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ツインテイル§ドレイカー  作者: 花凛兎
シンデレラの憂鬱
13/56

【Ⅲ】

―1限目― 《社会経済》





『……このように、近代社会において我々ドレイク保有者には、それぞれの適性に応じた働きの場が確立されており……』






(…………)







―2限目―  《基礎物理》






『……つまりこの物体にはたらく力は重力と垂直効力だけなので……W=mgsinθ×l=mglsinθ……』





(…………?……?)







―3限目―  《病理学》 






『リソソームは主としてタンパク分解酵素、特に酸性ホスファタ―ゼなど加水分解酵素をはじめとする種々の酵素を含んだ小胞状の器官で……』






(…………?……??……??!)








―昼食休憩― 《学院内大食堂》





「ちょっと……セレス大丈夫? なんか真っ白な灰になってるけど」





「……ほえ……?」





まさに精魂尽き果てたかのようなセレスを、ドナが心配そうに覗き込む。





「あんたの勉強苦手ってのは、まんざら謙遜でもなかったみたいね……」





「あい……。後半は教授がシエスタ語を話してるとは思えませんでした……」





本当に、今までしてきた勉強とはレベルも質も全く違う。



バエナの存在のおかげで、クラスメートには少し受け入れられたような気がしていたが、一難去ってまた一難。




だが、今度は自分が努力しないことにはどうにもならない。





深いため息をつくセレスの肩を、ドナが朗らかに叩いた。





「まあね、ここはやっぱり一般の学校とは学習内容も違うし。でもドレイカーとして最低限必要な知識はあたしが面倒みるから、心配しなさんな」





「うう……、ありがとドナ。頑張る……」





ドレイカーとして、と言われるとやはり投げ出す訳にはいかない。



なにしろ、自分に棲むのはアンフィスバエナの半身。



バエナの力を生かせないようでは困る。






『ふむ。わかっているじゃないか。我の力、生かすも殺すもセレス次第……』




胸の内に勝手に語りかける声に心臓が跳ねる。




(ちょ……っ、なんなの? 授業中は静かにしてたから安心してたのに……! や、それより何? バエナって私の考えてる事とか……)






『ん? わかるに決まってるだろう。我らは一心同体。そもそも宿主とドレイクの意思疎通には言葉など要らない。心を澄ませば、全て感じ取れるはずだ』





(……ホントだ。バエナ、今呆れてるでしょう……?)





胸の内に言葉は返ってこない。



だが、バエナが同意したのだけは感じる。





「慣れないなぁ……。でも慣れなきゃね……」





「そうそう。まずはここの食事に慣れてちょうだい。さあ食べようか」




セレスの独り言にニッコリと笑って、ドナがフォークを取り上げる。





その時、セレスの背後から波のようなどよめきが沸き起こった。





食堂に集まった生徒達が息を飲み、あるいは遠慮がちな嬌声を上げてセレスの後方に注目する。





「あらら……食堂に現れるなんて、どういう風の吹き回しだろ」




正面のドナまでもが、驚いたようにセレスの肩越しを見やった。





「…………?」





その視線を追ってセレスが振り返ると――。







「……見つけた。ちょっと来い」






いきなり腕を掴まれ、引き立てられたセレスの目の前で怒ったような黒曜石の瞳が揺れる。







「ル、ルード……!」






「ぐずぐずするな。行くぞ」





ザクザクと視線の矢が体中に突き刺さる。




ドナと男子生徒たちはあんぐりと口を開けたまま固まっているが、女生徒の多くは鬼のような形相でセレスを睨みつけている。





昨日ドナが言った、



『ルードに近づくとファンの子たちに何されるかわからない』



というのも、あながち大げさではないようだ。





「で、でも私これからお昼を……、それに、その……」 




するとルードは眉をひそめ、取り巻く周囲に目を向けた。





「俺はこいつが気に入った。だからこれからも時々連れ出しに来る。不都合のある奴は、直接俺に言って来い」






様々な思惑でざわついていた食堂が、シンと静まり返る。







「…………は?」





状況を把握するのを、脳が拒否しているセレスの耳元でルードがささやいた。





「これでいいだろう。早くしろ、今にもアンフィスが飛び出しそうだ」





有無を言わさずセレスの手を引き、ルードが踵を返す。





「え、あの、ちょっと……!」




ルード引きずられるようにして食堂を出ると、途端に背後で奇声とも歓声ともつかない声が爆発した。





「ル、ルード!あの、今のは……」





「こうしておけば、俺とお前が一緒に居ても何の不思議も無い。俺を敵に回してまでお前にくだらんちょっかい出すバカもいないだろう。得策だ」





「そ、そうかもしれないけど、何もあんな嘘……」





セレスのうろたえなどおかまいなしに、ルードは学舎を抜け、宿舎棟に足を踏み入れた。




そしてセレスが未だ通った事のない階段をどんどん上っていく。





「あの、ねえ、どこに行くの? 私まだこっちの方は来たことない……」





「お前じゃなくても、この階段を上る奴はそういない」





「は? なんで……」





廊下を奥の奥まで進み、ルードはある一室の前でやっと立ち止まった。







「こっちは男子寮だからな。それにこの階は俺の部屋しかない」





「ええっ?! そんな……」





ドアを開け、ルードが目を丸くするセレスを部屋に押し込む。




すかさずドアがバタンと音を立てて閉ざされた。






(いくらなんでも男の人の……ルードの部屋なんて! それにこれって重大な校則違反なんじゃ……!)





とまどうセレスの右目から、待ってましたとばかりにバエナが飛び出した。






『アンフィース! やっほー!』





ほぼ同時に、ルードの左目からもアンフィスの巨体が姿を現す。





『おお、バエナ! 待ちかねたぞ』






大小2体のドレイクが、部屋の真ん中で仲睦まじくたわむれる。





その様子にセレスは唖然とし、ルードは大きく息をついて傍のカウチに身を投げ出した。




「全く……、交信できるようになったのはいいが、朝っぱらからバエナバエナとうるさすぎだ。めんどくせえ……」





ぐったりとするルードは本当に閉口していたらしい。




それで思い余ってセレスを連れ出しに来たのだろう。







「こっちもバエナがうるさくて困ってたけど……、でも私だってこんな男子寮にいつも来るわけには……」






「大丈夫だよセレス。ルードがする事にとやかく言う人はいないから」





その柔らかなテノールの声は、部屋の奥から聞こえてきた。





「……ファウスト!」





二つあるベッドの片方で、白いシーツにくるまったファウストが片肘をついて横たわっている。





セレスは息を飲んで、じゃれあう2体のドレイクをあたふたと背中で隠した。



――当然隠しきれる大きさではないのだが。






するとカウチの上で天井を仰いだまま、ルードがのんびりと口を挟んだ。





「あほう。ファウストは知ってる。だからお前をここに連れてきたんだ。こいつは俺のことなら俺より良く知ってる」





「トゲのある言い方だね。今回のアンフィスバエナの事は、僕も昨夜初めて知ったんだって何度言えば信じるんだい?」





ため息混じりにファウストがベッドの上に起き上がる。




均整の取れた裸の上半身があらわになり、白いシーツがハラリと腰まで落ちる。





「ああ……もう昼なのか。朝からルードとアンフィスがうるさくて、全然寝た気がしないよ……」





「朝帰りした奴の睡眠時間なんか確保してやる気はない。それよりさっさと何か着たらどうだ。仮にも女がいる……」






だがセレスはルードの気遣いなど意に関せず、ファウストをじっと見つめていた。




さらにそのまま彼に駆け寄り、その白い肩を指でなぞる。





「ホントだ、昨日の傷がもうふさがってる……よかった。ごめんね、ファウスト。私のせいで怪我させちゃって……」






「ああ……そんな事か。こんなの怪我のうちに入らないよ。……でもね、本当はまだ治らない傷があるんだ」





「え、肩だけじゃなかったんだ! ごめんファウスト。どこ?」





「もっと下だよ。そのまま胸の方に……」




言われるまま、セレスは指先で肩から胸の辺りまでたどってみた。




だがどこにも傷らしきものは見当たらない。





「……どこも綺麗だけど……どこ? まだ痛いの?」





「うん。ズキズキとうずくんだ。もっと下だよセレス、もっと……ああ、そう……」




そのまま胸からお腹の辺りまで指を滑らせる。





次の瞬間、横から弾丸のようにクッションが飛んできてセレスは床になぎ倒された。







「……やめろファウスト。真っ昼間から」




「やだなぁ、冗談だよ。……こういうのやめてよ、ルード。さずがの僕も死んだかと思った」 





何事かとセレスが床から起き上がると、なんとアンフィスがファウストの頭をガップリとくわえている。





「俺は知らん。アンフィスが勝手にしたことだ。……お前もお前だ。脱いでるファウストに無防備に近寄るなんて自殺行為だ。ホントに食われちまうぞ。そうされたいならいいけどな」





「食われるって……、あはは! やだぁ、食べられてるのはファウストじゃない! あっははは!」





『あっはははは!』




バエナまでがパタパタと飛び回りながら、セレスと声を合わせて笑う。




グオオと大きく口を開けてアンフィスがファウストを解放した。



そのいかつい顔も、どことなく笑っているように見える。






「やれやれ……こうなるとセレスを口説くのは命がけだね。これからはたいていルードが傍に居る訳だし」





シーツで頭を拭きながらファウストが言う。





「……え? 傍にって……」





「別に邪魔はしない。傍には置くが、そういう個人的な事は尊重するつもりだ」





「別に邪魔してもいいよ。障害があった方が燃えるもんでしょ」





「勝手に燃えろ。いっそ燃え尽きてしまえ」





「ねえ! ずっとって何の事? 私をどうするの?」





ルードとファウストが一斉にセレスを見つめる。




そのいぶかしげな黒と蒼の瞳に、胸がドキリと鳴った。





「どうするってお前……なんだか人聞きが悪いな」





「どうもしないけどね、バエナを宿す君はルードの近くにいなきゃいざって時に困るだろう? 融合できないじゃないか。だから、学院を卒業してもセレスとルードは別々に暮らす事は許されないだろう」





「…………!」

 



「心配するな。お前の村の事は聞いた。ちゃんと信頼の置けるドレイクマスターを派遣するように計らうし、行きたい時は行けばいい。その時は俺も行けばいいんだから」





「おそらく、いずれは公爵家にセレスの部屋も用意されると思うよ。学院に居る間は任務も危険もそうはないから、比較的自由だけど……アンフィスとバエナが騒ぐくらいで」







「おい……聞いてるか?」





ルードとファウストが心配そうに覗き込む。






顔を真っ赤にして、セレスは呆然とクッションを抱いていた。




胸が勝手に、ありえないくらいの高速でバクバクと音を立てている。






するとルードが、ああ、と合点がいったように声を上げて顔を曇らせた。






「お前の先の生活まで規制されて気の毒だとは思うが、バエナがお前を選んだ以上受け入れて貰うぞ。俺もお前のプライバシーに干渉するつもりはないし、それなりの報酬も……」





「ち、違うよ! そういう事じゃなくて……」





やっとセレスの口から声が出た。




でも、この気持ちをなんと説明したらいいのかわからない。



と言うか、とても言えない。






「だったら何なんだ。何が不服だ」





憮然と腕を組み、ルードが冷やかにセレスを見やる。




こんな態度をされては、余計に言い出しにくくなってしまう。





またもや言葉が出なくなってうつむくセレスの頭上を、バエナがパタパタと回った。






『なんだ、まどろっこしい。(われ)が代弁しよう。ルドセブ、セレスはお前といられるのが嬉しいようだぞ』






「バッ!!」






「おや、早くもそういう事だったのセレス」







「…………」






思わず顔を上げてしまったところで、完全にルードと目が合ってしまう。



だがその黒い瞳は、セレスの動揺する碧の瞳とは正反対に、何の感情も持たない。






「……そう言えば、ゆうべも何か言ってたな。はっきり言っておくが、それはお前の感情じゃない」






「……え?それって……」






「ドレイクとその宿主は、たいていの感情を共有する。お前は、バエナがアンフィスを求める感情に引きずられて、アンフィスの宿主である俺を特別なような気がしているだけだ」






「そう……なの?」






ルードが小さくうなずく。



今まで飛び回っていたバエナが、セレスの肩にちょこんと乗った。



「お前は自分の中のドレイクに気付いたばかりだし、余計に区別がつかないんだろう。俺は通じ合えなかったとは言え、アンフィスとの付き合いは長い。こいつと自分の感情の区別くらいはつく。心を澄ませて、よく俺を見てみろよ。バエナの目を通してじゃなく、お前のその目で。すぐに勘違いだってわかるはずだ」





「私の……」






セレスはひとつ深呼吸して、カウチに身を沈めるルードを真っ直ぐに見つめた。





少し首を傾げるようにして、ルードも逸らさずにセレスを見返してくる。





くっきりとした二重瞼の奥に艶やかに光る漆黒の瞳。



鼻はあくまでもすっきりと高く、キリリと結ばれた唇は精悍な印象を持たせる。






「……わかっただろう?」





加えて、この低い声。




初めてあの森の中で会った時も、耳元で囁かれたこの声に胸が打ち震えた――。







「セレス……?……逆効果だったんじゃないか?ルード」






ファウストの声が耳をすり抜けていく。




顔が、湯気でも出ているのではと思うほど熱い。



胸の鼓動が、セレスの身体を容赦なく揺さぶり続けて、なんだか涙腺までも緩んでしまいそうだ。







「……おかしな女」





呆れたようにつぶやいて、ルードの口元がわずかに笑う。






――これがトドメとなった。





その時、学院中から鐘の音が響き渡った。




それは昼食時間の終わりを告げる音。


この後、午後の授業が始まる合図。






「……あ。私、お昼食べ損ねちゃった!」





慌ててセレスが立ち上がると、ファウストがのんびりと笑いかける。





「何か食堂からくすねてくるから、ゆっくりしていけば? 午後の授業はエスケープして」




「だめだよ。私、ちっとも勉強わからないし……。サボったらますますわからなくなっちゃう。バエナのドレイカーとして恥ずかしいもん」





スカートを翻し、セレスはドアに向かった。



走れば授業にも充分間に合う。






「おい、バエナが騒いだらすぐここに来いよ。もしくは……森かな。あの場所なら誰も近づかない」




あの場所とルードに言われて、それはすぐに思い当たった。





「わかった。その時はどっちか……きっとバエナがわかると思うから、行くね」






小さく手を振り、セレスは名残惜しそうなアンフィスと二人を残し部屋を出た。







「……可愛いねぇ。この部屋がこんなに賑やかになったのは、初めてじゃないか? ……さて、僕はシャワーでも浴びてくるか」





ファウストの質問とも独り言ともつかない言葉。




それにいつものようにだんまりを決め込んで、ルードはカウチの上で目を閉じた。





その身体にアンフィスが静かに戻っていく。






部屋に、柔らかく穏やかな静寂が降りた。






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