【Ⅲ】
ふわりふわりと、白いカーテンが揺れている。
心地よい風が頬を撫でるのに任せ、セレスはぼんやりと夢と現の狭間を彷徨っていた。
窓の外はすっかり暗くなり、部屋の中には明かりが灯っている。
視界の端で、誰かがじっとうつむいているのが見えた。
「だあれ……?」
「あ、起きた」
ふと顔を上げたのは、ふっくらとした丸顔に栗色の巻き毛を垂らした女の子。
彼女は隣のベッドに腰掛けて繕い物をしていたらしく、手にしていた布切れを置いて、ニコニコとセレスの傍までやってきた。
「よかったあ。全然起きないから、ちょっと心配になってきたところだったの。少し熱っぽかったんだけど、知恵熱みたいなもんだから大丈夫よ。もう下がったみたいだしね」
「あの……ここは……?」
セレスがキョロキョロと辺りを見回すと、自分の寝かされているベッドの他に、もうひとつのベッド。
可愛らしいプチドールと、沢山の書籍が並べられた机などが目に入った。
「ここは今日からあんたの部屋。そんであたしはルームメイトのドナ。ドナウ=ミュッテンよ。よろしくねセレスティナ。あ、セレスでいいよね。ファウストもそう呼んでたし」
「私の部屋、ドナ……? ファウストって……あ!」
セレスはベッドから跳ね起きた。
「私、転入して最初の授業で……。そうだファウスト! どうしよう、私、あんな怪我させちゃって。それから、えっと」
「はいはいストップ。混乱するのはわかるけど、ちょっと落ち着いて。まずファウストね。あれは大丈夫よ。ああ見えて彼のドレイクはあたしたちなんかのとは格が違うわ。あんな怪我くらい、ドレイクの守護効果でもう治ってる頃よ。はい、次の質問は?」
ドナはきびきびとした口調でそう言うと、セレスのベッドの縁に腰掛けてニッコリと笑った。
「あ……じゃあ。私……さっきの授業、どうなったんでしょう」
「覚えてないの?」
「覚えてない訳じゃないけど。なんて言うか、よくわからないうちにああなって」
セレスが毛布を弄びながら俯く。
するとドナは、その手を両手でぱしっと掴み、くりくりとした目でじっとセレスを見つめた。
「……すごかったわよ。あんなシールド、あたしは見たことない。相手のエフェクトの威力を何倍にもして攻撃に変えるなんて。あんたのドレイク、きっとかなりのもんだわ」
セレスの頬と胸がぽっと熱くなった。
今朝まで本当に自分に宿っているのか不安に思っていたものが、今こうしてその存在を人に認められている。
しかも、褒められている。
「へっぴり腰で座り込んでた時はどうなるかと思ったけど、素敵な誤算だったわ。あんたをバカにした奴らも、顔が引きつってたもの。ざまあみろってなもんよ」
「あ! その声。あの時、どこ見てるのって言ってくれた……」
「そう、あたしよ。だって半べそでぼーっとしてるんだもの。あの時のあんたの顔ったら」
カラカラと笑って、ドナはセレスの背中をバンバン叩いた。
どうやら、ルームメイトはあまり気取った人ではないらしい。
それはセレスにとっても嬉しい誤算だった。
「とにかくさ、あんたの事はあたしが全面的に面倒みるから、わかんない事があったら何でも聞いて。でも、まず先に制服を着替えたら? もう夜も遅いし、授業の時以外は私服でいいのよ」
ドナは自分のベッドに戻り、また繕い物を始める。
「あ、そうだね。皴になっちゃう……」
セレスは言われた通り、着替えをしようと毛布を除け――、そして絶句した。
「荷物はそこに届いてるから。衣装ケースはあっちのを使って。それから」
ドナが、てきぱきと指示を出しつつ顔を上げると、セレスはまだベッドに腰掛けたまま、真っ赤な顔で毛布を手繰り寄せている。
「……何? どした?」
怪訝な顔つきでドナを、セレスは今にも泣きそうな顔で見つめた。
「私っ……、おし、お尻丸出し……! スカート、穿いてないっ! いつから……」
「スカート? ああ、これよ。破けてたから、縫ってあげてるの。何よ、穿いてないの気がつかなかったの?」
ドナが掲げた布切れをよく見ると、まさしくそれは制服のプリーツスカート。
さっきから繕っていたのは、セレスの物だったのだ。
「う……、全然気がつかなかった。あの、ありがとう。でもその、それがないと……」
「なによ、パンツまで脱がせたわけじゃなし、お尻くらい女同士なんだから見えたっていいでしょ。ほら、さっさと着替える!」
「は、はいっ!」
あたふたと毛布でお尻をくるんで、セレスが荷物の方へと向かう。
だが今度はスーツケースの留め金がなぜか開かない。
「あれ、なんで? ううー、うーーーん」
力任せに外そうとお腹に力を入れても留め金は外れず、代わりに腰の毛布がハラリと外れた。
「あ……」
お尻丸出しで、呆然と荷物の前にしゃがみこむセレスの背後から、スッと手が伸びる。
「もう、なんなのトロくさい子ね。ロックが掛かったままじゃないの? ほら」
カチッと小気味よい音がして、留め金が外れ、スーツケースが左右にカパッと開いた。
「あ……そうか。えへへ」
「えへへ、じゃない! そんなお尻出したまま笑ってんじゃないの。さっさと着替えなさいってば。風邪引くでしょ」
セレスが慌てて手近なコットンのワンピースを引っ張り出し、なんとか着替えを済ませる。
そして他の荷物を解こうとすると、ドナが繕いものの続きをしながら顔を上げた。
「……荷物の整理は明日にして、こっちにおいで。サンドイッチがあるから食べなさい。お腹空いたでしょ。夕食時間はとっくに過ぎちゃったけど、セレスの分は、持ってきておいたから」
針を持つ手を休めることなく、ドナが穏やかに微笑む。
見ると、窓際のサイドテーブルに、サンドイッチとオレンジジュースが載ったトレイが用意されていた。
「あたし、トロい子嫌いじゃないわよ。面倒見る甲斐があるもの。おせっかいなんだろうけど、セレスが嫌じゃなかったら、色々と頼りにしてくれると嬉しい」
そう言ったドナの横顔は、まるで聖母のように温かく美しい。
セレスの目頭がじわりと熱くなった。
ここで、こんな風に誰かに優しい言葉をもらえるとは思ってもいなかったのだ。
厳しくて、傷つく事ばかりだろうと覚悟をしてもいた。
セレスは佇んだまま、両手をぎゅっと握り締めた。
「そんなに甘えちゃっていいのかな。私、トロいだけじゃなくて、勉強も苦手だし」
「それも任せて。自分で言っただけの面倒をみる自信はあるのよ。誰かに必要とされるのはとても幸せな事だわ。ほら出来た」
ドナは糸をパチンとはさみで切って、仕上がったスカートをセレスに差し出した。
どこから見ても、破けていたとは思えないほど綺麗に繕われている。
セレスはそれを遠慮がちに受け取り、込み上げる涙を見られまいと窓辺に顔を向けた。
すると。
「……! ああっ!?」
思わず窓から身を乗り出して、下を食い入るように見つめる。
どうやらこの部屋は三階。
中庭に面した宿舎の一番端らしく、窓の下は中庭とあの森に続く丘のちょうど境目にあたる。
「うん? なによどうしたの」
ドナもベッドから立ち上がって、窓辺に寄ってきた。
暗い丘から中庭に入ってきて、ドレイクの石像の噴水を横切っていく人影がある。
夜とは言っても、月の光と各部屋から漏れる明かりが、その人の姿をうっすらと映し出した。
「ご、ごめん! 私ったらちゃんとお礼も言わないで。でも、ねえあの人、あの人は……?」
一度は夢だったのかとも思った。
だが、今のセレスは完全に起きているし、ドナという第三者もいる。
その現実の中庭を、確かにあの黒髪の彼が歩いている。
「ねえあの人、この学院の人だよね? ドナなら知って……!」
興奮して一気にまくし立てた後、またもやセレスはしまったと思った。
彼の事は誰にも話してはいけなかったのだ。
そう後悔しても、彼以外に誰もいない中庭を、セレスはビシッと指差してしまっている。
「あらら……。あんた、ファウストには全然興味なさそうだったのに。こっちの方がタイプなの?」
「え、そ、そう。そうなの! 今初めて見たけど、すごくかっこいい人だなと思って!」
声が不自然に裏返ってしまったが、ドナはそのあたりには気がつかなかったようだ。
「確かにルックスでも人気を二分してるかな。でも悪いことは言わないから、彼はやめておきなさい。セレスの手に負えるような人じゃないし、なにより危ないから」
「アブナイ……?え、ファウストより手が早いの?!」
ショックを隠しきれないセレスを脇に押しやり、ドナは窓辺に腰掛けると、大きくかぶりを振った。
「違う違う。危ないってのは、言葉通り。下手に近づくと怪我するかもしれないって事。いろんな意味で近づきたがる無謀な女の子は多いけどね、そんなのは本人が全然相手にしないし」
「よく……意味がわかんないんだけど。あ、行っちゃった……」
話しているうちに、彼は宿舎の入り口に吸い込まれるように消えていった。
おそらく自分の部屋に帰っていったのだろう。
ドナは、名残惜しそうに中庭を見下ろすセレスの顔を覗き込んだ。
「彼もあたしたちと同じ七年生で、ファウストと同じ留年生。でもわざと留年してるファウストとは違って、本当の落ちこぼれよ。彼、自分のドレイクを全く制御できないの」
セレスが眉根を寄せて、ドナを見返す。
「彼の意思と関係なく、エフェクトが暴発したり、必要な時になんの力も出せなかったり。まともに交信もできないみたい。昔、その暴発で生徒が二人大怪我したことがあるのよ。そのうち一人はまだ再起不能だとか。それ以来、彼自身も人を寄せ付けなくなっちゃったの」
「……!」
セレスはよろよろと後ずさり、自分のベッドに座り込んだ。
なぜか、心が震える。
ドレイクの存在を自覚しながら、それと通じ合えない。
その悲しみと焦りが自分の事のように感じられた。
「全くさ、あの人があんなんじゃ、この国の未来も危ういよね……。今、世間じゃ、マスター堕ちが幅を利かせてるってのに」
ドナがサイドテーブルのサンドイッチをつまんで、口に放りこむ。
「マスター堕ち……」
「ああ、なんでもない。独り言。それよりセレスも食べなよ。お腹すいてるでしょ?」
もぐもぐと口を動かしながら、ドナはセレスの隣に腰を下ろし、サンドイッチの皿を差し出した。
だが、お腹は空いているはずなのに、彼の事が気がかりでとても手を出す気になれない。
「マスター堕ちって、私知ってる。ドレイクマスターなのに、ドレイクを使って悪い事する人たちの事でしょ? シエスタ公爵をドージェ(元首)の座から下ろしたがってる反政府派のマスターたちで、最近ではドレイクを使って人を襲う事もあるって噂も聞いたわ。それと彼、なにか関係あるの?」
「ないない。独り言だって言ったじゃない。もう、ホントにルードには興味持たないほうがいいって」
「ルード? それが、あの人の名前?」
身を乗り出すセレスに、ドナはしまった、という顔で額に手をやった。
「ああもう。そうよ、本名はルドセブだけどね。でも、それ以上は教えない」
「どうして?! 私はただ……むぐっ!」
必死で問うセレスの大口に、ドナがサンドイッチをひとつ、無理矢理詰め込んだ。
「興味を持つなって言ってんの。本人は偏屈だけど、色々な意味でルードを狙ってる女たちは多いのよ。近づいただけでも、そいつらに何されるかわかんないわ」
「むぐ……、もぐ、もぐ……」
「とにかく、遠くから見ているだけにしなさい。間違っても、追っかけて森にまで入り込むなんて事……あっ!」
ドナは突然思い至ったように手を叩いた。
「大事な事、教えるの忘れてたわ。いい? セレス。この寮の裏手に森があるんだけど、そこには絶対近づいちゃだめよ」
「んぐっ?!」
サンドイッチの塊が、いきなりセレスの喉に詰まった。
すかさずドナが差し出してくれたジュースでなんとか飲み下したが、別の動悸は収まらない。
「もう、何やってんの。大丈夫?」
セレスは、自分の背中をさすってくれるドナの顔を、おずおずと見上げた。
「も、森? あの……それはまた、なんで」
「ん? ああ、その森は『幻魔の森』って言ってね。本物の幻魔が数種類、あたしたちの実践演習の為に飼われているの。あんたみたいなヒヨッコマスターが不用意に入り込んだら、あっという間に幻魔の餌食よ」
セレスは勘の良さそうなドナに、自分の顔色を分析されないよう、頷くフリで下を向いた。
(そんな危ない場所だったなんて! そう言えば、なんか見られてるような嫌な感じがしたっけ……)
「なんだか心配ねえ。いい? ルードが行くのを見かけても、ふらふらついて行っちゃダメよ」
「えっ? あの人、いつも森に行くの?!」
思わず顔を上げると、その両頬をドナにムギュッとつままれた。
「ほうら、怪しい。よく聞いてセレス。あの森は年に一度、国のトップマスターたちが集まって特別な結界を張ってくれてるの。その効果で幻魔たちは森から出られないし、力もかなり弱められてて人を殺すまではできないわ。でも大怪我をさせられたり、精気を奪われたりはする。本物なのよ。昼間あんたが戦った幻とは訳が違うの。わかるわね?」
「で、でもあの人は……むぐ―――!」
すかさずつままれた頬が左右に引っ張られ、セレスの言葉が途切れる。
「それに、こっちも幻魔を滅する事は禁止されてるの。飼っている個数が変わっただけで結界のバランスが崩れていくから。エフェクトを加減して追い払うだけなんて微妙な事、今のセレスにできる? ぜーったい無理よ。行ったら、ダ・メ!」
厳しく言い渡され、セレスが何度も頷くと、つままれた頬はやっと開放してもらえた。
「ルードは落ちこぼれだけど、ドレイクは本能で宿主を守るから追い払うくらいの防御はしてくれてるんでしょうね。授業にも出ないで、ほとんど森で過ごしてるらしいわ」
セレスは頬をさすりながら、あの緑のドームに思いを馳せた。
きっとあれが、彼を様々なものから守ってくれる唯一の場所なのだろう。
それを思うと、セレスの胸は締め付けられるように軋んだ。
「さあ、もういいでしょ。明日からは本格的に授業が始まるのよ。早く食べて、シャワー浴びて、ちゃんと寝ないともたないわよ。けっこうハードなんだから、ここの授業」
子供をなだめるようにセレスの頭を撫で、ドナがニッコリと微笑む。
それに素直に頷き、セレスは残りのサンドイッチに手を伸ばした。




