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【Ⅲ】


明るい日差しが体中に降り注ぐ。





城の真ん中をコの字にくりぬいたような中庭は、クロセルの言う通り、美しい盛りを迎えているようだった。





手入れの行き届いた花壇には、色とりどりの花が咲き乱れ、一本だけ植えられた大樹がすっくと青い空に向かって伸びている。




その木陰には、座って友達とおしゃべりしたくなるような可愛らしいデザインのベンチが置かれていた。






(あ、噴水……)





中庭には、豊かな水を湛える噴水がある。





その噴き出し口の中央にはドレイクの石像が据えられ、下から迸る水を受けていた。




翼を広げ天を仰ぐドレイクの姿は、今にも水から飛び立とうとしているかのようで、とても神秘的だ。






(こんなのが本当に私の中に……?)






セレスは具現化したドレイクを実際に見たことがない。





セレスがいた村を担当するドレイクマスターは、現在そこを治めている領主が兼任している。




その人物は自分の領地の治安管理よりも、財産管理の才に長けているらしく、彼が目の前で村人のためにドレイクと共に戦う姿など望むべくもないといった有様だった。




当然、幻魔による村人の被害も後を絶たない。





そんな訳で、時折孤児院の子供目当てに現れる幻魔達も、年長者でもあるセレスがその都度、箒一本でなぎ払ってきたのだった。



噴水をぐるりと一周しながら、セレスは辺りを見回した。





おそらく、さっき出てきた棟は教室が連なる学び舎で、ここの向かい側の棟が宿舎ではないかと推測できる。





ふと視線を巡らすと、コの字型の中庭の開けた方向先に、濃い緑色をした森のような場所が見えた。





そこまでは、なだらかな丘を下っていくような地形になっている。




どうやらこの城は、僅かに高台に建っているようだ。






(敷地内に森まであるんだ。ここってどれだけ広いんだろう)






気の向くまま、セレスはその森に向かって歩き出した。




今の授業が終わるまで、まだ時間はかなりある。




このまま中庭で一人、ぼーっとしてるのも退屈だ。






下り坂になっているので、小走りに駆けるように丘をくだり、あっという間にその森に着いてしまった。




特に入り口のようなものはなく、セレスはそのまま、ためらう事なく森に足を踏み入れた。






うっそうと生い茂る木々は、先ほどの中庭と違い、きちんとした手入れはされていないようだ。




散策するための小道はおろか、獣道さえも見当たらない。




あえて、自然のままの状態を、保持しているようにも思えた。






(静か……。……って言うより、なんか……)





ふと、漠然とした違和感が胸をよぎる。




誰もいないであろう森が、静かなのは当たり前なのだが、この耳鳴りがするほどの静寂は何かおかしい。






「そうだ。ここ、鳥の鳴き声もしないんだ」




そうあえて口に出し、上空を仰ぎ見た。






やはり、森なら居てもいいはずの鳥たちの姿はなく、枝葉を鳴らす風さえもここにはない。




研ぎ澄まされたような無音の空気が、セレスの肌をピリピリと落ち着かなく撫でていく。




まるで、誰かが息を殺してこちらを伺っているかのように。






「……なーんてね。気のせいだってば」





おどけたように、セレスはひとりごちた。


慣れない場所にやってきて、ちょっと神経過敏になっているのかもしれない。




そんな風に考えて、セレスはさらに森の奥へと分け入った。



どちらにしても、まだ引き返す気にはなれないのだ。






(もう少し先へ。もう少しだけ……)





なぜか、少し心が急いていた。





黙々と不揃いな雑草を踏み分けていくと、やがて前方にそこだけやけに緑が濃く感じられる場所が見えてきた。






何があるのかと、訝りながら何度か目を瞬かせる。




だがおかしな事に、そこには緑色のものどころか何もない。




と言うのも、今まで無造作に立ち並んでいた木立がそこだけ生えておらず、ぽっかりと円形に空いているのだ。





それでもセレスは、引き寄せられるようにその場所へ足を運んでいく。




すると――。






(え……、ええっ?)






近づくにつれ、その空いた場所に、緑の小山のようなものがぼんやりと浮き上がって見えてくる。




そして目の前まで来たとき、それは完全なビジョンとして、セレスの目に映りこんでいた。






「……何、これ」





大きなボウルを伏せたような、丸い緑の小山。




葉のたくさん付いた低めの木々を固めて作ったよう。



モコモコとした感じが、ちょうど巨大なブロッコリーを連想させる。






セレスが恐る恐る手を伸ばすと、それはザザッと葉をかき鳴らし、パックリと左右に開いた。




開いた隙間から中を覗くと、そこは空洞になっているようだ。






「……えーと。お邪魔します」





好奇心には勝てない。





セレスはこの不思議なものになんら疑問もなく、むしろウキウキと、隙間から身を屈めて中に入った。






「うわあ、すごーい」





 つぶやいた途端、開いていた隙間がザッと閉ざされた。




だが、閉じ込められたというような恐怖は湧いて来ない。




それどころか、ここは外の森の中よりもどこか安心する。






ぽっかりと丸く森をくりぬいたような緑のドーム。




生垣のような低木が周囲から天井まで隙間なく廻らされ、地面には絨毯のように穂先の短い雑草が踏み固められている。




さほど広さはなく、まるで子供の頃に友達と作って遊んだ、秘密基地のようだ。






「外からは、中がこんな風になってるなんて全然わからなかった。それに、見えたり消えたりして……不思議だな」



そっと緑色の絨毯を踏み、中央まで来ると、誰も見ていないのをいいことに大の字になって寝そべってみた。





心安らぐ、土と草の香り。





見上げると、重なった枝の葉から木漏れ陽が、セレスの上にキラキラと降り注いだ。






――誰か、人の手で造られた場所だというのは明らか。




でも、少しだけ。




ほんの少しだけ、ここに居させて欲しい。




荒らしたりしないし、すぐに出て行くから……。






ほんのりと温かく、やわらかい。



生まれる前の母の胎内はこんな感じなのだろうか。






いつしかセレスはその心地よさにまどろみ始める――。









……が、夢の入口からセレスを引き戻すかのように、ドームの外に誰かの足音が聞こえてきた。





現実の、無断侵入者であるセレスが目を見開く。







次の瞬間、入り口がザッと開き中へ一人の男が転がり込んできた。






「きゃあっ!」





弾かれたように身を起こし、セレスがあたふたと後ずさる。




その悲鳴に、男が地面に倒れこんだまま僅かに顔を上げた。





その表情は苦悶に満ち、蒼白な顔には乱れた黒髪が散っている。







「誰……だ。ここ、に、どうやっ……て」






はだけた白いシャツにタイはない。




だが、セレスのスカートと同じ、黒地に緑を一滴垂らしたような色のスラックスは紛れもなくこの学院の制服だ。





年はきっと自分より少し上、この隠れ家を造った人なのだろうか。






「く、そっ……! いい加減にしやが……れ。う、うああああっ!」





低く通る声で叫びを上げ、男が左目の辺りを押さえてもんどりうつ。




身体をくの字に折り曲げ、肩を震わせるそのただならぬ様子に、今までの雑多な思考が一気にセレスの頭から抜け落ちた。







「何、目をどうかしたの?! 見せて!」





セレスはもつれながらも、彼の元へと駆け寄った。






――助けなければ。



守らなければ。






そんな思いに突き動かされ、セレスは目元を押さえる彼の手を剥ぎ取った。






「寄るな……」






彼が僅かに目を開け、セレスを睨み付ける。





その瞳の色に、セレスの胸が撃たれたように脈打った。







(黒と……赤。オッドアイ……?)





左右の瞳の色が違うオッドアイ。




彼の瞳は、右が髪の色と同じ黒、左はガーネットのような透き通った赤い色をしている。




息を飲んだまま、セレスはその瞳から目を逸らせずにいた。





すると、彼もきつい眼差しを緩め、徐々に戸惑ったように目を見開いていく。






「お前……?」





そうつぶやいた途端、彼はセレスの顔を両手で掴み、自分の隣に引き倒した。






「……!」






 声を上げる間もなく、草の上に肩から倒れこんだセレスの顔を、彼はガッチリと掴んだまま離そうとしない。






(な……なに? なんなの?)





驚きと戸惑いで動けなくなったセレスを、彼のオッドアイがじっと見つめている。







押しのけることも出来るのに、セレスは彼と二人、ただ見つめあったまま草の上に横たわっていた。






森にはなかった風が、さやさやと音を立てて二人を撫でていく。





何かに苦しんでいたはずなのに、今の彼は呼吸も静かで、顔色も少し戻っている。




それがセレスを、この上もなくほっとさせた。








初めて会った見知らぬ人と、見知らぬ場所。






それなのに、二人でこうしていることがごく当たり前のように、セレスの心は満ち足りて凪いでいる。






だから彼が顔を寄せてきても、ただ黙って目を閉じた。






コツンと彼の額とセレスの額が触れ合うと、懐かしい温かさが体中に沁み渡る。








「誰にも言うな。……俺の事も、ここの事も……」





彼の唇が鼻先でそうつぶやく。






「……うん」






小さく頷くと、セレスに心地よい睡魔が降りてきた。






土と草と、大好きな彼の匂い。






満ち足りた想いと、ひとしずくの切なさに包まれて、セレスは眠りに引き込まれた。










(……ミツケタ。ワレノ、バエナ……)







 誰かの声が、夢にまどろむセレスの世界に、低く優しく、静かに響き渡った。




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