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【Ⅱ】

「……薬が効かないわけないわ。あのお茶、ドナは飲まなかったのね」






こちらに向き直り、抑揚のない声でナディアが問う。




ドナはドレイクを具現化させたまま、油断なくうなずいた。






「やっぱりお茶に何か……。なんとなく嫌な予感がしてね。飲んだフリして絨毯の隅に全部飲ませたのよ。……さあ、次はあたしの質問に答えて」





「これは……」





手にしたスポイトを小瓶に収め、ナディアが蓋を閉める。






「ほんのひと垂らしで肉を溶かし、細胞を腐らせてしまう劇薬よ。セレスの右目に注してやろうと思ったの」





ナディアは小瓶を掲げて不敵に笑った。





「右目……! まさか……知ってるの」





「セレスのドレイクは最強と謳われるアンフィスドレイクの半身、バエナドレイク。そして糧は右目……ルードに聞いたわ。ドナも知っていたのね。ずいぶん信用されてる事……」





皮肉に笑うナディアの目の色を、ドナが注意深く覗き込む。





「バエナドレイクがこの子に宿る限り、ルードは私一人のものにはならない……。だから消してやろうと思ったのよ」





「本当にそれだけ? セレスをルードから遠ざけたかった……それだけの理由?」





「……どういう意味?」





射る様な視線を送り続けるドナを、ナディアはいぶかしげに睨み返した。





「あのお茶……ナディアに送られてきた荷物の中に確かに入ってたわ。おそらくその劇薬も一緒に送られて来た物でしょう。という事は、送り主は国家にとって大事なドレイクと承知で、その薬を使えと指示したという事……。本当に送り主はお父様なの?」





「…………」





「これは、いわば国家を敵に回した犯罪よ。痴情のもつれでおろそかに実行出来る事じゃないわ。……いったい誰の差し金なの、ナディア……」





ドナが悲しげに顔を歪ませ、自分のドレイクを静かに身体の中へと戻す。




フッと目を閉じ、ナディアの口元から長い長いため息が漏れた。





「本当に、ドナは賢い人ね……。私はルードが欲しかっただけ……その為にオルグを利用したのよ。あの人たちの思惑なんて知った事ではないわ」





「オルグ……?」




「いわゆるドレイク堕ちの集団よ。オルグの手を借りなければ私は学院に戻れなかった……。私にはもうルードしか居ない。何に変えてもルードが欲しかったのよ!」





ドナが前に一歩踏み出し、ナディアの頬を打った。



弾けるような音が部屋に響き、ナディアがドナのベッドに投げ出される。






「なんて馬鹿なの! そのオルグって、いわばルードの敵じゃない! そんな連中の言いなりになって……」





「ルードが私を受け入れてくれたら、全部話すつもりだったわ! オルグの拠点も、している事も全部話して、組織を壊滅させる手伝いを……」





「婚約したでしょう! これ以上どう受け入れろって言うの。敵の手を借り、こんな事をしてまでセレスを排除しようなんて……どうかしてるよ」





ドナがナディアを叩いた手を握り締める。




ベッドからそろそろと起き上がって、ナディアはうつむいたまま嗚咽のような言葉を漏らした。




「婚約なんて……嘘よ」





「……なんですって?」





思わずドナが聞き返す。





「一生をかけて守る、傍に置く、とは言ったけれどね……。セレスを愛しているから、私とは結婚できないって。その代わりにセレスとも結婚はしないって……。こんな、傷を盾に取ってまでして……悪魔に身を委ねてまでして求めたのはルードの心……それなのに、私はあの人を苦しめるだけの存在にしかなれない……」






静かに、ナディアのただれた頬を涙が伝う。





そのあまりにも哀しげなひとしずくにドナの胸も痛んだが、それとこれとは別の話だ。





「だからセレスをオルグに売ったの。バエナの情報を流し、その薬を送ってもらって……。あんた、自分が何をしたかわかってる?」





毅然とした口調で、ドナはキッパリと言い放った。



同情はあっても、到底許される事ではない。




だが、なぜかまだナディアの瞳の中には、挑戦的な光が見え隠れしている。





「わかってるわ。……たぶんドナよりはね。言っておくけれど、アンフィスがつがいの習性を持ち、その片割れの宿主がセレスだって事なんかオルグはとうに知っていたのよ」





「知って……? そんな、まさか」





「賢い女だから気をつけろとは言われてたけど……。自分の事には気の回らない、あなたもただのバカな女ね」




わずかに鼻で笑って、ナディアがドナを見つめる。





「言われてた……? 一体……」





「まだわからないの? セレスの情報を流したのはあなたよ、ドナ。覚えがない? あなた、セレスが編入してきてから、ルードがアンフィスを制御できるようになったって誰かに言わなかった? ……ベッドの中で」





「…………!」




ドナの身体から一気に血の気が引いていく。






「オルグにはね、かつて公爵の側近だった者を祖先に持つ人間もいるの。その家に代々伝わる裏文献や研究書の中で、つがいの習性の事はほのめかしてあったようよ。そして今のアンフィス制御の鍵になっているのがセレスだと、あなたがあいつに話したのよ」





「あいつって……」




勝手に声が震えてしまうのを、ドナは抑えきれない。





「あいつはあいつ。これよ」




ナディアが目を閉じると、その背後に現れた靄が、一人の男の姿をかたどった。




その自分を見下ろす面差しに、ドナの膝がガクガクと震えだす。





「……うそ……」





「嘘? 何が嘘だと言うの。この人が今のオルグのリーダーだって事? それとも帰省の度に会いにいくドナに、この人が愛していると囁くことかしら」





「ライアン……」





肩幅の広い、ガッチリとした体躯。




そのくせ、ドレイクの研究ばかりに明け暮れて、運動不足が気になると目尻を下げて優しく笑う、ドナの愛しい人。




あの事件の事は、貴重なドレイクの生態例を前にして我を忘れてしまったと本人も認め、その罪滅ぼしの為にもいつかルードの役に立てるように研究を続けていると……。



もちろん、ルードに対して良からぬ行動に出たなど誤解もはなはだしいと、心底驚いた顔で首を振っていた。






「ライアンは悪魔よ。目的の為なら女も、今では幻魔さえも道具として利用できてしまう……。あいつはドナからこの学院の様子やルードの情報を引き出していたの。いつかルードと公爵を失脚させ、ドレイカー主導の体制を破壊する為にね」





「そんな……じゃあ、国中に散らばる幻魔達から、人はどうやって自分を守ればいいの」





「ライアンいわく、そんな事は誰でもできる……何もドレイクを宿す者の特権ではない」





「何を……バカな」





その言葉は、目の前で歪んだ笑みを浮かべるライアンの幻影に向かっていた。





だが、こんな笑い方をするライアンをドナは知らない。




「……ねえドナ。あなたこの幻影はルル教授のドレイクみたいに、私のドレイクが作り出していると思ってない? 残念だけど、かつての私のドレイクにはそんな特殊能力はなかったわ」





「なかった……って」





「これは夢魔よ。私は今、夢魔を身体の中で飼っているの。……ライアンの手を借りて。今の彼は、そういう事ができるのよ」





「…………!?」






幻影が再び靄に変わり、次にかたどったのはドレイクの姿だった。





「私のドレイクはあの事故で力をほとんど失い、糧を吹き飛ばされてしまった私には長く宿る事が出来ずに消えてしまった……。事故の後、ドレイク再起不能とみた父は、すぐに私を森の別宅に幽閉したの」





その夢魔の作り出す赤黒い幻影ドレイクが、ナディアの差し出す手に甘えるように擦り寄る。





「幽閉……? そんな、自分の娘を……」





「……娘じゃないわ」





くっくっと、ドレイクを見つめながら笑うナディアに、ドナの全身がゾクリと粟立った。






「私はオルグがあっせんする、ドレイク保有の子供として父に買われたの。昔から、民間の貧しい家からたまたまドレイク保有の子供が生まれると、それは密かに売り買いされてきた……。オルグの歴史は実は長いものなのよ」





息を飲むドナを横目にナディアは立ち上がり、傍の机からペーパーナイフを手に取った。



そしてナイフの先で自分の指先を傷つける。





「なにを……? ナディア……!」





血の滲む指先を夢魔の幻影ドレイクに差出し、それを舐めさせながらナディアは続けた。






「この耳と頬の傷……本当はろくにお医者様に診てもらってもいないのよ。医者に診せて手術という事になったら、どこかで父と私に血の繋がりが無いことが露呈してしまうかもしれない……もしオルグと繋がりがある事が知れたらウェロー家は終わり。それを恐れて、父は医者に診せてはくれなかったの」





指をねぶるドレイクの舌が、ピチャピチャと音を立てる。





「幽閉されている間……毎日私は、少しずつドレイクが死んでいくのを感じて暮らしていたわ……それがどんなに辛く苦しいかわかる……? そして私のドレイクが息絶えようとしていた時……突然ライアンがやってきた」 





「もう……やめてナディア」





ドレイクが血をすする音と、受け入れがたいナディアの言葉から逃れるようにドナは耳を塞いだ。




「私はもう終わるから……ドナには知っていて欲しい。あなたは未来を背負うドレイカーだから……辛くても聞いておいて。今、この国はいつ内側から弾け飛んでもおかしくないのよ……」




驚くほど静かで厳然たる声に、ドナがハッと顔を上げる。





そこにはどこか下卑たドレイクを従えながらも、さっきまでとは違う凛と澄み渡ったナディアの瞳があった。





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