エターナル
月に一度の短休暇。
生徒達の大半が帰省してしまう今日だけは、このロックバート学院も静かなものだ。
午後の日差しが眩しい中庭で、ドナが額に手をやり空を仰ぐ。
「全く……相変わらず慌しいわね。もっとゆっくりしていけばいいのに」
「この後、ナディアの所にも行くそうだからね。仕方ないさ。今日、休暇が取れたのも奇跡だって言ってたじゃないか」
ファウストが眩しげに目を細めて、同じように空を見上げる。
抜けるような青空を背負って赤いドレイクが大きく旋回し、そして西の方角へ飛び去っていった。
「働き者だこと……、って言うより頼りにされているのかな」
「こき使われてるだけだってルードはおかんむりだったけど。おかげで式の日取りも、未だに決められないそうだ」
「きっとそこが一番気に入らないんでしょうね」
ドナとファウストが顔を見合わせて笑う。
すると、ドナの足元から小さな手が伸び、彼女の手を握った。
「ママ……アンフィスまた来る? バエナも」
「ふふ……ネイは大きいアンフィスの方が好きなのよね。もちろん来るわよ、ママ達の大事なお友達ですもの」
ドナは幼い息子を抱き上げて、頬をくすぐった。
それにきゃっきゃと笑い声を上げてネイが身をよじる。
天使のような栗色の巻き毛はドナに似たのだろう。
そして透き通るブロンズ色の瞳は、父親から譲り受けたものだ。
「ドナ。君も今日は面会に行くんだろう? ネイは預かるから行っておいで」
ファウストがドナからネイをヒョイとさらい、肩に乗せた。
「でもファウスト、テストの採点やら資料作りで忙しいって言ってなかった?」
「まあね。僕は優秀なドナウ教授と違って、のらりくらりのゴースト教授だから。今日は気分じゃないからネイと昼寝でもしてるよ」
ファウストの言葉に、ドナは少し自嘲気味に笑う。
「だってあたしはもうドレイク保有者じゃないのに……しかも子連れでここに置いてもらってるんだもん。仕事くらいキッチリやらないとバチが当たるわ」
あの日、あれほどの重傷を負ったにもかかわらず、ドナの中に芽生えたばかりのネイが消えなかったのは奇跡としか言えない。
「確かにドレイクは居ないが、君は永世ドレイカーの称号を受けているんだから学院としては何の問題もないよ。それに住み込みの教授は他にもいるし」
永世ドレイカーとは、ドレイカーとして人々に貢献しながらも、事故や何らかの理由でドレイクを失った者に与えられる称号だ。
現役ドレイカーと権限はなんら変わりはない。
クロセルからその称号を得た事により、ドナは放校処分になる事無くそのまま教師となる為の学部に編入した。
今まで培ってきた知識、心得、溢れる想い……それを次代を担うドレイカ―の卵達に伝える事、それがドナの道となった。
もちろん専攻は生態学だ。
そして……在学中にネイが生まれたのだった。
「おひうね、いやー。ファウと遊ぶ」
「おひうね、じゃないぞ。お・ひ・る・ね。そんな事言って、時間になれば寝ちゃうくせに」
「あ、あのねファウスト……実は」
ネイと戯れるファウストに、ドナが遠慮がちに切り出した。
「この前面会に行った時にね。初めて……ライアンがネイに会いたいって言ってくれたの。だから、今日連れて行ってみようかなって……」
口をポカンと開けて、ファウストが目を見張る。
「あいつが……やっと折れたのか?! やったじゃないかドナ、なんですぐ言ってくれなかったんだ。セレス達にも言ってないだろう」
「ん……どうしようかと、迷ってたから」
ネイの後ろ髪を指先で撫でながら、ドナは物憂げに目を伏せた。
「子供はあの人にとって難しいものだし……。せっかく、少しずつだけど自分を取り戻してきてるのに、ネイを見たら昔の傷が疼いてしまわないかなって……」
「……ドナ」
ファウストがネイを手渡し、ニッコリと微笑む。
「……あの時、奴が君の身代りになっていなかったら……君だけでなく、ネイもこの世にはいなかった。たまたま、とかじゃなく、それは運命だと思わないかい?」
「ファウスト……」
「生きていれば、知らない間に様々な選択をする。どれを選んでも、それはその者の道になって受け入れて生きるしかないんだ。だったら、自分がしたいように選んで生きればそれでいいじゃないか」
ドナがネイを見つめて、その頬に小さくキスをした。
「……会わせてあげたい。会いたいって思ってくれたんだもの。その後苦しむとしても、それはあの人への罰ね。甘んじて受けてもらうわ」
晴れやかで、少しいたずらな目はドナの本来の魅力だ。
そしてこの強さがあれば、運命の女神はドナに微笑むだろう。
「服役中にも関わらず、ドレイクと幻魔の研究を続けているんだろう? その成果を軍にも提供してるとか。……いずれ、三人で暮らせる日がくるかもしれない」
「……だったらいいわね……」
ネイがドナの腕の中で、子猫のように大きくあくびをした。
「あら、寝ちゃいそう。ま、それでもいいかな。じゃああたし行ってくるから、今日こそちゃんと仕事を片付けなさいよね、ファウスト教授」
「ああ……早く学院長の椅子に座りたいよ。さっさと引退すればいいのに。そうすればこんな面倒は……」
大きく伸びをしたファウストがハタと動きを止めた。
「……誰だ、私の椅子を狙っている不届き者は。別にお前が落ち着いてくれたら、こんな椅子いつ空け渡してもいいのだが」
散歩でもしているのかラフなローブ姿で、学院長がホールから中庭に入ってきた。
「やあ……学院長。またその話ですか。僕はルードが殉職したあかつきに、セレスを拾う予定なんです。ですからお見合いはお断りだといつも言ってるじゃ……」
顔を強張らせて、ファウストが後ずさる。
するとドナが首を傾げて問いかけた。
「それにしちゃ、町にもここにも仲良しの女性がたくさんいるわよね。あたしが知ってるだけでもかなりの数。……諦めてどれかに決めたら?」
「いや、だからどれかって……」
「どれでも良いからさっさと身を固めて落ち着け。今日も暇なら、見合いの予定を取り付けよう」
「嫌です! お父さん、本気でどれでもいいと思ってませんか。持ってくるお話は全部、女性かどうかも怪しいような……」
「気立ては良いのだ。それが一番だぞ」
学院長の話を最後まで聞かずにファウストが脱兎のごとく逃げ出した。
あまりの逃げ足の速さにドナと二人で唖然とする。
「……学院長、ルードが殉職したらって話、まんざら冗談でもないかも知れませんよ。多少強引にでも誰かとくっつけちゃいましょうか。それもまた、運命です」
「ドナウ教授、君は実に達観している。よし、乗った」
日差しも穏やかな中庭で、なかなかに老獪な二人がファウストの行く末を心から案じ、そっとほくそ笑んだ。
――――西方のウェールズは、緩やかな丘陵と田畑が続くのどかな村だ。
オズモント孤児保護院の裏の畑で、ハス菜を収穫していたアレクがはたと手を止める。
「あれほど森に行っちゃダメだと言ってるのに……いたずらヨシュアめ」
畑の先の小さな森に、この孤児院で暮らす子供の一人ヨシュアが入っていくのが見えたのだ。
アレクが短めの金の髪をタオルでギュッと巻き、小さな鎌を片手に走り出す。
畑仕事と子供の世話で鍛えた足腰は確かなもので、あっという間に丘を登り切って森に辿り着いた。
だが、森に足を一歩踏み入れた途端、ヨシュアの甲高い悲鳴が空気を震わせた。
「やはり出たか……! くそ!」
手にした鎌を握り締め、声のした方へとひた走る。
――それはすぐに見つかった。
まだらな緑色の肢体を低く構え、アガレスが涎を垂らしながらヨシュアを狙っている。
「ヨシュア!」
「……アレクせんせえ……! う、うわあああぁぁん!」
その泣き声に興奮したのか、アガレスが大地を蹴ってヨシュアに向かっていく。
鎌を振るう間もなく、アレクは横跳びにヨシュアに飛びかかり小さな身体を抱きしめた。
「グガアアァォォォ!」
ギュッと閉じた目にも感じられる強い光。
目を開けると、二発三発と白い光の帯がアガレスに撃ち込まれ、瞬く間に塵となって森の空間に消えていく。
「よかった、わ……間に、合って……」
息を切らし、途切れ途切れにつぶやく声がアレクの後ろから聞こえた。
「……ルナディア」
「ごめんなさい、私が目を離したから……! ヨシュア! あれほど森はダメって言ってるのに」
「だって……だって……ルナせんせえにあげたかったんだも……!」
ヨシュアが泣きじゃくりながらも訴えてくる。
アレクは自分が抱えている彼に目を落とし、腕を緩めた。
「もしかしてこれか? ルナ先生にあげたかったってのは」
ヨシュアのポケットに、こぼれるほど詰め込まれているのは赤く艶やかに光る小さな果実。
「……フルーツベリー……。これを私に?」
泣き濡れた顔でヨシュアがこっくりとうなずく。
「ここの、すごくおいしいんだよ。すごく甘くて、ちょっとすっぱいけど。だから、ぼく……あげたかったの……」
「甘くて……すっぱい……」
ナディアがふと顔を曇らせる。
その意味を知っているアレクは、とりわけ明るい調子で言った。
「プレゼント攻撃なんて、お前マセてんな。でももう森に来たらダメだ。ルナ先生がドレイカーじゃなかったら、お前食われてたんだぞ」
乱暴にヨシュアの頭を撫で、アレクが彼を抱いたまま立ち上がる。
「とにかく森を出ようルナディア。また他のアガレスが来るかもしれない」
「ええ……」
ナディアは辺りを警戒しながら、先を行くアレクの後に続いた。
「本当にな……ルナディアがこの辺りの領主になってから、幻魔の被害がだいぶ減ったよ。昔は、大人も子供もよくやられたっけ……」
「……私はドレイクとこの村を親友達に預けられたの。今はこれが私の生きる意味よ」
丘に吹く自然の風が、ナディアの月色の髪を揺らす。
頬の痣はもう目を凝らさなければ見えないが、その右耳は以前と変わらず小さな耳たぶを残すのみ。
「親友……セレスか。あいつとはガキの頃よく喧嘩したなぁ。あいつがドレイカーになって戻ってくるかと思ったら、綺麗なお姫様がやってきてびっくりしたっけ。しかも領主様のくせに、こんな孤児院で暮らし始めて」
「領主なんて肩書きだけだし。それにここでの暮らしは、私にとっては夢のようだわ。たくさんの子供達に囲まれて、みんなが私を……」
ナディアはアレクの腕に抱かれるヨシュアのポケットから、フルーツベリーをひとつ取り上げた。
「私を大事に思って……必要としてくれる。ありがとうヨシュア。とっても……甘くて美味しいわ」
ナディアがフルーツベリーを口にして微笑むと、ヨシュアは照れたようにアレクの腕から飛び降りた。
そして子犬のように丘を下りて行ってしまう。
「……なあ、ルナディア。子供達だけじゃなくてさ」
アレクが急に立ち止まって、ひとつ咳払いをした。
「俺はこの孤児院で育って、多分このままチビたちの世話をしながら歳を取っていく。何の刺激も、面白みもない人生かもしれないが、ここでちょっと冒険してみたい」
「冒険?」
ナディアが頬に片手を当ててアレクを見つめる。
「綺麗で何でも出来て、天下のドレイカーである領主様にプロポーズしたい」
「…………!」
アレクが頭からタオルを取って、ナディアの前で頭を垂れる。
「俺と、ずっと笑って暮らしていこう。子供達だけじゃなく、俺にもルナディアが必要なんだ」
「で、でも私は……片耳はないし、ドレイクの糧で味覚がない……! だから料理もできないし……」
「料理は俺が味見すればいい。それに反対の耳で俺のプロポーズは聞こえただろう? 何の問題がある」
ナディアが言葉もなく唇を震わせる。
「君が居れば俺は何でも出来る。世界一幸せな男になれる。それってすごくないか? ……あ、普通は世界一幸せにしますって言うものか」
泣き笑いのような顔で頭をかくアレクに、ナディアがうつむいたまま何度も首を振る。
「いいえ……いいえ。この私が誰かを幸せにできる……。私にとっては、それが何より嬉しいプロポーズだわ……」
「え……、じゃあ……イエス?」
不安げなアレクの問いに、ナディアはゆっくりとうなずいた。
その瞬間、アレクの歓喜の拳が天を突く。
「はっはっは! プレゼント攻撃なんてセコいぜヨシュア! 男はやっぱりストレート勝負!」
その時だった。
アレクとナディアの足下を、ゆっくりと黒い影が通り過ぎていった。
二人が同時に空を見上げる。
「お……来たみたいだな。里帰りならもっと早く来れば院長も喜ぶのに」
「ドナとファウストの所に寄ってからこっちに来るって手紙に書いてあったから……あら?」
高い空をゆっくりと回っていた赤いドレイクが、こちらに下りずにそのまま北に向かって遠ざかっていく。
「なんだよ、下りて来ない……、行っちまった……?」
アレクがポカンと口を開けたままドレイクを見送る。
「ああ……多分、緊急の召集がかかったんじゃないかしら。そういう事よくあるって前にこぼしてたし……」
「はあ? 軍のドレイカーってのはそんなに忙しいのか。あのセレスがね……」
「ふふ……セレスとルードだからよ」
ナディアがアレクの隣で、小さくなっていく赤いドレイクに手を振る。
ありったけの想いを込めて……。
「――――だからっ! 俺達は今日、非番なんだよ! 今ウェールズに里帰り……、おい、聞いてるのかクソ親父!」
アンフィスの背中で、ルードが胸のマスターバッジに向かって唾を飛ばす。
「もう……必要だから呼ばれてるんでしょ……。アンフィス、構わないで行って。北のラクト山だって。確か鉱山だったと思う」
「あそこにはちゃんと幻魔対策の護衛隊が配備されてる!」
「配備されてるのに私達に応援要請があるんだからよっぽどでしょ! いいから行くの!」
セレスの一喝にルードが押し黙る。
密かにため息をついて、仕方なくセレスはルードの傍に寄った。
「……私が里帰りを楽しみにしてたから怒ってるんでしょ。ありがとね、ルード。大好き」
ピクッと耳が動いたかと思うと、ルードが再びマスターバッジに向かう。
「おい! 行ってやるから詳しい情報を教えろ。鉱山で何があった。護衛隊の被害状況は?!」
打って変わって張り切るルードと、クスクス笑いが止まらないセレスを乗せて、国の守護竜は颯爽と空を渡っていった――――。
§§END§§
ドレイカーの世界、如何でしたか。
セレスになってこの世界で冒険し、恋をし、一緒に困難を乗り越えて頂けたなら嬉しいです。
ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
花凛兎




