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【Ⅶ】

いつまでも緑の繭にこもっている訳には当然いかない。





セレスはひとつ深呼吸をして、自室のドアをそっと押し開けた。






「ただいま……」






囁くようにつぶやいて中に入ると、ドナもナディアもすでに寝ているのか部屋の中は真っ暗だ。





少しホッとして手探りで自分のベッドに向かう。




ドナはまだしも、やはりナディアとはどんな顔で向き合えばいいのかわからない。





すると突然、部屋に明かりがパッと点いた。






「…………あ」





「あ、じゃないわよ、このバカちんセレス! 一日中いったいどこに行ってたのよ」





ベッドの前に仁王立ちになって腕を組むドナに、セレスは引きつったような笑い顔しか返せない。





「……ルードと居たのね……」





その静かな声に振り返ると、チクリと胸が痛んだ。





ナディアがカーテンを少し開けて、窓の下を見つめている。



おそらく、下の中庭ではルードが心配そうにこの部屋を見上げているだろう。





「…………」





言葉が出てこないセレスに、ナディアはカーテンを閉めると、暗い目をしてゆっくりと歩み寄って来た。





「あ、あの……ナディア、私……」





目の前に立ったナディアは、おもむろにセレスを抱きしめた。





「ごめんなさいセレス……。私、たくさんひどい事言ったわ。私、ルードとセレスの事、ちゃんと気付いてたの。でもお父様が……それをルードが承知してくれたから、つい夢を見ちゃったの……」





「ナディア……?」




自分の胸元で泣きじゃくるナディアに言葉が見つからず、セレスがおろおろと立ち尽くす。





「ルードがこの傷に責任を感じて承諾した事もわかってる。それでも妻として尽くせばいつかは……って、思ったわ。でもやっぱり、そんな同情なんかで結婚しても私も幸せになんかなれないわ」





「ナディアはね、お父様に手紙を書くって言ってくれたの。今回の話は無かったことにしたいって」





ドナが苦笑いのような複雑な顔をしてセレスに言う。





「え……、だってそれじゃあ……」





セレスが困惑してナディアを見つめると、彼女はニッコリと笑ってうなずいた。





「大丈夫よ。私がきちんと話せばきっとお父様はわかってくださる。一人娘には本当に甘いの」




悪戯っぽく笑うナディアに、まだセレスは笑顔を返せない。



その様子にナディアもまた顔を曇らせる。




「あんなにひどい事を言った私をそう簡単に許せないのはわかるわ……。でも私はセレスと仲直りしたいの。本当にもうあなた達の邪魔はしない。ルードは私の……」





突然、ナディアが唇を震わせた。





「私の……たったひとり、愛した人だから……。もう困らせたくないの……!」





「………………」





「もういいじゃない、セレス。仲直りしてあげて。ナディアだって……」




たまりかねたようにドナが口を挟む。






「違うのドナ。そうじゃなくて……」





「嬉しい! じゃあ私を許してくれるのね」





跳ねるようにナディアがセレスから離れ、自分のベッドの方へと駆けて行く。





「ねえ、じゃあお酒はないけど、お父様がとびきりのお茶を送ってくれたの。すごく香りが良くて……なかなか手に入らない逸品なのよ。これを淹れて仲直りの乾杯をしましょう」





「あの……ナディア」





「ああ、そう言えば他にもいっぱい荷物が来てたよね。あれ全部ナディアのお父様からの差し入れ?」





いそいそと紅茶を手に、ポットのあるワゴンに急ぐナディアにドナが笑いかける。





「ええ……差し入れというか、ほとんどが創立記念祭にどうかってドレスやら靴やら……。そんな物ばかりよ」





「あの……ナディア。私あなたに聞きたい事があるの」





セレスは思い切って、お茶を淹れるナディアの背中に言った。



だがナディアは聞こえているのかいないのか、鼻歌交じりでカップの用意をしている。





「あのね……ナディア、私……」





「セレス。もう今夜はやめておきな。ナディアだって一大決心なんだから……ね? どうしてもなら、また明日にしてあげて」





ドナがセレスにそっと耳打ちする。




少々見当違いではあるが、ドナの前で聞きにくいという理由もあって、セレスはそれきり口をつぐんだ。





(じゃあ明日……どうしても聞き出さなきゃいけない……。どうしても気になる……)





「はい、お茶入ったわよ。お砂糖いっぱい入れちゃった。甘い方がこれは美味しいの」





「え―? 寝る前にそんな甘いの、太っちゃうわよ」





ドナがカップを受け取りながら、おどけてみせる。



味など、わからないはずなのに。




「香りが甘いから、お砂糖も多めが美味しいの! はい、セレス」





差し出されたカップをセレスも受け取り、三人は向かい合った。






「じゃあ……、お父様への手紙は明日書きます。今までごめんなさいセレス。許してください」





「はい……」





「じゃあ、三人の友情に……乾杯!」




ドナの明るい音頭で、三人はカップを掲げ宙でカチリと合わせた。








――三人揃ってベッドに入り数時間は経ったと思われる頃、静かにナディアは起き上がった。




そっとベッドから足を下ろし、まずはカーテンと窓を大きく開け放つ。





次にドナのベッドに向かい、寝息に耳を寄せて確認する。





規則正しく、長めに繰り返される寝息は深い眠りを示している。




おそらく、これから騒ぎが起きても目は覚まさないだろう。





強力であるにもかかわらず、後で成分が残らないように調合された特別な睡眠薬。



彼の調合する薬品はどれも優れた威力を発揮する。



それは身をもって体験したナディアは痛いほどよく知っている。






ナディアは自分のクローゼットの中から、薬剤の入った小瓶を取り出した。



キャップの部分にはスポイトが装着され、中の薬剤を吸い上げられるようになっている。





しばらくまばたきもせずにその小瓶を見つめ、ナディアはゴクンと唾を飲み込んだ。






足音を立てないように、裸足のままセレスのベッドに向かう……。





セレスもまた、深い眠りに落ちていた。




仰向けに横たわり、片手を上げる様な格好で無防備に寝息を立てている。





キュッと小瓶のキャップを緩め、スポイトをつまんで中の薬剤をごくわずかに吸い上げた。




 


今さらながら手が震える。




迷いなど、とうに失くしたはずなのに。






(バカみたい……。もう戻れないのに)





戻れるとしたらどこまで戻ればいいのだろう。





アンフィスの暴走を受けたあの日か。




それとも己の身の秘密を知った日か、大事なものが消えた日か、いや、悪魔の囁きを飲み込んで契りを交わしたあの時か……。





どこまで遡れば、この、身を捻じ切るような孤独と寂しさから開放されるのか。






(戻れない……。それなら進むしかない)





ナディアの手の震えは嘘のように消え、心も凪いでしまった。





スポイトをセレスの右目に近づける。




これをほんの一押しして中の液体を垂らせば、セレスの瞼は瞬く間に破け、その奥の瞳をも容赦なく溶かしてしまうだろう。




糧がそこまで損傷すれば、宿る最強のドレイクの半身は一瞬で消え去る。





そしてセレスも……終わる。






狙いをつけ、ぴったりと右目に液体が落ちるようにスポイトをかざす。




騒ぎが起きても、窓を指差し、誰かがここから侵入して……と叫べばいいだけ。






そしてナディアは指先に神経を集中させた――。








「……セレスから離れて! 」







ピクリとナディアの指が振れる。







「そのまま下がりなさい……。あたしのドレイクがあんたの背中にエフェクトを撃ち込まないうちに」






ナディアは天井に向かってひとつため息をつき、ゆっくりと後ろに下がった。




そして声の主を振り返る。






「急に手の平を返したように仲直りだなんて、おかしいと思ったのよ。その瓶の中身は何? セレスに何をしようとしたの」






そこにはすでに攻撃の準備を整えたドレイクを従える、ドナの姿があった。





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