【Ⅲ】
人目につかぬよう足早に中庭を横切り、三人は彼らの部屋に戻った。
セレスに言った一言を限りにファウストはピクリとも動かない。
「本当に大丈夫なのかな……。こんなに……」
二の句が継げない。
裂傷と言うのも甘いほど、ファウストの身体はズタズタに食い破られている。
この状態で血の跡がないのが、かえって不気味で恐ろしい。
「おそらくこれは軽い方だろう。内臓まではいってないからな」
淡々とした口調でルードが言い、ベッドに彼をそっと下ろす。
「内臓……!」
「俺は以前、何度か幻魔を消した事がある。消滅したやつらを補充した時は、こんなもんじゃ済まなかっただろう」
「補充って……どこかから連れてくるんじゃないの……?」
「いや……。幻魔はな、十分な滋養を補給すると、分裂して個体を増やしていく」
声にならない悲鳴がセレスの口から洩れた。
「分裂まで促すなら、アガレスは内臓ひとかけらくらいは必要だろうし、夢魔なら……愛し合ったのかもしれない。どちらにしても、ここまで自分を保っていられるとは、ロックバート家のドレイクは物凄い力があるな」
ファウストに適当にシーツをかけ、ルードが彼を見下ろす。
「……止められないの……?」
ファウストを見つめたまま、セレスはつぶやいた。
だが、答えは聞くまでもないのもわかっている。
ルードは何も言わず、ただセレスの頭に手を置いた。
「……お前は心配しなくていい」
頭ではわかっていても、やはり心はついていかない。
ドレイカー達の世界は、セレスにとってまだどこか異国のように心もとない。
「お前……今日はずいぶん待ったか?」
ふいにルードがそんな事を言った。
「え……うん、少し……。でも、約束してた訳じゃないし……」
「……そんなの、いつもそうだろ」
ふとルードが視線を外し、またファウストに目を向ける。
「今夜はこいつを看ててやらないと。明日の夜は……必ず行く。待っててくれるか」
「くれるかって……うん、もちろん待ってるよ」
どこか違和感のある横顔に、思わずセレスはルードの手をそっと掴んだ。
自分からこうした事をするのは少し気恥ずかしい。
「…………。お前はどうしてそう……」
握り返された手がそのまま引き寄せられ、セレスがルードの胸元に押し込められる。
「ちょ……ルード……! ファウストがいるんだよ……」
「わかってる……、少しだけだ……」
セレスをきつく抱きしめたまま、ルードはそれきり押し黙ってしまった。
「……ルード……。 どうしたの、何か変だよ……?」
トントンと、彼の後ろに回した手で背中を叩く。
するとセレスの肩に埋めていた顔を起こし、ルードが微笑んだ。
「どこも変じゃねえよ、バーカ。さっさと部屋に帰れ。また寝不足で授業中寝ちまうぞ」
「も、もうしないわよ。……でも確かにそろそろ……、じゃあファウスト、お願いね」
コクリとうなずいて、ルードがセレスをドアの方に押し出した。
肩越しに振り返ると、ベッドの上のファウストの呼吸は安定しているように見える。
「おやすみなさい……」
小さく言って、セレスはルード達の部屋を後にした。
部屋に残されたルードが、脱力したようにカウチに沈み込む。
身体も心も、鉛のように重い。
「……今、話すつもりなのかと思ったよ。せっかく寝てるフリしててやったのに」
ベッドの上からそんな声がかかる。
「やっぱりな……そうじゃないかと思ってたぜ。……身体は大丈夫なのか」
「自分でさっき説明してたじゃないか、こんなのはまだ軽い方だって。血が足りなくて怖ろしく気分は悪いが、一晩寝れば動けるようにもなるさ」
ファウストは額に腕を乗せて、大儀そうに長く息を吐いた。
だが、よどみなく話す様子は彼が確実に回復に向かっている証と言える。
「そうか。知らなかったとはいえ、今までむやみに幻魔を消しちまって悪かった」
「そんな事はいい。それが僕達の仕事だ。それより、どういうつもりだ」
「……相変わらず地獄耳だな」
ルードもファウストにならうように目元を腕で覆う。
外界の全てを遮断するように。
「森に行く前に学院長から聞いたよ。ウェロー伯爵が帰り際に喜び勇んで報告していったらしい。本気なのか」
「本気も何も……。確かにあんな傷をつけちまったのは俺だ。向こうがそう望むなら、俺に選択の余地はない。全部抱えて生きてやる」
「うぬぼれるな。セレスは道具じゃない」
思わず腕を外すと、ルードの目に薄暗い部屋の天井がぼんやりと見える。
ついさっき、不安げに自分を見上げたセレスの顔がそこに映し出された。
こちらのほんの僅かな心の動きすら敏感に感じ取り、セレスはそれを無意識に慰めようと行動する。
あの不安そうな瞳に全てを見透かされたような気がして、胸が痛み、そして愛しさが募った。
「あの子はバエナのせいで国家に縛られ、未来の選択肢を失った。それでもルードが居るから前を向いてる。それが……」
「……俺は居る。あいつの傍に」
「はは……第二夫人として置くつもりか。それとも妾か。あの子の人としての幸せなんか、国家の前にはゴミくずみたいな物だな」
「…………」
二人の部屋に沈黙が落ちる。
いつの間にか降り始めた雨が、窓をやけに荒々しく叩いた。




