【Ⅲ】
「……て事は、ルードがセレスにご執心って言うのも……」
「うん……嘘。そう言っておけば、私たちがいつも一緒にいても誰もおかしいとは思わないでしょう? アンフィスとバエナはなるべく一緒にいさせてあげないと大騒ぎなの」
「それにしても、ルードがついていながら見られるとはね……」
食堂の隅のテーブルで、セレス、ドナ、ファウストの三人が額を付き合わせて声をひそませる。
幸い、昼食時間の食堂は大変な賑わいで、誰もそんな彼らの話など耳に入らないようだ。
ゆうべ、ドナの出現に硬直するセレスを背後に押しやり、ルードは静かに言った。
「……ドナウ嬢か。君でよかった」
「目が覚めたらセレスが居なくて……もしかしたらと思って見に来たの。一体あのドレイクは……」
「すまないが、今夜は何も聞かずにこいつを連れて部屋に戻ってくれないか。見ればわかると思うが、こいつの頭ん中は今真っ白だ。聞いてもまともな説明は出来ないと思うぞ」
頭の中どころか、セレスは顔面蒼白だ。
それをチラと流し見て、ドナは素直にうなずいた。
「確かに。じゃあ明日、あなたが説明してくれるのね」
「実は数日前から俺とファウストの間で、君に協力を仰ぐのが得策じゃないかという話は出ていた。なんせ、こいつはどうも危なっかしくてな。ただ、秘密を共有すると君自身にも危険が及ぶかもしれない」
「それが賢明ね。あたしはかまわないわ。……と言うより、もう見ちゃったもの」
悠然と腕を組んで微笑むドナを、心底頼もしいとセレスは思った。
冷静沈着、威風堂々。
そしておそらく彼女の中ではすでに様々な分析がなされているのだろう。
余裕のある笑みがそれを物語っている。
「そうだな。たぶんファウストが話すと思う。だが、本当に誰にも悟られないように注意してくれ」
そして融合したアンフィスとバエナは、ドナの目の前でそれぞれの宿主の中に戻っていったのだった。
――全てを聞き終えたドナは、表情をひきしめ協力を買って出てくれた。
主な役目は、ルードやファウストが傍に居られない時のセレスのフォローだ。
「……でも結果的には良かったと思うわよ、ファウスト。そんな国家規模の秘密を、この子ひとりで守りきれる訳ないもの。なんかドジやらかして、全校生徒にバレるのがオチよ」
「そこなんだよ、僕たちが懸念していたのは。でも進んでドナを巻き込む気にもならなかったし」
「ちょっと……みんなして何なのよ。私、今までだってちゃんと……」
頬を膨らませて抗議するセレスを、二人が冷ややかに見つめる。
「セレス。君、昨日さ、下級生が部屋から落として中庭の木に引っ掛けちゃったスカーフを取ってあげたよね? それで木に登って見事に落っこちた……」
「な、なんでそんな事蒸し返すのよ。あれはちょっと油断しただけだし、この事とは何の関係も……」
「落ちる瞬間、僕が君を必死で拾って……その時右目が真っ赤になってたの、気がついてる?」
「ええっ?!」
慌ててセレスは右目を両手で隠した。
今さら全く意味の無いことだが。
「あらら……、セレスの危険を察知してバエナが力を使おうとしたのかしら」
「多分ね。バエナとしては咄嗟の本能だし、責めるわけにもいかない。それよりセレスが気をつけなくちゃ。ルードのオッドアイは上級生なら知ってる者も多い。同じ瞳を糧にするドレイクが居るのがバレたら……」
「わかってる……ごめんなさい。もっと気をつけます……」
小さく小さくなってセレスがうつむく。
正直、瞳の色の変化にはこれっぽっちも気が回っていなかった。
「それからねセレス、これはあたしだから気になってたのかもしれないけど……」
「え、他にも私、何かドジやってる?!」
青くなって顔を上げると、ドナの心配そうな目に捉えられた。
「ドジとかじゃなくて……。あんた、最初からルードに興味持っててすぐ恋人宣言されたでしょ? それなのにちっとも嬉しそうじゃないし、なんか変だなと思ってたのよ。その謎はようやく解けたけど。大丈夫なの?」
「え……大丈夫って……」
キュッとセレスの胸がきしむ。
「セレスはルードに完全にやられてるわよね。見てればわかるよ。それなのに、気がないの知ってても恋人のフリして傍にいなきゃならない。これってかなりキツイんじゃない?」
何事もズバリ、ストレートに核心を突いてくるドナ。
だがその目は本気でセレスを心配しているもののようだ。
「えと……でもルードは、私の気持ちはバエナがアンフィスを想う気持に共感してるだけで……勘違いだって」
「はあ? なにそれ。そりゃ確かにドレイクと共感する事はあるけど、自分の気持ちくらい判断できるでしょうが」
「うん……でも。……判断できても仕方ないし。でもバエナのおかげで傍に居られるから……なんか、それだけで充分かなって」
手元のジュースグラスを弄びながら、セレスは笑って見せた。
人の心、こればかりはどうしようもない。
軽く頬杖をつき、ドナが静かに微笑んだままセレスをみつめる。
「……健気だこと。可愛い」
「いいねえ、女の子の恋バナ。でもルードはだーめ。僕のだから」
歌うようなファウストの軽口に、セレスの顔が一瞬にして強張った。
「あら、強敵が現れた。そう言えばそんな噂もあるわよね。ファウストとルードは付き合いも長いしずっと同室だし……」
「え、え、え、そうなの?! 」
「……俺がなんだって?」
背後からの低い声にセレスの心臓が跳ね上がった。
いつの間にか相変わらずの難しい顔でルードが後ろに立っている。
「ルードが食堂に足を運ぶなんて珍し―い。明日は雨なんじゃない?」
ルードを覗き込むようにして、ドナが目配せをした。
それに小さくうなずいて、彼はセレスの隣に腰を下ろす。
「……話は終わったようだな。……で? 俺が何だって?」
「いや、僕とルードが道ならぬ関係なんじゃないかって二人に聞かれてさ」
「はあ? 」
「い、いえっ! ちょっとそんな噂を……信じた訳じゃないけど、その、こういう全寮制の学校ってそういうの良くある事だって聞くし……一応、念のため、なんとなく聞いておこうかなと……」
セレスが真っ赤になって小さくなる。
その様子にルードは呆れたようにため息をついた。
「真面目に話してるかと思えば……バカバカしい」
「そう、気にするなんてバカバカしい事だよセレス。愛の形は様々なんだ。確かに僕たちは同性ではあるけど、だからと言ってその表現方法に違いはないし、確かめ合うのは当然の事だろう。それを異端視するのはどうかと思うよ」
ピクンとセレスの肩が揺れる。
「おいこら、ファウスト……」
「僕はセレスやドナの事も大好きだから、求めてくれるならいつでも応える用意はある。ただ、ルードとは長く一緒に居るからねぇ。お互いの眠れない夜が合致したらそれはもう……」
「いい加減にしろ。このバカが本気にでもしたら……って、おい!!」
「求め……眠れない夜……合致したら……?」
「お前……からかわれてるだけだって、なんでわからない……?」
「キスくらいは日常的にしてますけど」
「何を……、あれは違うだろう」
「あれ……は? あれって?」
「あああ……なんなんだこいつ……!」
「ルードって、森で夢魔と遊ぶ事もあるんでしょ? まさか最後まではいかないよね。取り込まれたりしないの。どこまで許す訳?」
ドナまでもが興味津々な顔をしてルードに詰め寄る。
今やセレスは呆然を通り越して、固まってしまった。
「違……っ、あれは油断させる為に……いや、そもそも遊んでいる訳じゃない。おい、人の話を聞けっ!」
「大丈夫だよ、セレス。キスはね、温度が違うんだ」
「温度……?」
ふと我に返ったセレスの頬に、ファウストの指先がそっと触れる。
「……そう。本物は温度が違う。君もいずれわかるよ。僕とルードがしたって、体温はあっても冷たいもんさ」
「してるのはホントなんだ……」
「お前ら、俺を暇つぶしのエサにしてるだろ……」
ファウストとドナがお腹を抱えて笑う。
その時、学院中に昼食時間の終わりを告げる鐘が鳴った。
食堂にいた生徒達がガヤガヤと席を立ち始める。
「全く……。鐘が鳴ったぞ、さっさと授業に行け」
憮然とした面持ちでルードも席を立った。
「え、あの……ルードはやっぱり授業には出ないの? どこ行くの?」
「ルードは午後はほとんど森だよ。緑の繭に……」
ファウストが代わりに答えると、ルードがそれを睨みつける。
「……いい加減にしろ」
さして気にする様子もなくファウストは肩をすくめ、そんな二人に割って入るようにドナが明るく言う。
「あたしたち、教授が風邪引いちゃって午後の物理の授業は休講なの。あなたたちが掲示板なんか見るわけないか」
「見ないな。掲示板のある場所すら忘れた」
「同じく」
すると突然、ルードがセレスに向き直った。
「……お前も行くか?」
「え……」
セレスが戸惑いがちにドナに視線を送る。
「行っておいで。あたし、午後は読みかけの本でも読んでゆっくり過ごすわ」
「……うん」
こぼれる笑顔を残し、セレスはスタスタと先を行くルードを追っていった。
やがて食堂は数人の生徒とドナ、ファウストだけとなり、静かな午後の時間が流れていく。
「わかりやすいわね……。あんないい顔しちゃって」
「こっちも似たようなものさ」
二人が消えた食堂の出入り口を見つめて、ファウストとドナは苦笑した。
「でも……ねえ、ファウスト。本当に今のルードは大丈夫なの? もしセレスが前の事件みたいに……」
「ああ……その事か。もう大丈夫だよ。今のアンフィスは完全に覚醒してる。それにあの時は相手も悪かった」
ドナはふと思案顔になり、そして改めてファウストを見つめた。
「あたし、あの一件は噂でしか知らないの。ファウストは知ってるんでしょう? 聞いちゃいけない? ……心配なの」
ファウストはじっとドナを見つめ返し、そして天井を見やる。
「君には話すべきだろうね。あれは事故と言えば事故だが……」
かつてルードの何もかもを傷つけ、蓋をしてしまった過去をファウストが語りだす。
だが苦々しい思いは、普段は饒舌な彼の口を重くした。




