【Ⅷ】
応接室は貴賓、もしくは国の要人の来訪を迎える特別な部屋である。
この時ばかりはルードも、制服を乱れなく身につけそこに向かった。
「……お久しぶりです、ウェロー伯爵。もう二年近くもお宅に伺うこともせず、申し訳ありません」
「ああ、いいのだよルドセブ君。来てくれても会おうとしなかったのはルナディアの方なのだから。さあ、こちらに来てくれたまえ」
ウェロー伯爵は相好を崩し、自分の正面のソファにルードを促した。
「……はい」
言われるまま、ルードは硬い足取りで応接室を進み、ソファに浅く腰を下ろす。
するとナディアが傍らのワゴンから、すでに用意がしてあったらしき紅茶をルードと父親の前に差し出した。
「ルードはお砂糖は要らないのよね。ストレートのままにしておいたから」
ゆうべから一夜明け、ナディアは何事もなかったかのようにいつも通りだ。
「……ありがとうナディア。いただくよ」
ルードの礼にニッコリとうなずくナディアに、ウェロー伯爵は満足そうに目を細めた。
「さて、急に呼び出して申し訳なかったが、今日は君に大事な話があって来たのだよ。ルナディア、お前もこちらに座りなさい」
「はい、お父様」
ナディアが自分の隣に腰掛けるのを待って、ウェロー伯爵は切り出した。
「ナディアがこんな顔のままで学院に戻ってきて、驚いたのじゃないかね」
ルードのカップを持つ手がわずかに振れる。
だが、伯爵はルードの答えを待たずに話を続けた。
「私は驚いたよ。なにしろ女の子だ。なにも人前にこんな顔を晒す必要はないと思った。だが、この子はどうしても戻りたいと言ってきかなかったんだ。……君に、会いたいからと」
刺すような伯爵の視線を、ルードが正面から受け止める。
「いじらしいとは思わんかね。こう言ってはなんだが、君に付けられた傷にもかかわらず、娘は君に以前と変わらぬ想いを持ち続けている。それならば、親としてこの子の為にしてやれる事はないものかと、そう思って今日はやって来た。……どうだねルドセブ君。娘を……ルナディアをこの先も傍に置いてやってはくれないものか」
ナディアが恥じ入ったようにうつむく。
その娘の肩をしっかと抱いて、伯爵はなおも言った。
「親バカと言われても構わない。私はこの子の一途な想いを叶えてやりたい。それに、君も以前からナディアとは親しくしていた。あの事件さえなければ、今頃は自然とそういう仲になっていたのではないか? それとも、傷ものになったからと言ってナディアを見捨てるのか。これは君のした事なのだぞ」
「お父様待って。そんな言い方……」
「いや、こういう事ははっきりさせなければ。ルドセブ君、事故とはいえ君が娘に付けた傷はこれ以上は綺麗に治らないそうだ。こんな顔では、他にこの子を相手にする者もいないだろう。それに、考えてもみてくれたまえ。当家は代々続く、古いマスターの家系だ。君も次期公爵となる身なら、真っ当なマスターの血筋の娘を妻に選ぶべきだ。ナディアなら、必ずやドレイクを宿す子を産むだろう。君にとっても、そう理不尽な申し入れではないと思うが」
語尾を強くして伯爵が言い放った。
ナディアもそれ以上父親に逆らう事はせず、ルードに視線を送る。
カップに指をかけたまま、ルードは中の琥珀色の紅茶をじっと見つめていた。
何も言わず、呼吸すら忘れたかのようにただうつむくルードに、ナディアが切なげに顔を歪める。
「ごめんなさいルード……! わかってるの……こんな、こんな私だもの。あなたを困らせるつもりはないわ。だから……いいの」
「ルナディア! お前は黙っていなさい」
「でも……だってお父様……!」
涙ぐむナディアを胸に抱いて、ウェロー伯爵はルードに向き直った。
「……少し、言葉が過ぎたようだ。すまなかった。だが、考えておいてくれないか。そうだな……今度の創立記念祭の時に返事をくれたまえ。記念祭には君のお父上もこの学院にお見えになるだろうから、君の答えがどうであろうと、その時に正式に申し込むつもり……」
「その必要はありません」
今まで身じろぎもせずにいたルードが、ふいに顔を上げた。
「記念祭まで待つ必要はありません。今、この場でお返事いたします」
「ルード……?」
不安げに眉をひそめるナディアと伯爵の前で、ルードは背筋を伸ばし、静かに両手を膝の上に置いた。
「ナディアは俺が一生をかけて守ります。ずっと、俺の傍に……」
ナディアが手で押さえた口元から、悲鳴のような声が漏れる。
ルードは膝に置いた拳を固く握った。




