いたような、少女特有の涼しさ。服装は他の娘と同じく高価そうな、白いドレスを身に纏っていた。


「Nel bordello, è stato chiamato Lena, piacere.《娼館ではレナという名前をもらいました。よろしくお願いします》」


 ここには様々な経歴を持った少女が、イタリアをはじめ、ヨーロッパ中から集まって来る。


 レナと名付けられた十四歳の少女は、簡潔で、優雅だった。

 

 水鳥のような、冷たい優美さとでもいうのだろうか。すらりとした流麗な少女の輪郭を持ち、未発達で、細く、儚く……だからこそ、美しかった。


 花の都、フィレンツェ。その街の娼館で、私は娼婦の少女を相手に、心理カウンセリングを行っている。元々は東京都内の大学病院で、臨床心理士の資格を持つ精神科医として働いていた。


 だが日本である罪を犯してしまい、三十九歳の頃に一人、ヨーロッパへと逃げてきた。


 フランス精神医学を研究していたため、フランスに留学経験もあった。フランス語とイタリア語の語彙類似度は、○.八九程度。そのためフランス語と、その地方語のようなイタリア語は話すことが出来た。


 逃亡先を無意識にヨーロッパに選んだのは、そのことが一つの原因となっていると思う。アジアでも、アメリカでもなく、ヨーロッパが私には馴染んだ。


 同じ高校出身で、外交関係の公務に携わっている友人がいたことも関係している。ヨーロッパの大使館を転々とし、当時スペイン大使館に派遣されていた彼は、私の妻とも知り合いで、妻を亡くした私に深い同情を寄せてくれていた。


 そんな彼に改めて連絡を取ったのが、今から四年ほど前になる。表だって就職出来ない私は彼の助けを借り、紆余曲折を経て現在の職についた。


 十二人の、痛々しい程に若い、高級娼婦の少女たち。

 ヨーロッパのスノッブな層に顧客を持つ、非合法の会員制の娼館。


 娼婦という職業は、一説には人類史上最古の職業とも言われている。ヨーロッパでは絵画を始めとした様々な芸術作品にも登場し、現代でもその文化は根付き、EUの陰を濃くしている。


 そんな娼婦たちの自殺率は、クリスチャンであっても高い。精神を病むことが多い職業だ。そのため娼婦には、心理カウンセラーが必要とされていた。


 特にその娼婦が、考えられない程の高値で販売され……少女であるならば……尚のこと。


「先生は、日本人なんですね」


 絹糸のように細く、落ち着き払った声で――日本語でレナは尋ねた。

 私は短く「えぇ」とだけ答えた。


 入り組んだ石畳の街の一角。この界隈にありふれた集合住宅(アッパルタメント)。外から見ると古ぼけた、その実内装は一流ホテルに勝るとも劣らない、七階建ての建物。


 その三階にある、ヨーロッパの文学者が好みそうな、すっきりした書斎を思わせる部屋が私の職場だ。


 広い室内。部屋の中央の低いテーブルを挟み、飴色のソファーにそれぞれ腰掛け、私とレナは対面していた。


「毎日、五時にはここに来るよう言い付けられました」


 商品となる少女は何故か厳格に、十二人と定められていた。


 皆、お嬢様として育てられた娘たちばかりだ。彼女たちは親の事業の失敗など、何らかの事情で進退を選べなくなった末、売られたり、自ら進んで娼婦となった。


 

「それは、私が自殺するのを防ぐためですか?」



 目の前のレナもまた、そのような経歴を持っていた。


 ヨーロッパの(うろ)は、底がないと思える程に、深く、暗い。弱い光なら、容易く呑みこんでしまうと思える程に。


 それを表すように、フィレンツェの暗闇はこの娼館に形を変え、儚く発光する、多くの少女たちの人生を呑みこんでいた。


「簡潔にいえば……」


 自分の哀しみを、静かに見つめている。

 そんな目をしたレナの瞳に、私は視線を注ぐ。


「そうかもしれませんね」


 そしてレナの質問に、そう答えた。


 隠しごとをする大人の印象。そういった物を彼女に与えないように、困ったように笑ってみせて。


 その際、年齢と境遇の割に、レナが落ち着き過ぎていることを私は危ぶんだ。そこに不安定なモノを看る。強くあろうとし、無理をしていた。


 ――自分の人生を、これからは自分で規定していかなければならない。

 

 そんな不安と戸惑いが、少女を通じて匂い立つように感じられる。

 儚いばかりの、自分の人生に対する抵抗だった。


 カウンセリングとは名ばかりで、私たちの仕事は、少女たちの心理状況を管理することにあった。娼館にとって大事な商品の命を、摩耗させないように。


「それなら私は、大丈夫です」


 レナは私の答えを聞くと、冷たい表情のまま答えた。

 


「私は死にませんから……家族を助けるためにも」



 どうしてレナのことが、今も私の記憶から離れないのか。それは自分でも分からない。同じ日本人ということが関係しているのか。それとも、私が彼女に特別な気持ちを抱いていたのか……。


 分からないことを分からないままにして、じっと眺めていたい。

 そんな気持ちにもなる。


 だがその日から、私の日常にレナが入り込んだ。

 レナの日常にもまた、私が入り込んだように。


 ことの是非を問うことなく、一つの事実として。




 ♯ ♯ ♯ ♯ ♯

 



 私のフィレンツェの日常は、ごく単調なリズムを刻んでいる。


 勤務先近くの、近代的な内装を持つ集合住宅(アッパルタメント)で朝五時に目覚める。娼館を経営している組織が管理しているものの一つだ。


 紅茶を丁寧に入れ、朝が起き出すのを待つ。その後、フィレンツェの長い歴史を育んできたアルノ川沿いを歩き、橋を越えて職場へ向かう。


 フィレンツェの街を称して、「万華鏡の街」と言った作家がいた。新しいものから酷く古いものまで、全てまとめて詰め込まれているのがその理由だ。


 新しいもの、例えば――トルナブォーニ通りを中心に続く、高級ブランド通り。

 酷く古いもの、例えば――石の壁、石畳の道、大きな教会、アルノ川、その川に掛る古い橋(ポンテ・ヴェッキオ)


 通勤の際に渡る古い橋(ポンテ・ヴェッキオ)は、面白い場所だ。


 E se l'amassi indarno, andrei sul Ponte Vecchio, ma per buttarmi in Arno!


《恋が叶わないなら、ヴェッキオ橋に行って、アルノ川に身を投げるつもりよ!》


 イタリアオペラの名アリア。プッチーニ作曲の歌劇『ジャンニ・スキッキ』の中で歌われる、『私のお父さん』にも登場した橋だ。


 橋の両側には沢山の貴金属店が立ち並び、頭上にはヴァザーリの回廊がある。何も知らない人間がいきなりこの橋に現れたら、そこが橋の上とは信じないだろう。


 そんな橋からは、教会堂(ドゥオーモ)も見ることが出来た。


 時たま、この町で一番高い場所である教会堂(ドゥオーモ)円天井(クーポラ)から飛び降りたら気持ちいいだろうか、など、そんな意味のないことを考える。


 七時半には職場となっている娼館の部屋へ、直接訪れる。


 カウンセラーと娼館を管理する側の人間が、娼館の一室で呑気に朝の挨拶を交わすことはない。私たち雇われ側と彼らの関係は、とても実務的で、ドライだ。


 娼館内でサーブされる朝食が運ばれるのを待ちながら、カルテを元に、作りかけになっている報告書を作成する。給仕もまた、お客好みで、年若い少女だ。


 ピアという名の給仕に礼を言い、視線を報告書に戻す。これは娼館の管理者に提出すると共に、同僚のカウンセラーと、症例検討会のようなことをする為のものだ。


 心理カウンセリング――臨床心理は、まさに臨床だ。体系的な処方はあるが、人の数だけ仮説があり、見方がある。


 娼館で働くカウンセラーは、私を含めて四人いた。


 私以外には、古参のスイス人が一人と、イタリア人、アメリカ人が一人ずつ。年齢は三十代前半とアメリカ人が一番若く、五十代のスイス人が一番年老いている。


 それぞれが三人の少女を受け持ち、日々、少女たちの心理状況を管理していた。


 皆、スイスのとある心理学研究所に籍を置いたことがあるような、臨床心理のエリートだ。私はもともとは治療専門の精神科医だったが、診療の場で物足りなさを感じ、臨床心理の世界に入った。昔の同僚にも、そういった人間は何人かいた。


 娼館で働く私たちは一様に、人には言えない「何か」を、心に抱えていた。それは四人に共通する「何か」で、尋ねずとも痛いほどに伝わって来るものだった。


 それがあるために、私たちは優しく、悲しく、分かり合っていた。

 そんな気がする。

 

 毎朝十時には、職場の一室にカウンセラー四人が顔を揃える。そこで報告書やカルテを元に、担当している少女たちの症状について議論する。会場は、同じ階にあるそれぞれの職場を、一日ごとにローテーションしていた。


「アリスは均衡から乖離しているな。ちょっと喋り過ぎてる。一昨日の夜、なにか辛いことがあったんじゃないのかい?」


「多分、三日前に観たというフランス映画の主人公を、無意識の中で――」


 同僚の職務に忠実な姿を、私はとても尊敬している。それは皆が、娼館の少女たちのことを、それぞれの方法で愛しているからだと思う。


 新米の頃、指導医の恩師に尋ねたことを思い出す。


『先生、精神療法とは結局、どんなものと考えればよろしいんでしょうか?』


 私が尋ねると、彼はこう答えた。


『それは患者さんを愛することだよ。精神科医は人間だから、それぞれ個性がある。他の先生たちの治療を見てごらん。皆が、個性を活かして患者さんを愛していることが分かるはずだ。初めは、自分の感性に近いと思う先生の真似をしてみるといい。経験を重ねるにつれ、自分にしか出来ない愛の表現が出来るようになる』


 また彼はこうも言った。


『内科医や外科医が、患者さんの” 命 ”を預かる仕事だとするなら、精神科医は患者さんの” 人生 ”を預かる仕事だ。辞めるなら早い方がいいぞ。この仕事は、思っているよりもずっと厳しいものだからな』


 私はその言葉に感銘を受け、それから十年近く、治療や臨床の経験を積んだ。


 新患当番に外来、治療、症例検討会、リエゾン(他科からの診察依頼)、自分の研究に、大学病院の当直と関連病院の日勤など。


 忙しくはあったが、充実もしていた。自分なりの患者の愛し方も、失敗しながら、少しずつ形作れたような気もしていた。


 だが……今ではその日々を、正に遠くの出来事として眺めていた。


 圧倒的で悲痛な経験は、それを聞く者に、強い無力感や罪責感を起こさせる。私は少女たちの、語らないが染み透ってくる悲痛に耐え、感情に注意深く目を向けるのに精一杯だ。


 人間の心というものは、決して覗くことは出来ない。しかし感情となって、その一端が現れる。心に偽りはなく、また動くものではない。常に問題となるのはその情だ。


 喜びも、憂いも、悲しみも、怒りも――すべて同じ心の底から湧き出でる物ならば、情に動かされた、一個の生命の躍動に他ならない。


 また面白いことに、感情というのはメトロノームの法則が働いている。これは昔の同僚が名付けた言葉だが、躁鬱病に現れるように、大きく喜ぶ人間は、その分だけ、大きく悲しみ、憂う。


 それでも、感情の起伏がない人間の方が生きやすいかと言えば、必ずしもそうではない。感情の起伏がない人間は、小さく喜ぶ代わりに、小さく悲しむ。


 その小さな悲しみは、小さな喜びで発散されることが少ない。身の内に、寂寞のように溜めこんでしまう。


 娼館の少女は、感情の起伏が少ない娘が多い。以前はそうではなかったのかもしれないが、ここに来ざるを得ない状況が、そうさせたのだと思う。


 逆に言えば、ここに来ても尚、全てを悟った上で明るくしているのではなく、感情の起伏を露わにしているような娘は、とても危険だ。


 そういう娘は、どれだけこちらが心理状況を管理していても、衝動的に自殺する。過去にそういうことも、何度かあった。


 私たちは罰を与えられるでもなく、プロが管理し切れなかったのなら仕方ないと、娼館の管理者は、新たな娼婦を補てんする。


 だがそういうことがある度、静かに、私たちが消耗するのも事実だ。


 娼館の為、少女の為、何より自分たちの為にも、自殺という事態には、気を配らなければならない。


「新しい娘、レナはどうだい?」


 その日の会の途中、古参のスイス人が、イタリア語で私にそう尋ねた。

 首の汗を拭い、考える素振りを見せた後、「とても、いい娘です」と答える。


 するとその場の人間は皆、楽しそうに笑った。



「そりゃそうだ。ここに来る娘たちは、みんな()()()なんだから」 




 ♯ ♯ ♯ ♯ ♯




 娼館のシエスタは短い。正午から午後二時半までのシエスタを挟んだ後は、一時間ごとに、娼館の少女が私の部屋に訪れる。


 三時から三時五十分が、エリカという名のフランス人の少女。

 四時から四時五十分が、ビーチェという名のイタリア人の少女。


 教育訓練と同様、時刻は厳格に定められていた。


 娼館の少女たちとは、毎日顔を合わせている。直接的に悩みを打ち明けてくることもあれば、ただ決められた時間の中で、のんびりお喋りをすることもある。


 どちらかといえば、後者の方が圧倒的に多い。カウンセリングの回数を重ねている少女に関しては、何かを尋ねるということも、最初の質問以外は殆どしない。


「最近、何かありましたか?」


 その問いかけに対し、彼女たちが答える()、微かな息遣い。その後の反応、目と表情、話のテンポとトーン。


 治療や臨床をして十年が過ぎれば、そういった物を観察するだけで、心理状態は七十パーセント程は掴めた。あとの三十パーセントを、残された時間で把握するよう努める。


 彼女らは皆、奇麗なイタリア語を話した。娼館で教育されている面もあるが、殆どの子が元から良い教育を受け、話す力を持っていた。


「Moi? Euh......merici,Pas du tout!《私ですか? う~ん……はい、大丈夫です。全然なんてことありませんよ》」

 

 栗色の髪に、ライトグリーンの瞳を持つエリカ。しかし彼女とは、極力、フランス語で話すようにしていた。母国語での会話は、異国にあっては心を開く魔法となる。


「そういえば、先生の貸してくれた本、とても面白かったです!」


 どんなところが面白かったですか、と私は尋ねる。

 古いオペラの台本を、私は昨日のカウンセリングの際、彼女に貸し出していた。


 エリカは私によく懐いていた。また、強い娘になった。娼館に来た頃は、いつもメソメソと泣いてばかりいたものだが……。


「はい、えっと――」


 エリカとビーチェ。二人とも娼館にやって来て、幸か不幸か身請けされず、半年以上は過ぎていた。仕事にも慣れ、精神は安定していた。



 そして五時からの時間が、

 


「こんにちは、先生」



 日本人の……レナ……。


 私が以前担当していたギリシャ人の娘が身請けされた後、彼女は娼館にやって来た。今は商品として店に並んでおらず、教育訓練の最中だった。


 私は娼館では、一人の心理カウンセラーに過ぎない。だがカウンセリングの関係上、娼館の少女たちが行っている教育訓練の日程や、内容は知っていた。


 レナはその日、朝からヴァイオリンと教養会話の訓練を受けていた。

 そして午後から……。 


「私の日本語、おかしくないですか? 家族以外と日本語で話すのは久しぶりで」


 レナは寂しい世界の中心で、一人で生きているように、強くあろうとしていた。

 私にはそう見えた。


 そのいじらしさが私の胸を切なく痛ませる。

 しかし、そんなことを気にしていては、切りがないのも事実だった。


「私は日本にいた記憶がほとんどありません。シエスタがない暮らしと言うのは」

  

 教育訓練を始めたばかりの娘は、口数が多い。それは気の強い娘に顕著で、ビーチェもそうだった。不安な気持ちを隠すために、それを見られたくなくて、そうしている。


 レナという少女も例外なく、そうだった。


 二回目のカウンセリングにも関わらず、よく話してくれた。

 砂場で遊ぶ幼い子供が、必死に砂で、何かを覆い隠そうとするように。


「シニョーリア広場のカフェ・イタリアーノに行ったことはありますか?」

「ヴェッキオ宮とウフィツィ美術館は観光客が驚く程に多いですけど、私はあの間の通りが好きで――」


 そして多くの場合、辛い現実を見ないために、必死で紡ごうとする言葉が自分の中からなくなると、少女たちは突然黙り込む。


 黙りこんだのと同じ唐突さで、涙する。

 

「…………」


 ただレナは自制心が強いのか、泣かなかった。


 膝に掛るドレスを握りしめ、視線はテーブルの一角に据えられている。その姿は、飼い慣らされることを拒む、ある種の野生動物に見られる気高さがあった。


 ただじっと、何かに耐えようとしている。


 あたかも、現実の辛さとは、事前から折り合いがついているとでも言うように。今は少しだけ上手く出来ていないけど、また上手くやれるのだとでも言うように。


 通常のカウンセリングなら、ここで黙ったまま、レナの孤独や寂しさを共有すべき場面だ。どんな言葉もかけるべきではない。それはとても根気がいる作業だが、彼女から次の言葉が出てくるのを待つ必要がある。


 カウンセリングの目的は、あくまでも援助だ。治療でも、救済でもない。回復しない被害を回復すると言いくるめたり、優しくない運命を、優しいのだと言いくるめること。それはカウンセリングの本質からは外れる。


 そういう誤魔化しを行わなくても、ただ話を聞くことで、人の援助は出来る。


 しかし私たちの目的は、少女達の心理状況を管理することにあった。こういう情況に置かれた人間には、言葉がよく意識に作用することも分かっていた。


 それは決して、本当の心理療法ではない。根本的な解決にならないからだ。

 ただ依存関係や、恋愛状況を作り出すには向いている。


 そして管理する際に重要なのは、何よりも……。


 私は出来るだけ優しい響きとなるように、彼女の名を呼んだ。


「はい……なんですか」


 一突きすれば崩れると、自ら分かっている顔。

 そんな顔で、彼女は面を上げた。


「レナは」


 ドストエフスキーの作品を読んだことがありますか。

 そう私は問いかける。


 ヨーロッパ圏の裕福な家庭は、日本とは比べモノにならない程に子弟への教育が熱心だ。レナほどの年齢で、古典作品を一通り読んでいる娘も珍しくない。


「はい……カラマーゾフの兄弟なら」

 

 レナは、苦しそうに言葉を絞り出す。

 私はその答えに、満足そうに頷いた。


「それが、何か……?」


 するとレナは、先の見えない不安そうな顔を覗かせる。


「ドストエフスキーは」


 人間と言う存在を、ある意味、哲学者以上に真摯に見つめた作家です。

 一呼吸置いて、私はそう言った。


「はい」


 レナはやはり不安そうに、眉根を寄せていた。初対面の頃に強そうに見せた彼女は、もうここにはいなかった。私はそのことに、強い安堵を覚えた。


 私は落ち着き払った声で、


「そんな彼が、人間をこんな風に定義づけています」と続けた。


 人間はどんなことにも慣れる生き物だ、と。


 レナが目を見開いたのを確認する。私は再び一呼吸置くと、「残酷な定義です」と、自分に言い聞かせるような口調で言った。


「しかし……本当に」

 

 どんなことにも、人間というのは、慣れるものです。

 一語一語区切るように、淡々と言う。


 静寂が、フィレンツェの街、日本人の二人の間を通り過ぎる。

 やがて空気は戸惑うように震えた後、ゆっくりと吐き出された。



「…………本当に……そうでしょうか?」



 レナはそこで、私の言葉に反感を募らせた。


 ――この人は、他人事だと思って、そういうことを言っている。


 情の動きを、私は冷静に眺めた。

 私が彼女に、意図的にそう思わせたからだ。


 怒りは引き絞られ過ぎると、人の話を聞かなくなって危険だが、小さなものなら、その反動を利用して内省させることが出来る。


 心理療法の良くない面を多用しながら、私はレナとのカウンセリングに臨んでいた。私もまた、レナと同じ側の人間である。そう相手に信じ込ませるように。


「どうして、そう思うのですか?」


 美しい少女が、気分を害したように眉を僅かに寄せて、問う。

 私は光のように淡く、笑って答えた。


「娘が」


 無残に殺され。


「え?」


 私の突然の言葉に、レナが驚き、言葉を失くす。


「妻が」


 自殺しても。


 私は静かに言った。自分の傷口を見せ、君の傷の形とは少し違うけど、よく似ているでしょ。そう問いかけるかのように。



 その悲しみに、慣れた男がいるからです、と。



「…………そうですか」


 するとレナは俯いた。


 私は冷徹な観察者の目で、彼女の瞳を盗み見る。

 レナの瞳の奥の水面が、微かに波打つのを察した。


 目には見えない印象の変化を注意深く観察しながら、私は言葉を続ける。


「どんな辛さも、悲しみでさえも」


 残酷なことですが、必ず慣れます。

 そう結んで、口を閉じた。


 ただそうやって無感動になっていくのだ、とは、

 ただそうやって間違っていくのだ、とは言わなかった。


「そうでしょうか」


 顔を上げ、震えた声で彼女は尋ねた。

 反感の音階は、そこには込められていなかった。


 私は「えぇ」とだけ、苦しそうに笑いながら応じてみせた。


「本当に、そうでしょうか」


 彼女は私を見つめながら、再び言った。

 水の膜が張られた瞳を見つめながら、私は「えぇ」と、再び応じた。


「そうかも……しれませんね」


 やがて窓に叩きつけられた雨のように、涙が、レナの顔に一条の線を作る。


 レナは泣きながら、困ったように笑った。

 本当に困ってしまったな、とでも言うように。


 私はそこで、昔、誰かが言っていた言葉を思い出した。


 子供は純水のようだ、と。

 大人が覗きこむと、自分がよくその表面に映し出される、と。


 それが(かつ)て……自分が言った言葉だとは、どうしても思うことが出来なかった。




 ♯ ♯ ♯ ♯ ♯




 その日以降、レナは少しずつ私に心を開き始めた。


 悲しみに涙を流すことは、その場の関係性に甘えるという意味合いがある。涙した人間は、自分の涙を享受してくれた関係性に対し、親和性を増す。

 

 私はレナに、無理やり涙を催させた。本人に、作為的であると気づかれない方法で。そういうことに慣れ始めている自分を、無限に嬉しくも、悲しくも思う。


「先生は、休日はなにをしてらっしゃるんですか?」


 その日もまた、私たちは部屋の中央のソファーに腰掛け、対面していた。カウンセリングを開始して一週間も経つ頃には、レナは積極的に、個人的なことを尋ねてくるようになった。


 その質問を前にした私は少し悩んだ末、素直に「散歩」と答えた。


「散歩……ですか?」


 怪訝そうな顔で、彼女は疑問符を浮かべる。

 

 フィレンツェは東京とは比べモノにならない程に、空が広い。その下を歩くのが私は好きだった。一時は警戒して控えていたが、ここに来て四年も経つ今では、特に気にするでもなく、外を出歩いている。


 地平線の見えるような場所とは比べものにはならないが、フィレンツェ程に空が開けている大都市は、少ないように思う。


「ミケランジェロ広場を歩いたりするんですか?」


 その問いには私は、まぁ、そうですね、と返事をした。


 フィレンツェの街を一望できるミケランジェロ広場には、休日の際に足を運ぶこともある。観光客が多いが、この町に住む者、住まない者を問わず、人の心を捕えて止まない魅力があった。


 黄昏時に訪れた際には、山に囲まれたこの街に、奇妙な哀愁を覚えもした。


「フィレンツェから旅立ったミケランジェロが、ミラノで死ぬ間際に、『死んだ後でもフィレンツェに帰りたい』……そう言ったらしいですね」


 その博識を前に、分からなくもないですね、と、異邦人の私は答える。


「ミケランジェロ広場……最近行ってないな。今度、行ってみようかな」


 レナは歌うように独り言を呟く。

 それを受けて、私はレナと出歩くことが可能だろうかと考えた。


 娼館の持ち物である娼婦の彼女たちにも、一定の自由はあった。カウンセラーと同じように、日曜日を休みとして与えられている。


 その日は娼館の管理側の人間が許可すれば、監視を受けることを前提に、外出することが可能だった。

 

 何度かエリカにせがまれ、それにビーチェも付き合わされて、日曜のフィレンツェの街を、彼女たちと出歩いたことがある。


 当然ながら組織の人間の監視下にあったが、エリカはビーチェよりお姉さんにも関わらず、無邪気にはしゃぎ、笑い、転んだ。


 私とビーチェが手を取ってやると、子供のように……そう、純真無垢な、子供のように微笑んだ。懐かしい笑顔だった。


「他には、何を?」


 続けてレナが尋ねる。


 レナが私個人に興味を持ってくれるのは、とてもいい傾向だ。些か早くはあるが、陽性転移が成功していると考えることが出来た。


 陽性転移とは心理学用語の一つだ。


 誤解を恐れずに言えば、患者は、自分の悩みを聞いてくれる異性のカウンセラーや治療者に対し、恋愛感情に似た物を抱くようになる。


 カウンセリングの場でなくとも、男女の場で、同じようなことが日常的にある。


 しかしそれが職務である以上、通常は自分のことを出来るだけ話さないようにするなどして、転移という事態を避けるよう、臨床心理学では教える。


 なぜならそれは、依存であるから。

 そして驚くほど簡単に、転移は発生してしまうから。


 だがこの娼館では、少女たちに転移をさせることが推奨された。

 依存した人間は、依存対象があり続ける限り、簡単には自殺しない。


「他には……ですか」


 尋ねられた私は思案した挙句、大学に行く、と答えた。


 イタリアの大学は学位を取るのでなければ聴講は無料だ。ときに学生や社会人などに交って、フィレンツェ大学の講義に耳を傾けにいくこともある。


「真面目なんですね」


 私の答えに、レナはからかうように微笑んだ。


 つまらない人間だと思ってくれていいよ、と私が答えると、レナは光を散らすように、柔らかく、また笑った。


 彼女は私の前で、最初は薄く、次第に朗らかに笑うようになっていた。


 そんなレナは、以前から気になって仕方がなかったとでも言うように、視線を私からあるモノに移動させた。


「あそこにある、チェスは指したりしないんですか?」


 私の背後の事務机の隅に置かれた、黒と白、八×八のチェス盤を指す。


 決して上手い訳ではないが、私は子供の頃からチェスを嗜んでいた。しかし今の環境下では相手もおらず、手慰みに盤と駒を手元に置いていた。


「チェス、よかったらしませんか? エリカ姉さんと昨日もしたんです」


 レナがお姉さんの娼婦と、少しずつ打ち解け始めたとの報告は、受けていた。彼女たちには共有の遊戯室――寛げる場所が提供されており、そこでレナは、エリカとチェスをして遊んでいるという。


 娼館の娘たちは、みな気性が穏やかで、性格もよかった。

 そう、自分が犠牲になって家族を助けるような、()()()だった。


 新しくやって来た娼婦は、お姉さんの娼婦を本当の姉のように敬い、彼女らもまた、そんな新入りを妹のように慈しむ。


 その光景は、不思議と私たちカウンセラーの胸を打つものがあった。

 皮肉な運命が作った、美しい姉妹たち。


 仲が良くなり過ぎると、逃避という名の希望が生まれ、それにしがみ付いてしまった娘たちもいた。彼女たちはやがて捕まり、別の、条件の悪い娼館へと送られて行った。


「そうですね……」


 私はそのことを思い出しながら、レナの提案に思案するポーズを取った。レナの精神状態が均衡に近付いて来たことを鑑み、チェスに応じることにする。


 その際、チェス盤を取りに向いながら、「盤を見ずに、ブラインドチェスを指せることが、昔は自慢だった」とレナに話した。


 机に置かれた、合計六十四枚の、白と黒の正方形からなる盤を手にする。

 すると私の背後から、意外な返答が返ってきた。


「それ、私も出来ますよ」


 私はその場で数度瞬きをし、ゆっくりとレナに振り返る。

 

「ならブラインドチェスをしませんか? 今でも先生が出来るなら……ですけど」


 彼女は挑戦的な口の形と目の色で、楽しそうに問いかけてくる。


 私は苦笑した。チェス盤を机の元の位置に戻す。席に戻り、レナとゲームに関する数点の取り決めを行った。


「白はどちらが?」


 最後に先攻と後攻を確認し、では今後は交互で、今日は君から、と答える。

 すると――。






「e4」





 レナが弾んだ声で、前に進むことしか出来ない、寡黙な女兵士を動かした。






以下、頂いたイラストが御座います。文学系の作品でのイラストを好まない方は、画面右上の「表示調整」をクリックし、挿絵表示をオフにして下さい。尚、挿絵表示が設定されている場合は、「挿絵表示中」と表記されています。







■レナ

挿絵(By みてみん)



■エリカ

挿絵(By みてみん)

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