【Ⅰ】
沈みかけた夕日は、まるで血塗られたようなねっとりとした赤。
その下で、風も無いのに幻魔の森はザワザワと波打っている。
入り口でポケットに両手を突っ込んだまま、ファウストは物憂げに森を見上げていた。
「何故そんなに泣く……。おかしいだろう。そんなに、寂しいのか……?」
ファウストは一つため息をつくと、ブラブラと散歩でもするような足取りで森へ入って行った。
――その頃ドナは机でスケッチブックに向かい、せっせとペンを走らせていた。
すでに頭の中にはいくつかのデザインが浮かんでいて、それをラフに描き出してみる。
「うーん……もう少し大胆に肩を出してもいいかな……。あのチョーカー、存在感あるし……」
ドナにとって、これはとても楽しい作業だった。
セレスの喜ぶ顔を想像すると、またさらにペンにも力が入ってしまう。
何枚目かのデザイン画が仕上がったところでドアが開き、部屋にナディアが戻ってきた。
「あ、おかえり。ずいぶん長かったね、お父様との面会。やっぱり娘が心配で仕方ないんだろうね」
「ええ……そうね。本当に、いつまでも過保護で困るわ」
曖昧に微笑んだ後、ナディアがふと周囲を見渡す。
「……セレスは?」
「え? えっと……図書室へ行ってるよ。なんか物理のわかんないトコ、ファウストが教えてくれるとかで……さっき出て行ったわ」
こちらも曖昧に笑って、ドナはスケッチブックを閉じた。
咄嗟に嘘をついてしまったが、やはり、「セレスはルードに会いに行ってます」とは言いにくい。
するとナディアはふと顔を曇らせ、自分の両腕を抱いた。
「ファウスト……。私、あの人少し苦手だわ……」
「え? ナディア、ファウストとも仲良かったんじゃないの?」
「そうでもないの。久しぶりに会ったらあんな風に変わってて驚いたけど。昔のあの人って、優等生だけどどこか近寄りがたくて……冷たい感じがしたものよ。当時はライアンとも親しかったみたいだし……」
「ライアン……。あの、事故の原因になった人……よね」
言葉を選ぶようにして、ドナが上目遣いに問う。
「ええ……。ファウストと同期で同じく成績優秀、向上心が強くてとても激しい……何かにつけて目立つ人だったわ。なにも、アンフィスにこだわってあんな事件を起こさなくても、出世は出来たでしょうに……」
「アンフィスって……どういう事? ファウストは、ルードに手っ取り早く取り入ろうとしたライアンが、彼を……その、無理やり自分のものにしようとしたって……」
「自分のものにって……、そうね。発覚した時は、ルードは弛緩剤を飲まされててベッドで身動き出来ない状態だったし」
「弛緩剤……! そんなものを?」
ナディアは少し考えるような表情をして、奥の自分のベッドに向かい腰を下ろした。
それを追って、ドナもまた部屋の奥へと足を運ぶ。
「……ライアンはね、当時ドレイクの生態についての研究をしていたの。その中でも、最強と言われるアンフィスドレイクがどうして宿主と通じ合えないのかを解明するのに必死で。あの日、彼は自分の部屋にルードを招いて、最後にもう一度だけ具現化したアンフィスを見せてくれと迫った……」
「生態の研究……」
ナディアは小さくうなずき、自分の隣にドナを促した。
「私、ルードが彼を嫌っているのは知っていたから、なんだか心配で……こっそり後をつけてライアンの部屋の外で、中の様子を立ち聞きしてたの。はしたないわよね」
「…………」
「ルードはアンフィスを自由に具現化なんて出来る状態じゃなかったから、ライアンの頼みが不愉快だったんでしょうね。ひどく怒って……でも急に部屋が静かになったの。薬が効いてきたんだと思う。不安になった私が部屋に飛び込んで、ルードを押さえつけるライアンを退かそうとしたら……アンフィスのエフェクトが暴発した……」
ドナは顔をゆがめてナディアから視線をそらした。
それでもナディアの話はなおも続く。
「その事件でライアンは、確約していたマスターの称号を取り消されて、第一線では活躍できなくなったの。今はどこかの小さなドレイク研究施設で働いているらしいわ」
「……バカな男ね。そんな真似をして、よく称号取り消しくらいで済んだわ。おおかた、ルードを窮地に追い込めばアンフィスが本能で出てくると思ったんでしょうけど」
吐き捨てるようにつぶやくと、ドナは深いため息をついた。
「称号取り消しだけで済んだのは、おそらく彼のドレイクもアンフィスの被害に遭ったから……だと思うわ。あの時、防御本能で具現化して出てきたのはライアンのドレイクの方だったの」
「え……?!」
ナディアは天井に向かって、ポツリと言った。
「私と同じよ。ライアンのドレイクも消えこそしなかったけど、アンフィスのエフェクトを受けてかなり力を失ったはず。自分のドレイクが弱っていくのを感じるのは、それは辛いものよ……。それがライアンに与えられた罰ね……」
「…………」
何も言えなくなってしまったドナに、ナディアがふと柔らかく微笑む。
「ごめんなさい、また変な事言っちゃったわね。ねえ、それよりさっきは絵を描いてたの? スケッチブックが出ていたでしょう。ドナに絵の趣味があるなんて知らなかったわ」
「ああ、あれは……」
違う話題になった事で少しホッとしたドナは、スケッチブックの乗った自分の机に目をやった。
「今度の創立記念祭で、セレスが着るドレスを実家で作ってもらおうと思って、そのデザイン画を描いていたの。うち、ドレスショップなのよ。もうあんまり日にちが無いから急がないと間に合わないわ」
「……セレスの?」
いぶかしげにナディアが眉をひそめる。
「うん。実はこの前、あの子の後見人代理って方から丁寧なお手紙もらってね。記念祭で着るドレスが女の子には必要だろうから、あたしを通してうちのお店に注文したいって。セレスの好きなように作ってやってくれって。なかなか素敵なあしながおじさんだわ」
まるで自分の事のように嬉々として話すドナを一瞥し、ナディアはベッドから立ち上がった。
「ねえ……そのデザイン画、見てもいい?」
「いいけど、まだどれにするか決まってないよ。あの子に選んでもらわなきゃ」
ナディアはドナの机に近寄りスケッチブックを取り上げた。
そして中のページをパラパラとめくる。
「どれも素敵だわ……。セレスは本当にみんなに大事にされてるのね」
「ん? そうね。後見人って人もずいぶん手厚い援助をしてるみたいよ。奇特だよね」
「ドレイク保有者だから……その方も大事にしてるだけでしょう」
ナディアの言葉に、ドナは目を上げた。
「その人はそうかもしれないけど。ドレイク保有じゃなくても、あたしはあの子と出会ってたら絶対友達になってたわ。こんな世界に来なくても、あの子はあの子の世界で大事にされて幸せに生きたはずよ。そういう子よ」
「そうね……。セレスはそういう子よね。私にもわかるわ……」
スケッチブックを眺めながらナディアがぼんやりとつぶやく。
なぜか、これ以上は隠してはおけない気がして、ドナは思い切って切り出した。
「……あのね、ナディア。本当はあたしが話す事じゃないかもしれないけど、セレスは少し前から……」
「私もドナのおうちで新しいドレス作ろうかしら。創立記念祭は大事な方にお会いして、ご挨拶しなきゃならないの」
「え……、それはもちろんいいけど。挨拶って、一体誰がくるの?」
スケッチブックから目を上げて、ナディアがドナを真っ直ぐに見つめる。
「ドージェ(元首)よ。ルードのお父様。さっき、私の父とルードが話し合って……私、正式にルードと婚約することになったの」
「…………!」
絶句するドナにニッコリと微笑み、ナディアはスケッチブックを机にポンと放り投げた。




