35 黒髪の女の人
大志が来て数週間経ったある日。
アルと大志と、キース師匠も加わって和やかに昼食をとっていたら、ドアが激しくノックされた。アルの表情が変わる。
入室を許可された騎士が息も切れ切れに次のことを述べた。
国境で倒れている女を発見。
女の年は二十代前半。黒髪、黒い目。
自分は異世界のニホンから来た、女神に会いたい、と繰り返し泣き叫んでいる、と。
ヒュウと自分の喉の奥で掠れた音がなるのが聞こえた。アルがゴクリと唾を飲む音も。
「キラ・・・」
アルが伺うように私を見る。私はコクリと頷いた。大志がここにいるんだ。他にもこの世界に落ちてきた人がいたって何も不思議ではない。
「・・た、大変じゃん! 急いで行ってあげないと!」
驚きに固まっていた大志が慌てて立ち上がる。
「そうね。会いに行きましょう」
「ああ。マアサ、食べかけですまないな。後でまた食うからそのままでいい。
ロン、その女はシーリスのところか?」
「はい、怪我をしているようなので、治療を」
「わかった、今から向かう」
全員でゾロゾロと連れ立って廊下を歩いた。
今度の人は一体どんな人なんだろう。怪我をしているということは盗賊にでも襲われた? そこから逃げてきたとか・・?
まだまだこんな風にこの世界に引き落とされてしまう人が現れるのだろうか・・
「・・うぅー、ヤなにおい すルー」
私の肩にふわりと舞い降りたシルフが、顔をしかめている。別に辺りで異臭を放っているものもないので首を傾げた。
「シルフ、匂いって?」
「なんか、ヤなにおい。イヤなきもち、あうー」
イヤイヤと首を振ってる。あら、その仕草かわいい。
「お散歩してきてもいいわよ。何かあったら呼ぶから」「ウン!」
医務室の手前の窓からシルフは風に乗って飛んでいった。
匂いね。シルフ感じたのは、中の人の不安とか恐怖とか負の気持ちかな・・。
アルの姿を見た騎士が、医務室のドアを開ける。
「・・・女神、さま?」
二つの黒い目が私を見る。真っ直ぐに。
次の瞬間、はらりと大粒の涙がこぼれた。
真っ黒な髪はゆるくウェーブを描いて腰まで波打っていた。治療用の服から伸びた腕にや頭には包帯が巻かれ、目元や口元にも殴られたような痕があった。それでも、男ならグラリときてしまうような色っぽさのある女の人だった。
「女神さま、お会いしたかったですわ」
ベッドから降りようとした女の人が、あっと傷の痛みに顔をしかめたので、こちらが近づくと、潤んだ目で微笑まれた。ほっとしたような表情。
「あたし、ニホーンから来ましたの。急に、変なところに来ちゃって、驚いて。
それで・・ライナード国の隣の、ハンス国の魔術師の方に保護されてたんですの。
なのに盗賊に攫われそうになって・・なんとか逃げてきたんですのよ」
こちらが聞く前に話し出した。
話しながら私の横にいた大志に気づいて目を瞬きさせる。
「まあ、女神さまだけじゃなくて、あなたもなのね。会えて嬉しいわ!」
私の方にすいっと伸びようとした女の人の手を遮るように、アルが私の前に出た。
「俺はこの国の王、アルファーダ・イル・ライナードだ。
大変だったな、傷は大丈夫か? 名前はなんという?」
王に尋ねられ、女はさっと顔を青褪め顔を伏せた。
「お、王様と知らず、ご無礼を致しました。な、名前はネミルと言います」
「ネミル、ここにいる間はお前の身の安全は保証しよう。
保護者がいるのならその者に連絡をとってみるから、あとで詳しく話してくれ。腹は減っていないか?」
ネミル? 全く日本人らしくない名だ。
彼女は顔を伏せたままブンブンと横に振った。
「あ、い、いえ、とんでもありません」
「そう硬くなるな。ハンス国の王と同じように畏まることはない。楽にしろ。とりあえずよく寝て食べて傷を癒すんだな。シーリス、シンシア、彼女を頼んだ」
「はい、王。了解しました」
アルに命じられ、そばに控えていた医師の双子が声を揃えて返す。
「俺達は戻る。また明日にでも顔を出そう。ゆっくり傷を癒せ」
アルは私の肩を抱くように手を回し、そのまま歩き出した。
医務室を出て、角を曲がったところでアルが口を開いた。
「どうなっているんだろうな。こちらの世界と、キラのいたニホンのある世界はどこかでつながっているのか? 色々話を聞く必要があるな」
「待って。アルファ、もう少し慎重に動いてよ。以前もスパイを送られたことあったでしょ」
師匠の言葉を聞いてアルよりも大志が眉をしかめた。
「ええ? ちょ、待ってよ。スパイとか、そんな目で見たら可哀相だよ。
怪我してるんだし。それに、あのお姉さんのこと疑うってことは、キースは僕のことも疑ってるってこと?」
なんて言い出すもんだから困ってしまった。
「ねえ、キラさん!」
ここで私に意見を求められても。
「・・・まあ、まだ何とも言えないけど。表情も素直だし、悪い人じゃないとは思うよ」
いい人かどうかは分からないけど。
いい人でも悪いことはするし。その辺は難しいんだけどね。
「ハイハイ、わかったよ。敵と決めつけるのはよくないな。まあとりあえず昼飯の続きにしようぜ。腹が減った」
アルは大志の頭をぐしゃぐしゃっと掻き回してから、私の手を引いて部屋へと歩き出した。