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【Ⅱ】

お城のような建物に、磨きぬかれた大理石の廊下。




そこを、折り目正しい紳士に案内されながら後に続く。





ふと、傍らの大きなガラス窓に自分の姿が映りこんで、思わずセレスは立ち止まった。




改めて、自分自身の姿をしげしげと眺めてみる。





黒に緑のインクを一滴落としたような深い色のジャケットとスカート。




この制服はセレスの緑色の瞳に合っているし、彼女の長い亜麻色の髪にも良く映える。




それなのに、やっぱりどこか場違いな、落ち着かない思いは拭い去れない。





セレスは小さくため息をついて、少しだけ先を行ってしまった紳士の後を小走りに追った。







ロックバート学院。





このシエスタ公国の要ともなるべき、特殊な人材を育成する由緒正しき学院。




ここはいわば、国のエリート候補生達の学び舎だ。





田舎育ちのセレスでも名前くらいは知っていたが、そんな所にまさか自分が編入する羽目になろうとは。




さらに、自分がその『特殊』な側の人間の一人であるとは、思いもよらなかった。





それでも編入の手続きは着々と進められ、半信半疑のまま迎えた今日という日。



そして気がついた時にはもう、ここの学院長の前に立ち、よろしくお願いします、と頭を下げていた。


ついさっきの事だ。






我が国最高峰と言われる学院の代表は、灰色の髪と強い目を持つ、厳しそうな初老の男性だった。






彼はセレスの転入の挨拶に鷹揚に頷くと、『今は午後の授業が始まってしまったので、次の授業から参加するように』とだけ言った。



その時の事はそれ以外、緊張しすぎたせいかあまり記憶にない。





だが、いつまでも不安や心細さに震えている訳にもいかないし、なによりそんなの自分らしくないとも思う。






(そうよ、私は私。気弱になんてなっちゃダメ。ここで頑張るって決めたんだから。みんなの為にも……)





セレスは両の拳を握って、ふん、と秘かに鼻息を漏らした。



やがて、廊下の壁に一定間隔で灯されたランプの数が二十を越す頃、吹き抜けのある広いホールのような場所に出た。






「それではセレスティナ嬢、私がご案内できるのはこの談話ホールまでです。この先は学院の生徒さんと関係者以外、立ち入ることは許されません。授業が終われば、案内の方が迎えに来てくださるそうですから、こちらで少々お待ちください」





後見人代理のクロセルが穏やかに微笑んで、白い手袋をはめた手を傍のベンチへと差し向けた。





その、ごく自然で優雅な仕草は、身分の高い人に長年仕えているゆえだろう。




年の頃はまだ四十四、五に見えるが、髪にだいぶ白いものが目立つ。



主人に大抵の事は任されている敏腕秘書らしいのだが、それなりに苦労はあるのかもしれない。






セレスは無言で頷いた後、勧められた通りに傍のベンチに浅く腰を下ろした。





ベンチとは言っても、セレスがよく知る、木片を組み合わせただけのチープなベンチではない。




重々しく深い色の木材には継ぎ目などなく、背もたれと肘掛けにまで精巧な彫り細工がなされた芸術的な逸品だ。





見渡せば、同じようなベンチやモダンなソファがホール内のあちこちに配置されている。



おそらく、月に一度の面会日には、この場に相応しい紳士淑女がやって来て、全寮制の学院で勉学に励む我が子に熱い抱擁とキスを送るのだろう。






「授業が終わる時間までご一緒したいのですが……申し訳ございません。私はそろそろ戻らなければ」





キュッと再び心細さが胸を突く。




でも、そんな我がままを言える立場でもない。





代わりにセレスは、今まで何度も問うた事を、思い切ってもう一度彼に尋ねてみた。






「ねえ、クロセルさん。その……やっぱり、どうしても教えてもらえない? 私の後見人になってくれた人の事」





真新しい制服の胸元を祈るように握り締め、セレスがクロセルを見上げる。




彼はわずかに皴の入った目尻を細めて、おっとりと笑った。


「ご心配なさいますな。我が主人は、何か良からぬ目論みがあって、あなたの後見を申し入れた訳ではありません。ただ、才能を秘めた若者に、それに相応しい教育をのびのびと受けさせたい、その一心なのですよ」





「目論みなんて……、そんな失礼な事は考えていないわ。だって、後見の手続きには、ドージェ(元首公爵)様の推薦状が添えられていたし。そうじゃなくて、ちゃんと知りたいのよ。田舎の孤児院なんかにいた私を、こんな立派な学校に入れてくれたのはどんな人なのか。どうして素性を明かしてくれないの?」





 クロセルは穏やかな笑みを崩さずに、腰をかがめて少し声をひそめた。





「今、あなたが言ったように、主人はこのシエスタ公国の元首公爵とも懇意にされている、それなりの身分と世間への影響力を持つ方です。そんな彼が、特定の人間に心を留めて行動を起こした事が公になると、なにかとうるさく言う輩もいるのですよ。ねたみや損得勘定から、万が一にもあなたに危害が及ぶのを懸念しての事なのです。どうかご理解いただきたい」





ぷうっと頬を膨らませて、セレスは黙り込んだ。




やはり何度聞いても、主人に忠実なクロセルからは何の情報も引き出せそうにない。





だが、セレスの膨れ顔を見たクロセルは、初めて紳士的な微笑みを崩し、ぷっと吹き出した。






「レディがそんなお顔をしてはいけませんよ。今は無理ですが、あなたがこの学院を無事卒業し、ドレイクマスターの称号を得れば会えるのですから。そういうお約束でしたね」





その言葉に、セレスは再び緊張し、顔をこわばらせる。






「それなんだけど……。本当に私の中に、いるのかな。その……」





「ドレイクですか?」





こともなげに言うクロセルに、セレスはためらいがちに頷いた。






ドレイクはこの国の守り神とも言える、幻竜達の総称。





人々を襲い、災いをなす幻魔を、唯一退ける事ができる存在だ。





彼らは特定の人間に宿り、宿り主に選ばれた者は、そのドレイクの能力を共有することが出来る。






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10ページ 編集 画像 削除 「だって私、孤児だよ。ドレイクって普通、ドレイクマスターの家系の人に宿るもんでしょ? 私、今でもそんな自覚ないし、そりゃ、ちょっとは幻魔を追い払うの得意だなって思ってはいたけど。そもそもこの学校って、ドレイクを宿した子、専門の訓練学校だよ。私みたいなのがノコノコ転入して、もしドレイクがいなかったら……」





白い手袋の指先が、セレスの唇の前にそっと立てられた。




溢れ出してしまった言葉と不安が、その白い指先にせき止められる。






「……いますよ、あなたの中にドレイクは。我が主人が偶然あなたをお見かけした時、その存在を強く感じたと言っておりました。彼と、彼に宿るドレイクはそういう資質を見抜く力に長けています。それはドージェもよくご存知の事ですし、だからこそ後見の申し出に推薦状を添えてくださったのですから」





「でも……」





「それにドレイクはマスターの家系でなくとも、稀に宿る事はあるのです。現にこの学院にも、商家や農家出身のドレイクを宿した生徒がいますよ。あなたは何も心配することはありません。ああ、何か必要な物などがあれば、我が主人がいくらでもあなたのために用立てることでしょう。主人はあなたをとても気に入っておられますから」






だからこそ、余計にセレスは不安なのだ。





この全寮制の学院は、基本的にはドレイクを宿した子供の義務教育の場である。




ゆえに、教育資金そのものは国が負担しているが、代わりに寄付金の制度が定着しているのだ。





貴族と同位のマスター族の親は、子供が気後れしないようにこぞって多額の寄付をするらしい。




セレスの後見を志願した、かの人物も、公約の一つに莫大な額の学院寄付を提示していた。





自分が願った事ではないが、人の期待や厚意を裏切る結果になってしまったらと思うと、やはり気が重い。






「大丈夫。あなたはちゃんとドレイクに選ばれています。ゆくゆくは孤児院のある土地を、ドレイクマスターとして守っていくのでしょう? 子供たちの為に……」





クロセルの言葉に、改めてセレスは当初の目的を思い出した。





少なからず、世間からも不遇な扱いを受けてしまう孤児院の子供たちが、より健やかに不自由なく生活できる環境を作りたい。


ドレイクマスターは領主と並ぶ権限があり、自分がそれになれれば、そんな改革も夢ではなくなる。



セレスはそう考えてここへやってきたのだ。






 大きく、ゆっくりと深呼吸して、セレスはクロセルを見上げた。





「ありがとうクロセルさん。なんだか楽になったみたい。後見人さんには、ドレイクマスターとしてお会いするわ。私、もう大丈夫だから。引き止めてごめんなさい」





本当に少し、気分が晴れたような気がした。



覚悟を決めた、と言った方が近いかもしれないが。






「その意気です。あなたならきっとすぐに、お友達もできるでしょう。そういった、勉強以外の大切な物もここで学んでいただきたい。それが主人の望みでもあります。あまり気負うことなく、ここでの生活を楽しんでください。……では、私は失礼させていただきます」





そう言うとクロセルは襟を整え、また毅然とした後見人代理の顔になった。




そして、セレスに微笑みかけると、もと来た廊下をきびきびとした足取りで戻っていく。




その後姿を見送っていると、彼ははたと足を止め、こちらを振り返った。





「セレスティナ嬢、その奥の扉の向こうは中庭になっています。そこで時間を潰されてはいかがですか。あなたはもうここの生徒ですから自由に行き来ができます。今の季節は、きっと美しいことでしょう」






 ここの生徒。



そう言ってくれるクロセルの心遣いが、セレスの胸に沁みた。






「ありがとう。そうしてみるわ」






笑顔で手を振り、セレスは教えられた扉に向かうと、両手でそれを押し開けた。




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