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ツインテイル§ドレイカー  作者: 花凛兎
女神の骸(むくろ)
27/56

【Ⅳ】

部屋の奥で、うつぶせるように丸くなったアンフィスが、満足げに目を閉じている。



その鼻先には、同じように安心しきった様子で翼を休めるバエナ。



ようやく寄り添えたニ体のドレイクは、宿主たちの喧噪など全く意に介さない。






「だから、ナディアは妹のようなもんだと言っただろう。そんな事を気にして、さっきは降りてこなかったのか」





ドナが懸念した通りの言葉が、ラグの上に座り込んだセレスの頭の上に降る。






結局、夜が更けてもバエナがアンフィスを呼ぶ感じはおさまらず……仕方なくセレスは、ドナとナディアが寝静まるのを待ってからコソコソとルードの部屋まで足を運んだ。



……と言うより、ルードが怒っている感じの方が強かったからなのだが、それは案の定だった。






「だって……ルードはそうでも、向こうは違う……」





「違わない。お前は堂々としてりゃいいんだ」





断定的なルードの口調に、セレスはうつむいた。



今の彼に何を言っても、聞く耳は持たないだろう。





「あー……おい。下向くな。俺は怒ってないぞ。ただな……」





今までカウチに踏ん反り返っていたルードが、腰を浮かせてポケットの中をまさぐる。


そして取り出した物を、セレスの膝にポンと放った。





「それをお前にやろうと思ってさっきは行った。別に明日でもよかったんだが……」





「え……、これ……?」




取り上げると細い銀の鎖がシャララと優しい音を立てる。



そしてその先には美しい装飾を施した碧色に輝く宝石。





「エスメラルダ……? やるって……そ、そんな。こんな高価な物、もらえないよ!」





どこまでも碧濃く、それでいて透明感のある大きなエスメラルダのネックレス。



いや、短めのチェーンから見てチョーカーだろうか。





「古い物だからな。そんなに価値はないだろ。死んだ母親の持ち物だったんだが、嫌じゃなかったら使えばいい」





「嫌とかじゃなくて。亡くなったお母さんのって……それ、形見って事でしょう? なおさらそんな大事なもの……」





「大事だからお前にやるんだ」





「…………!」





顔を上げると、穏やかな目をしたルードが頬杖をついてこちらを見つめている。





「形見って言ってもな……俺はあの人の顔もよく覚えていない。それくらい昔の話だ。綺麗な人だったような気はするが。でも、それを付けていた記憶だけはあるんだ」




そしてルードはカウチから立ち上がり、セレスの前に片膝をつくとチョーカーを手に取った。





「……お前の瞳と同じ色だ。付けてやるよ。きっと似合う」





ルードが笑うと、胸が苦しくなる。



そして――いつも泣きたくなる……。





「……うん。ありがと……」





それ以上何も言えなくて、セレスはルードに背を向け、チョーカーを付けやすいように後ろ手に髪を束ねた。




彼の手が首に回り、ヒヤリと冷たいチョーカーが胸元に触れる。






「まいったな……やけに綺麗じゃねえか」





「え、本当? 似合うかな……」





「違う。……ここだ」





突然、首筋にルードの唇が触れた。





「きゃ……」





思わずピクンと身体が震える。




そしてルードは後ろから腕を回し、セレスを抱きすくめた。





「……少しだけ、じっとしてろ」





「ルー……ド……?」





低く響く声が、セレスの胸の奥底に静かに染み込んでいく。






「俺はこんな生まれで、特殊なドレイクも居る。しかも今は、マスター堕ちが横行している世の中だ。学院を出た後は、平穏で落ち着いた生活なんか望めないかもしれない。それでもそこに、俺と同じ場所に、お前を連れて行きたい……。嫌か?」





首筋で囁かれたルードの願い。



間違いなく未来へと繋がる言葉に、セレスがゆっくりと振り返る。




黒曜石の瞳が、少し不安げに揺れた。





「ルードがこうと決めて、選んで行く所なら……私、どこでも行くよ。そこにルードが居ればいいの。他はなんにも要らない……」






「……俺の全部をお前にやる。誓うからしっかり受け取れ。……一度しか言わないからな」





「なぁに……?」






そう訊ねながらも、触れてきた唇にセレスは目を閉じる。







――……愛してる――






重ねたままのルードの唇が、そう動いた。





それは、今まで一度も心を口にした事のない彼の、何よりも確かな誓い。





嬉しくて、切なくて、やはり胸は打ち震える。





――私も……――





セレスが誓いに応えようとした時、部屋のドアが躊躇なく開かれた。





「ただいま。……おや、こんな夜中にお姫様が」




夢のような心地からすぐには現実に戻れない二人が、そのままの体勢でファウストの顔を見つめる。





「ああ、僕にはかまわないで。はい、続けて続けて」





「ごっ、ごめんなさい! ……お邪魔してます……」





ルードから飛び退って、セレスはファウストにペコリと頭を下げたまま固まった。



恥ずかしさで、とても顔など上げられない。





「なんだよ、丸二日も帰ってこないで。どこに行ってたんだ」




ルードの方は平然と立ち上がり、再びカウチに身を投げ出した。



だが、不機嫌そうな顔つきはいつもの二割増くらいにも見える。





「はあ……。ここでも聞かれるのか……。町に居るお友達に会いに行って来たんです。久しぶりだからって、離してもらえなかった。もうヘロヘロです」





「そういうお友達が何人いるんだか……」





「大きなお世話……っと」





ファウストが倒れこむようにベッドに突っ伏し、長く息を吐く。



その気配に、セレスがふと顔を上げた。





「ファウスト……どうしたの?」





「ん……? どうしたって……何が」




ベッドから気だるく目を向けてくるファウストに、セレスが駆け寄る。





「だって……怪我してるでしょ?」



思わず伸ばしたセレスの手を、ファウストがパシッと掴んだ。 





「……してないよ、怪我なんか。どうしてそんな風に思った?」





柔らかい口調とは裏腹に、その蒼い目には強い光が宿っている。





「え……? どうしてだろ……なんとなくそんな気がしたの……」




確かに、どこかに血が付いている訳でもない。




だが、ファウストがベッドに倒れこんだ一瞬、ふと血の臭いがしたような気がしたのだ。




「もしかしてセレス、僕の事心配しすぎて幻覚を見たかな? いいよ、ルードに飽きたら僕のとこにおいで。セレスが来てくれるなら、僕はもうフラフラしないからね」 




ファウストが妖艶に微笑み、セレスの手を引き寄せる。



その瞬間、飛んできた大きなクッションがファウストをなぎ倒した。





「……次はホントにアンフィスの餌にしてやる」




「もうルード、乱暴だよ。いつもの冗談に決まってるのに……。ファウスト大丈夫?」




慌ててセレスがクッションを退けて覗き込む。





「あー、もう……せっかく町で色々と情報も拾ってきたのに……。今ので僕はもう死んだ。だからルードにそれも報告できないわ」





首をさすりながら、ファウストはニヤリとルードに向かって笑った。





「ち……。悪かったよ、やりすぎた。早く話せよ。あんたの拾い物は貴重だからな」




「素直でけっこう。この話はおそらく明日の朝刊に出る。かなり新鮮な拾い物だぞ」




身を乗り出すようにして、ルードがファウストを見つめる。




その彼の様子に、何か部屋の空気が変わった。





セレスは邪魔にならないようにファウストから離れ、またラグの上におとなしく腰を下ろす。





「昨夜、またドレイクに襲われて女が死んだ。数ヶ月前にこの町に流れてきたショーパブの踊り子らしい」




「またドレイクか。……あり得ない」





「だが、目撃者が数人居る。仕事を終えて、同僚と帰るところを襲われたそうだ。暗かったが、ドレイクに間違いないと全員が言ってる」





ルードは口元に手を当てて考え込んでいる。



セレスも口出しこそしないが、ちまたで時折起こるドレイクが人を襲う事件には以前から疑問があった。




ドレイクは本能的に人を守る習性があると言われている。



幻魔と闘うのは宿主に命令されたからだけではなく、人を餌にするものに本能が立ち向かうのだ。



実際にドレイクが宿っている自覚のある今、セレスにもそれは理屈抜きで理解できるところでもある。





「気になるのはそこじゃない。その女、最近やけに羽振りが良くなってずいぶん派手にやってたそうだ。そして女には小さな息子がいたんだが、それがいつのまにか居なくなっていた……」





「いなくなった? おおかた、父親の方が引き取ったんだろう。慰謝料でもふんだくって」




ルードが吐き出すように毒づく。




「それならまだいいけどな。僕のお友達は、その女と同じ店で働いていてかなり親しかったらしいんだが……ある日、女が漏らしたそうだ。父親なんか誰なのか特定できないが、自分の息子にはドレイクが宿っているようだと……」




「なんだと? ……まさか」





先を言いよどむルードに、ファウストはしっかりとうなずいた。





「失踪したドレイク保有の子供、急に金を手にした母親。そしてその母親はドレイクに襲われて死んだ。……見えてくるだろう?」





「……売ったのか……ドレイクを宿した自分の子を。奴らはそんな事まで……!」




押し殺したルードの言葉に、セレスも声にならない悲鳴をあげた。





「おそらくな。ドレイク保有の子供なら高額で取引されるだろう。言いくるめてミグレイトさせる手もある。オルグはそうやって確実に力を付けてきているんだ」





「オルグ……、ミグレイト……?」





初めて聞くその言葉を思わず口にする。




すると、ルードとファウストが同時にセレスに視線を送った。





「……お前も知っておいた方がいいな。公にはされていないが、ドレイクを使った強盗や殺人……そういう犯罪を主にする組織の事を総称してオルグと呼ぶんだ。ドレイクを使うところから、メンバーはマスター堕ちではないかと言われている」





ルードの後を、ファウストが引き継ぐ。





「ミグレイトはドレイクの移住……とでも言うのかな。例えば、宿主にとって自分のドレイクの糧が耐え難いものであったり、宿主がなんらかの理由で瀕死状態になったりした時、ドレイクを別の人物に移し変える事があるんだ」




「移し変える……? そんな事ができるの」





「宿主がそれを望み、ドレイクが強い拒否を示さなければできる。普通はみんなドレイクの宿主である事を優先するけどね……中にはそれを捨ててまで糧を守りたい者も居る。どうしても子供を産みたい女性のドレイクが、その人の生殖機能を糧にしていたら……? それはミグレイトしたいと思っても、誰にも止める権利はないだろう」





一見華やかに見えるドレイカーの陰の憂いを、静かにファウストが説く。





確かにそうかもしれない。



愛した人の子供を産むために、ドレイクの方を捨てる気持ちはわからなくもない。




「だが、それを金の為に利用するのは別だ! ドレイクを金で取引するなんて、ましてや子供の売買などあっていいはずがない」




拳を震わせるルードは、やはり公爵家のドレイカーなのだ。



オルグという国を脅かすモノが、自分が背負い向き合わねばならない事だとすでにわかっている。





(私は……本当に何ひとつ知らなかった。知っても何もできない……。これから先、私はルードに何をしてあげられるんだろう……)





ふと、そんな思いが胸をよぎる。




黙り込んでしまったセレスを、ファウストが心配そうに覗き込んだ。





「大丈夫かい、セレス。……ルード、そんなにいっぺんにこの子に言っても混乱させるだけだ。今夜はもう遅い。そろそろ部屋に戻してあげた方がいいよ」





「それもそうか。……おい、ひとりで帰れるな?」





「う、うん。もちろんだよ。……本当だ、もうこんな時間。じゃあ、私行くね。バエナ、帰ろう」





部屋の奥から素直にバエナが飛んできて、セレスの中に入っていく。



どうやら今夜はアンフィスと充分寄り添えて満足したらしい。





「夜は廊下も冷えるからな。走って帰れよ」




「また明日だね、セレス。いい夢を」




「おやすみなさい……」





二人に手を振り、セレスは彼らの部屋を後にした。




月明かりだけを頼りに静まり返った廊下を行く。




――卒業したら……



自分は何が出来るだろう。




闘う事は怖くない。



おそらく夢中でルードを守り、援護するだけ。





(……それだけ……?)





静かな階段で、セレスの胸元でシャララと優しい音が鳴った。





「あ……いけない。私、ちゃんとお礼言ったっけ……」




揺れるエスメラルダのチョーカー。



セレスは立ち止まって、それを首から外した。





(それだけ……でもいいんだよね。きっと……)




手の中のエスメラルダが、月の光に深く輝く。




セレスの心がスッと軽くなって、自分の部屋に着く頃には憂いは綺麗に消えていた。




そっとドアを開け忍び足で部屋の中に入ると、ドナとナディアの静かな寝息が聞こえる。




セレスはホッと息をついて、まずはクローゼットの中にチョーカーをしまった。



次は音を立てないようナイトガウンに着替えなければならない。





(あーん……真っ暗でよく見えないよ……。やっぱり夜中に会いに行くのは控えよう……)








真っ暗な部屋でモゾモゾと不器用に着替えるセレスを、奥のベッドからナディアがじっと見つめていた。





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