【Ⅴ】
「遅い……もう日が落ちる。まだか……!」
クロセルが押し殺した声でつぶやく。
彼と学院長、ルル=リタをはじめ闘った生徒達も、森の出口で固唾を飲んでセレス達の帰りを待っている。
空はすでに紫色に変わり、徐々に群青色の夜を呼び込んでいた。
「来おった! あれは……ファウストじゃ」
最高齢とは思えぬ目の良さで、ルル=リタが叫ぶ。
ファウストの白いドレイクが宿主とナディア、ドナを乗せて風のように森を渡り、森を脱出した。
そして即座にファウストの治癒の為に身体に戻っていく。
「おお、ファウスト! 二人も一緒か」
「ルードとセレスティナ嬢は? 途中で会わなかったか!」
学院長とクロセルが、草地に投げ出されたファウストに詰め寄った。
「いや、今……」
突然大地を揺るがす衝撃音と共に、森の奥から白い閃光が縦横無尽に迸る。
「な……っ?!」
「ルード……でかすぎるだろ……! まさかお前たちまで……?」
ファウストが青ざめ、辺りの生徒達からも悲鳴のような声が上がった。
「いや……違う! ……上だ!!」
森の気配を窺っていたクロセルが叫ぶ。
その瞬間、木々の上部を突き抜けて一際大きなドレイクが夜空に舞い上がった。
「クロセル! ルル教授! 今だ、結界を!」
学院長から白いドレイク、ルル=リタからは緑のドレイク、そしてクロセルから真っ青なドレイクが飛び出し、それぞれが音波のような啼き声を夜空に放つ。
その声はうっすらと光るエフェクトをまといながら扇のように広がり、瞬く間に幻魔の森を包み込んでいった。
巨大な光るエフェクトドームの上で、一体のドレイクが優雅に旋回している。
「真っ赤……、深紅のドレイク……?」
「アンフィス……とは少し違う……。もしかしてあれは……」
生徒達が森の上を見上げながらぼんやりとつぶやく。
「すごい……あれがこの国の守護竜なんだ……」
森の出口で、そして寮のたくさんの窓から、ロックバート学院全生徒の歓声が上がった。
――――空には満天の星。
足下には白く輝く結界に包まれた幻魔の森。
それはまるで花嫁のヴェールのように穏やかに、そして厳粛に、森と誓約を交わす――――。
「結界の儀が終わったら降りよう。思ったより傷は浅いようだし、すぐに治療してもらえば……。おい、いつまで固まってる。大丈夫か」
アンフィスバエナの背で、呆然と座り込んだままのセレスをルードが覗き込む。
「……ルー……」
唇が震えて上手く喋れない。
だが一言声を発した途端、我に返ったようにセレスは顔をくちゃくちゃにして泣き出してしまった。
「大丈夫なはず……ないでしょ! なんであんな無茶……絶対助からないと……!」
泣き濡れた顔で詰め寄ると、乱暴に頭を掴まれ彼の胸に押し込められる。
「わかったわかった……とにかく鼻を拭け。でもな、俺は助かる気満々だったぞ」
ゴシゴシと自分の胸にセレスの顔を擦り付けてルードが笑う。
「なんでよ、あんな真正面から突っ込んで……」
「お前の盾に守られてたんだぞ、無事に決まってるだろ。それに……」
セレスが顔を上げると、ルードは傍らで横たわるライアンに目を移した。
「こいつには借りがあるからな。返しておかないと……」
――――アンフィスバエナと夢魔のドレイク、双方が最後の攻撃にそれぞれの力を集約させていた時、ルードが突然走り出した。
「セレス! ありったけの力で俺にシールドを。ライアンを取り返す!」
「ええっ! ルード?!」
それでも条件反射のように、セレスは渾身のエフェクトでルードを包んだ。
身体にセレスの守護をまとい、躍り上がってエフェクトを握り締めた拳を闇色のドレイクに叩き込む。
「うおおあぁぁぁぁっ!!」
直にエフェクトを受けた夢魔の腹部がユラリと霞み、ルードはその中にライアンの姿を捉えた。
その瞬間、夢魔とアンフィスバエナの一撃が同時に放出されたのだった。
「――……夢魔の変化は完全な幻覚だ。あんな大きなドレイクに化けていたら、中はほぼ空洞。ライアンは直前まで生きていたし、丸呑みにされたから、変化さえ解けば間に合うと思った」
「だって! あの夢魔、強かったよ? あんな真っ向から攻撃して、もし変化が解けなかったら夢魔の攻撃が正面から……!」
「お前のシールドがあるだろう。それにその前に二人で攻撃して、ある程度は弱めといたじゃないか。まさか、俺が何の計算も無しにやけくそで攻撃していたとでも思ってるのか」
「う……」
返答に詰まるセレスに長いため息を吹きかけると、ルードはふいと横を向いて定番の仏頂面になってしまった。
「だいたいな……お前は本当に俺を信用してるのか? 一時は、あっさりバエナも俺も放り出しやがって……」
「ちょ……っ、あっさりなんかじゃないよ、あれはだって……」
聞き捨てならないとは思うが、ルードやバエナにとってもそれはかなりのショックだっただろう。
そう思うと、セレスはやはり何も言えなくなってしまう。
「やっぱりアレだ。お前にはキチンとした誓いがない。だから安易にそういう方向に考えが揺れるんだ。絶対そうだ」
なにやらやけに饒舌なルードに少し違和感がある。
セレスは前に回りこんでルードを覗き込んだ。
「安易ではなかったけど……、誓いって何? ルードが私に誓ってくれたみたいな事なら私も……」
「違う! そんな大げさな事を言ってる訳じゃない。その……つまり……」
言いよどんでいた重い口が、やがて小さく言った。
「最初は……一目惚れとか何とか口走った事があったが……」
目を瞬かせてセレスが小首を傾げる。
「俺は一度もお前から、その……、気持ちみたいなものを言われた事がない」
アンフィスとバエナが同時に笑い出すのを感じた。
それにますますルードの仏頂面が険しくなってしまう。
「え……嘘。そうだっけ?」
「そうだ! 嫌いとは、あの時はっきり言われたがな!」
「あ、あれはだって、嘘だってわかってたでしょ? 顔見れば私の事なんかわかるっていつも言ってるし」
「それはそうだが! だが言葉は言霊と言ってだな、口にするとそれは真実に傾くものなんだ。時にはちゃんと言葉にした方が安全と言うかブレないと言うか……」
キョトンとまるい目をして、セレスがルードを見つめる。
「……なんだその目は。勘違いするな、聞きたい訳じゃない。……いや、もういい」
アンフィスの背中から遠くを見やって風に吹かれるルードの耳元に、セレスは四つん這いで近づき唇を寄せた。
「大好きだよ、ルード。これからは毎日言うね」
ニコニコと屈託なく笑うセレスを、ルードが苦笑いで見返す。
「……よし。お前の誓いはそれに決まりだ。絶対毎日、一度は言えよ」
ギュッと肩を抱かれ、セレスはルードと共に下を見下ろした。
地上では生徒達がこちらに向かってにこやかに手を振っている。
やがて結界のヴェールは少しずつ薄れ、森は元のように幻魔を縛る、風も無い不気味な場所に戻って行った。
「……ねえ。私、卒業したら早くルードの赤ちゃん欲しいな」
「え」
突然投げかけられた、期待以上の大胆な求愛発言にルードが激しく動揺する。
またもや笑いが止まらないアンフィスバエナが、ヘロヘロと頼りなく地上へと下降して行った。




