【Ⅲ】
いつもながら、学院長室に呼ばれると一片の苛立ちのようなものが込み上げる。
かつては無知ゆえの反骨心から。
そして今は……これは一種の歯がゆさとでも呼ぶのだろうか。
『お父さんはどうして学院長なの? 外で幻魔と闘わないの? すごく強いのに』
『それが、代々ロックバート家に受け継がれる役割だからだ』
『闘うのが怖いんじゃなくて?』
『私が学院を離れると、ここの体制を維持できなくなる。それは怖い』
『やっぱり怖いんだ』
『そうだな』
『……じゃあ僕も、学院を卒業したらお父さんの跡を継がなきゃならないの?』
一瞬だけ彼の瞳が揺れた。
学院に閉じこもったまま、ろくに家にも帰らない父。
討伐隊に所属し、第一線で日夜幻魔と闘っていた母が殉職した時も、頑として学院から戻ってこなかった父。
そんな彼が見せた一瞬の動揺は、まだ学院に入ったばかりの幼いファウストにとって不信感を募らせただけのものだった。
『僕はお母さんみたいに外で闘いたいんだ。こんな、ドレイカーを育てる方じゃなくて、今、幻魔に困ってる人を直接助けてあげたいんだ。僕のドレイクはすごく強いのに……こんな、お父さんみたいに閉じこもってるのは嫌だ』
『嫌ならかまわん。その場合は、誰よりも強く聡い、優秀なドレイクマスターとなってここから巣立つがいい。それがロックバート家の血を引く者の務めだ。それから……』
動揺を見せたのはさっきの一瞬だけ。
彼はデスクチェアにゆったりと背を預け、鷹揚に言った。
『ここでは学院長と呼びなさい。話が終わったなら、自分の寮室へ帰りたまえ』
そんな昔を思い出し、ファウストはクッと笑った。
そしてドアにおざなりなノックをする。
「お呼びですか、学院長」
返事を待たずにドアを押し開けると、彼はナイトガウンのまま窓辺に立ち、外を見つめていた。
「一体何時だと思っている。もう休もうかと思っていたところだ。それに、呼び出しをかけたのは二日も前だが」
「ああ、すみません。部屋には帰っていないので、用務の方も伝言を伝えられなかったみたいですよ。さっき、ようやく捕まえた! と泣かれました」
「私はどこで何をしていた……という質問をしているつもりだ。学院内に居なかったのは把握している」
学院長の射るような視線をかわし、ファウストは部屋の重厚なソファに腰を下ろす。
「嫌だなあ、そういう無粋な質問。僕だって健康な成人男子ですよ。休暇の時くらい、素敵な花の所に時間を忘れて飛んで行きたいものです」
おどけるように言ってのけると、ファウストは胸のポケットから煙草を取り出し火をつけた。
紫煙が立ち昇り、部屋の天井をかすめる。
「……森の様子がおかしい。どういう事だ」
こちらにやって来た学院長が静かにファウストを見下ろした。
その探るような視線を感じながら、ゆっくりと煙を吐き出す。
「おかしいって?」
「静か過ぎる。演習でも森は使われているはず。ましてや今は、アンフィスとバエナが出入りしているのだろう。ここまで安定しているのもおかしな話だ」
「みんなが優秀な証でしょう。ちゃんと加減して幻魔を追い払う程度に、ドレイクをコントロール出来てるんだ。ルードとセレスもね」
「お前は何をしている。ここまでくると秘密主義とは言えんぞ」
「誰の事を秘密主義だと? ナディアの事も僕の耳に入れずにいた貴方の事ですか。こうなる前に、ウェロー伯爵からとっくに打診くらいはあったはずですよね」
にらみ合う親子の間にあるのは、やはりもどかしい思い。
互いに手の内を晒す事無く探りあう。
こういう手段を選んでしまう気質は良く似ている。
「……少し前に、ウェロー家から丁寧な親書が届いた。事件を蒸し返すではなく、純粋にもう一度ドレイカーとして学びなおしたいと本人が希望している……そう手紙には切々と綴られていた。断る道理もない」
「断れとは言いません。それに当時、通常の倍額にもなる賠償金をふんだくっておきながら、今さら蒸し返すでもないでしょう。ただ、すぐに話してくだされば、こちらも事前準備ができたのにと思っただけですよ」
その言葉に学院長は眉根を寄せ、ソファの向かいではなくファウストの隣に腰かけた。
「準備……、一体何を企んでいる」
「全く人聞きの悪い。心の準備ですよ。少なからず彼女はルードにもセレスにも影響ありますから」
ファウストが吸いかけの煙草を無造作に学院長に差し出す。
それを彼が黙って受け取ると、ファウストはソファから立ち上がった。
「とにかく、情報開示はお早めにお願いしますよ。それ以外の事はお任せください。……森の事も含めてね」
「……! 待て、ファウスト」
学院長の制止などかまわず、ファウストはスタスタと出口に向かう。
「お前が卒業を先送りにするのはそういう事か? どちらにしてもまだ早い! こんな早くからでは……」
「あなたも歳をとった。僕にはとうに覚悟があります。でもいずれ卒業はしますよ。あなたが僕にここをくれると言って下さればね……」
ニヤリと笑って、ファウストは学院長室を後にした。
部屋に残された父親は今頃、どんな顔をして自分の手渡した煙草をくゆらせているだろうか。
全くもって甘い。
ドレイカーとしての役割に誇りを持てと、そう教えて育てたの誰でもない、彼自身だと言うのに。
彼がここで密かに果たしてきたその役割は、同じ血を引くファウストが当然引き継ぐべきものだった。
いや、『適任』と呼んだ方が相応しいかもしれない……。
ファウストは寝静まった学院寮の廊下を進み、自室に続く階段を上っていった。




